真実への交渉
僅かに乱れていた呼吸を、深呼吸一つで整える。リオは自らの仕事を済ませたと、冷静になった頭で結論を付けた。
自分に大局を捉える力はない。こちらの勝利を確信して、《アマデウス》が近付いている事に今更ながら気付いた。戦いの邪魔にならないと判断した時点で、《アマデウス》は動いていたのだろう。
『リオさん、お疲れ様です。周囲警戒をお願い出来ますか』
課題を終え、空っぽになっていた頭にリーファの指示が通る。哨戒機を無力化した。いよいよ本題という訳だ。ここから先、自分が出来る事は少ない。
「分かった。それと」
周囲を一瞥し、自分が痛め付けた機影達を見遣る。反撃する手段を失ったifが二機と、システム中枢を穿たれて動けなくなったifが一機、それと。操縦席を貫かれ、中身を失ったifが一機だ。
「全機無力化したけど、三人は生きてる。あまり時間はないかも」
生きているという事は、救援要請を‘具体的に’行えるという事だ。全員を殺害していれば、哨戒機の消息不明を感知した本隊がこちらに駆け付けてきただろう。だが、三人は生きている。具体的に、何があったかを即座に報告する事が出来る。その分、僅かであっても迅速に本隊は動く。
『大丈夫です。追い付かれる前に、私達は目的を達成します』
言外にそれでもいいのだと、リーファに言われているような気がした。殺さなくてもいい、その分のフォローはこちらの課題だと、そう言っているような気がする。そう感じてしまう時点で、甘えているという事なのだろうか。
そんなやり取りをしている間に、《アマデウス》は中継ポイントに肉薄していた。
下部ハッチを、中継ポイントに向けるようにして《アマデウス》は静止した。《アマデウス》は小さな戦艦、小型BSに割り振られる艦種だ。それと比べると、中継ポイントは一回り程小さい。無人の施設故に、居住性など考えていない。馬鹿でかい接続機器といった様相であり、実際そのような施設だった。定期的にメンテナンスをするだけで、黙々と仕事をこなしてくれる。
《アマデウス》下部ハッチから、フラット・スーツを着た人影が二人出て行った。イリアとミユリの二人だろう。手慣れた様子で宇宙を横切り、中継ポイントに取り付いた。あの二人が内部に侵入し、クラッキングを敢行する。こちらはそれを、ただ待つことしか出来ない。
遠方の宙域を見据えるも、敵が駆け付けてくる気配はなかった。そういう点でも、イリアはうまい場所を狙ったと言える。異常を感知しても、防衛部隊がすぐに来れない距離にあった。そもそも、重要度が低いのだ。快適な通信を約束する為に、中継ポイントは複数用意されている。一機ぐらい吹き飛ばしても、すぐに他の中継ポイントが穴を補う。クラッキング対策がどの程度の物かは分からないが、イリアとミユリなら造作もなく掌握するだろう。
『クラッキング完了、回線を奪取しました。このチャンネルで音声を聞けます』
独りでにサブウインドウが立ち上がり、接続中を示すアイコンが点灯した。イリアとミスター・ガロット、二人の会話がここから聞ける。《アマデウス》艦内でも、同じように全員が聞いている筈だ。トワもこれを聞いているのだろうか。もしかしたら、あっさり寝ているのかも知れないが。
その様は想像し、くすりと笑みを零す。意外とあり得そうなのが、トワの凄い所だ。
そんな事を考えている内に、接続中の表示が切り替わった。通話を示す緑のラインが、そこには映し出されている。
『……そろそろ、コンタクトがあるだろうと思っていた。貴重な二人目だ、優秀だが厄介な。少し待て』
冷たい声をしていると、まずはそう感じた。この声の主なら、どんな非道もやってのけるだろうと、そう確信出来る声だ。
クライヴ・ロウフィード……ミスター・ガロットという通り名で呼ばれる、AGSの総合指揮官だ。AGSの前身でもある、ロウフィード・コーポレーションの所有者でもある。かつての上司、かつての雇い主とも言える。顔も見た事のない上司だが。
『これでいい。そちらへ急行していた防衛部隊を、少しだけ遠ざけた。興味深い話を期待する』
厄介な相手だと、この短い間で充分に分かった。ミスター・ガロットは、こちらの位置を把握している。追跡されている訳でも、哨戒機の救援信号を受け取った訳でもない。頭にある情報だけで、こちらの動きを完全に読んだのだ。回線が繋がったその瞬間に、相手の声も聞かずに。
