眠り姫の場所
いつもの気怠さを覚えながら、リオは《イクス》の操縦席から降りる。まだ《アマデウス》の艦内はゼロ・ポイント、無重力の状態だった。《アマデウス》が通常航行に入れば、その内切り替わるだろう。
格納庫の床に足を付け、ヘルメットを外す。そして、目を閉じながら深く息を吐いた。この疲労感から来る気怠さは、プライア・スティエート特有の何かだとは思うのだが。まだ短時間の戦闘だったから、この程度で済んでいるのだ。
隣で佇む《プレア》から、遅れてトワも出てきた。《プレア》の胸部装甲を蹴り、手慣れた様子でトワが床まで降りてくる。ヘルメットは既に外しており、口をへの字にしているのがよく分かる。あれは多分、眠いのだろう。
身体の線が出てしまうフラット・スーツを互いに着ている為、少し直視するのに躊躇ってしまう。躊躇ってしまっている時点で、ちょっと後ろめたい気にもなる。
普段の格好ではあまり目立たない、女性らしい部位がどうしても視界に入ってしまうというか。やっぱり足、細いんだなあとか。そんな事を思ってしまう。
床をとんと蹴り、トワはこちらに身体を流した。右手をこちらに差し出しているのは、そこを基点に止めてくれという事だろう。
あまり身体を見ないように注意しながら、こちらも右手を差し出してトワの右手を掴む。少しだけ引っ張ると、トワは器用に体重移動をして隣へ降り立った。
「あのね。眠くてお腹が空いて。シャワーを浴びたい感じ」
至って真剣な表情で、聞いてもいないのにそうトワは教えてくれた。トワ流三大欲求といった所だろう。
「とりあえず着替えたらいいんじゃないかな」
格納庫の隅にある更衣室を指差してそう提案する。まず着替えてくれないと、ちょっと目のやり場に困るし。
「リオ、それは間違いなんだよ。ふうん、そうだなー、リオにも教えてあげようかなー?」
トワは自信満々に喋り始めた。ふふんと胸を張り、何だかとても偉そうだ。言外に聞いてくれと言っているトワを邪険には出来ない。出来ないのだが。
「うん、話さなくても大丈夫だよ」
どんな反応をするのか気になり、そう答えていた。
トワはぴたりと硬直し、信じられないといった表情でこちらを見る。
「あー。うーん」
トワは自身の両手を合わせ、唸りながら視線を泳がせる。そして、口をへの字に結んでやっぱりこちらを見た。
「どうしよう、困った」
うん、困らせた。少し笑ってしまいそうになるが、ここで笑ったら困り顔から一転、怒り顔からの泣き顔が待っている。咳払いで笑いを誤魔化し、気を取り直して聞いてみよう。
「それで、何を教えてくれるの?」
困り顔から一転、トワはきらきらと目を輝かせて手をぱちんと合わせる。
「そう! そうなの。これはね、凄い発見だからリオにだけ教えてあげる」
こういう所は子どもだよなあとか、そんな事を思いながら頷いて返す。
「これね、汗で気持ち悪いじゃない?」
そう言うが早いか、トワはフラット・スーツの胸元を開け始めた。躊躇いなく、一気に腹部の辺りまで下ろしている。上着を脱ぐような気軽さで脱いでいらっしゃるが、その下にはインナーぐらいしか残っていない。しかし、さすがに下着の上に直接着ている訳ではなかったらしい。フラット・スーツの下からは、白いタンクトップが見えていた。
だがまあ、あまり事態は変わらないだろう。汗で気持ち悪いと本人も言っていたように、そのタンクトップは汗で湿っている。それはトワの白い肌に張り付き、小さなへその窪みも丁寧に縁取っていた。それに加え、身に付けている下着もそれなりに透けてしまっているのだが。淡い水色に、ちょっとしたフリルがアクセントとしてあしらってある。
というか、なんでそういう所は大人びた選択をしているのだろうかこの子は。もっとこう、着けるのが簡単で動きやすい物だってあるだろうに。
「このまま服を着るとね、服も汗で汚れちゃうの」
こちらの動揺など意に介さず、トワは説明を続ける。驚いていたせいで、制止の機会を逃した。
「でもね、心配はいらないんだよ。このままシャワーに行って、綺麗にしてから着替えればいいの。ね?」
肝心の話したかった内容はこれだし。どんなコメントを返せばいいのだろう。
「うん……凄いね」
とりあえず、そう褒めておいた。本人が凄い発見をしたと言うのだから、それはきっと凄い事なのだ。
そう、目を逸らしながら答える。何だかやましい気持ちになるので、直視なんて出来る筈もない。
「そう、凄いの。だから、あそこでは着替えない。服を持って、まずはシャワーを浴びに行くのが正解」
