友人の姿
《アマデウス》ブリッジにて、休憩時間を終えたリーファはぺこりと頭を下げた。
「お二人とも、休憩どうぞ。ここからは、私とクストさんが受け持ちます」
ローテーションで大体二名、時々一名はブリッジにいるよう決めているのだ。
「お、そうか。じゃあ頼んだぜ、リーファちゃん」
「うん、ありがと。いつも通り異常なしだよ」
リュウキとギニーは、所定の席から立つとそう返した。二人仲良く喋りながら、ブリッジを退出していく。
「仲良し二人、ですか」
リーファは呟き、かつて共にいた友人の顔を思い返そうとした。細かな特徴は思い出せるのに、全体となると途端にぼやけてしまう。記憶というのは、こんなにも不確かで。取り留めのない物なのだろうか。
故人を想っていても仕方がない。リーファは気持ちを切り替え、自身の席である通信管制席に座る。
研究所、カーディナルでの日々は地獄にも等しい物だった。そんな中でも、友人と呼べる存在は確かにいた。その殆どが、消費されるように命を落としたけれど。
「死に様だけは、覚えてるなんて」
記憶の深い場所に、刻み込まれているかのように残っている。心の奥底に潜ればきっと、最期の姿だけは明瞭に見えてくれるだろう。
リーファは深呼吸を繰り返し、乱れ始めた気持ちをフラットに戻していく。大丈夫、ここはカーディナルじゃない。
「遅れてごめんなさい、リーファ」
クストの声が聞こえ、リーファはそちらを振り向く。副艦長席に腰掛けたクストが、時間が惜しいと言わんばかりに幾つかのファイルを立ち上げている。
緊急事態という訳ではない。イリアの補佐をする為に、色々と考えなければという事だろう。
「大変、みたいですね」
クストは様々なファイルを開いては消し、その度に難しい顔をしていた。この状況では、簡単に片付く問題の方が少ない。
リーファは声を掛けてから、馬鹿な事をしていると後悔した。忙しいだろう相手に、わざわざ忙しそうだと話し掛けるなんて。邪魔をしているようなものだ。
しかし、クストは嫌な顔一つせずに微笑んで見せた。
「色々とね。まあ、いつも通りと言えばいつも通りだわ」
クストの表情と声色は、それこそいつも通りに見える。苦難はあるが乗り越えられる程度だと、自信と自負を抱いているような。そんな表情だ。
《アマデウス》のクルーは、みんな肝が座っている。私以外は、と但し書きをする必要はあるが。そうリーファは自虐的に考えながら、果たしてそれはおかしい事なのだろうかと考える。
未知の敵であるリリーサーの強さを、初めて目の当たりにした。勝てないと思った。殺されると思った。目の前で起こった戦いは、常軌を逸していたが故にどこか作り物のように感じられて。
改めて、とんでもない世界にいると気付かされたような気がする。
「リーファ、貴方は間違ってないわ」
クストはファイルに何かを書き足しながら、唐突にそう言った。
「えっと……それは、どういう」
心を見透かされたように感じ、狼狽えながらもリーファはそう聞き返した。
「クルーのみんな、落ち着き過ぎてるでしょ? 私も含めてね。貴方は、それが少し不気味に思えるんじゃない?」
クストは作業を続けながら、ちらとこちらを見た。リーファは言葉に詰まり、どう言葉にすべきか考える。
不気味、という強い言葉を使うつもりはない。ただどうしても、普通ではないなと思ってしまうだけで。自分が普通かどうかなんて、それこそ自分では分からないけれど。
その沈黙を肯定と取ったのか、クストが苦笑を浮かべた。
「問題がどこかを考えて、それを解決する。単純に言えば、その連なりね。目の前で起きた不可思議な現象が何かなんて、深く考えてないのよ。その対処だけを考えている。私達は、そういう物の考え方に慣れすぎてしまっているから」
目の前の脅威に、ただひたすら対処する。クストの言っている事は何となく理解出来るものの、リーファはやはり自分は少し違うと考えた。その脅威を前にして、自分達の限界を超えているとは考えないのだろうか。
