敗者の矜持
随伴する《バリーナス》の損傷は、思っていた以上に深刻だった。今やほとんどの表面装甲は意味を無くし、戦闘行為など行える状態ではない。加えて、迎撃機能と推進力まで奪われているのだから、その動きは亀の歩みにも等しい。今、《バリーナス》は予備の推進装置を用いて辛うじて航行している状態にあった。
BSこそ損傷はないものの、こちらの《ローグロウ》も似たような有様だった。たった一機のifに、こちらのif部隊が散々振り回されたのだ。結果、一機のifがほぼ半壊に追い込まれたが、直接やり合った部隊員の話によれば、その気になれば三機とも撃墜されていたという。つまり、加減されていたということだ。
ひたすら軍事セクションへと足を進めている《ローグロウ》のブリッジは、いつもと違い静まり返っていた。原因は勿論、先程の敗北についてだ。
誰一人として話そうとしないのは、かなわないと悟ったからなのか、単に悔しいからなのかは分からない。が、それぞれがそれぞれの敗北を噛みしめている事だけはひしひしと伝わってくる。
副艦長がこちらに意味ありげな視線を飛ばす。分かっていると目で応え、肩を竦めてみせる。
「とんだ遊撃任務だ。さっさと帰ってしばらく全員で休むからな。女房との離婚協議もやらなきゃならないんだ」
重い空気など意に介さず口を開く。
「そうですね艦長。帰っても戦場が待っているとは悲しい限りですが」
ブリッジに少しだけではあるが、くすくすと笑みがこぼれ始めた。
「だな。ふん、どうせ休みなんだから全員で法廷に出るぞ。クルー全員分の証言があれば、少しは賠償金の額を減らせるかも知れない」
えー、何でですかー、とクルーは口々に不満を言う。そこに、副艦長が一言入れる。
「それは、離婚自体は無くせないんですか?」
「無理だ。製薬会社勤めの男がいるらしい。いや、そこにifで奇襲でもかけるか」
どっと笑い出すクルーを見て、これでいいだろうと副艦長と視線を交わす。いつまでも敗北にかまけている訳にはいかない。大きな敗北に、大きな損失であったが、今思い悩んでもどうすることも出来ない。あの生意気で強がりで無鉄砲で、誰にでも自然体で接することができる気配り上手なマーシャは、もう死んでしまったのだから。帰ってはこない。
皆、心の奥底ではまだ引き摺っているのだろう。だが、こうして無理にでも前を向かなければ歩くこともできない。
いつの間にか傍に来ていた副艦長が、小声で「離婚話はマジですか?」と聞いてきた。
「マジだ。俺は嘘は言わん」
小声で返すと、副艦長は苦笑いを浮かべる。
「何なら、本当に出廷してもいいですよ?」
「やめろ、俺が悲しくなる」
すっかりいつもの様子を取り戻したブリッジだったが、突如瞬いた閃光によって全員が言葉を失った。
随伴していた《バリーナス》が真っ赤に染まり、内側から焼けただれていくように膨張する。
爆発する。それだけ把握した頭が「待避! 巻き込まれるぞ!」と怒号を発するが、状況は一切把握できていなかった。
操舵士が肯定の言葉を発し、急ぎ《ローグロウ》がそこから待避する。膨らみきった《バリーナス》が、巨大な火球となって《ローグロウ》を襲う。爆発で生まれた衝撃波が、この世界を激しく揺らした。
「敵襲だ! 索敵!」
いち早く立ち直った副艦長が指示を出す。いや、今すべき事はそれではない。
「粒子分散剤を撒け! 全周囲にありったけだ!」
はっとした表情で副艦長がこちらを見る。
「粒子砲撃だ。次はこっちが撃たれる」
手負いとはいえ《バリーナス》が一撃で沈むなど、並の兵器では不可能である。だが、粒子砲なら話は別だ。光速で照射されるその一撃は、まともに受ければBSと言えど耐えられるものではない。
強力な攻撃手段である粒子兵器だが、その長所に比例して短所も多い。
激しいエネルギー消費、予測されやすい攻撃範囲、そして粒子分散剤というカウンターメジャーの存在だ。
その名前通りの効果を持つこの素粒子は、接触した圧縮粒子、すなわち粒子兵器を分散させ、無効化する性質を持っている。一回分散させる度に粒子分散剤は減っていくが、また撒けばいいだけの話である。
武装管制員が復唱し、《ローグロウ》周囲に粒子分散剤を撒いていく。レーダー員も急ぎ索敵をしているが、その表情は暗い。
「位置不明、レーダーに感なし」
感なし。レーダー員の報告が状況の奇怪さを物語る。手負いとはいえBSを撃沈させる程の武装、相手もBSだと判断したのだが。
幾重にも人を飲み込んで初めて活動するBSが、何の痕跡も残さない筈はない。
「サーモやエアは?」
副艦長がレーダー員に問いかける。サーモとエア、熱と空気は、BSである以上必ず発生する。
「やっていますが、反応なしです……」
「……くそ、エアも辿れないなんて」
レーダー員の返答に、愕然とした様子で声を漏らす副艦長。敵襲は確かだが、相手が見つからない。巨大な鉄の塊であるBSをどうやったら隠し通せるのだ。
その思考を断ち切るかのように、目映い光が瞬いた。
「粒子砲撃です、防げています! 粒子分散剤、再度散布します!」
「逆算しろ! 位置は?」