その格好で艦内をうろつくのはどうかと思うが、それを正す勇気はなかった。苦言を呈したら最後、なぜいけないのか説明しなくてはならなくなる。それはそれで、物凄く恥ずかしいではないか。
「お疲れさん、二人とも。上々みたいじゃないか」
コンテナの間を縫うようにして表れたミユリが、こちらに近付きながら声を掛けてきた。ちらとトワの姿を見たが、特に気にした様子はない。
「《イクス》も《プレア》も、問題なく動いたみたいで何よりだ。ま、《プレア》は簡単なメンテしかしてないから、動かない方がおかしいんだがな」
傍に降り立ち、ミユリはそう話し始めた。《イクス》に関して話したい事もあったが、今はスルーせずにトワへ注意して欲しかった。同じ女性だし。
「ミユリさん、トワの格好……」
耳打ちするようにして、ミユリに注意を促してみる。結構な格好をしていると思うのだが、ミユリはあまりぴんときていないらしい。トワをまじまじと見て、よく分からないと言わんばかりに首を傾げている。そして張本人であるトワもまた、小首を傾げてミユリを見ていた。
「フルカップタイプのブラを着けてるな。悪くはないだろうが、トワ嬢は胸、そんなに大きくないんだし。四分の三カップとか、二分の一カップで少し盛ってもいいんじゃないか? ああ、でもかなり痩せ形だからな、寄せる肉もこれ……あるのか?」
ミユリはぶつぶつと呟きながら、トワの脇の下辺りをチェックし始めた。うん、同じ女性ならではの着眼点と言える。
「でも、そういう事じゃないんですけど……」
「じゃあどういう事だ? トワ嬢、ちなみにこれを選んだ理由は?」
脇の下、胸の下辺りをくまなく確認しながら、ミユリはそう二人に問い掛けてくる。トワはされるがままであり、特に気にした様子もない。
「女の子がこんな格好するの、よくないでしょ」
「これはね、寝転がって手に届く位置にあったの」
互いに答えると、ミユリはちょっと考え込んでみせた。
「女性操縦兵、これ結構やるし。大体ちゃんと上着羽織ってるが。まあそれはいいとして、これを買ってきたのはリーファだな。さすがコンプレックスを抱えているだけあって、選択に間違いがない。適切なサイズに、成長を阻害しない構造。あいつはその気になれば、その筋のプロになれるかもだ」
その情報は果たして今必要なのか。とりあえず、今度羽織る用の上着をトワに用意しておこう。
「当の本人がそれを活かせないってのは皮肉だが」
「それ、リーファちゃんが聞いていたら絶交レベルの失言ですよミユリさん」
あの子は、体型に凄いコンプレックスを抱えているのだ。正直殴られても仕方がないぐらいの失言だと思う。
「おいおい、失礼な事を言うな。リーファはあそこから成長するかも知れないだろ。まだ十四歳だぞ」
僕は失礼な事言ってないですし。ただまあ、聞かれていたら共犯だと思われるので、素直に頷いておく。
「はあ。じゃあ、トワは先にシャワーを浴びるんでしょ? 着替えを持って、眠くなる前に行っておいで」
「もう眠くはなってるよ。リオは行かないの?」
確かに、目が少しとろんとしているので、そうだろうとは思ったが。
「僕は、《イクス》について少しミユリさんと話すから」
というか、シャワーには同伴できない。色々と困る。
「ふうん。そう言えば、これ《イクス》のおめかしだものね」
「そうだよ。だから話をしとかないといけないの。あとトワ、その状態だと心配だから、リーファちゃんとかに声を掛けて。シャワー見て貰ってよ。トワ、絶対シャワー浴びながら寝るから」
心外だったのか、トワは拗ねたように溜息を吐く。
「そんな簡単に寝ません。ちゃんとこう、賢くなったから」
それ、あまり賢さは関係ないのだが。リーファにはこちらから連絡しておこう。
「じゃあ、賢いトワはシャワー頑張ってきて。そうだ、眼鏡掛けて移動してね。今はゼロ・ポイント、ああ、えっと。無重力だから」
ゼロ・ポイントと言っても、トワには伝わらないかも知れない。あえて無重力と言い換えるも、トワはふふんと鼻を鳴らして両手を腰に当てた。なんだか少し偉そうだ。
「私はね、リオ。こういう方が動きやすいんだよ。えい」
トワはこちらの手を取ると、完璧な体重移動を以て空中に自身の身体を浮かせた。その慣性を活かしたまま、手を離すと手近なコンテナに取り付く。確かに、見事な無重力移動だ。
「じゃあ、リオの為にシャワーを浴びて綺麗にしてくるから」
そう言うとトワはコンテナを軽く蹴り、更衣室のある方向へと空中を流れていく。体重移動と構造物を活用した方向転換を織り交ぜ、あっと言う間にその姿は見えなくなった。
「ん? あいつはお前の為にシャワーを浴びるのか?」
