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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「困惑と黎明」
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暴風域少女


 補給が終了し一段落ついた。手元にある電子化されたリストを何とはなしに眺める。今し方納入された物資が記載されており、非正規であるにも関わらず充実した補給ぶりが窺える。

「武器、弾薬。BSとif用の整備部品。それに、《オルダール》まで持ってきたんですか」

 if‐04orderarms、通称《オルダール》はAGSの開発した純戦闘用ifであり、その調達価格は《カムラッド》の比ではない。

「うん。交換部品含めてね。ダメ元で頼んどいて良かったよ」

 イリアがあっけらかんと答えるが、部品ならまだしもif一機を非正規で持ち出すというのはかなり困難な筈である。

「はあ。とりあえず《レファイサス》の皆さんには同情します。しかし《オルダール》なんてどうするんですか」

 確かに高性能ではある。しかし調整が難しくピーキーな機体に仕上がっている《オルダール》は、相応の操縦技術が必要となる。

「どうするって、リオ君に使ってもらうけど。他に誰が使うのよ」

「嫌がりますよ、多分」

 《カムラッド》が今でも前線で多く見られているのは、それなりの理由がある。安価な調達価格に汎用性の高さ。余裕のあるシステム構造と、とにかく信頼性が高いのだ。使いこなせれば《オルダール》の方が有用かもしれないが、リオならば慣れている《カムラッド》を選ぶだろう。

「リオ君の操縦なら問題ないよ。それに、対複数の構図が基本である以上、少しでも良い機体に乗ってもらいたいし」

 イリアが物寂しげに続ける。

「まあ、嫌がると思うけど。でも艦長命令しちゃうから」

 リオの性格上、高性能機体を与えられて喜ぶ筈がない。むしろ、より生きてしまう分嫌がるのは当然だろう。そして、それはイリアも重々承知している。承知した上で命令するのだろう。他ならぬ、リオ自身に生き延びて貰うために。

「しちゃって下さい。しかし本当に色々と仕入れてますね。if用のロケットランチャーなんて誰が使うんですか。あ、補充要員一名とありますね」

 どんな人なのかイリアに聞こうと思ったが、振り向くより先に背後から組みつかれた。こちらが腰掛けている椅子ごと、覆い被さるようにイリアが抱き締めてくる。その目線は補給物資のリストに向けられていた。

「重いです、艦長。どいてください」

「ありゃ、本当だ。補充要員なんて頼んでないんだけどなあ」

 抗議などまったく聞かず、イリアは不思議そうにリストを見続けている。

「何の冗談かな? でもおっさん、ジョークのセンスないし。何なんだろ?」

「いいから席に戻ってください。重くて暑いです」

 そんな最中、自動開閉特有の規則正しい動作音が響き、ブリッジへの訪室を知らせた。

 イリアの腕を押し退け背後を振り返ると、そこには見知らぬ女性がいた。

 動きやすそうなラフな服装を身に纏い、あどけない笑みを浮かべている。リオと同年代ぐらいだろうか。

 イリアも見知らぬ少女を見て表情が固まる。驚いた顔をしているイリアは、次の瞬間には満面の笑みを浮かべていた。

「アストちゃんだ! 大分成長したねえ!」

 イリアは飛び上がるように私から離れると、今しがたアストと呼んだ少女の下へ駆け寄った。

「久しぶりです、イリアさん! 成長しましたよお、主に身長がですけど。他は月並みっていうか氷河期ですけど」

 お互いに握手どころか抱き締め合っている。イリアの知り合いだったようだ。

「二年ぶりかなあ。懐かしいなあ。今もff乗り回してるの?」

「そりゃあもう。if用のプログラムも触りましたけど、やっぱり飛行機戦闘機じゃないとダメでしたよ~」

 和気藹々と近況を語っている二人に、ブリッジクルー全員の視線が集中する。

「あ、この子はアストちゃん。地球で会ったんだよ」

 イリアの紹介は簡素だったが、それだけで何となく察することができた。恐らく自分と同じように、イリアの世話になった人だろう。

「はい! アストラル・リーネと言います。一応区分は操縦兵です。乗るのはffですけど。専門はスカウト。遊撃もまあまあやれます。他にもタクシー代わりとか宅配屋さんとか。雑務なら大体出来ますよ」

