彼女の事由
あらすじ
黒い影を振り払い、《アマデウス》は目的地へと急ぐ。しかし、その行く手には。黒塗りの影が、懐に隠した刃の柄を握っていた。
Ⅲ
広域レーダーには三つの光点が瞬いていた。一つはこの《アマデウス》、もう一つが中立セクション、最終的な目的地である。そして、それらの中心に位置するのが、老朽化や損傷によって破棄されたセクションだ。
今現在、《アマデウス》はこの破棄セクションに向けて進路を取っている。最短かつ安全なルートだとイリアは事前に説明していたが、当の本人は難しい顔で広域レーダーを眺めていた。その難しい顔を見ているのは私とクスト副艦長だけであり、他のブリッジクルーのリュウキとギニーは、私と入れ替わり仮眠に入った所であった。
「うーん。ちょっと騒いじゃったしなあ。迂回しようにも厳しいし」
呟きながらイリアは広域レーダーを操作し、周辺の状況観察を行っている。平らな空間が延々と続いていたが、イリアには何か見えているのか、広域レーダーを消して艦長席に深く腰掛けた。
「トラブルですか」
イリアに問いかけると、じっと考え込んでしまった。
「リーファちゃん、難しいこと聞くね。大丈夫かもだけど、今回予期せぬ事態が多いじゃない? なんか警戒しといた方がいいかなって、考えてたとこ」
「あの破棄セクションが怪しいと?」
艦長席の横で、クストが書類整理の手を止め尋ねる。
「そう。今の時間帯ならH・R・G・E側もここらへんノーマークだからいいと思ったんだけど」
「それ以外はマークしてるかもしれないわね。迂回は難しいって言ってたけど」
イリアが再び考え始めるが、あまり芳しくないようだ。
「難しいね。索敵網に掛かっちゃうかもしれない。ここH・R・G・Eの領域だし。流石に真っ正面から戦いたくはないもん」
クストがお手上げとばかりに溜息をつく。
「イリアが言うからには、何かしらありそうなのに。罠だと分かってて通るしかないなんてね」
「まだそこんとこ自信ないけどね」
二人の会話から、大体の状況は分かった。目的地は目と鼻の先にあるが、それに至る道は一つしかない。そしてその一つには、何かが潜んでいるかもしれない。
「あーあ、もうすぐで中立セクションに着くのに。食糧とか衣服とか、色々不足分は補えるし、情報の仕入れようもあるんだけどなあ」
「貴重な休憩ポイントでもある。クルーも、貴女の骨休みも込みでね」
今にも地団駄を踏みそうなイリアに、クストがぴしりと言う。中立セクションに着いても、イリアは休まずに動き続けるつもりだろう。それを見越した、クストらしい言葉だった。イリアは何も返せず、困り顔で微笑むしかない。
「とにかく、ここを突破しないとね。貴女のファンクラブがサインを欲しがってるかもしれないし。手はある?」
クストが問題解決に目を向ける為、話を切り替える。
「アストちゃんに偵察をお願いしようかな。何もなければ、それでいいんだけどね」
歯切れの悪い言葉を漏らすイリアに、若干の不安を覚える。広域レーダーを見つめるイリアの表情から、何かを読み取ることは出来なかった。もしかしたら、不安なのはイリア本人の方なのかもしれない。
「アストラルの腕と判断力なら心配はいらないでしょうし、並大抵の戦力ならリオが対応できる。そう気負う必要もないでしょう。即応性の高いフォローはいくらでもある。貴女の悪い癖よ、全部机上で勝ち負けを決めちゃうのは」
「わ、分かってますよう! 分かったからダメ出しはやめてよ、リーファちゃんが見てるから」
ここまでイリアと対等に話せるのは、やはりクストぐらいなものだろう。互いに仲良しだと言っているだけのことはある。
「私は何も見てません、艦長」
「見てないって、イリア」
「ええー、ちょっと待ってよ何それ。何か変な流れになってるよ?」
イリアの表情は、多少はいつもの元気を取り戻していた。この辺りの気の使い方も、クストならではと感じる。
「もうやめ! この話おしまい! リーファちゃん、リュウキとギニーには悪いけどブリッジ内で待機するように伝えて。アストちゃんには直接私が言うから」
「リオはどうする?」
クストがイリアに問いかける。