そして時間を作り、それを有意義な物にしろとこちらに強制した。有意義でなければこんな会話に意味はないと、そう言外に言っている。
厄介な相手だ。そして、それは向き合っているイリアが一番痛感している事だろう。
『お気遣いどうも。じゃあ、自己紹介は不要かな。貴方も私も、本題にしか興味がないタイプみたいだし』
イリアの返答は、相手にも同じ事を強制する為の一手だ。斬り付けられたから斬り返す、反撃を続けなければ、押し切られると判断しての攻勢だ。
『その通りだ、イリア・レイス。この局面での本題こそ、真に価値がある』
ミスター・ガロットは同意を示すものの、自分から本題を口にする事はない。敢えて後手に回る事で、イリアの攻め手を待っている。
『私達はリリーサーの一人を撃破した。名前はリプル・エクゼス。姿を消す、大口径の粒子砲を使うリリーサー。把握はしている?』
ほう、とミスター・ガロットが感嘆の声を上げた。思わず出てしまった声にも聞こえたし、わざとらしく驚いたようにも捉えられる。
『四機、いや三機の内一機を討ったのか。それにしてもリリーサー、か。それが名前かね?』
うまい返し方だと、素直にそう思った。ミスター・ガロットは、一見無知を装っている。リリーサーという名称すら知らないと、その言葉からは読み取れる。だが、同時に知っている事もあるのだと暗に告げていた。
四機、いや三機の内の一機、そうミスター・ガロットは言った。なぜ、その数字を導く事が出来たのか。トワやリプルの話を元に考えれば、サーバー一基について四人のリリーサーが控えている事になる。その内、二基のサーバーは既に破壊されているとも言っていた。だから、残るサーバーは一基、残るリリーサーは四人、残るプライア・スティエートは四機だ。
トワやリプルの会話を、つまりリリーサーの知り得る情報がなければ、この数字は導き出せない筈だ。それを、イリアも感じ取ったのだろう。隠しきれない緊張が、通信機器越しに伝わってくるようだった。
『ブラフにしては質が悪すぎる。彼女達の名称なんて、知っている筈でしょう?』
ペースを握られると分かってはいても、はっきりさせておかなければならない。そうイリアは考えたのだろう。
『いや、知らないさ。我々、いや私達の得ている情報というのは、不出来なパッチワークに過ぎない。そうか、リリーサーか。他に判明した名称はあるのかね?』
駆け引きも何もない、純粋な質問をミスター・ガロットは投げ掛けてきた。
答える義務はない。だが、答えなければ先に進めない。
『リリーサーの用いる兵器、あれはプライア・スティエートと呼称されているそうよ。撃破済のリリーサーは、さっきも言ったようにリプル・エクゼスって子。残っているのはフィル・エクゼス、搭乗しているプライア・スティエートは』
『討滅の《スレイド》』
イリアがすらすらと答えていく中で、その名前だけをミスター・ガロットは言い当てた。唐突に、こちらを突き刺すように。
『……知っているのなら、わざわざ聞く必要もないでしょ』
かろうじて平静を保ちながら、イリアはそう言い返した。冷静でいられたのは、一連の流れがミスター・ガロットのブラフだと判断したからだろう。名称を知っていた上で、質の悪いブラフを仕込んだ。そう、イリアは判断したのだ。だが。
『必要はあった。なぜなら、私達はその名前しか知らないからだ』
あっさりと心中を明かしたミスター・ガロットを前に、イリアは少しの間言葉を失ってしまった。無理もない。彼が何を言っているのか、じっくりと考える必要がある。リリーサーの名を知らない身でありながら、なぜ《スレイド》という名前だけは知っているのか。
『深く考える必要はない。それだけかつての彼等が、いや彼女等か? それがどちらかすら、私にはもう分からないが。それだけ、《スレイド》という名を脅威に感じたという事だろう。そして、それはどうやら事実らしい』
ミスター・ガロットが、何を言っているのか分からない。何か、致命的な取り違いをしているような。それでいて、誰よりも核心に迫っていそうな、そんな気すら覚える程だ。
『理解の及ばない話ばかりだろう? 分かるように話してもいい。その為に時間を作った。イリア・レイス。君達が確保した氷室の主に……リリーサーに、直接話そう』




