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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「青嵐と窮愁」
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世界が終わるまで



 ちゃんと、無事に逃げ出してくれたのだろうか。近くに《アマデウス》の反応もあったから、きっと助けて貰えたと思うけど。

 無数の残骸を築き上げ、それでも傷一つ負わず。《プレア》を宙域に漂わせたまま、その少女は暗い操縦席で膝を抱えていた。

 自分の持ち得る記憶と、そうではない記憶が頭の中で暴れている。自分の名前も在り方も、確かに思い出したのだと思う。

「私は、一体誰なの?」

 それでも、そう問い掛けてしまうのは。自分自身を信じられないからだろうか。

 答えてくれる人は誰もいない。自分一人しか、ここにはいない。

 《プレア》の目を通せば、だめになった目もきちんと見えるようになるけれど。暗い宇宙を見た所で、気持ちは楽になってくれない。

「……無事、だったよね?」

 《カムラッド》の全身は焼けただれ、それでも彼は答えてくれた。身体が勝手に、なんて言い訳をしても信じて貰えるだろうか。

 原因は分かっている。自分があまりにも存在として不安定だから、表層だけ残して基本的なプロトコルが実行されたのだ。

「ぷろとこるっていうのが、よく分からないけど」

 だから、そのプロトコルを何とかしない事には、また同じ事が起きる。敵対勢力の暫定排除なんて、繰り返す訳にはいかない。

「よく分かんないけど」

 そう、これは自分の持ち得ていない記憶を紐解いて分かった事だ。よく分からない事ばかりだが、ちょっと少し賢くなった気分になれる。

 他人事のようにしか認識出来ない記憶の中から、解決方法を探していく。

「……サーバーからの切断。多分これで」

 固有識別が有効になっているから、プロトコルの影響を強く受けている。サーバーから意図的にログアウトすれば問題はない。ただ、その場合は以前と同じようにゲストとしてサーバーを利用する為、機能としてはダウングレードするらしいが。

「よく分かんないけど」

 よく分からないが、多分これで合っている。切断処理を進めていると、見知ったログが目に入った。

「……あの子が」

 起きようとしている。執拗に残されたログを紐解いていけば、居場所も簡単に割り出せるだろう。攻撃され慣れていない、あの子らしいミスだった。

「リオ、私は」

 多分、元には戻れないと思うし。今更そんな我が儘を言っても仕方がないけれど。

「出来る事を、やらないと」

 切断処理を済ませ、溜息を一つ吐く。無視していた、というよりも無効となっていた身体の不調が一気に襲いかかる。あまりの不快感に呻き、操縦席に深く腰掛けるように身体を預ける。自分自身の身体が、異様に重く感じる。これが、きっと普通なのだけど。

「……お腹空いた」

 ご飯をいっぱい食べて、リオのベッドで眠っていたい。でも、その前にシャワーぐらいは浴びておかないと。

 自然と浮かんでくる本心を押し殺し、不調を飲み込んで操縦席に座り直す。逃げていても泣いていても、何も変わりはしない。

 身体がどんなに悲鳴を上げようと、もうサーバーには頼れない。自分の意思で動く為には、こうするしかないのだ。

「ファル・エクゼス、か。どんな人だったんだろうね、《プレア》」

 他でもない自分の名前の筈なのに、他人のようにしか感じられない。でも、それならば私は、一体誰なのだろうか。

 《プレア》は何の返答も寄越さない。昔からそうなのだ。頑固で無口なのは変わらない。

「出来る事、今の私に」

 やりたい事ではなく、出来る事だ。思い浮かんでいる人でなしの意見を、本当にやるべきか考える。

「……行こう。あの子は」

 危険すぎる。そう判断し、《プレア》に動くよう伝えた。遠いが、《プレア》の足ならばすぐに着く。

 やりたい事ではなく、出来る事だ。自分はきっともう、戻れないとしても。この先の未来が、文字通り無くなってしまうのだとしても。

 世界が終わるまで、彼を守るのだ。







 その遺跡は、本来そこには見えない。その時が来るまで、認識される事はないのだ。

 でも、幾つかの例外でそれを無力化する事も出来る。開かれた遺跡の門を、《プレア》は堂々と潜り抜けていく。

 進むごとに重力が生じ、その分身体が重く感じられる。石畳が敷かれ、石柱が点在している様を横目で見ながら、黙って目的地を目指す。

 ここの最奥にあの子が眠っている。自分が眠っていたように、目覚めの時をじっと待っているのだろう。《プレア》の内側で、その少女は自分がやろうとしている事の意味を考える。