そう、ミユリが突っ込まなくて良いところを指摘する。そこはスルーして欲しかった。
「トワはトワの為にシャワーを浴びに行ったんです。それより《イクス》について話が。あ、その前に」
腰にあるポーチからPDA、個人用情報端末を取り出す。簡素な文章を作り、リーファに向けてメッセージを送信した。トワがシャワールームで倒れていないか、確認して欲しいという内容だ。過保護かも知れないが、あの子ならあり得る。
「これでよし」
リーファならすぐに動いてくれるだろう。PDAをしまい、ミユリに向き直る。
「それで、《イクス》はどうだったよ?」
ミユリの質問に、こちらは頷いて返す。《イクス》は何の問題もない。各所のハードポイントは正常に使えるし、増設によって不具合も出ていない。脆弱な関節部などに施された補強も、動作に干渉していなかった。
「問題なし、完璧です」
頭部のツインアイを保護するバイザーも、視界を妨げていない。さすがはミユリと言った所で、完璧な仕上がりだ。
「おう、そりゃあ何より。槍は間に合わなかったが、他は何とかなったみたいだな」
そう言えば、槍が欲しいとお願いしていた。執着はしていないので、なければないで構わないのだが。ミユリはしれっと用意してくれるだろう。
「急ぎではないですし、出来ればでいいですよ。代わりにトライデントがくっついてましたけど」
特にお願いした訳ではないのだが、サプライズとして《イクス》に搭載されていた。有線式の粒子砲で、中々使えた。
ミユリが腕を組み、にやと笑みを浮かべる。
「あれな。《イクス》の余剰エネルギーの応用だよ。《プレア》の真似だな。余り物で急遽作った奴だから、威力はそれなりって感じだが。その様子だとうまく使えたみたいだな」
トライデント粒子砲は、簡単な操作で粒子剣としても使用出来る。武器が一つ増えたところで、勝てる勝てないが覆る訳ではないが。それでも、勝ちを拾いやすくなる筈だ。
「ええ。粒子砲でも粒子剣でも、問題なく使えます。使用時の負荷もないので、まだまだエネルギー自体は余裕そうですね。それで、相談なんですが」
ミユリは無言で頷き、続きを促してきた。遠慮なく提案させて貰おう。
「トライデントと《イクス》を直結しているケーブルを、もっと伸ばせるようにしたいんです。ケーブル自体の強度も、そう簡単に切れないぐらいの物が欲しいですね」
提案を受け、ミユリは分からないといった様子で考え込む。
「取り回しに問題があったのか? 結構余裕のある長さにしたんだが」
想定された使い方なら、これぐらいの長さが丁度良いだろう。先程の戦いでやったような、鞭よろしく振り回すなんて想定外の使い方だ。
「えっとですね。こう、手にケーブルを持って、ぐるぐる回してですね。間合いの外から斬れるんです」
右手を使い、ロープを回すようなジェスチャーをしながら説明する。黙って説明を聞いていたミユリだが、すぐに合点がいったのだろう。
「ああ、なるほどな! お前、お前本当にいいセンスしてるわー。オッケーオッケー、面白いのを仕上げといてやるよ、カウボーイ」
こくこくと頷き、ミユリは楽しそうにそう言った。カウボーイなんて、ロープを投げる姿と重なって見えたのだろうか。まあ、やっている事はそう遠くはないが。
「効果的だったので。もっと長ければいいなあって」
そう返すも、お仕事モードに入ってしまったミユリには届いているか怪しい。ミユリは《イクス》を眺めながら、何やらぶつぶつと呟いては指で空中に図面を描いている。
「ああ、そうだ。リオ、好きな色は決まったか?」
見えない図面を引きながら、ミユリはそう聞いてきた。好きな色……改めて考えてみても、これといった物は思い付かない。
「うーん。まあでも、こういう灰色は好きですけど」
《イクス》に塗装されている、白に近い灰色の事だ。部分部分に塗装されており、下地塗りとミユリは言っていた。
自分はどうも、灰色に縁があるように思える。この《アマデウス》も、灰白色に塗装されているし。トワの髪も、柔らかな灰色をしている。
「ん、そうか。じゃあまあ、とりあえずはこのままだな」
「ええ、それでお願いします。っと」
ポーチにしまっておいたPDAから、短いアラーム音が鳴った。
「リーファちゃんかな」
PDAを取り出し、受信したメッセージを開く。
「……うん」
内容は短く、簡素なものだったが。それ故に、どう返したらいいか考えてしまう。
メッセージの全文はこうだ。すぐに向かいましたが、手遅れでした。トワさんはシャワールームの前で力尽き、眠っています。どうすればいいですか?
