人見知りの戦い
緊張している。そうリオは考え、どうして今更と溜息を吐いた。
自分ではない。隣にいるトワが、なぜか緊張しているのだ。僅かに警戒を滲ませて、扉をじっと睨んでいる。
今、自分とトワは部屋の前にいる。エリルの自室だ。今回の戦いは、エリルの協力があったからこそ成功した。その事に対する礼と、トワの自己紹介をしに来たのだ。
自分が目を覚ましてから三日が経ち、身体の方はすっかりと回復している。左手の痺れは残っているが、まあ健康な方だろう。自分の足で立ち、動き回れているのだから、ほぼ全快みたいなものだ。
この三日は、色々と忙しかった。身体がまともに動くようリハビリをしたり、知り得た情報をイリアに話したり。特に、ファルの妹だというフィル・エクゼスについては詳しく話をした。
フィル・エクゼス、討滅騎士《スレイド》の主だ。ファルを姉と慕い、他の事は何も考えていない。自分とトワがここにいる以上、必ずまた戦う羽目になる。両腕の実体剣による斬撃は、実体剣だからといって侮れない。単純な機体性能を比べても、現行のifを軽く凌駕していた。それに加え十二機の自律兵器、ハチェットリーフの存在もある。
極め付けが、あの再生能力だ。フィアリメイジと呼称されるシステムによって、損傷をデフォルトに戻す。腕を落とそうが、頭部を潰そうが。次の瞬間には回復しているのだ。
優れた兵器だとしても、本来はそう脅威ではない。一機が優秀だからといって、どうにかなる程戦いは単純ではない。極論を言えば、十機をぶつけ、百機をぶつけ、千機をぶつければいい。どんなに優れていても相手は一機だ。機体の限界か、操縦者の限界を迎えた瞬間に勝負は付く。
だが、このフィアリメイジとか言うシステムは、その前提を覆す。損傷も疲労もデフォルトに戻し、全てなかった事にする。だから、極論を言えば。十機をぶつけ百機をぶつけ、千機をぶつけても。その全てを殺し得る相手という事だ。
また、フィアリメイジ自体は《スレイド》専用の機能ではなかった。同じような相手が現れた時に、そいつも同じシステムを使うかも知れない。
リリーサー、そうファルは言っていた。フィル以外にも、敵対するリリーサーは増えるかも知れない。何せ、あいつらの役割は。
そこまで考えるも、それ以上の言葉は出て来なかった。ファルの記憶は、所々が抜け落ちている。どうしても、断片的にしか思い出せない。
意識を切り替え、目の前の扉に向き直る。横に並んでいるトワは、まだ緊張している様子だったが。ずっと扉の前で待っている訳にもいかない。
「トワ。エリルさんを呼ぶけど大丈夫?」
だが、一応確認しておこう。ダメと言っても呼ぶけど。
トワは小さく頷く。が、緊張と警戒は消えていない。そう言えば人見知りな所があったのかも知れない。ちょっとこの子は特殊な性格なのではっきりとは分からないけれど。
今のトワは、さすがにドレスは着ていない。白のブラウスを着て、灰色のマキシスカートを穿いている。ブラウスは控えめのレースで装飾されており、派手ではないが女の子らしさをよくアピールしていた。マキシスカートとはくるぶし程もある長いスカートの事であり、過度に広がらず、すらっとしたデザインの物を穿いている。そして、そのマキシスカートの裾からは。当然のようにスリッパが顔を覗かせていた。
清楚にかわいく決めてみました、とリーファは言っていたが。確かに清楚に見えるし、凄くかわいい。
「じゃあ、呼ぶからね」
そう前置き、扉を二回ノックする。インターフォンを使っても良かったが、どうも癖でノックをしてしまう。まあ、これで気付かなければインターフォンを使えばいい。
だが、その心配はなさそうだ。ノックをして数秒、すぐに扉はスライドした。
エリルはこちらとトワを交互に見て、何事かと疑問符を浮かべているようだった。
「リオですか。それと、トワさん。二人揃ってどうしました?」
そう言えば、エリルも人見知りをする方だった。いつも通りの真顔なので正直分からないのだが、若干口数が少ないような、警戒しているような。
「そんなに身構えなくてもいいんだけど。この前のお礼と、トワの紹介。僕が寝てた間も、トワはエリルさんの所に行ってなかったって聞いたから」
エリルはこくりと頷き、トワをちらと見た。人見知り対人見知りの探り合いが始まる前に、まずお礼を言っておこう。
「なので、まずはありがとうございました。エリルさんのお陰で、何とかトワを助けられました」
本心からの言葉だ。しかし、エリルはちょっとばつが悪そうにしている。
「結果的には良かったみたいですが。私からしてみればこう、負けた気分というか。結局抑えきれず、そちらに《スレイド》は飛んでいきましたし」
エリルはそう言うが、充分以上だと思う。自分も《スレイド》とやり合ったが、あれは単機で抑えられるような代物ではなかった。だから、やっぱりエリルのお陰なのだ。あの局面で、あれだけ《スレイド》を抑える事が出来たのは、エリル以外にはいない。
「そんな事はないです。僕は、エリルさんじゃないとあの戦果は出せなかったと思います。だから、貴方のお陰なんです」
渋い顔をしていたエリルだったが、少しは伝わったのだろうか。諦めたように、小さく微笑んでみせた。
「相変わらず。変な所で強引ですね、貴方は。まあ、反省すべき所は反省しますが、その言葉は額面通りに受け取ります」
エリルらしい受け答えだったが、その表情はいつもより穏やかに見えた。
「じゃあ、問題はこっちなんだけど」
そう言って、トワの方をちらと見てみる。マキシスカートを弄りながら、トワはちらちらとエリルを見ていた。