 出来れば、何も知らないまま眠っていて欲しい。だから、今ここで。

 覚悟を決めた筈なのに、まだ自分は迷っているのだろうか。そんな事を考えている内に、ここへ辿り着いてしまった。一本道である遺跡の突き当たりに到着し、《プレア》の右腕をその壁に突き付ける。

 この程度の壁なら、一息に焼き払える。その奥に眠っているだろうあの子も、一瞬で消え去るだろう。あの子は私を恨むのだろうか。それなら、それでもいいのだけど。

「ごめんね、フィル」

 だから、そう一言だけ呟いた。そして、いつものように粒子砲を撃とうと右手に力を込める。

 自分を慕ってくれているあの子を、この手で亡き者にする為に。

 迷いも躊躇いもあった。自分のやろうとしている事が、あまりにも非道だという事も。ちゃんと理解しているつもりでいた。

 それでも手は震え、だというのにやっぱり、ごめんとだけ呟いて力を込める。

「……あれ?」

 そこで、全ての武装がオフラインになっている事に気付いた。一切の攻撃が出来ない。

「《プレア》、貴方なの?」

 問い掛けるも、返ってきた答えは否定だった。《プレア》が意図的に切断した訳ではない。じゃあ、これは。

 背筋に嫌な感覚を覚え、その感覚を拾った《プレア》が背後を振り返る。

 いつの間に、そこにいたのだろうか。《プレア》とよく似た機体が、そこには立っていた。

 基本的なデザインは、《プレア》とあまり変わらないだろう。しかし、細く華奢な《プレア》に比べると、その機体は逞しく力強い。その為、より騎士然とした印象を見る者に与えるだろう。

 そして最も特徴的なのは、背中を占有している装備だ。それはあまりにも特異で、どうしても目に留まる。外套、と表現すればいいのだろうか。

 それらは、一メートル程の小さなプレートで形成されていた。その菱形のプレートが組み合わさり、背中をマントのように覆っている。その佇まいは、まさに鎧の上から外套をまとった騎士そのものだ。

「《スレイド》。どうして貴方が、ここに」

 記憶を探り当て、その騎士の名を言い放つ。あの子の用いるプライア・スティエート、討滅騎士《スレイド》だ。

 《プレア》の状態を確かめるも、やはり武装は使えない。《スレイド》がいる事によって、この場の優位者があの子に変わったのだ。

 《スレイド》の装甲は黒いままだった。まだ、あの子が乗っている訳ではない。

 ここで《スレイド》を倒せば、こちらが優位を取れる。そうすれば、《プレア》の武装が使えるようになるだろう。そう判断した瞬間に、《スレイド》は動いていた。

 石畳が粉砕される音が、操縦席まで聞こえてくるようだった。いや、《プレア》の感覚でそれを見ているのだから、私は事実その音を聞いたのだ。目の前の《スレイド》が、身を屈めてこちらに詰め寄る。距離は既に至近、武装は使えない。それでも、その胴を薙ぐように《プレア》の脚を振り抜いた。