「どうすれば……いいのかな」
シャワーを浴びる前に、それどころか到着する前に眠ってしまうとは。それはちょっと想定外だった。
寝かせてあげた方がいいのだろうか。だが、本人はシャワーを浴びたがっていたし。黙って寝かせていたら、起きた後に絶対に何かしら起きる。かといって、その状態のトワが起きるかどうかは博打だろうし。
「……困った」
良い案は浮かびそうにない。PDAのメッセージ欄を眺めながら、何も思い付かない頭から文字を振り絞った。
結局トワはこちらで拾い、医務室へ連れて行く事にした。元々、シャワーが終わればそうするつもりだったのだ。《アマデウス》医務室にて、リオは簡単な診断を受けていた。《アマデウス》は通常航行に入ったのか、既にゼロ・ポイントではなくなっている。要するに、無重力から通常重力下に移行したのだ。そのお陰で、引っ張っていたトワを途中から背負う事になったが。
そんなトワはばっちりと眠っている為、はだけたフラット・スーツ姿のまま横になっている。目のやり場に困るので、暫定的に自分の上着を羽織らせていた。
トワは先にシャワーを浴びたがっていたが。自分は先に着替えを済ませ、通用路で眠っているトワを回収、こうして医務室まで来た。
理由は、プライア・スティエートを使用した際に生じる負荷を調査する為だ。あわよくば、それを軽減出来ればいいのだが。医務室の主であるアリサが浮かべている表情を見るに、そう簡単にはいかないようだ。
「分からないなんて、言うのも癪だけど。どうもはっきりしないな」
電子カルテとこちらの顔を交互に見ながら、アリサはそう言った。
「物凄く疲れるって感じです。あとは」
穏やかに眠っているトワをちらと見る。シャワーも浴びられず、着替えも出来ず。起きた後に、何らかのフォローを考えておかないと。
「眠くなる、か。リオもこれぐらい眠いのか?」
トワと比べて、どの程度の差違があるかは分からない。何せトワは、こうでなくても眠たがりだ。
「まあ、眠いは眠いですし、横になればすぐ眠れますけど。そうですね、徹夜明け、みたいな。そんな感じと思って貰えれば」
大体合っているだろう。起きようと気を張っていれば、起きていられる程度だ。
「未知の負荷。あまり医者としては、見過ごしたくはないんだが。そうもいかないだろうしな」
アリサは肩を竦めながら、電子カルテを空いているベッドに放っていた。
「ええ。プライアの力はどうしても必要です」
《イクス》でなければ、《スレイド》には勝てない。同じプライア・スティエートを使って、初めて勝負になると言ってもいいだろう。熟練した操縦兵が、連携を軸に戦った場合はまた違うのだろうが。自分はどうしても、単機で戦う事を想定してしまう。
「悪い影響がなければいいんだが。今は栄養剤を打って、眠れば回復するみたいだけどな。後々どんな影響があるか、現時点ではさっぱりだからな」
アリサの心配はもっともだったが、それこそ現時点でやれる事はない。プライア・スティエートの力は必要不可欠であり、多少の悪影響は必要経費と割り切るしかないだろう。
「何かこう、継戦能力が上がるような薬とか。あったら便利ですけど」
軽い気持ちで聞いてみたのだが、或いは失言だったのかも知れない。アリサはすっと目を細め、冷たい笑みを浮かべた。これはちょっと怒ってる。
「そんな便利な薬があったら、今頃そこら中で大流行してる筈だろ。そんでもって」
ぐい、とアリサが顔を近付ける。
「そんな危険な薬があったら、私が絶対に止めている」
「はい……すみませんでした」
迫力に押され、謝る事しか出来ない。アリサは身を離し、溜息を一つ吐いた。
「まあ真面目な話、医者よりも科学者の領分だな。疲労を無視し、痛みを無視し、ただただ戦えるように調整された兵士とか。胸糞悪い話だが、嘘だと切って捨てられないしな。どちらにせよ、私達には不要だよ」
そんな技術は、確かにない方がいいかも知れない。自分はともかく、トワにそれを受けさせる訳にはいかない。人の痛みを知って、それを理解しようとしている少女から、その痛みを取り上げるなんて。
トワの寝顔を見ていたのが、アリサにも分かったのだろう。いつもの笑みを浮かべ、アリサはトワの頬をちょんとつつく。
「そういう事だ。大人しく栄養剤を入れて、こいつみたいにしっかりと休め」
アリサの言葉に頷いて返し、幸せそうに眠っているトワの寝顔をもう一度眺めた。
トワは枕を抱え、縮こまるようにして眠っている。その様はやっぱり、何だかちょっと子どもっぽい。
先にシャワーを浴びようと思っていたのだが、あまりにも気持ちよさそうに眠っているものだから。
結局、トワが目覚めるまで医務室にお邪魔する事になってしまった。