武装管制員の報告を受け、遮るように指示を出す。姿の見えない亡霊が顔を出したチャンスを、逃がすわけにはいかなかった。
「ま、真上です」
レーダー員が真っ青になった表情で報告する。
「なんだって?」
副艦長が思わず聞き返す。
「敵BS、直上です!」
船外カメラが映し出したのは、黒塗りの中型BSだ。洋剣をそのまま倒したような、鋭利で直線的なフォルムが目に付く。表面装甲は一体成型されているのか、滑らかな曲線を描いている。
まさか。確信めいた予感が頭に過ぎる。あれでレーダー波を受け流し、熱も空気も出さないよう密閉しているのか……だが、そのトリックを暴くことは今やるべきことではない。意識を切り替える。
「回頭急げ、敵BSを正面に捉えろ! if部隊展開!」
矢継ぎ早に指示を出していく。しかし、船外カメラが捉えたのは黒塗りのBSだけではなかった。
四つの漂流物、岩石にも見えるそれは唐突に弾け、中から黒塗りの《カムラッド》が現れた。《ローグロウ》のレーダーは今更それに気付いたかのように接近警報を鳴らせるが、聞いているものは誰もいなかった。
「迎撃機銃! 目標はif、こちらの部隊が展開するまで時間を稼げ!」
間に合わない。そう思わせるだけ接近されていたが、何もしないわけには行かない。せめてこちらのif部隊が発進できれば、状況を打開できる。
四つの機影、黒塗りの《カムラッド》は各機散開しつつ機銃を回避し、《ローグロウ》に纏わり付く。その内の一機はブリッジ正面、正確にはカタパルト正面に降り立った。その手に抱えた粒子砲を見て、何をしようとしているのかを悟る。
黒塗りのBSから粒子砲撃が降り注ぐ。《ローグロウ》周囲の粒子分散剤が著しく減少する。
正面に降り立った黒塗りの《カムラッド》は狙い澄ましたかのように抱えた粒子砲を放った。圧縮粒子がカタパルトと、その奥の格納庫をズタズタに引き裂いていく。こちらのif部隊は、発進するまでもなく全滅させられた。
黒塗りの《カムラッド》は、役割は果たしたと言わんばかりに粒子砲を掲げる。他の機体は右手と肩で保持したロケットランチャーを、《ローグロウ》へ向けて次々に撃った。
炸裂砲弾が飛来する。要所を捉えた的確な攻撃、このままでは沈められる。
「これまでだな、退艦準備を」
そう言い掛けて、迷う。こんな時のために、待避用のミニシャトルは備え付けてある。だが。
「逃がしてくれる相手ではなさそうですよ、艦長」
衝撃に揺さぶられる中、副艦長が思考の続きを代弁してくれる。焦燥こそ浮かべていたが、その表情はいつもの笑みのままだった。
「そうだな。この攻め方を見ると、シャトルで逃げても結果は変わらないか」
おそらく、この敵部隊はこちらを殲滅する気でいる。シャトルで脱出しても、if四機を振り切れるわけがない。ではどうする、最低限の人員だけ残し、少しでも生存者を出してみせるのか。
無理だ。シャトルが脱出した時点で、敵ifの内一機がそれの撃墜に当たればいいだけのことだ。この《ローグロウ》では、足止めをすることすら出来ない。
八方塞がりの状況で、出来ることは少ない。クルーの顔を一人一人見返していく。この場にいないものは想像してみせた。皆、次の指示をじっと待っている。諦念と期待の狭間で、この衝撃に苛まれても尚、ぶれることなく。
「ゲームオーバーだ、もう逃げられない。だが」
見事な手際で、こちらを一瞬にして壊滅状態に追い込んだ敵。だが、それでも。
「少しビビらせてやろう」
にやりと笑みを浮かべ返す副艦長。まだ士気は死んでいない。
「粒子分散剤を再度散布、敵BSに向き直せ、思いっきり突っ込むぞ! 他は全部無視だ!」
クルーは復唱し、指示を遂行するためにそれぞれの仕事をしていく。何かをしている間は、不安を感じずに済む。恐怖もだ。
「間に合いますか?」
副艦長が小声で呟く。
「さあな。ビビらせてやるのが目標だ。ほら見ろよ」
船外カメラは、急に慌ただしくなったif部隊の姿を映し出している。
「なるほど」
《ローグロウ》は速度を上げる。だが、距離はまだ遠く、到底届きそうにない。
エンジンに被弾し、速度が急激に落ちる。今まで追いかける形だった黒塗りの《カムラッド》が前方に躍り出る。その内の一機、粒子砲を掲げた機体が正面に位置し、圧縮粒子を放つ。なんとか防ぎきれたが、粒子分散剤が一気に減少する。この状態では、粒子砲を防ぎきれない、黒塗りのBSに内蔵された砲身が光を帯び始める。
ああ、そうか。お前があのメッセージを送りつけてきた奴か。白亜のBS、《アマデウス》の情報をこちらに流したのはあのBSの連中だ。
こちらはまんまと踊らされただけかと憤りもしたが、もう仕方のないことだ。受け入れるしかない。
「楽しい航海でした、艦長」
「ああ。次もお前と組みたいもんだ」
破壊の光、それが瞬いて見えたのは一瞬だけだった。
放たれた圧縮粒子は《ローグロウ》の表面装甲を貫通、ブリッジごと各主要機関を融解させた。圧縮粒子はそのまま後方に突き抜けていき、光の尾を棚引かせる。
爆発炎上していく《ローグロウ》を一瞥し、黒塗りの《カムラッド》は黒塗りのBSへと帰還した。
その宙域が冷えた残骸のみの空間になるまで、数秒と掛からなかった。