 ショートカットに整えられた髪が示す通り、快活な印象を覚える。元気な人だ。

「ff、航空機乗りですか」

 地上ではまだしも、宇宙では比較的珍しい。ifがイヴァルブ・フレームであるように、ffはフライト・フレーム、すなわち航空機を意味する。

「そだよ。よろしくね。えっと」

 アストラルはこちらをじっと見据える。くりくりとした大きな眼が特徴的だった。それは口調と相俟って、彼女を幼く感じさせる要因にもなっている。

「リーファ・パレストです。オペレーターとして配属されています」

「リーファちゃんだね、よろしく!」

 アストラルはからりとした笑みを浮かべ、こちらへ駆け寄った。互いに手を伸ばし、握手をする。

それを見ていたリュウキ、ギニーの下にも順次駆け寄り、自己紹介と握手をしていった。

「可愛いらしい子でしょ。いくつに見える?」

 耳元で囁かれ、どきりと心臓が波打つ。いつの間にか隣にいたイリアが、子悪魔的な笑みを浮かべていた。

「ちょっと、近いです艦長。離れてください。まあ、リオさんより下っぽいですけど、さすがにそれは若すぎます。十七ぐらいですか」

 リオと同年齢と考えれば妥当な所だろう。

「ハズレ。アストちゃんは十八歳だよ。若く見えるって良いよね」

 充分に若い二十歳のイリアが言っても、そうですねと頷けない。

「まあ、アストラルさんが若く見えるのは確かですね」

「童顔だし、スレンダーだしね。そこら辺は二年前と変わらないなあ。可愛いよね。ね?」

 それはアストラル本人にとってはコンプレックスではなかろうか。それも出る所はしっかりと出ているイリアが言うとなれば尚更だ。

「まあ勝者には分かりませんよね、ええ。しかしffなんてどうするんですか。ここ、宇宙ですよ」

 陸と空という垣根があるからこそ、航空機は戦術的に意味があるのではないか。宇宙には宙域という一括りしかない。

「だから、さっきも言ったでしょ。偵察とか、奇襲とか。直線加速や航続距離はifより優れてるし」

 いきなり頭上で声が発せられ、また驚く羽目になった。いつの間にかそこにいたアストラルが説明を始めていた。

「地上程は有利じゃないけど、戦闘能力が無い訳じゃあないしね。先行偵察や後方援護、BSへの強行攻撃とか。ifじゃできないこともできそうでしょ? それに、逃げ足も早いし」