「あー、それも私が待機しておくように伝えるよ。多分アストちゃんとトワちゃんと一緒にいそうだし」
指示通りリュウキとギニーに通信を繋ぐ。コール音がヘッドセットに響き、その早すぎるモーニングコールに二人分の了解を暫し待つことになった。
眠気眼で来るだろう二人に、何かしら労いの言葉でもかけるべきだろうと考えながら、準備が整っていくのを待つ。
クストの言うように、フォローし合えれば何の問題もなく対応出来るはず。胸中にくすぶる不安を掻き消しながら、じっと次の指示を待った。
※
《アマデウス》後部、通称展望室はクルーの休憩時等によく使われる。椅子とテーブルぐらいしかないが、大きいBSではない《アマデウス》には人が集まれるスペースは必然的にここしかなく、何とはなしに休憩者が集まっていることがほとんどである。
今その展望室にいるのは自分を含めて三人いる。自分とトワ、そしてアストラルの三人だ。トワは目の前で椅子や机など意に介さず床に座り、アストラルから貰ったスケッチブックに何かを描き殴っていた。表情は真剣そのものであったが、何を描いているかは判別できない。
隣では、アストラルが夢中になっているトワを静かにスケッチしていた。ペンを握っているアストラルは普段と違い、物静かな一面を見せている。実際、描いている絵のタッチは繊細で、柔らかな印象を受けた。トワをスケッチブックの中にすらすらと描いていく様は、さすがの一言しか出てこない。
「やっぱり上手だよね。トワっぽさがよく出てる気がする」
トワや、他ならぬアストラルの集中を途切れさせないように小声で呟く。
「そうかな? そうだといいなあ」
笑みを浮かべ、アストラルはスケッチを続ける。トワもよく集中しており、謎の作品を黙々と完成に近付けている。あれが完成したらきっと見せてくるのだろうが、自分はどう反応すればいいのだろうか。
「そだ、私は思ったんだけどね」
小声でアストラルは続ける。
「トワちゃん、私のこと避けたりしてたじゃない。あれってさ、リオ君を取られると思ったんじゃない?」
トワからしてみれば、同年代だろう同性との出会いはこれが初めてだろう。
「そうかもしれないですけど、もう大分慣れてきましたね」
まだ少し距離はあるものの、前のように逃げたり、警戒したりということはない。今もこうして、最初の出会いと比べれば仲良く絵を描いている。
「やっぱりさ、トワちゃんも分からないながらもリオ君のことが良いんじゃない? 異性としてさ」
アストラルは冗談ではなく、笑みを浮かべてはいたが真剣な表情をしていた。
「それは、その」
それは後回しにしてきた疑問だった。しかし分からないながらも、というアストラルの意見は的を射ているような気がした。それに、今は分からないが、これから先どんどんと大人びていくのかもしれない。
その時までに自分はいるのだろうか。どこかの戦場で、あっさりと死を迎えているかもしれない。この先にある未来には、そんな道だって用意されている。
そんな道だからこそ選んだというのに。その事で思い悩んでいたら、今までの自分は一体どうなるのか。
そんな、今更になって。どう考えても過去は変わらない。過去が変わらないなら、自分のしてきたことは変わらず、その重みもまた変わらない。
自分の生死も選べなかった自分は、これまでと同じこれからを選んでいくことしかできない。
「もし仮にそうだとしたら、ちゃんと向き合って欲しいな。そう思っただけ」
気付けばアストラルの絵は完成しており、そこには真剣な眼差しでペンを握るトワの姿が綺麗に写し出されていた。アストラルは満足そうにスケッチブックを閉じ、悲しそうな目で空を見つめた。
「イリアさんの所に行くにあたって、色々調べたよ。リオ君のことも」
アストラルは、あの事を知っているのか。確かに、調べていけば簡単に手に入る情報ではあるし、隠し立てすることでもない。
視界が歪み、あの時の場景が浮かび上がる。
目の前のメインウインドウには胴体を潰され、ただの鉄屑と成り下がったヒトガタが地に伏せていた。
華やかな赤が視界に踊る。炎が黒煙を纏いながら赤を踊らせている。その夕日を思わせる光景から目が離せなかった。正確には、赤そのものから目が離せなかった。炎の赤ではない、あれはもっと直接的な命の赤だ。
