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刃‐ブレイド 悠久ニ果テヌ花  作者: 秋久 麻衣
「青嵐と窮愁」
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悪魔の意思



 白亜の牢獄の中で、トワはいつもと同じように過ごしていた。寝起きが悪いのは相変わらずだが、まあご機嫌な方だろう。

「それで、その時にリオがね」

 懐かしげに話をするトワに相づちを返しながら、セイルは何をしているのだろうと自問自答する。

 こうして足繁くトワの元に通って、情報収集と称して話をしていた。得られる情報なんて微々たる物だ。

 分かった事は少ない。未知の能力は未知のまま、その輪郭すら見えてこなかった。トワ曰く、自然とそうなっちゃうと言っていたが、これだけではどうしようもない。感覚的に使っている能力と仮定すると、解明は難しいだろう。

 雇い主であるクライヴ・ロウフィード、通称ミスター・ガロットへの報告書も当然まとまっていない。こんなふわふわした答えを記載すれば、もれなく私の首が飛ぶ。

 だから、多少は無理な処置をしてでも。何らかの答えを得る必要があった。だというのに、こうしてトワの話に耳を傾けている。自分の事だ、誰に聞くまでもなく分かっていると、セイルはその結論に辿り着く。

 まともでなくなった自分が、どこかで無くしてしまった物が。今ここにあるのかも知れないのだ。

「……どうしたの、セイル」

 トワの心配そうな声が耳に入り、セイルは急ぎその結論をしまい込む。もう引き返せない所に自分はいるのに。今更、まともな振りをしようなんて。

「別に。ほら、貴方の話って内容の九割がリオに対する事でしょう。私が興味があるのは貴方の事だから」

 元彼の話を延々と聞かされている今彼の気分、という奴か。いや、その例えはおかしいかもとセイルは自嘲する。私は今彼じゃないし女性だし。今、もうちょっと深刻な事を考えていた筈だし。

「そう言われても。私、他はあんまり知らないの」

 教育方針極端過ぎるでしょうと、セイルは顔をしかめる。いやこの場合は、学ぶ側の意欲の問題なのか。

「そんな事はないでしょう。自分の家族の事とか、そういうのとか」

 セイルの言葉を受け、トワはじっと考える。何かを思い出そうと、必死に記憶を探っているのだ。そしてこくりと頷くと、神妙そうにセイルの顔を覗き込んだ。

「それ、リオの話に繋がってくるかも」

「ねえ、それ貴方のさじ加減じゃないの? 全部の話題をリオにすり替えるプロなの?」

 そうセイルが返すと、トワは少し迷った末に頷いた。どうやらその筋のプロだったようだ。それなら仕方がない。いや、仕方がないのか?

「とにかく、リオについてはもういいから。そうね、そのリオと出会う前の貴方については?」

 セイルが話題を変える為、そんな質問を投げ掛ける。トワは少し困ったように微笑むと、首を横に振った。

「なんだかね、よく覚えてないんだ。でもね、空っぽじゃないと思うの。何かはあるんだと思うけど。それが、どうやっても思い出せない」

 目を伏せ、トワは小さく溜息を吐く。

「リオにも聞かれたんだ。一体何者なのって。私も思ったもの、私は一体誰なのって」

 トワはセイルに向き合うと、寂しげに微笑んだ。目の端が微かに濡れており、それがトワにとって何か致命的な傷になっているのだと感じ取れた。

「……それさえ分かっていたら、私も。ちゃんとリオと一緒にいられたのかな」

 小さく呟いたその言葉は、誰に宛てた物でもない。多分何度も繰り返してきた、どうしようもない質問の答えだ。どうすれば、あの幸せな日々に戻れるのだろうと、少女が考えた末の答え。

 記憶、トワがトワとして目覚める前の光景、それがもし、まだこの頭の中の残っているのだとしたら。

 セイルの脳裏に一つの仮説が浮かび、答えを導く事に長けた頭がそれに肉付けをしていく。

「空っぽじゃない、仮に記憶があるのだとしたら。繋がっていないだけだとしたら」

 もしかしたら、あの技術で何とか出来るかも知れない。試験段階で実用化にはまだ程遠いが、何かのきっかけにはなるかも知れない。

 セイルは頭の中で試算を済ませ、その論理が間違っていない事を何度も確かめる。綻びはない。理屈としても合っている。トワの記憶を辿る事によって、ミスター・ガロットの求める情報が手に入るかも知れない。

 それに何より、自分の手で助けられるかも知れない。この少女の役に、立てるのかも知れない。

「ねえ、私」

 セイルは囁くように呟き、トワの手を取る。

「貴方の無くした物を、取り戻せるかも知れない」

 何を言われているのか分からないのか、トワは不思議そうに首を傾げていた。







 セイルは自身の研究室で、自分の理論が間違っていない事を再確認する。何度確認しても、これが最良に思えた。

 記憶に関する研究は、まだそれほど発展していない。だが、それは手詰まりを意味する物ではなかった。優先順位が低いのだ。例えば、記憶を電子的な手段で観測できたとして、今は役に立たない。ミスター・ガロットの求めている技術は、戦場で活用出来る物に限られている。