 にやりと笑うアストラルは、立派な操縦兵の顔をしていた。若いが、確かな経験を積んでいることが伺える。

「助かるよーアストちゃん。でも、何でこっちに?」

 イリアがそう訪ねる。今回の補給で、イリアは補充要員を頼んではいなかった。

「下も落ち着いてきましたしねえ。それより何より、イリアさんがやばそうだったからですよ。AGSに目付けられてるんですよ」

 イリアはあたかも心当たりがないとでも言わんばかりに首を傾げ、頭を掻いた。

「うーん。いや、好かれてはいないけどなあ。悪いこともしてないんだけどなあ」

 ギリギリセーフギリギリアウトを繰り返しているイリアを警戒するのは、まあ普通の措置だろう。それどころか緩いぐらいである。

「色々しましたからね。AGS上層部は、イリアさんを前線で使い潰すつもりでこのBSを与えたみたいです。まあ、左遷みたいなものですかね」

 重要な話なのか、アストラルの表情から笑顔は消えていた。

「前線で適当に職務を全うしてもらうつもりでした。ですが今回の遺跡調査、その報告内容に疑問があったそうです」

 アストラルは黙々と続けていく。その内容が指し示すのは、疑う余地もなくトワを中心にした一連の出来事だろう。

「未開の遺跡だったのにも関わらず収穫は無し。先客がいたという情報も報告されていなければ、調査ミスか虚偽の報告か。そのどちらかを疑ってもおかしくはないですよね」

「確かにそうだねえ。で、それで奴さんは私を追っ掛けてるの?」

 イリアは頷きながら答えるが、どうやら続きがあるようだ。

「おそらく、おそらくですけど。上層部はイリアさんが虚偽の報告をしたと仮定し、それを利用できないかと考えました。弱味を握っておきたかったんでしょうね。そして、調査隊を件の遺跡に派遣しました」

 ごく普通の事であり、まともな軍組織ならやって当然の行動だ。それが何を意味するのか分からなかったが、イリアはもう感付いているようだった。

「そこで彼らが何を見たのかまでは、私の情報網では掴めませんでした。ですがその数日後、宇宙を漂流していた民間人を救出、保護したと報告が来ています」

 そこまで説明され、やっと言わんとしていることが分かった。調査隊は、トワが入っていただろう機械類を見つけることになった。それがどんなものなのか、リオ本人にしか分からない。が、そこに何かが、場合によっては人が入っていたと仮定するのは難しくないだろう。

「上層部は、イリアさんを疑っています。何かを隠してるんじゃないかって」

 イリアはがくりと項垂れた。一目で落ち込んでいると分かるオーラを纏っていた。

「報告が裏目に出ちゃったか~。まずいなあ。遺跡絡みじゃ向こうもしつこいよ絶対。嫌だなあ」

 不機嫌丸出しで艦長席に腰掛けたイリアは、モデルのようにスラッとした足を組み、握ってある左手を軽く唇に当てた。

「間違いなくトワちゃん目当てだけど、渡すわけにはいかないと思うんだ。丁重な扱いを受けるわけがないしね」

 脳裏に過去の場景が浮かぶ。丁重な扱い。トワを渡してしまえば、彼女はこの場景と同じかそれ以上の責め苦を受けることになるのかもしれない。

「はあ。皆には悪いけど、ちょっとしばらくは大変かも。あっちもこっちも敵だらけだよ」

 今まで聞いていたリュウキが操舵席に座りながら笑い声を上げる。

「了解了解。もう慣れっこですよ」

 その隣にいるギニーは、リュウキと正反対である不安そうな表情を浮かべていた。

「まあ異論はないですけど……大丈夫かなあ」

「さあな。でもギニーだって、トワ嬢を見捨てるつもりはないだろ。小動物っぽくて可愛いって言ってたろ」

 そうそう、小動物っぽいよね。と脱線を始めた男二人を放置し、イリアは思案顔で中空を眺めていた。

 その傍らにアストラルは歩み寄り、イリアの肩をぽんぽんと叩いた。

「まあ、しばらく私もいますから。少なくとも、その例のお嬢様が安全になるまでは。それで、どんな子なんです? 可愛いんですか?」

 まず可愛いか否かを聞くアストラルに、イリアは少し困ったような表情を浮かべる。その表情の理由は、前回の戦闘内容にあるのだろう。ただの可愛い女の子だとは、到底言えない。