 《プレア》の脚は鋭く、蹴りだけでも的中すれば致命傷を取れる。詰め寄ろうとしていた《スレイド》に与えられた回避の機会は、コンマ数秒にも満たなかっただろう。

「……う」

 満たなかった筈なのだ。《スレイド》はこれ以上にないタイミングで跳躍し、胴を狙った《プレア》の蹴りを避けた。

 避けただけではない。今の跳躍により、《スレイド》は自身の間合いまで滑り込んだ。跳躍の勢いのまま、《スレイド》は右の拳を《プレア》の胴に叩き付けた。

 それは、蹴りの姿勢を取っていた《プレア》に避けられる一撃ではない。

「ぐ……!」

 そのくぐもった情けない声が、自分の物だと気付くまでに多少の時間が必要だった。操縦席に座っている自分自身の身体を知覚し、やられたと歯噛みする。今の強打は、《プレア》を狙った物ではない。私を狙っていたのだ。

 一瞬とはいえ、意識が断絶してしまった。《プレア》とのリンクは途切れてしまっている。《プレア》の目を通して見えていた光景が消え、暗い操縦席のぼやけた視界に戻されてしまった。

 急いでリンクを繋ぎ直し、体勢を立て直そうと試みたが。その一瞬という時間は、あまりにも長かったのだろう。

 《プレア》の感覚と同調し、その目で状況を見た時には全てが遅かった。

 《プレア》は、《スレイド》に拘束されていた。《スレイド》の左腕は《プレア》の首を押さえつけ、壁に押しやっている。《プレア》は姿勢を崩されており、《スレイド》を見上げているような状態だった。この体勢からでは、蹴り上げる事も出来ない。

 それに加え、《スレイド》の右腕は《プレア》の胴を狙っていた。先程は展開していなかった実体剣が、ここに突き付けられている。《スレイド》の両肘には、実体剣が装備されているのだ。普段は、肘から手の甲の間に格納されている。その実体剣が、今は展開されて操縦席に突きつけられていた。

 少しでも動けば、抵抗すれば。迷いなく殺すと《スレイド》は告げている。

「貴方も……変わらないよね、《スレイド》」

 あの子を守り、あの子の為だけに戦うように。あの子の意のままに操られている。そして、それら全てを分かっていながら。《スレイド》はただ従うのだ。

「分かってるよ、《プレア》。無駄な事なんてしないもの」

 苦言を呈する《プレア》にそう返し、それでも反撃の機会がないか注意深く周囲を窺う。

 しかし、《スレイド》がそんな隙を見せる筈もなく。くすくすと笑う声が聞こえた時点で、私は間に合わなかったのだと。敗北を知らされたのだ。

「久しぶり、お姉ちゃん。私を迎えに来てくれたの?」

 目の前の状況などまったく意に介さず、あの子はそう言った。《プレア》の目を通してその姿を確認し、唇を噛み締める。

 自分と瓜二つの少女が、楽しそうにこちらを見上げていた。死人のような白い肌も、不気味な赤い目も。唯一、髪の色だけが瑞々しい黒だった。それ以外に違う場所なんて、誰にも見つける事は出来ないだろう。私だって見つけられない。

 体の線がはっきりと出てしまう、専用の装束を身にまとっている。トゥニカ・レヴと呼称されるあの装束は、自身と騎士の結び付きを強固にしてくれるのだ。

 こうして客観的に装束を見ると、確かに少し恥ずかしいかも知れない。私も同じような体格なので、リオからはこういう風に見えていたのだろうか。それはちょっと、少しだけ困るというか、何というか。

 頭を振って、緩みかけた意識をしっかりと持ち直す。私が現実逃避していたら始まらない。

「嬉しいなあ、私ね。起きると大体一人だから。お姉ちゃんから来てくれるなんて、本当に珍しいよね」

 普通ならば、この状況を見て色々と察する事が出来る筈だ。自身の騎士、《スレイド》が《プレア》を拘束している。可愛い妹を迎えに来た姉の姿とは、似ても似つかない状況なのに。

「やっぱり、何だかんだ言ってお姉ちゃんも寂しかったりするんでしょ? 私なんてね、夢の中でもお姉ちゃんを探してたんだから」

 あの子はいつもこうなのだ。自分の都合のいい物しか見えない、見ようとしない。多分もう、どこかが致命的に壊れているのだ。それを認めたくないから、こうして自分の見たい物だけを見ている。