「だから、リーファ。貴方の考えている事は間違っていないわ。戦いばかりしていたせいで、みんなどこかおかしくなっているんでしょうね。効率的と言えばそこまでだけど」
それは戦い、生き残る過程の中で、少しずつ変わっていくものだとしたら。どうして、自分はこうも弱々しいままなのだろうか。
「私も、そういう風に考えられたなら。もっと、出来る事もあるのでしょうか」
自分は何も出来ていないと、リーファは自身の両手を睨み付ける。未知への恐怖も、見えぬ先行きも同様に心を締め付けてはいたが。そんな無力感もまた、奥底に積み重なって痛みを生じさせている。
「そうかも知れないわね。でも、オススメはしないわ。こうなるのは簡単だけど、ここから元に戻るのは難しいでしょうから。焦る必要はないわ。トワが起きれば、また貴方の仕事はどんと増えるでしょう?」
クストの表情をちらと盗み見ると、どこか穏やかな笑みを浮かべていた。
「お世話係ならリオさんがいるじゃないですか」
複雑な心持ちで、リーファはそう返す。実際、クストの言う通りどんと仕事は増えるのだろうが。もっとこう、違うような事を想定して考えていたのに。
「同性じゃないと困る事も多いでしょう? 我が儘な子どもの世話だなんて、戦いよりもよっぽど有意義だわ」
冗談めかした口調で言うクストに、リーファはならば変わって欲しいと言いそうになった。口を噤んだのは、クストの代わりなんて自分には務まらないからだ。それにクストは、戦い以外で貢献出来ていると伝えたかったのだろう。そして、それが大切な事なのだと。そう伝えようとしてくれている。
「我が儘な子ども、ですか。トワさんが聞いたら怒りそうですね」
実際の所、我が儘は多いし子どもっぽい振る舞いも多い。当の本人は、そう思っていないだろうが。
「まあ、怒るでしょうね。図星を指されれば誰でも怒るわ」
悪びれる様子もなく、クストはそう言ってのける。我が儘で子どもっぽいという点を撤回しない辺り、本当にクストらしい。
「早く、起きてくれるといいんですけど」
リーファは呟き、怒っている姿でもいいから見たいと胸中に続けた。
トワはずっと眠っている。怪我はひどいが、死んではいない。でも、目を醒ます様子はない。
以前リオが、眠ったまま目を醒まさない時があった。その時と酷似している為、近い内に起きるだろうとは言われているが。実際に起きて貰わないと、安心なんか出来る筈もない。
「子どもというより、友人と言った方が近いのかしら」
そうクストに言われ、リーファの脳裏に友人の姿が浮かんでくる。今はもういない、かつての友人の姿だ。そういえば、トワの方は自分をどう定義しているのだろうか。
「……どうでしょう。やけに距離感が近いですし、妹とか。そういう方が合っているような気もしますけど」
友人と口に出すのが、何だか照れ臭くて。リーファは、揺れ動いた感情を取り繕いながらそう答えた。
「随分大きな妹ね」
「分かってますよ。私の方が小さく見えるって言いたいんでしょう」
クストの返答に対して、リーファは被せるようにして言葉を返した。そう言われるだろうと思っていたからだ。
だが、クストもそう返されると分かっていたのだろう。くすりと笑い、満足げにしている。
「どうせ私は低身長ですよ。でも、今のうちだけですよ。私ぐらいの歳は、すぐに成長しますので」
それこそ明日か明後日ぐらいには、凄く背が伸びて身体付きも改善されているのかも知れない。成長期とはそういう物だと、リーファは自分に言い聞かせる。
「そうなの。それじゃあ、今の内にしっかり見ておかないとね」
そんな事を言い出したクストに、リーファは怪訝そうな目を向ける。その目線を受けて、クストは苦笑を浮かべた。
「ほら。貴方達を見ていると癒されるからね。それはそれで貴重でしょう?」
