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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「青嵐と窮愁」
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墓曝きの手



 迷いがなかった訳ではない。むしろ迷ってばかりだったが、そういう時に限って準備はスムーズに終わる物だ。セイルは役に立たない電子カルテを机の上に放り投げ、溜息を吐いた。

 部屋の中央には、大がかりな装置が横たわっている。見た目だけを捉えれば、MRIやCTスキャンに酷似しているが。試験段階故に名前はまだない。これで被験体の脳に電子的な干渉を行い、記憶の可視化と観測を目指す。

 何人かの技術者が装置を囲い、細かく出力等を調整していた。

「セイル・ウェント博士。最低限の設備機能を残し、カーディナルのメモリを全て解放しました。多少過剰かも知れませんが、前例がありませんし」

 助手の一人が傍らに佇み、最後の準備が整った事を知らせた。もう後戻りは出来ない。

「人の一生を八十年と仮定すれば、カーディナルの全メモリには一体どれぐらいの人生が入るのか。そう考えれば、確かに過剰だろうけど」

 ましてや、相手は人生を全うしていない少女だ。メモリ量だけならお釣りがくる。

「失敗が出来ない以上、最善以上を尽くすのが定石ね。それでいいと思うわ」

 そう助手に答え、セイルはコンソールを操作して状態を確認した。充分以上のメモリ量、計算に計算を重ねたプログラム、緊急事態に備えた人員、全てが水準以上と言える。

「ミサキ?」

 確認を終えたセイルは、部屋の端で待機しているミサキに声を掛ける。ミサキは頷き、ぽんと腰のホルスターを叩いた。

 選りすぐりの技術者に医療者を集めている。これ以上の最善は、望めない筈だ。

「被験体の様子は?」

 セイルがそう問い掛けると、助手がコンソールで確認する。

「異常なしです。施術に問題はないかと」

「では、彼女をここに。到着次第開始するわ」

 指示を受け、何人かの警備兵が外に出て行く。その中にはミサキの姿も見受けられた。

 後はトワの到着を待って、施術をすればいい。施術といっても、頭を直接開く訳ではない。プログラミングに従って装置を動かすので、正確には施術と言って良いものか怪しいが。便宜上施術で統一しているのだ。