「すっごく可愛いよ。もうずっと撫でていたいぐらい。ただ、ちょっとユニークな子でね」

 先程とは逆に、イリアがアストラルにこれまでの経緯を話していく。説明が進むにつれ、刻々とアストラルの表情が変わる。

 それは私達と同じ、純粋な困惑の表情だった。





 ※


 ifを操縦する上で、重要なのはifと自分の適正を近付けていく事にある。ifのシステムをより自分向けに最適化して、初めて機体の性能を引き出せる。

 そしてその作業には当然の如く操縦兵、その本人が必要になる。格納庫内で出来る作業は全て終わらせ、後は実際に動かしてみるだけだった。それはまた後で行うらしい。

 何時間も操縦席に座っていれば疲れもする。一通りの仕事を終え、リオは自室へと廊下を進んでいた。

 かといって仮眠をする程疲れてはいなかった。そして、特別やることがあるわけでもない。とりあえず一息ついて、時間があればシャワーでも浴びてこようか。

 そんな事を考えながら廊下を進んでいき、自室の前に辿り着く。電子キーはかけていない。スライドを促すために扉へ触れようとすると、遠くから足音が聞こえた。

 音の方向を振り向くと、見知らぬ少女がこちらに手を振っていた。ぶんぶんと力強く振っている。その手の振り方で、補給作業の時にいた人だと分かった。

「久方ぶりだね、少年!」

 見知らぬ少女は手を引っ込め、軽やかな足取りでこちらに近付いた。

「あの、補給の時の子?」

「そうそう。アストラル・リーネって言います。少年と同じ操縦兵だね。よろしく!」

 容姿を見る限り、同い年かそれ以下にしか見えない。幼く見えるアストラルだったが、その身長は自分と同じぐらいだった。と言ってもアストラルが大きいのではなく、自分が小さいだけなのだろうが。

「リオ・バネットです。よろしくお願いします。えっと、同い年ぐらい、ですか?」

「いんや。リオ君が十七歳。私が十八歳。リオ君が年下で、私が年上、お姉さん♪」

 リズミカルに言って見せるアストラルだが、その明るい言動はいよいよ年下にしか見えない。

「まあ、一個上だから大して違わないんだけどね。リオ君って呼んでいい?」

「いいですよ。えっと、アストラルさん」

「アストだけでいいよ。長いし。皆そう呼んでるからね」

 そう言い、アストラルはにっこりと笑って見せた。

「そうだ。リオ君さ、今時間ある?」

 両手をぱちんと合わせ、アストラルはこちらを窺うような目をしている。

「えっと。はい、大丈夫ですけど」

「じゃあちょっと話そうよ。色々聞いておきたいし。あと、敬語じゃなくてもいいからね」

 アストラルは咎めるようにこちらの肩をぽんぽんと叩き、またにっこり笑う。自然で、明るい笑い方をする人だ。

「それは、努力してみます。話すのはいいですけど、僕の部屋でも大丈夫ですか?」

 立ち話を続けるより、ゆっくり座れる環境の方がいい。こくりと頷くアストラルを見届けてから、扉に触れスライドさせた。

「適当に座っちゃって下さい。椅子はそこです」

 照明のスイッチを入れながらベットに腰掛ける。トワがいるかもしれないと思ったが、どうやら別の場所で遊んでいるようだ。最近は艦内全域を自由気ままに歩き回っている。以前ほど人見知りもなく、どのクルーとも問題なく関わっているようだった。

 部屋に常備してあるミネラルウォーターをボックスから二本取り出し、一本をアストラルに手渡す。

 それを受け取ると、アストラルは部屋の隅にあった椅子を引き寄せ、すとんと座ってみせた。

「えっと、リオ君もイリアさんに?」

「ええ、まあ。そうなりますね」

 大抵の人間にはそれだけで通じる。そもそもイリアの下で働いている以上、イリアと何らかの繋がりがある。ここのクルーは全員イリアが選出したメンバーだ。

「色々あってAGSに配属されて、そこから先はイリアさんと一緒です」

「やっぱりそっか。その時からifに?」

「まあ、そうなりますね。他の職務をやれる才能も無かったし」

 それに、一番危険な職務だった。一番死が近い。ここは、ちょっとした意思の気まぐれが死に直結する世界だ。だから自ら選んだ。だから選べた。

 意識も何もなく、自然に才能という言葉を口にしたが、それならば自分にはif戦闘に関して才能があるのだろうか。どちらにせよ、欲しくない才能ではあるが。

「じゃあ、ほとんど私と同じだね。私は第一次if戦争中に巻き込まれちゃってね。まあズルズルと、軍人っぽくなったのかな」

 アストラルはミネラルウォーターを口にして、少しの間黙ってしまった。彼女にしてみても、過去はあまり良いものではないのだろうか。第一次if戦争、前回の大戦だ。今時のは第二次if戦争と呼称されている。