正面には八メートルの巨人を受け止め、中央から拉げた学校が見える。視界を横に回していくと幾つもの家屋が見え……可愛らしい黄色の屋根に不釣り合いな弾痕を携えて、恨めしそうに暗い穴をこちらに見せていた。
「私とそっくりなんだけど、まったく逆なんだよね。私は戦闘に巻き込まれて死にかけてた。上も下も分かんなかったけど、自分がずたずたになってるのは分かった」
その声に現実へ戻される。一定のリズムを刻みながら。スケッチブックを人差し指が叩く。アストラルにとって、それは思い出したくない事なのだろう。
「無理に話さなくても、僕は」
「いいから。聞いて。戦闘後、そこで飛び回ってたAGSの操縦兵が、瓦礫の中から私を見つけた。もう私に意識は無かったけど、重い物が無くなったあの感じは覚えてる」
人差し指がリズムを刻んでいく。アストラルは、自分自身の傷を見せようとしている。それが本人にとって苦痛なのはよく分かっていた。
「彼は、私を軍人だと偽って。十五歳の子どもをだよ? 軍人だと偽って私を生き返らせた。軍属している者は、最先端の医療を受ける権利がある。本来一般人には施されない処置とかを含めてね」
アストラルはそっと目を閉じる。表情を読み取ることができない。
「私は身体のほとんどが人工物で出来てる。血も青いし。知ってるでしょ、対G処置のされた人工血液。ゲル上の青い奴。お陰で失神しないで済むんだけどね」
聞いたことはある。人工臓器と人工血管を併せて使用される、特殊な処置だ。
急激な重力負荷が掛かるとその方向に血液が偏ってしまい、脳に血液がうまく回らなくなってしまう。そうなると脳は機能出来ず、失神するしかない。
この対G処置は、この偏りを極力無くすことが出来る。ゲル上になった血液は人工臓器の強力なポンプ機能によって酸素を行き届かせる。常に安定した血液供給により、偏りを防ぐのだ。
「彼は、攻撃したのは自分だって。そう言ったけど、それしか言ってくれなかった。どうすればいいのよ、恨めば良かったのか、助けてくれたお礼をすればいいのか。何も分からない中で、私は他に生きている人がいるかどうか聞いたの」
目を瞑ったままアストラルは続ける。
「そこで、彼は初めて謝った。一言だけ、ごめんって。ひどい人でしょ、まず私に謝るもんでしょ普通。彼は泣きはしていなかったけど、泣いているようにしか見えなかった。私は、まだ生きてるからいいって言った。本当は何がなんだか分からなかったけど、彼が私を助けたのは、私に許して欲しかったからなんだって、そう思ったから」
彼という言葉を口にする度、アストラルの肩が震えているように感じた。
「すぐ除隊できたらしいけど、私は残った。彼はffの操縦兵で、私は同じ部隊って括りだった。そのまま、その括りのまま過ごすことにしたの。今はもう思っちゃいないけど、私は人間じゃなくなったと思ってたから。普通の生活を送る自信がなかったの。私みたいなのは、戦場にいた方がいいと思ったし、それに」
一瞬の沈黙が、アストラルの躊躇いを色濃く顕していた。
「それに、何より彼が、壊れちゃいそうだったから。最初に彼が謝って、私がいいって言った後にね、彼は私を抱きしめて、謝りながら泣いたの。ああやっぱり、許して欲しかったんだなあって思ったけど」
そう言いながら笑みを浮かべようとしていたが、その表情は笑顔とはほど遠い。
「それから一緒にいたけど、一年経ったある日、あっさり死んじゃった。私がその戦いで生き残れたのは彼のおかげだけど、そんなことどうでもよかった」
手に持ったスケッチブックに顔を埋める。声が震えていた。
「何度か抱きしめてくれたけど、彼は私のことなんかこれっぽっちも見てくれなかった。ずっと彼は、謝っていたんだと思うんだ。私と、私以外の助けられなかった人達に。彼はそうするしかなかったのかも知れないけど、私は、それじゃあ私は……何のために」
重い沈黙が辺りを包んでいく。アストラルが口を開くまで、その沈黙の中をじっと待った。
「アスト、どうしたの」