 そんな事を考えながら、セイルはじっとトワの到着を待つ。嫌に緊張している自身の心奥に苦笑しながら、頭の中で成功を思い描く。

 まずはこの施術を成功させる。そうしたら、少しだけ未来も見えてくるのかも知れない。都合の悪い現実が顔を見せる前に、セイルは目の前の事だけに集中する。

 扉がスライドし、思案の時間が終わった事をセイルに伝えた。これから先はもう、結果を手繰り寄せる事しか出来ない。

「……来たのね」

 セイルは呟き、来訪者達を見据える。警備兵に囲まれて、トワがよく分からないといった様子で周囲を窺っていた。両手は拘束されており、少し不自由そうだ。

 ミサキは一歩退いた位置からそれを監視しており、いざとなればいつでも銃を抜けるようにしていた。

 セイルは警備兵に、離れてもいいと手振りで伝える。トワは拘束を解かれ、自由になった両手を眺めていた。

「トワ。見えてる?」

 そんなトワに近付きながら、セイルはそう話し掛ける。人影と声で判断したのか、トワは目を細めてこちらを見つける。視力矯正すればいいのに。

「ぼやっとしてよく分からないけどセイルでしょ? 沢山いるとちょっと分かりづらいけど」

 いつもと変わらない、あっけらかんとした様子でトワはそう言った。緊張も何もしていない。これから何が起きるのかも、よく分かっていないのだろう。

「前にも言ったけど、貴方の記憶を取り戻すわ。今からそこで、少し寝て貰うから」

 装置を指差しながら、セイルは説明していく。

「ふうん。寝るのは得意だけど」

 いつもと変わらない、ちょっと大分抜けているトワだ。その様子に少し安堵しながら、セイルは寝転がるように促す。

「あ、ねえセイル。この格好でいいの?」

 大人しく装置に横たわるかと思いきや、がばと上体を起こしてそんな事を聞いてきた。

 渡しておいた丈の長いニットセーターから、タイツに包まれた足が覗いている。やっぱりスカートは穿いていない。この子は、人のアドバイスは全然聞かないタイプである。

「その格好でいいです。作用するのは頭から上ですし。開腹する訳じゃないですし」

 ふうん、と呟きトワは横たわる。本当にマイペースな。

 セイルは手振りで、麻酔処置をするように指示する。意識消失させてからではないと、安定した結果が得られないからだ。簡易麻酔なら、麻酔効果の発生も早く副作用も少ない。

 慣れた手付きで麻酔処理は進んでいく。トワの状態を確認する為、身体に幾つかの検査機器や、酸素マスクが付けられていった。

 医療者がトワに麻酔処置を施している間、セイルはその様子をじっと見ていた。もう確認すべき事はないから、じっとトワを見ていたのだ。

 その視線に気付いたのか。トワはセイルの方を見ると、少しだけ不安そうな表情を見せた。

 麻酔の効果が表れ始めている。ゆっくりと目を閉じながら、トワは小さく何かを呟いていた。

 セイルは近付き、何を言っているのか聞き取ろうとした。耳元を近付け、漏れ出す吐息のような声を聞き分ける。

 それは短い言葉だが、辛うじて聞き取る事が出来た。セイルはトワから離れ、その言葉を呟く。

「……殻の、外に。あの子が」

 確か、そう言っていた気がするのだが。殻の外、あの子。どちらも、トワから聞いた事のない単語だ。

 トワの失われた記憶が、意識消失と同時に浮上しているのだろうか。それならば、むしろ好都合かも知れない。

「麻酔効果、規定値を確認」

 医療者の報告を受け、セイルは意識を切り替える。どちらにせよ、これから分かる事だ。

「では、これより施術を開始します。システム起動、プログラムAで運用を」

 指示を出し、セイル自身もコンソールを覗き込む。装置が低い唸り声を上げながら、横たわるトワの頭だけを飲み込んでいく。

「全動作異常なし。プログラムAに基づいて記憶にアクセスします」

 プログラムAは、要するに負荷テストだ。少しずつ記憶に踏み込んで、その反応を探る為の干渉である。

「拒否反応等ありません、負荷も最小レベルですね。セイル博士、どうされますか?」

 コンソールを操作している技術者が、そう問い掛けてきた。セイルは少し考え、それでも慎重に行こうと方針を決めた。

「予定通りに進行します。プログラムA2を使用、表層記憶で試してみましょう」

 そう指示を飛ばし、セイルは変化する数字を目で追っていく。プログラムA2の段階で、記憶の可視化と観測を実行する。しかし、これは表層にある記憶だ。先程までのやり取りとか、印象深い思い出とか。そういった類の、本人も記憶している事柄に過ぎない。だが、まずはここで成功してから次へ進む。慎重に事を進めるのだ。

「プログラムA2、実行。表層記憶のプリントに移行」

 上下していく数字に不安を覚えながらも、大丈夫だという自負があった。ここまでは、何の問題もない筈だ。

「表層記憶のプリント、問題ありません。負荷レベルも変化せず」

「変化せず?」

 セイルは、思わずそう聞き返していた。表層記憶といっても、ある程度の負荷は掛かる筈だ。

「ええ、変化見受けられません。理由までは不明ですが」

 そんな事があり得るのだろうか。セイルは過去の事例を頭の中でひっくり返し、同じような光景を探す。同じ物はない。ならば、類似した事例から探る。今度は、何件か心当たりがあった。

「慣れてる、って事かしら。連続負荷テストの際に、初期反応よりも負荷レベルは低下していったのを覚えてる。この被験体は、こういった干渉に慣れているのかも」

 《アマデウス》で同じような処置をした? いや、あり得ない。これはカーディナルだからこそ出来る処置だ。となると、医療的なアプローチで発生している干渉ではない。では、やはり。トワの持つ力は。

「セイル博士、どうされますか? プログラムA2は、まもなく所定の動作を終了します」

 今考える事ではない。思考を中断し、セイルはコンソールの数字と横たわっているトワを交互に見た。

 これなら、想定以上の結果を得られるかも知れない。

「プログラムBの実行を。ここからが本番よ。小さな変化も見逃さないで」

 プログラムBの時点で、深層記憶の方にアクセスを開始する。トワが忘れてしまった記憶や、破棄した筈の記憶を、ここから探るのだ。

「プログラムB、実行。深層記憶のプリントを開始します。あ!」

 何事かとセイルはコンソールを覗き込む。しかし、主立った変化は見て取れない。どうしたのか問う目を向けると、声を上げた技術者が迷いながら話し始めた。

「いえ、今一瞬だけ、負荷レベルが振り切れたように見えたのですが。すぐに正常値に。今は安定しています」

 気のせいではないだろう。ここにいる人員は、その道のプロだ。となると、一瞬だけ負荷レベルが最高値まで上がったという事になる。

「今は問題ないのね?」

「はい、安定しています」

 気にならない訳ではないが、止める理由にはならない。ここで留まっている訳にもいかないのだ。

「では、実行を続けて。警戒は怠らないで」

 トワの隠し持つ深層記憶へ、ゆっくりと干渉の根を広げていく。ここまで来れば、後は何の問題もない。目当ての深層記憶を、カーディナルのメモリーが許す限り複製する。

「プログラムB、正常に進行中。並行してプログラムCを実行、記憶の計測と複製準備に入ります」

 セイルは頷き、その時を固唾を飲んで見守る。

「プログラムC、正常に進行。可視化及び観測成功」

 報告と同時に、部屋の輝度が少し上がったように思えた。それは、何も精神面から来る感想ではない。コンソールが映す物は、それだけ明るいのだ。

 コンソールに映し出された光の奔流は、記憶の可視化と計測の結果である。それぞれがうねるようにして絡み合い、一つの記憶を形作る。やっと、ここまで手が届いた。

「さあ、トワ。貴方の無くした物はどれ?」

 小さな声でセイルは呟き、その光の奔流を愛おしげに見つめていた。

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