紳士な電球
机の上のライトの下で、お読みください。
※擬人化(異形頭)が登場します。苦手な方はご遠慮ください。
八百万の神、九十九神。
この世の森羅万象には魂が宿る。
それを思えば、彼の存在も理解出来ようか。
「ルクスさん、本を読みたいのだけれど」
「お安いご用です、お嬢さん」
ルクス、と呼ばれた彼は机に座り長い足を組む。広い机には、彼と昔飼っていた犬の写真の二つだけ。彼はいつもの定位置に着き、いつもと同じ明るさで、本を開く私の手元を照らしてくれる。
「いかがですか?お嬢さん」
「大丈夫だよ。あなたは見える?」
「見えますよ」
大丈夫。あなたは何も言わなくても、ちゃんと本に影が落ちない場所に座り、目の疲れない明るさの灯りをともしてくれるから。
「今日はどんなものをお読みになるのですか?」
「恋愛物」
「泣けますか?」
「あらすじを知らないから分からない。……泣いてもいいよ?」
「わたくしは、泣きません!貴方が泣くかもしれないのならば、ティッシュペーパーを用意しようと思ったまででございます」
「気が利くんだね」
「滅相もございません」
ふふふ、と笑う私につられて、灯りが揺らめいた。
分かりやすい人ね、と見上げると彼の頭が視界に入る。
眩しさに思わず目を細めると、彼の大きな暖かい手が私の目を隠した。
「わたくしのことを直に見るのはお止めください。残像が残ってしまったでしょう?これから本を読むというのに」
閉ざされた黒い視界には、彼の姿が焼き付いている。
オレンジ色の光は、彼の光。
手を退かせて、彼の胸元あたりを見る。
ノーネクタイのスーツ姿、手と足の長い身体。立てば二メートル近い身長になる彼は、本来の頭の代わりに大きな丸い電球が嵌まっている。
「わたしくしは貴方の読書のためにいるのです。邪魔になるようなことはしたくない」
彼が私の机にあった読書灯だなんて、どうすれば信じられようか。
首の代わりにある、銀色の斜めに溝の入った場所を見ていると、困ったように傾いだ。困らせるつもりは、無かったのだけれど。
「邪魔だなんて、そんなことあるわけないじゃない。たまには姿を見たいだけ」
「ならば一言お願いします、お嬢さん。そうすれば明かりを暗くすることも出来るのに」
「今あなたを見たかったの」
「直に見るなど、眩しいばかりで良いことは一つもありません。どころか目に悪い。貴方を傷付けるなど、わたくしは絶対にいたしません!」
「大げさだなぁ。けどありがと。じゃあ読もっか?」
ページを開き、読み始める。
彼も一緒に読んでいて、物語の雰囲気に合わせた照明にしてくれる。
ふいにチカッと瞬くときは、彼の感情が大きく揺れ動いたときだ。同じときに私も驚くと、口を開いた瞬間に言葉が重なったときのような気恥ずかしさを覚えて、頬が弛む。目線は文字を追っていて下を向いたままだから、彼には絶対に気付かれない。
物語が終盤に差し掛かると、黒いインクの外側が明るくなったり暗くなったりと揺れ始めた。
いつものことか、としばらくそのままにしていたけれど、チカチカが激しくなり無視出来ないほどになってしまった。
「泣いたー」
「!?泣いておりません!」
「泣いてるー」
「泣いておりません!貴方こそ!」
「私は泣いていません」
「わたくしも泣いておりませんよ!」
灯りが俄に眩しくなり、強がっているのが分かった。
顔なんてないのに、目なんてないのに、表情なんてないのに、なんで彼のことはこんなに手に取るように分かるんだろう。
私がひひひ、と笑うと、彼は拗ねたように腕を組む。
「続き読もうか?」
「そうしましょう。良いところだったのですから!」
ページに目を落とすと、さっきより明るめに本を照らしている。泣いてないことを主張しているようだ。
むきになってるなぁ。
ふふふ、とまた私は隠れて笑う。
彼が現れたのはもう随分と前のことだった。確か小学生のときでは無かっただろうか。
小学校に入学するとき、普通の子どもは勉強机を買ってもらうようだが、私は違った。丁度パパが仕事用の机を買い替えようとしていたので、そのお下がりを貰うことになったのだ。実用的な飾り気のない広い机。別段、勉強机に固執していたわけでも無かったので、自分用の机を貰えたことだけで満足だった。この読書灯は、そのとき机と一緒に貰ったものだ。