クストの言葉に、今度はリーファが苦笑する羽目になった。
「私達はマスコットじゃないんですよ。まあ……どんな形でも役に立てているのならいいです」
リーファはクストの表情をまじまじと見てみるも、からかっているようには見えなかった。他意はなく、本気でそう思っているのだ。悪意ゼロで言われてしまうと、むしろ反応に困ってしまう。
まあ、トワを見て癒される気持ちは分からないでもないし。
「そういう日々があるのなら、多少の苦労は我慢できるわ。だからそう、ここが私の頑張り所ね」
目的があるから頑張れる。そして、その目的の一つは自分達だとクストは言っているのだろうか。リーファはそう考え、それはそれで気恥ずかしいと頬を赤らめる。
「頑張り所ではあるんだけど。AGSの通信網を解析しろだなんて。イリアも無茶を言うわね」
中空に展開されたファイル群を睥睨し、溜息を吐きながら、クストが唸る。
「それ、そんな事をしてたんですか。情報収集とか、そういった事でしょうか」
AGSから、直接情報を引き出そうとしているのだろうか。リーファはそう考え、そのまま聞いてみた。
「少し違うわ。状況が状況だし、いつリリーサーに襲われるのかも分からない。情報を集めるという点では正解だけど。正確には聞いてみる、が正しいわね」
「聞いてみる、ですか」
クストの言っている事がいまいち理解出来ず、リーファはオウム返しに答える事しか出来なかった。
クストは小さく頷き、ファイルの一つに触れる。リーファの前にあるコンソールに、そのファイルが表示された。
「……クライヴ・ロウフィード。名前だけは知ってます。AGSの偉い人ですよね」
ファイルに表示されているのは、クライヴについての情報だった。まだ空白が多く、これを読んで分かる事は、殆どの事が分かっていないという点だけだ。
「まあ、ざっくりと表現すればそうね。AGSの前身、ロウフィード・コーポレーションの所有者にして……その戦闘部署、AGSの総合指揮官でもある男よ。もっと身近な言い方をすれば、《アマデウス》とAGSが敵対する理由を作り上げた男、ね」
クストの言葉が、劇薬のように心に流し込まれる。自分でも気付かない内に、リーファは唇を噛み締めていた。クストの言う事が正しいのならば、この男のせいで《アマデウス》は何度も窮地に陥った。結果的にAGSを裏切る事になり、世界から弾き出されて。大切なクルーである、アストラルも殺された。
「ミスター・ガロットという名前で通っているんですか。ふざけた名前ですけど。この男を、一体どうするんですか」
沸き上がる怒りを抑えながら、リーファはファイルに添付されていた顔写真をじっと睨み付ける。
「ミスター・ガロットは、リリーサーを知っているわ。多分、私達よりも。少なくとも、私達が知り得ていない事を知っている」
クストの確信めいた言葉は、驚きに値するものだった。リーファはそれに対し、困惑する事しか出来ない。
「知っていた……? じゃあ、なんで」
あの脅威を知っていたのならば、こんな内輪揉めをしている場合ではない筈だ。リーファはそう考えてみるも、答えはどうにも浮かんでこない。
「まあ、色々考えてみる事は出来るけど。全部想像の産物でしかないわ。だから、一番確実なのは聞いてみる事。当の本人に、インタビューの一つでもお願いしてみるのよ」
クストはもう一つのファイルに触れ、それもこちらに寄越した。コンソールに表示されたファイルの文面を、リーファは指を添えて読んでいく。
「通信網……全体を把握して。直通回線を」
読み進めていく毎にリーファは目を丸くする。あまりにも大胆かつ、盲点を突いた作戦だ。驚嘆が伝わったのか、クストは不敵な笑みを浮かべた。
「そう。AGSの通信網をクラッキングして、ミスター・ガロットへの直通回線を奪うわ。面白い話が聞けるといいわね」