その沈黙を破ったのはアストラルではなく、絵を描いていた筈のトワだった。いつの間にか立ち上がり、アストラルの顔を覗き込むようにじっと見ていた。
その表情は不安げで、どうすればいいか分からないでいる。トワはもう、こんな表情をするようになったのか。
「私は大丈夫だよ、トワちゃん。心配してくれたの?」
こくりと頷くトワに、笑みを返すアストラル。トワは数歩近付いて、もう一度アストラルをじっと見る。そしてアストラルの頭を少し撫でてから、さっとその場を離れた。そのまま何事も無かったかのように絵を描き始めている。
「もう、あれから二年経ったんだ。早いなあ」
アストラルが撫でられた頭をさすりながらぽつりと呟く。今の話はアストラルが体験してきた話ではあるが、本人の言うとおり、よく似ているが正反対だった。
そして、何を伝えたかったのかも、朧気ながら分かる気がした。それはこれまでの事にこれからの事、それに連なるトワの事を。アストラルは色々な事を、自分の体験を語ることによって伝えようとしてくれたのだろう。
「まあ、これまで通り気の向くまま相手をしてあげれば良いんじゃない? すぐに出る答えじゃないだろうしね。あと、結婚式は呼んでね?」
茶化すように明るく言ってみせるアストラルは、もう既にいつものアストラルに戻っていた。
「結婚って、気が早い以前の問題じゃないですか」
「じゃあキスしたら教えて。あと見せて」
あっけらかんと言っているが、何て事を言い出すのだろう。
「ね、いいでしょ。描いてあげるから。ううん、描かせて」
ばっとスケッチブックを掲げるアストラルだが、どれも良くない。何て事を言い出すのだろう。
どうすべきか回答に詰まっていると、アストラルのPDA、個人用情報端末が電子音を鳴らした。
「通信だ、なんだろ」
椅子から立ち上がり、PDAをポケットから取り出す。手の平に収まったそれと、アストラルは会話を始めた。
「はいはい、りょーかいです。伝えときます。はい、何言ってんですか、違いますって。はいはーい、りょーかいですって」
通話が終わったのか、アストラルはPDAをポケットにしまった。
「イリアさんから。私はこれから偵察任務だってさ。で、リオ君はトワちゃんを医務室に預けてから出撃待機って。急がなくても大丈夫だーとは言ってたけど」
「偵察ですか」
そそ、とアストラルは答える。そして、そのままトワに近付いていく。その動きに気付き、トワがアストラルの方を向いた。
「さっきはありがとね、トワちゃん。ちょっとこれからお仕事してくるから」
トワはこくりと頷く。その姿を見て、満足そうにアストラルは微笑んだ。
「じゃ、いってきます」
アストラルが手を振りながら格納庫に向けて歩き出す。トワも小さくではあったが、手を振り返していた。
もうすっかり仲良くなっている。トワも何だかんだ言って楽しそうに見えた。良いことだと思う。
どんどん人らしくなっていくトワを見ていると、やはりちょっと抜けているだけの普通の子だと思いたくなる。
いっそ、戦場という場所からトワを離してしまえば、それでいいのではないか。そうすれば、トワはただの女の子だろうし、自分も、いや自分は。
自分は、自分のやったことは、消える訳でない。脳裏にちらつく光景を頭から追い出し、思考をまっさらにしていく。
仕事が始まったのはアストラルだけではない。今はただ、拭えないこれからの未来へ対処することしか自分には出来ない。
ちゃんと向き合って欲しい。アストラルの言葉は真実だ、逃げ続ける訳にはいかない。
だが、アストラルの話に出てきた‘彼’の気持ちは痛いほど分かった。
もう誰も、あの事を責めたりはしない。責められたい訳でも、許されたい訳でもないのだ。ただ……。
かぶりを振って余計な思考をふるい落とす。いつまで経ってもついて回る自分自身の問題を隠しきるため、やらなければならないことについてだけ考えた。
トワを医務室、つまりアリサに預けて、ifで待機する。どんな状況かは分からないが、戦闘があるかも知れない。
「トワ、ちょっとアリサさんの所に行くよ」
与えられた仕事を、まずこなしてから。これからのことはそれから考えると、そう割り切るしかなかった。