アンティーク調の本体に裸電球が付いた灯り。シンプルでオシャレなそれを、パパが使っていたときから狙っていたのを気付かれていたらしい。
最初は声だった。
一人言に、答える声。
「……なんで……なんで…………」
机に臥せって、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。胸が詰まって、感情が溢れて、頭もいっぱいで。
涙混じりの声に、彼はいても立ってもいられなくなったのだろう。
「どうしたのですか?」
「……?!」
はっきりとした声が鼓膜を揺らした。
頭をブンブンと振って、身の回りを見るが何もいない。安堵しかけたところで、また声が。
「申し訳ありません。驚かすつもりは無いのです。ただ貴方のことが心配になっただけなのです」
「……どこ?」
「貴方の斜め前」
言われたところを見ると、弱い灯りの点いた読書灯があった。辺りはもう暗くなっていて、部屋の光源はこれしかない。柔らかな光に包まれた部屋。
「ライト?」
「そうです。わたくしは貴方を照らす読書灯でございます」
「しゃべった」
「暗い部屋で貴方を明るく照らすのは正しい在り方ですが、わたくしは貴方を心から明るく照らして差し上げたいのです。もしよろしければ、貴方を悲しませる理由をわたくしにお聞かせいただけないでしょうか?」
小学生の私にも丁寧な言い回しで、彼はそんな提案をする。昔から子ども扱いをしない彼。以前はもっと穏やかでゆったりとした口調だったことが、唯一の子ども扱いだろうか。
「あのね――」
どんな話をしたのかはもう覚えていない。忘れるくらいなのだから、きっと他愛ない些細なことだったはず。針の先が刺さったような小さな小さな、痛み。年を重ねた私にとってはもう忘れるほどのことなのに、子どもの私にとってはものすごく大きな問題だった。
「それはそれは。悲しかったのですね。ずっとつらかったのでしょう」
しっかりと最後まで耳を澄まして聞いていた彼は、笑うこともせず、軽んじることもせず、受け入れてくれた。
再び大声を上げて泣く私のそばに、彼は人の姿になって私と同じ目線にしゃがむ。
「貴方のことは、貴方の親御様よりもずっと近くで見守ってきました。わたくしはいつも貴方の理解者でありたい」
言い回しが難しくて、どういうことを言っているのか半分くらい分からなかったけれど、力強くて優しい気遣いは受け取れた。
彼を見る。
小さな光を頭に灯し、心配そうに私の顔を照らす。
人の身体を持つ彼に、驚くことは無かった。
私を悲しませはしないと肌で感じたから。
本を読み終わり、余韻に浸るルクス。
ルクスと言う呼び名も、初めて名前を聞いたときに「ルクスと呼ばれたことがあったような」という会話から決まった。単位だと後で知ったけど、それっぽいから採用。
「ルクスは本好きだね」
「貴方ほどではございません」
「涙もろいね」
「貴方ほどではござ――泣いておりません!」
「はいはい」
「本当ですよ!」
意地を張って必死に弁解しているのが、この上無く面白くてかわいい。
ひひひ、と私はルクスの前で笑った。
「わたくしは涙を流すことなど無いのですから!」
「はいはい」
「わたくしから水分が出るなど、まず有り得ません」
「そりゃそうですねー」
「……お嬢さん、気の無い返事はお止めくださいませ。悲しくなってしまいます!」
「え、ごめん!」
少しいじりすぎたか。
素直に謝ると、少し怒ったように一瞬光った。
机の上で本の表紙を撫でる。私は泣きはしなかったけれど、胸を熱くさせる小説だったことは間違いない。
「いいお話だったね」
「そうですね」
「特に主人公」
「ええ」
「こういう俺様系の人も良いよね」
「はい!?」
裏返りそうな声を出すルクス。過剰なリアクションが気に掛かったが、構わず私は続ける。
「強引でぶっきらぼうだけど、たまにしょげてるときとかに甘やかしてくれるような人。飴と鞭!って感じでいいよね」
「飴と鞭、ですか」
「そう!」
へへへ、と笑う私をルクスは理解しがたいらしく、首をひねる。表情があったなら、きっと眉間に何本も皺を寄せていることだろう。
「そうですか、ねぇ。確かにこの主人公は良かったですが……おや、もうこんな時間。お嬢さん、そろそろ寝ましょう」