 だから、私の知識とカーディナルの設備を用いれば。トワの頭の中を暴けるかも知れない。

 セイルはそう考え、間違ってはいないと頷く。実用化はまだ先だろうが、そういった技術はある。記憶の可視化と観測は、充分に機能する筈だ。

 それによって、トワが直接記憶を思い出す事は少ないだろうが。自身が忘れていた何かを、取り戻すきっかけにはなるだろう。

「そうすれば。もしかしたら、私を」

 セイルは呟き、しかし頭を振ってその甘えを捨てる。そんな事は考えずに、施術の事だけを煮詰めなければ。これは危険な技術でもある。電子的な干渉で、脳の記憶をデータ化するのだ。特性上、記憶の複製を目指してはいるが。失敗すれば、記憶を削り取る事態もあり得る。

 一度際限なく行使してみた事があるが、もれなく廃人が出来上がってしまった。あれの二の舞は避けなければいけない。

 脳に与える負荷を最小限に抑え、必要な記憶だけを取り出していく。そういった、繊細な施術になるだろう。万全な状態で臨むため、事前の計算は幾らやってもやりすぎという事はない。

 細かく干渉量の調整を行い、それと並行して各部署に機材の準備と人材の選抜を命じる。カーディナルでは、これといった上下関係はない。各部門にトップは存在するが、それぞれがそれぞれの研究の為に独走している。そして、必要な時だけこうして召集するのだ。今回は私が集めるが、場合によっては私が呼ばれる。持ちつ持たれつ、という奴だ。

 順当に行けば、数時間後には準備が整う。あとは、トワ自身の体調と精神状態を考慮して施術を開始する。それで、この件は片が付くだろう。ミスター・ガロットへの報告には充分な結果が得られるだろうし、トワも自分自身を取り戻す。

 そこまで考えて、セイルの手がぴたりと止まる。

 トワは、どうするのだろうか。自分自身を取り戻した後に、胸を張ってみんなの所へ戻るのだろうか。自分は、果たしてそれを望んでいるのだろうか。

 私の望みはどちらにあるのだろうか。そんな自問自答が首をもたげたからだろう。集中が途切れ、ノックの音が聞こえた。どうぞと答え、入室してくる人影を見据える。

「ねえ、セイル。本当にそれをやるの?」

 入ってくるなり、ミサキはそう苦言を呈した。いや、苦言と感じるのは自分のせいだと、セイルは顔を背ける。柄にもなく迷っているから、正論を苦言と読み取ってしまう。

 ミサキに言われるまでもなく、これは分の悪い賭けだ。分かっている。

「貴方は、やめた方がいいと思うの?」

 セイルはミサキにそう問い掛ける。ミサキは頷くと、表示しておいたデータの海を見据えた。言うまでもなく、トワの情報だ。

「セイルなら分かっていると思うけど。そいつが大人しくしているのは、他に行くところがないからだよ。囲い込むのなら、今のままが一番だ。セイルが欲しいのは情報なんかじゃない。それは」

「待って、やめて。分かってるから、それだけは言わないで」

 すらすらと心を暴いていくミサキを止める為、セイルは有無を言わさずにそれを遮る。ミサキは押し黙り、ならどうするのかと目で問い掛けていた。

「施術はやります。私達はミスター・ガロットに成果を報告しなければいけないし、今のままでは白紙のそれを提出する羽目になる。そうなれば、私も貴方もおしまいよ」

 表向きの理由、自分を納得させる為の方便はすらすらと出てくる。完全な嘘ではない。でも、一番上にある本音でもない。

「セイル、俺はね。本音を言えば今すぐ殺した方が良いと思う。それは、俺の中では変わらない。情報が欲しいなら、身動き出来ないような身体にしてから施術して、取るだけ取ったら処分する。それが一番だと思ってる」

 それは、そうだろう。トワが本気で反抗したら、捕らえておくのは難しいかも知れない。今までの情報から、それははっきりとしている。だから、ミサキの判断は間違いではない。身動き出来ないようにして、飼い殺しにする。それはそれで、悪くないような気もするけれど。

「それでもセイルは、それをやるの? 自分が欲しがってる物を、わざわざ手放すの?」

 ミサキが正しいと、セイルは顔を伏せた。今、トワがここにいるのは私が一番だからではない。トワの記憶を取り戻す手助けをするという事は、トワを失うきっかけにもなり得る。

 そう、だから。分の悪い賭けなのだ。自分自身を取り戻しても、トワが私を見てくれるかなんて。答えは決まりきっているような物だ。

「……おかしい、でしょう。今更、こんな事をしたって。何も変わらないし、報えない」

 顔を伏せたまま、セイルは話し始める。ずっとしまい込んでいた言葉が、口から自然とこぼれていくように。

「でも、役に立ちたいって思ったから。あの子なら、あの子だったら。もしかしたら、私を」

 セイルは顔を上げ、呆れているだろうミサキの顔を見る。予想に反して、ミサキは呆れてはいなかった。その表情には微かな逡巡と、小さな諦めが見て取れたけど。

「反対するけど、止めはしないよ。セイルの好きにするといい。俺のやる事は変わらない」

 ミサキの答えはいつもと変わらない。この期に及んでも、変わらずにいてくれる。それは、素直に有り難かった。

 メッセージの受信を知らせる電子音が鳴る。コンソールに表示されたそれを見ると、準備完了までの暫定時刻が記載されていた。さすがに仕事が早い。

「……予定通り行うわ。カーディナルの全システムを解析に回すから、警備は人の手でやらないと。貴方にも、協力して貰うから」

 そう言い放ち、セイルはコンソールに向き直る。メッセージの返信を済ませ、再び計算を始めた。こればかりは失敗が許されない。それに、何かに熱中していれば多少は気が紛れる。

「いいよ、セイル。最後のその時まで、俺は君を守るから」

 そんなミサキの独白を聞き流しながら、セイルは電子キーボードを打ち続けた。

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