そんな様子なので、エリルもトワをちらと見ては視線を逸らしている。うん、これは自分が頑張らないと会話にならない奴だ。
「トワ、自己紹介とかしないと。今更人見知りをしてもしょうがないでしょ」
トワは口を一文字に結んでいる。そんな姿を見ていると、アストラルが来た時の事を思い出す。あの時も慣れるまで大変だった。
「では私から。エリル・ステイツと言います。そうですね、他は……ギニー・グレイスの妹です。養子ですが、良くして貰っています。ええと」
人見知りを公言しているエリルが、頑張って喋り始める。が、すぐに言葉に詰まってしまう。
しかし、トワは何やら気になる事があったのか。エリルをじっと見ている。そして、少しだけ眉をひそめる。これは、何やら疑問がある時の表情だ。
「ギニーの妹なんだ。あんまり似てない」
そして、その疑問を口にした。エリルは養子と言っていたが、トワにとっては知らない単語だったのかも知れない。
「ええ。先程も言いましたが養子です。なので、血の繋がりはありませんね。あまり気にした事はないですが。何せ、兄様があんな感じですから」
トワの言葉にそう返し、エリルは口元を緩める。ギニーの事になると、エリルは凄く穏やかな雰囲気を纏う。
「仲良しなの?」
「仲良しです」
トワの質問に、さも当然と言わんばかりにエリルは答えた。迷いのない返答を受け、トワはこくりと頷く。
「……そうなんだ。少し羨ましい」
そして、寂しげにトワはそう返した。いつものトワよりも、少し大分元気がない。
「私は、トワさんの方が羨ましいですけどね」
「ん……どうして?」
エリルの返答を受け、トワは不思議そうに聞き返していた。確かに気になる所ではある。エリルは、トワの何が羨ましいのだろうか。
「他でもない貴方一人だけを想って、好きな人が助けに来てくれたんですよ。凄くロマンチックというか、何か良いじゃないですか。そういう人がいるっていうの、羨ましいですよって」
エリルが真顔のまま、そんな乙女チックな事を言っている。本気で言っているのか冗句なのか、ちょっとよく分からない。
「そう、そうなの! 良いでしょ!」
手をぱちんと合わせ、トワは何だか誇らしげにしている。
「ええ、良いですね」
トワに合わせてそう言っているのか、本当にそう思っているのかはよく分からないが。まあ、この調子なら大丈夫だろう。トワは人見知りが激しいが、一度慣れてしまえば何の問題もない。
「ほら、これも貰ったんだよ」
早速トワは左手をエリルに見せていた。薬指に通されたエンゲージリングを見せているのだ。そんなに見せびらかすような物じゃないと思うのだけど。
「それ、リオも大切にしていましたよ。いつも身に付けてて、ことある事にそれを見てました」
よかったと安堵していた所に、しれっとエリルが告げ口した。
「ちょ、ちょっとエリルさん。それは今はいいですから」
カミングアウトを止める為に会話に参加する。しかし、エリルは悪びれた様子もなく、むしろよく分からないという表情をしていた。
「別に、知られて困る事でもないでしょう? 二人にとって大事な物なんですねって、ただそれだけの話ですが」
いや、まあ、確かに。困る事はないのだけど。
「ホント? ねえエリル、それ本当の話?」
トワは目を輝かせて、エリルに詰め寄っていた。キラキラしていらっしゃるトワには悪いが、僕はそれなりに恥ずかしい。
「本当ですよ。しかもですね、艦内放送で何か格好いいこと言ってました。僕以外に誰がトワを助けるんだとか、そんな感じの事を。私も放送で聞いた口ですが。ああ、本当に好きなんだなあって感心してました」
表情一つ変えずに、エリルは次々と暴露していく。にやついている訳ではないので、これは多分悪気がなくやっている。悪気がない相手には強く言えない。これは泣き寝入りするしかない奴かも知れない。
トワがこちらを振り返る。スリッパの癖に綺麗なターンを決め、灰色の髪が少しの間だけ広がった。トワは満面の笑みを浮かべ、思い切り真正面から飛び込んできた。
トワは人目も気にせずに抱き付いてくる。そして大抵、しがみつくようにぴったりとくっついてくるのだ。少女の体温が、徐々にこちらへ染み込んでくる。
「トワ、近いってば。というか何で今」
離れてと言って離れてくれないのはもう知っている。だからそう聞いてみた。
「嬉しかったから、リオに私の幸せをシェアしてあげてるの」
うん、よく分からない。トワ特製の謎理論だ。別に、抱き付かれるのが嫌な訳ではないのだが。僕はそれなりに人目を気にする。
エリルはやはり表情を変えず、じっとこちらを見ていた。気まずい。
「あの、エリルさん。まあ、こんな感じの子です」
こちらの服に顔を埋め、首を横に振っているトワはもう自分の世界に行ってしまった。黙っているのもどうかと思うので、そうエリルに声を掛けたのだ。
「雰囲気が違うというか、殆ど別人ですね。トワさん、影のある美人という感じだったのですが。素はこっちですか」
影のある美人モードのトワなんて見た事がない。だから、多分こっちが素だとは思うけど。
「ええ、まあ。僕はこっちしか知らないので、はっきりとした事は分からないですけど」
「私は分かりますよ。それだけ楽しそうにしてれば、誰でも分かります」
そういうものなのかと、自由にしていらっしゃるトワを見る。まあ、確かに楽しそうではある。
そして、楽しそうにされると邪険には出来ない。トワとエリルの自己紹介という目的は、無事に達成されたと思うが。
トワの言う、幸せのシェア行為はそれからもしばらく続いた。




