呪いの始まり
あらすじ
少年と少女の戦いは、一つの決着を迎える。
自分の想いを貫いた少年と、自分の想いを手繰り寄せた少女は、もう一度その手を取り合った。
呪いと業火が、どうしようもなく二人を苛むのだろうが。確かに一つの答えを得たのだ。
幾億もの時間、その連なりに立ち向かう為に。
Ⅲ
この光景は、きっと何でもない日々の一つ一つだ。本当に何でもない日々で、だからこそきっと凄く大切な。今はもう、呪いの中に沈んでしまった物だけど。こうしてちゃんと、形だけは残っている。
つらいこともそれなりにあったけど。特に、父親が病気で死んでしまった時は、凄くつらそうだったけど。それでも、母親と二人でしっかりと生きていた。
だから、あまり手の掛かる子ではなかったみたいで。賢い子だったから、母親が大変だと分かっていたし、甘えるのも下手だから。感情を自分の内側で抑え込む事ばかりしていた。
それでも、それでもちゃんと幸せに生きていた。
地球で暮らしていて、戦争が起きている事は知っていても、それはどこか別の世界のように思っていた。自分の家に、ifが落ちてくるその時までは。
「リオは悪くないよ……」
そう呟くも、その光景が消える事はない。全長八メートルの巨人に押し潰された母親と一緒に、その少年の心は潰されてしまったのだ。
自分の母親を潰したifに乗り込み、その原因を作った敵ifを睨みつける。誰も悪くないなんて話ある訳がない。地獄を運んできたそいつを、許せる筈など無く。
勝てない筈の戦いは始まった。戦争とは無関係だと思っていた少年が、感情に突き動かされるままに兵器を駆る。
そんな甘い、決意とも呼べない決意で。勝てる程現実は甘くない。だから、いっそここで死んでおけば。救われる命は沢山あったのだ。
「そんな、こと」
感情が入り交じっていく。これは自分の記憶ではない。でも、この感覚は、この喪失感は。身を焦がす業火は、確かに自分の胸を焼き尽くしている。少年の慟哭も、後悔も。自分の感情に入り交じっていく。
勝てない筈の戦いだった。だけど、勝つ為の手段が頭から浮かんできた。どうすれば目の前の奴を殺しきれるのか、そんな事ばかりが浮かんできたのだ。
手段だけではない。それに伴う犠牲も、全て浮かんでいた。そして、その全てをはっきりと知覚していた筈なのに。
「だめ、それは」
その一歩を、踏み出したのだ。放たれた銃弾を避ける為に、真横に跳躍して。有利な地点を、生き残る為の一歩を踏み締めた。
登校しようとしていた学生の列が、そこには確かにあったが。必要な犠牲と割り切って飛び込んだ。誰もが戦争とは無縁だと思っていたから、足を止めて呆然としていたのだろう。為す術もなく、母親と同じように学生達をすり潰した。いや、同じとは言えないだろう。母親のそれは事故であり、偶然の死だったが。これは自分が手繰り寄せた、必然の死だ。
ifの動きは止まらない。再度踏み込み、徐々に距離を詰めていく。短機関銃の銃火を潜り抜け、街そのものを盾にして。少しずつその地点まで追い込んだのだ。
その過程で何人も死んだ。そして。
相手の操縦兵は、まだ人間らしい判断力を残していた。背後には学校がある。その地区の中では比較的大きな建物だ。避難しようと子ども達が校庭に集まりつつあり、混乱の最中と言ってもいい。
その学校を見て、敵ifは動きを止めた。そのまま後退すれば、巻き込むと判断したのだろう。その致命的な隙を見逃さずに。
思い切り飛び込んだ。動きを止めたその一瞬でしか、殺しきる機会はなかった。そうなると見越して誘導を続けていたのだから、どうなるのか全部分かっていた筈だ。
校舎に押し付けるようにしてifを押し倒し、抵抗する間も与えずにナイフを操縦席に突き刺した。
勝てない筈の戦いを勝った。知らない筈の戦い方が、なぜか浮かんできた。それらを実行すればどうなるのか知っていた筈なのに、その一歩を踏み出してしまった。
馬鹿げていると、今なら言える。ちっぽけな復讐心を満たす為に、抑えようのない怒りを解き放つ為に、それ以上の死体を積み上げた。きっとちゃんと生きて、それなりにつらくてもそれなりに幸せで。誰かを何かを好きになってた筈の人達を殺した。
その人達が憎かった訳ではない。ただ、無関係だからと切り捨てた。普通なら出来ない筈の選択を、いとも簡単に選んでしまった。
錯乱していたとか、おかしくなっていたとか。そういう訳でもない。ただ本当に、仕方がないと思ってしまった。分かった上で、敵を殺す事を選んだ。だから多分、本当に自分は壊れている。
「……でも!」
そう声を上げるも、掛ける言葉なんて思い浮かばない。ただ話を聞いただけではない。実際にその光景を、選択を。自分は見たのだ。それは確かに、普通ではない選択で。許されざる行為で、認めたくない結果だったけれど。
自分と同じぐらいか、それ以下の子どもを殺した。この足で踏み潰して、顧みずに飛び去った。潰された子は即死、跳ね上がった地面や破片で引き裂かれた子もいる。
こんなの、人の死に方じゃないでしょ?