私はベッドにもぐる。「おやすみ」というと、「良い夢を」と返ってきて、灯りがだんだん小さくなっていった。
授業が終わり、学校から帰ってくる。
扉を開けた。
親の帰りはいつも遅いし、ルクスはコンセントが届く場所でしか動けないので、家に入っても静かなものだ。
これでルクスがいなかったら、私は一体どんな気持ちで扉を開けることになっていたのだろう。
ダイニングにスーパーの袋を置くと、すぐに二階へ上がる。彼に帰ってきたことをいち早く知らさなければならない。
私の部屋はいつも遮光カーテンが閉められていた。いつもいつも、帰ってきた瞬間は最大出力で明るい彼。閉めていなかったら、ご近所さんには何事かと思われてしまうだろう。
待ってましたと言わんばかりで、そんな様子についかわいいなと思ってしまう。
「おかえり!ちょ、ちょっとそこ座れよ」
「……?ただいま」
「き、今日もお疲れさ、疲れただろ?」
「うわぁいつもより眩しい……」
「飴やるよ!」
「なんか間違ってる……」
今日のルクスはいつにも増して明るい。しかも様子がおかしい。
直視できないので、極力細く目を開けて彼の足元を見る。
「はい、ストップ!」
「なんだよ!」
「ストップだっての!」
「……なんでしょうか」
「何があったの!?」
大声を出すと彼はしゅんとして、照明も同じくしゅんとしぼんだ。
「だって、貴方が『俺様系がいい』と言うから……」
「言ったけど、本と現実は別」
「しかし」
「慣れないことしないでいいから!」
「飴は」
「いる!」
受け取ったのは真っ赤ないちごの飴。一粒もらい、口に転がす。歯と飴がぶつかって、カラカラと音がした。
そもそも飴を持っている辺り、やっぱりおかしい。「飴と鞭」は言葉通りの意味じゃない。……もしかして、彼が背中に隠すように持っている定規は鞭のつもりだろうか。
「そのままでいいのに」
「いえいえ」
「今のままでも十分じゃない」
「わたくしは常に貴方の理想でありたいのです」
真面目だなぁと口許を弛ませふふふと笑うと、「もう!」と机を叩く。
「おや、それは」
彼はふと気付いたように私の手元を指差す。
手に持っている袋は、いつも本を入れている袋だった。
「今日も図書館へ行ってきたのですか?」
「んーん。本屋行ってきた」
見て見て、と彼の前に本を出す。小学生のときから読んでいた児童書の最新刊。
ルクスもそれを分かって、頭をピカリと輝かせる。
「先に夕飯とか色々済ましてくるからちょっと待ってて」
「はい、急いでのどに詰まらせないようにしてくださいね、お嬢さん」
手を振る彼に、私も手を振り返して部屋を出た。
簡単なご飯を作り、食べながら彼のことを考える。
自慢したくても、人には見えないらしい彼。前にパパが部屋に入ってきたとき、ルクスは人の姿で立っていたがパパは何も言わなかった。彼はやっぱり私以外の人にはただの読書灯にしか見えないのか、と素直に現実を受け入れた。
いい人なのにな。
同時に彼は、引きこもりを冗長させる原因人物でもある。
学校には行くし、図書館にも行くけれど、真っ先に家に帰ってくる。休日も、用事がない限り家から出ることはまずない。出不精なのは彼のせいだ。
だって、一緒にいたら楽しいし、見ててかわいいし、居心地が良いし。
食卓には家族写真が飾ってある。
家族のような、彼。彼も交えて三人で写真を撮って飾りたいくらいだ。
そして一つだけ、不満もある。
彼は私に必要以上には触らない。
たまには光以外の方法で包み込んではくれないだろうか。
もう少しだけ近付いてはくれないだろうか。
どんなに願っても、彼は微妙な距離感を保ちながら私と接する。
どうしようか。
つぶやき、思考しながら、ご飯を口に運んだ。
「照らしてくれる?」
「言われなくとももちろんです、お嬢さん」
夕飯を食べ終わり、お風呂に入り、宿題も終わらせて寝るだけになったら、後はゆっくり読書の時間。
いつものように机に座り、長い足を揺らす彼。
「――もっと、明るく照らしてよ」
ささやかな企みを始めよう。
一度本を机に置き、椅子に足を掛けて踏み台にし、ルクスの膝に座った。
「貴方は何を!?」
「この方が明るいもの」
背を彼の胸へ預けると、柔らかな暖かさに包み込まれた。彼は戸惑ったようなそぶりを見せ、気まずそうに私の肩にちょこんと手を置く。