「……フィル。目が覚めたのなら、《スレイド》に退くように言って」

 あの子の名前を口に出す。フィル・エクゼス、討滅騎士《スレイド》の主であり、私の妹らしい。自分の物ではない記憶が、そう伝えてくれる。

「あれ、《スレイド》じゃない。早い到着ね、ご苦労様」

 今気付いたと言わんばかりに、フィルは《スレイド》に話し掛ける。演技でも何でもない。フィルは本当に、今気付いたのだ。主の危機に駆け付けたというのに、《スレイド》はさぞがっかりしているだろう。

「もう、《スレイド》ったら変なの。いいから退きなさいな。私のお姉ちゃんなんだよ?」

 《スレイド》はフィルに逆らうような事はしない。大人しく《プレア》を離し、一歩引いて見せた。実体剣を格納していたが、その実抵抗すればすぐさま反撃に転じるだろう。《スレイド》は、油断せずにこちらの動向を探っている。

「お姉ちゃんが私を殺す筈ないでしょう? 私のお姉ちゃんなんだから。だってそうでしょ、お姉ちゃんに殺されたら、私本当に死んじゃうもの」

 フィルはそう言うと、《スレイド》に向かって歩き出した。倒すなら、今しかない。しかし、手段を考える間もなく《プレア》が制止してきた。言われるまでもない。《スレイド》がこちらを警戒している以上、動いた瞬間に斬り捨てられる。

 《スレイド》がここに駆け付けた時点で、もうフィルに手は出せなくなったのだ。

「大したものね、《スレイド》」

 目の前でこちらを見据えている《スレイド》に、浮かんだままの憎まれ口を叩いてみる。《スレイド》は肯定も否定もせず、無駄口を叩くなとだけ伝えてきた。

 何の抵抗も出来ない。フィルは《スレイド》に辿り着き、差し出された手の上に乗った。そのまま操縦席へと誘われていく。

 隙だらけに見えても、《スレイド》ならこちらに反撃してくるだろう。結局、ただ見守る事しか出来なかった。

 《スレイド》の装甲が、赤黒く染まっていく。フィルと同調したのだ。深紅に染まった《スレイド》が、こちらに背を向ける。

『さ、お姉ちゃん。目が覚めてしまったから、仕方がないよね。私達は私達で、やらなきゃいけない事ををしなくちゃ』

 フィルの声が脳裏に響く。通信機器を介さずに、相手に声を届ける手段だ。どうやっているのかは分からないが、確かにそういう物もあったような気がする。

「……そうだね。出来る事をしなくちゃ」

 出口へと進んでいく《スレイド》の背中を、じっと見据えながらそう返す。

 《スレイド》と合流したフィルを倒す事は出来ない。フィルはともかく、《スレイド》は群を抜いて強い。機動力を活かせる宙域で戦ったとしても、私では届かないだろう。

 こうなってしまった以上、出来る事は一つだけ。フィルを《アマデウス》に近付ける訳にはいかない。だから。

「外は私が案内するから。ちゃんとついてきてよ、フィル」

 フィルを《アマデウス》から遠ざける。今私に出来る事は、それぐらいしかないだろう。

『うん! お姉ちゃんについて行く!』

 無邪気に返してくるフィルに、一抹の罪悪感を覚えながら。それでも、たった一つの願いは揺るがない。そこにいる人は、もう決まっているのだ。

「……そう、いえば」

 自身の左手をちらと見て、何もない薬指を視界に入れる。セイルがずっと探してくれていたらしいが、渡される事はなかった。

 消えてしまった約束の証を想い、沈んでいく心がその残滓を思い描く。リオはまだ、付けてくれているのだろうか。もしそうだとしたら、凄く嬉しいのだけど。

「私のエンゲージリング。もう、見つかったのかな……」

 小さく呟くも、返答する者も答えを知る者もおらず。

 ただ、胸を締め付けるような感情がこみ上げてくるだけだった。

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