「……そう、だけど」
これから先は、別段何もないよ。放心状態になっていた所を、AGSに捕らえられた。しばらく捕まったままだったけど。どこから聞き付けたんだろ。イリアさんが来て、僕を引き取っていった。書類の偽造や色々な取引があったみたいだけど、その殆どを僕は知らない。
if操縦兵になったのは、それしか出来ないっていうのもあるけど。それをしていれば、いつかは殺されるって分かっていたから。そういう風に思っていないと、何も出来なくて。結局、死体を積み重ねただけだったけど。
「……そっか」
周囲の光景が少しずつ崩れ落ちていく。平和だった街の光景も、平和でなくなった街の光景も。何事もなかったかのように消える。
元々の形に戻ろうとしていた。同調していた意識が、ゆっくりと二つに分かれていく。
そして片方は沈み、片方は浮上する。
自分は浮上している方だ。あそこまで浮かび上がれば、元の世界に戻れるのだろう。
反対に、彼は膨大に過ぎる記憶の渦に落ちていく。それは人の一生を包み込んで余りある、膨大過ぎる私の記憶だ。
それは、存在しているだけでも危険だというのに。それに入るというのは、それ以上に危険な事だと分かっている。止めなければいけない。そう思い手を伸ばすも、何も掴む事は出来ない。遠く、手の届かない所まで離されていく。
声を上げても、それすら届かない。もう、ここと向こうは違う領域なのだ。どんなに手を伸ばしても、声を上げても。この距離を埋める事は出来ない。
それこそ、空間が断絶していくように。二人の意識は別の道を辿っていった。
目を開き、ぼやけた天井をぼうっと眺める。欠伸を一つ吐き、寝返りを打つために姿勢を変える。横になるっていうのは素晴らしい事だなあとか思いながら、柔らかなシーツの感覚を手繰り寄せた。
視界は相変わらず悪いが、カーテンで仕切られたここは見覚えがある。《アマデウス》の医務室だろう。そういう匂いがする。
そこまで考えて、意識がようやくはっきりしてきた。
「起きなきゃ、起き……」
上体を起こし、頭を乗せていた枕を掴み取る。それを胸に抱き、もう一度ベッドに沈んでいく。
「起きて、私……起こして私」
自分でも何を言っているのかよく分からないが、全然頭が働いてくれないので仕方がない。そうトワは半ば諦めながら、今見ていた光景を思い出していた。
夢の奥深くで、自分の物ではない記憶を見た。ファルの持っていた記憶とも違う。いや、考えるまでもない。あの記憶は、あの光景は。
「リオの見た物。あれが」
胸にしまい込んだ、呪いの始まりなのだ。ただ見ただけであれば、そういうものかと考えるのかも知れないが。
あの感覚は、そんな中途半端な物ではなかった。地獄をただ見ていただけではない。この身で、この手で。あの光景を作り出したのだ。リオの抱いた業火も呪いも、確かにこの胸に残っている。残っているのだ。
「……リオ」
あの日、あの時に。ifが落ちてこなければ、リオが戦う事はなくて。母親と二人で、きっとちゃんと生き続けて。戦いとは無関係な仕事をして、誰かを好きになって。
「それはちょっと、あれだけど」
まあ、少なくとも。私と出会う事はなかっただろうし。出会っていなければ、未だに私はファルのままだったろうし。
ファルは全てを諦め、ただ役目を果たす事しか考えていなかった。それ以外の事を考えても、結局何も変わらなかったから。残された記憶が、彼女の小さな意思を物語っていた。その意思が残した最後の願いも、ちゃんとここに残っている。
「……起きなきゃ」
もう一度上体を起こし、少しだけはっきりしてきた頭で周囲を窺う。ぼやけて見えづらいが、やっぱり《アマデウス》の医務室だと思う。
トワは掛けられたシーツをめくり上げ、患者衣に包まれた身体をしげしげと見やる。そして、足に刻まれた傷跡の一つを指でなぞってみた。もう、痛くも何ともない。
ベッドの端に腰掛け、ふらつきながらも二本の足で立つ。カーテンを開け放ち、迷わずに隣のベッドに歩み寄る。一歩一歩が重いが、関係ない。必死に身体を動かし、少し転びそうになりながらも歩き続ける。そのベッドはカーテンで仕切られていたが、構わずに開けた。
「やっぱり、眠って」
ぼやけた視界だとしても、その姿だけは見つける事が出来る。目を閉じ、静かに眠っているリオの隣まで近付き、ベッドの端に腰掛けた。ベッドが少し軋んだ音を立てるが、何も変わらない。リオが起きて、何かを言ってくれる事はない。
トワは唇を結び、両手を握り締める。自分がリオの記憶を見て、追体験したように。リオもまた、私の記憶を見て、追体験しているのだ。
自分がファルだった時の、途方もない程の時間を。
「リオが起きてくれないと、私」
ここまで来た意味がない。そう呟くも、返してくれる者はおらず。
少女は寂しげに、シーツ越しに少年の手に触れた。