「なぜ、突然」
「たまにはいいでしょ?」
「ダメと言うことはありませんが、でも」
「いいのね」
「あぁ……」
強く押せば、すぐに許してくれる。私にはとことん甘い。
眩しくないように、と少しだけ灯りを弱めてくれた優しさが、心地よかった。
「お嬢さん、頭には絶対に触れないでくださいませ。火傷いたします」
「はーい」
気のない返事に、しょうがない人だと言わんばかりにルクスは唸る。
本を膝に置く。今日読むのはさっき話していた件の本。カラフルな表紙のファンタジー小説で、ずっと集めているシリーズ物。
ありきたりな展開の、ありきたりな話だったけれど、出てくるキャラクターは皆魅力的で、お気に入りの本だった。
お姫さまがいて、王子さまがいて、剣と魔法の王道ストーリー。お姫さまは大きなメスの犬を飼っていて、面倒見が良くて頭の良いところは、幼い頃に飼っていた犬を思い出させた。一際輝いて見えるのは、このお姫さまにつく従者。彼がめちゃくちゃ格好良い。紳士的な振る舞いで剣が達者な青年。私の初恋は彼だった、と言っても過言ではない。
いつものように読むけれど、ルクスに触れているだけで随分と暖かかった。ゆっくりとページを進めていく。心地よい温度に安心してしまって、早々に船を漕ぎだすと。
私はいつのまにか眠ってしまっていた。
「もう、貴方はいつも最後にはそうやって眠ってしまうのだから」
明るい電灯を消せば、その分だけ冷たくなってしまうルクスの身体。明るいと私が目覚めてしまうかもしれない、消せば寒さで起きてしまうかもしれない。
葛藤の中、彼は微調整をして、たき火の残り火のような仄かな灯りになる。
しかし、まだこのままでは私が冷えてしまうと思ったのだろう。キョロキョロと見回して何かを探す。その動作でさえも、身体を極力動かさないようにとの配慮が窺えた。
ベッドの上の毛布に目を止め、手を伸ばすが長い腕をもってしても届かない。
どうしようかと思案し、頭を悩ませるルクス。程無くして、思い付いたように僅かに電球が明るくなったものの、すぐに元へと暗くなる。
横顔を見やるが、私は起きる気配は無い模様。
彼はゆっくりと腕を私の腰へ絡ませる。躊躇うような動きは、普段なら腰をくすぐらせ笑いを誘うものだったが、眠りについているならば話は別。
どこか落ち着くその温度を夢の中で感じた私は、暖かさに身をうずめる。
ちらちらと揺れる灯り。その灯りは、人でいうならどんな感情に相当するものなのだろう。
「良い夢を、お嬢さん」
彼のそんな優しさも知らないまま、私は深く深く眠りに堕ちていた。
私がこんなことをしたせいで、彼はずっと考えるのを止めていたことと向き合わなければならなくなってしまったらしい。
最低限の人としか会わず、何よりもルクスを優先してしまう。彼自身はそれで良かったのだが、私のことを考えるとあまり良いことではないと、ずっと悩んでいたらしい。
膝の上で眠る私。
私が彼に焦がれているように、彼も私のことを好いている。しかしそれは恋愛感情とは少し違って、親心という側面が強い。
出来ることはなんでもしてあげたい。コンセントの届く範囲以外でも、私を明るく照らしたい。それは叶わないから、せめて唯一力を尽くすことの出来る読書の間だけは、とこれまでやってきた。
人としての手本になりたいと心に秘めて、優しい人になってほしいという願いを込めて、接していた。けれど、私にとって良いことだったのか悪いことだったのか、もはや分からない。ただ、甘やかしていただけだったのかもしれない。恋愛感情を抱かせる予定など無かったのだから、尚更だった。
困ったように、ガラスの電球を掻く。
甘えられることに気恥ずかしさと安心さを抱く彼に、同時に「これではいけない」と思わせてしまったのは、私の大きなミスだった。
初めて出会ったときより、随分大きくなってしまった中学生の私。
きっと、子離れと親離れの時期を迎えてしまったのだ。
ゆっくりと瞼を開く。窓から入る朝の日差しが、私を照らしていた。
今日は休日。
もう少しだけベッドの上でゆっくりしていてもいいが、どうしようか。予定もないから、このまま一冊本を読んでもいいだろう。
と、思ったところで違和感を覚える。
おかしい。
私は昨日どうやってベッドに入ったんだっけ?ルクスが運んでくれたの?