「まあ、そんなこんなでイリアさんと会ってね。一緒に作戦行動をしたんだけど、イリアさんがいなかったらあそこで死んでたと思うよ、私」

 もし自分がイリアと出会っていなかったら、どうなっていたか。きっと軍人にはなっていなかっただろう。そしてそれはただの、罪人という一括りでしかない。

「イリアさんは元気?」

 空気が淀みきる前に、アストラルが明るい声で問い掛ける。

「いつも通りだと思いますけど、どうだろう」

「イリアさん、指揮官向けじゃないよね。無理してなきゃいいけどさ。そう、大事なことを聞いておきたくてね」

 アストラルはおもむろに立ち上がり、こちらと同じようにベットへ腰掛けた。直ぐ隣にいるアストラルの表情から笑顔は消え、真剣そのものを帯びた瞳がじっとこちらを見据えていた。

「憶測だけど、AGSは何かを探してる。まあ、何かは分かるよね」

 これまでと違い、低く囁くような声が耳に届く。

「私は、さ。イリアさんに助けられた以上、イリアさんを助けたいの。リオ君が拾ったその女の子は、リオ君から見てどう?」

 自分が何を聞かれているのか、まず把握することが出来なかった。AGSが何かを探している、それ自体が初耳なのに。

 だが、ふと気付かされる。それは判断の甘さであり、目の前の異常を見過ごしているだけではないのかと。

 トワの情報がどう伝わっているのかは分からない。だが、その断片でも見られてしまえば無視はできないだろう。あの遺跡の中を見られたのか、或いはあの戦闘を見られたのか。どちらにせよAGSが、組織的な枠組みを持つ事象が、逃してくれる道理はないのだ。

