1 前川莉子
「莉子、起きてるかい」
近付いてくる文化祭に浮き立つ教室で、仕事もせずに突っ伏していると声を掛けられた。
「ごめんなさいちゃんと仕事します……って浅葉か」
「暇なら僕についてきてくれないかな。下の自動販売機でジュースを買うんだ。もちろん奢るから」
「行く行く行くっ! でもなんで? 勝手に買ってくればいいじゃん」
「だって今日莉子の誕生日だろ?」
さっすが浅葉。
見上げてにっと笑うと、浅葉は少しはにかんだ。
浅葉の手を引っ張って、自動販売機の前に立つ。
自動販売機前のテーブルでは、真剣な顔をした男女二人組が書類を散乱させて、体育館がどうとか椅子が足りないとか照明が暗いとか、終いにはこのままだと出場団体が足りないから会員に何かやらせて司会は二人でやるしかないとか、全く関係ない私が聞いていても心配になってくるような会話をしている。どうやら文化祭のステージ関連の話らしい。生徒会だか何だか知らないが、頑張ってくれないと文化祭が台無しだ。
ぼーっとしていると、浅葉に小突かれた。
「なにがいい?」
「なんでもいいやー。浅葉が決めてよ。私の誕生日プレゼントでしょ」
学校の自動販売機とは言えどもバリエーションが豊富で、選ぶのが大変なのだ。
「とか言いながらコーヒーは苦くて飲めないだの、これは甘すぎるだの、緑茶はセンスが無いだの、散々文句言うんだよな。ったく莉子はほんとに……」
「なんか言ったー?」
「はい何も言っておりません」
背中を向けながらこえー、と呟いたように聞こえたのは、絶対に気のせいだ。
「ねえねえ、文化祭本当に大丈夫なの。さっき話してたのを聞いたけど、ステージの出場団体が足りないんだって」
散々迷いに迷った挙句、私に飲むヨーグルトを手渡してくれた浅葉に聞いてみる。
「知ってる。そのせいで僕は大変な目に遭うことが決定したんだ……」
関係者だったらしい。
「ふうん、何やるの?」
恨めしい目つきをして浅葉は一息に言った。
「ド素人劇の王子様役なんだ! 僕は王子様になんかなれないよ! そもそも性別違うし!」
彼女の名前は浅葉麻衣、私の友人だ。
さらさらのベリーショートや、背の高さ、一人称が「僕」であることなどからよく男子に間違えられるが、れっきとした女の子である。ネクタイではなく赤いリボン、長ズボンではなくミニスカートを履いて、私の隣に立ってブラックコーヒーを啜っている。
整った横顔を眺めながら思う。王子様にはうってつけの人材だ。
「仕方がないんじゃない? きっとかっこいい男子がいなかったんだよ。髪型だって話し方だって一人称だって、ぴったりだと思う」
浅葉がコーヒーを噴き出した。もったいないことをするな。
「失礼だな! 僕は中身の話をしているんだよ!」
どうやら失礼なことを言ってしまったらしい。こう見えて浅葉は繊細だ。お詫びに噴き出した床のコーヒーをティッシュで拭いてやる。
「……ごめんね」
「いや、床を拭いてくれたから許す」
「……うん」
飲み終わったパックを潰しながら、何を考えたのか浅葉は唐突に話し始めた。
「莉子に話したか忘れちゃったけれど、うちの親は厳格というか人間を型にはめたがる人でね、女は女らしくなんて、このご時世で平気な顔をして言うんだよ」
浅葉の腕が動く。潰されたパックは、数メートル先のゴミ箱に綺麗に収まって、淋しい音を立てた。
「僕はずっと、小さい頃習字とピアノをやらされていた。今となっては字を綺麗に書く人は羨ましいし、ピアノの上で滑らかに指を動かす人を見ると僕もこうなれたのかななんて思うけれど、あの頃の僕にとっては苦痛でしかなかった」
私は小さい頃近所の男の子を泣かせては母親に怒られていた。
「小学校の三年生くらいだったかな。僕は逃げ出したい一心でいろいろな事を試した。仮病を使ってみたり、今日は先生の都合で休みだって親に嘘をついてみたり。もちろん仮病は熱を測れば分かってしまうし、所詮小学生の低学年がつく嘘だ、すぐに辻褄が合わなくなって、結局成功したことは一回もなかった」
ちなみに私は小学三年生のころ、嫌いな教師にカエルを投げつけて怒られたことがある。
……だめだ、浅葉とは幼少期で経験したことが違いすぎる。
ストローを咥えた。きっちり冷えていたはずのヨーグルトはぬるくなっていて、少しもおいしくない。
「何度も何度も同じようなことを繰り返して、遂に両親に本気で怒られた。叫んだり喚いたり泣いたりしたところで通用する相手ではないから、ひたすら冷静に自分の言いたいことをぶつけていった」
浅葉も苦労していたんだな、とぼんやりと思った。前々から大人っぽい奴だとはずっと思っていたけれど。
「浅葉」
「まああっさりと見放されたって所かな。」
「浅葉」
「今はもう普通に親と話せるけど、親の教育方針とは対極な人間になってしまったね。……なんで僕がこんななのかすっきりしただろう?」
「ねえ浅葉、人の話聞いてよ。あんた何言ってんの」
「え?」
「別にショートカットの女の子だって珍しくないし、僕っ娘もわんさかいるよ。そんなのどうだって良かったし、別に気になってなかったよ、最初から。自分が思っているより周りは気にしちゃいないって」
浅葉は驚いた顔をした後、ふっと笑った。
「僕は考えすぎだったみたいだ。自分は自分だと開き直っていた癖に表面では仲良くしてくれていても変な奴だと思われてないか心配だった」
「私変な奴だと思ったらお前変だよっていうもん。ばっかじゃないの浅葉、暗い」
「悪かった。勝手に勘違いして暗い話して。行こう。こんなに仕事をさぼっていると後に響く」
「うん」
ついて行くと、浅葉がいきなり振り向いた。
「そういえば莉子、君の誕生日って、本当に今日?」
「は? 今日の訳がないじゃん。来月よ来月」
次の瞬間、失言に気付いた。
冷たい空気が流れる。
私は無言で硬貨を差し出した。
ある学校の文化祭、をテーマに随分前に書いた小説を大幅に修正しました。
そもそも創作さえここ1年やっていなかったので、楽しかったです。
不定期ですが続きも書いていきたいと考えているので、見守ってやってください。
宜しくお願い致します。