それに……カーテンが、開いている?
「……ルクス?」
「おはようございます、お嬢さん」
「おはよう」
外は明るいから、窓からルクスの光が漏れるのは一向に構わないが、こんなことは初めてだった。
ルクスがカーテンを開けたのだろうか。
「開けたの?」
「はい。わたくしが開けました、お嬢さん」
「なんで?」
「必要なことだからです」
「どういうこと?」
私が半身を起こすと、ルクスはいつも私が座っている椅子に座り、向かい合う。
何かがおかしい。予感がする。
ゆらりと揺れる灯りが、胸をざわつかせた。
「わたしくしは貴方をいつも照らし続けたい。出来ることならば貴方の太陽になり、ビタミンDの生成にも貢献したい。しかしわたくしは一介の白熱灯。力不足にて、その願いが叶うことはありません」
ゆっくりと、言い聞かせるようにルクスは言葉を紡ぐ。
直視しても目の痛くないほどの灯り。自分の灯りでしか光らなかったそれが、今は太陽の光を浴びている。
止めてよ。それ以上何も言わないでよ。
お願い。
止めて。
「お嬢さん、貴方はもうそろそろ外の世界に目を向けても良いのです。本よりも面白いことが、この世の中にはあるのです」
「いや」
「本へ、逃避しないで下さい」
「違う」
「わたくしに、甘えないで下さい」
「やだ!」
胸のざわつきは痛みとなって、私を襲う。痛みは膨らみ、溢れた分が涙になった。
いやだ。
なんで。
この二つを狂ったように繰り返す私を、じっと見つめる彼。
「貴方はそうやって、大事なものを失うといつも泣きじゃくるのです。――あのときも、そうでした」
目から落ちる涙を袖で拭うが、拭いきれない。駄々をこねる子どものように嗚咽を上げて泣きわめく。
涙の視界で、光が滲んだ。
彼は私へ手を伸ばす。
笑った、気がした。
「泣かないで。私はいなくなるわけじゃないから。
今までと何も変わらない。
貴方をいつも、見ているから」
くしゃりと頭を撫でる手は、やはり血が通っているように暖かい。
心地が良くて、ずっとこうしていたいのに、とまた涙が頬を伝う。しかしなぜだかうつらうつらと瞼が下りて、力が抜けていく。
促されるままに布団の上に横たわり、毛布を掛けられる。
いやだよ。
思ったことは言葉にならず、代わりにじわりと涙が浮かび、枕を濡らした。
いやだ。いやだ。行かないで。
私を置いて、行かないで。
手を伸ばし、服の裾を掴むと、暖かい手が私の手を包み込む。
言わないと。
せめて、何か。
何か言わないと。
最後に、あのとき言えなかったことを言わないと。
「 」
灯りが、ちらちらと揺れた。
パパから貰った机の上。左には犬の写真、右には今もアンティーク調の読書灯がある。
以前より使う頻度は減ったけれど、今も愛用するお気に入り。
もうしゃべったり、立ったり、気分によって明るさが変わったりすることはない。
私以外の人には見えないらしい彼、ルクス。
彼は私の妄想だったのか、本当に読書灯自体だったのか、何かが乗り移ったものだったのか。
今となっては分からない。
読書をする訳ではないが、読書灯を付けてみる。
仄かな灯り。
懐かしい思い出を呼び起こさせる。紳士的な物言い、優しい振舞い、暖かな温度。
初めて会ったときに泣いていた理由も、今なら思い出せる。
眩しいけれど、ぼうっと灯りを直に見る。
ふふふ、と笑うと灯りが揺れた気がした。
ありがとう。
ずっとずっと、大好きよ。