「分かってくれた? イリアさんがどれ程優秀でも、AGSという軍組織を相手取るなんて無茶があるでしょ」

 アストラルは淡々と続けていく。表情から何も察することができなくなる。

「でもイリアさんは捨て置けない。そういう人だから。巨大な一個である軍組織が矮小な一個を潰すのに、そんなに手間はかからない」

 誰も彼も助ける。そんなイリアが、トワをAGSに引き渡すのか。考えるまでもなかった。そしてその先に待つ未来も、考えるまでもなかった。

「イリアさんの考えは分かるよ。見知らぬ女の子を見捨てるってのは気分が悪いし。でも私は、そこまでいい人にはなれないタイプだから」

 だから、だからお前はどうなのかと聞きたいのだろうか。

「一番傍にいるのはリオ君なんでしょ。だから聞いておきたいの、その女の子を、トワちゃんを捨て置けるのか」

 もしアストラルの憶測が正しければ、これから先AGSと敵対する危険が出てくる。その危険を、トワを差し出すことによって止められる。

 だがイリアは、たとえクルー全員が進言したとしてもそんな選択はしないだろう。そうなれば、イリアは一人でも戦う道を選びかねない。

 ではどうやって、トワを引き渡すというのか。そこまで考え、ふと気付いてしまった。アストラルが向ける、真剣な眼差しが持つその意味を。

 だが、それは悲劇でしかない。それを伝えるため、ゆっくりと言葉に意味を込めて口を開く。

「その方法だと、イリアさんもトワも、アストさんも辛いんじゃないかな」

 アストラルの表情に微かな驚きが浮かんでくる。何を言われたのか分からない、といった顔だ。

「アストさんがトワを捕まえてAGSに引き渡したら、確かにイリアさんは安全かもしれない。だけど、安全なだけで皆不幸だよ」

 イリアは、トワを守れなかった自分自身を許せない。トワもAGSに何をされるか分からない。そしてアストラル自身、そんなイリアに顔向けできない。

「それに僕も、僕だって」

 捨て置ける筈がない。トワが誰か、何なのかすら分からなくても、もう見捨てられない。見捨てられるほど簡単に割り切れない。

「その、だから、反対だよ。協力もできない」

 アストラルの目を真っ直ぐと見据える。驚きを隠そうともしないアストラルは、ゆっくりと、優しく微笑んだ。

「全部お見通しとは、結構やるじゃん。しかしそーとーなモテ子だねトワちゃんは」

 大きく伸びをしたアストラルは、もう出会ったときの明るい表情に戻っていた。

「じゃあ、せーぜー普通に頑張りますか。拉致プランはやめとくよ」

「意外と、あっさり諦めるんですね。てっきり脅されたりするのかと思いましたよ」

 一切の邪気も感じさせず、アストラルはからりと笑ってみせた。

「頭の切り替えが早くないと、戦闘機なんて乗ってられないからねえ。元々リオ君に聞いて、ダメだったらそーするつもりだったし。ねえねえ、それよりさあ」

 爛々と目を輝かせるアストラルは、興味津々といった様子でこちらの肩を叩く。

「その例の子とはどうなのよ、話によると色々ラブラブなんでしょ? ねえ、どうなのよ、何かあったりしちゃったりした?」

 お姉さんに話しなさいと肩を揺するアストラルは、こちらを逃がすつもりはないようだ。

「別に、何もないですよ。一緒にいることは多いですけど、向こうは別にその、好きって言うか、異性としての好きっていうのはないと思いますし」

 訳もなく早口になってしまい、余計恥ずかしい思いをしてしまった。

 考え込むような仕草をみせるアストラルだったが、不意にしてやったりといった表情に切り替わった。

「向こうも、じゃなくて向こうは、って言ったよね。どーいうことですかそれは? そーいうことなんですかこれは?」

 一気に畳み掛けてくるアストラルの言葉に、自分自身考えてこなかった部分だと再認識させられる。

「いや、あの、正直分からないっていうか」

 トワを、自分は異性として見ているのだろうか。それとは、少し違うような気もする。

「まあ、僕は振り回されてるだけです。それに、同年代っぽいですけど、何もかも分からないですし」

 うまく言葉にできる自信は無かった。が、ただの異性として見れる程単純な存在ではないと思う。

「うーん。そんなもんかなあ」

 今はまだ、保留にしておきたい部分だった。考えてしまえば、それこそ後戻りができないような、そんな気すらした。

 アストラルが次の話題を出す前に、扉のスライド音が思考を遮った。すなわち誰かの訪室であり、コールも鳴らさないとなれば何者か確認するまでもなかった。

 我が物顔で部屋に入ろうとしたトワは、見知らぬだろうアストラルをじっと見つめている。表情も変えず何も言わなかったが、ただ警戒しているのとは違う雰囲気だ。

「ここは」

 ぽつりとトワが呟く。そのまま早足で近付き、アストラルを警戒しながらむんずとこちらの腕を引っ張った。

「い、痛いってトワ! 折れるから!」

 容赦もなければ人体の構造も無視したピックアップをされ、無理矢理立たされた形になる。そのままトワは部屋の隅にさっと移動する。こちらの身体は当然のように引き摺られていく。

「ここは、ここはリオの部屋だから!」

 びしっとアストラルに指を差し、トワは珍しく声を上げた。普段から感情があまり表に出ないだけあり、少し新鮮な光景だった。だが。

「うん。僕の部屋だから、トワの部屋でもないからね」

「とにかくダメ。ダメだからね!」

 こちらの言葉は当然のように流されてしまった。更に何を思ったのか、むっとしたままトワはがっしりとこちらに抱き付いてきた。

「ダメ」

「急に抱き付かないでって、びっくりするから!」

 一連の流れをぽかんと眺めていたアストラルは、はっと気が付いたようにこちらをまじまじと見た。

「可愛い可愛いとは聞いてたけど、確かに可愛いね……」

 一人でふむふむと頷くアストラルだったが、腰掛けていたベットから飛び下り、ゆっくりこちらへ近付き始めた。

「はじめましてトワちゃん、アストラル・リーネっていいます。まあまあ落ち着いて」

 猫が全身の毛を逆立てて威嚇をしてるかのように警戒しているトワは、まったく落ち着く気配がない。

「トワ、新しくこの艦に来たアストさんだよ。別に怪しい人じゃないから大丈夫」

 組みついたままのトワに声を掛けるが、やはり聞いていない。むっとしている

「なんか、すっごく警戒してるね」

「みたいですね。ここまで警戒するのは珍しいですけど」

 ここまで表情豊かなのも珍しい。普段はもっとおっとりというか、口を開いてぼうっとしているというか。口を半開きにして何も考えていないというか。

「リオ、何か考えてる?」

 いつの間にかトワが、微かな不満を滲ませながらこちらをじっと見ていた。

「な、何も。何でもないって」

 女性的というよりは動物的な勘を働かせるトワは、時折鋭い。

「ふうん。そう」

 それだけ呟き、再び警戒を顕にアストラルをじっと見る。本当に、珍しい姿だった。

「とりあえず話はそれだけだし、私は出てった方が良さそうだね」

 ぶんぶんと首を縦に振るトワを見て、アストラルは苦笑する。

「まあまあ。おいおい仲良くしようね、トワちゃん」

 そう言ってアストラルは退室する。トワはむすっとしていたが、暫くして不満の矛先をこちらに向け始めた。

「リオも、知らない人を入れちゃダメ」

 身体に抱き付いていたトワが離れ、開口一番に指摘が入る。

「知ってる人になったから大丈夫だよ。アストって呼んでいいってさ」

 納得がいかないのか、トワの口は見事なへの字だった。

「じゃあ、私の事も好きに呼んでいいよ」

「うん、まあ。トワはトワになっちゃうけど」

 不満のオーラを全身から発するトワだったが、うまく言葉に出来ないらしい。少しの間唸っていたが、結局言葉にはならず、ベッドに飛び込んだトワは掛け布団を頭からかぶり沈黙してしまった。

 いわゆるふて寝というものなのだろうか。しかし、それなら自分の部屋で、自分のベッドでやるべきではないのか。

「あの、トワ。僕は休みたいんだけど」

 控え目にどいてくれるように頼むが、トワは掛け布団を捲り、むすっとしたままの顔を出すとぽんぽんとベッドを叩いた。ならば隣に来いという意味だろう。

「えっと」

 ぶかぶかの服から覗く白は、淡く透き通っていた。無防備過ぎるその身体は痩せてはいたが少女特有の健康的な丸みを帯びている。しなやかな指の先は手入れでもしているのか、切り揃えられた爪が艶やかに光を反射していた。

「あの、遠慮しときます」

 トワが無防備なのは、彼女が何も意識していないからだろう。色々覚えてきたとはいえ、まだまだ幼い言動が目立つ。

 そう、まだトワは何も知らないのだ。その無知につけこむような真似はしたくない。

 こちらがベッドに来ないと分かったのか、トワの表情がむすっとしたものから悲しげなものに変わっていた。

「そ、そんな顔しなくても……もう、仕方ない」

 スタンドテーブルの上に置いてある文庫本を手に取る。電子書籍の普及が当たり前となった今でも、紙を使った本というのはまだまだ人気がある。

 自分は本をあまり読まないが、リーファは好きらしい。この文庫本も、リーファが貸してくれたものだ。面白いからと、無理矢理押し付けられた形ではあるが。

「ちょっとごめんね」

 そう断りベットに腰掛け、そのまま文庫本を読み始める。

 暫く読み進めていると、トワが背中をぺたぺたと触り始めた。

 後ろを振り返ると、先程までの悲しげな表情はなくなっていた。すっかり機嫌の良くなっているトワが、ぺたぺたぽんぽんと背中を触り続けている。

「トワ、くすぐったいから」

 何にせよ、機嫌が直ってくれて良かった。この休憩時間はトワにかまっているだけで終わってしまうだろうが、それもいいだろう。

 無下にはできないし、自分自身悪くないと思っているのも事実だった。

 まだ暫く、背中に触れる温度は尽きそうになかった。

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