第74話 愛と憎しみの果てに
――とある研究室。
しばらく俯いていた男が顔を上げ、白衣の女を正面に見据える。
見るからに緊張でガチガチになっているその男に向かい、白衣の女は優しく微笑んだ。
その笑顔に勇気をもらったのか、男は自分の中に溜め込んでいた気持ちを初めて言葉として外気に晒す。
「あのっ、ぼ、僕と付き合って下さい!」
その場に訪れる暫しの沈黙。
男にとってその一秒一秒は一生のうちで一番長い時間だっただろう。
口に出してしまった事による後悔、その表情が男の顔に現れる前に、その女は微笑みを崩さずに返事を口にした。
「……はい。私で良かったら……」
その日は男にとって最高の一日となった。
※
男は今まで住んでいた安アパートを引き払う。
研究漬けの毎日、必要なのはただ寝るだけの部屋、いや、泊まり込みが多い為にそこで寝ることさえあまり無かった。
しかし、これからは違った。
借りたのはボロだが広い一軒家、二人で住むには十分な広さだ。
デートがてらに新しく買った荷物も運びこまれ、それらを二人で紐解く。
そんな一つひとつの共同作業が、男にはとても楽しく感じられた。
「僕にとって君は無くてはならない存在だ! 絶対に幸せにする、結婚しよう!」
数か月後、男が彼女にプロポーズしたのは必然的な流れであった。
※
「駄目だ! 許さん!! 聞けばその女はだだの平民の娘、三男とはいってもお前は貴族だ! 結婚相手なら私が決める!」
「しかし、父上! 僕たちは愛し合っているんです!」
「そんな下賤な娘に騙されるとは……。我が息子ながら何と嘆かわしいのでしょう」
両親は息子の主張を真っ向から否定する。
貴族に生まれたこと、そのことが男にとって初めて重くのしかかる。
「少し頭を冷やせ。それまで部屋から出ることは許さん。連れていけ!」
「待ってください、父上! 私は――」
その叫びも空しく、男は実家に幽閉されてしまうのだった。
※
数日後、何とか実家を脱出、彼女の待つ我が家へと戻る。
その男の目にはある決意が宿っていた。
しかし、そこには男が望んだ彼女の笑顔は無い。
テーブルの上に置かれていたのは一枚の手紙。
「な、何で……」
それを見た男は絶望に打ちひしがれる。
急ぎ職場に顔を出すものの、そこにも彼女の姿は無い。
既に彼女の退職届は受理されていた。
「これは何かの間違いだ! 彼女を探さなくては……」
男は仕事を長期にわたり休み、彼女の捜索に全力を注いだ。
※
そして二年後、男はとうとう別の街で彼女を発見した。
久しぶり見る彼女は何よりも輝いて見える。
だが、その目に映る光景は男にとって信じられないものであった。
彼女の隣には自分では無い別の男、二人は仲睦まじく連れ添って大通りを歩いている。
「……嘘だ! 有り得ない!!」
男の脳がそれを理解することを拒絶する。
糸の切れた人形のように崩れ落ちる男。
周りの通行人が何事かと声をかけるが、男の反応は無い。
気にかける人が一人減り、二人減り、通りは男を中心にぽっかりと穴が空く。
――そして数時間後、何かのスイッチが入ったかのように男はゆっくりと立ち上がる。
その顔は能面のように穏やかだった。
男は肩を震わせ、表情を変えずに笑う。
「くくくくっ……。僕以外と幸せになるなんて許しませんよ」
愛情の裏返しは憎しみ。
感情が男の中で激しく燃え上がる。
その後、男は街から忽然と姿を消す。
男の専門であった、とある研究成果と供に――
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「くくくくっ……、わかりませんか、僕の事が? 無理もありません。見た目がこんなに変わってしまいましたから……」
マーラさんは黙ってその魔物を見つめる。
そして一言――
「まさか……、アルフォンス?」
「ほう、覚えていてくれましたか。僕の名前などとっくに忘れていると思いましたのに……」
その魔物は自虐的にカタカタと笑う。
「マーラさん、知り合いなんですか?」
事情を把握できていない僕はマーラさんに質問する。
「ええ。間違いでなければ、彼の名はアルフォンス。昔研究所で一緒だった同僚よ」
「同僚などとは悲しい事を言う。お互いあれほど愛し合っていたのに……」
残念だとでも言うかのようにアルフォンスはその両手を広げる。
その言葉を特に否定するでもなく、マーラさんは彼に質問をした。
「アルフォンス。まさか、私の孫に何かしたのは貴方なの?」
それに対し、アルフォンスは首をかしげる。
「おや? 娘にかけたつもりなのだが、どうやら失敗だったようだ。娘の中に呪いの因子が溜まっていたのかな? これはさらに研究の余地があるね」
「あ、貴方っ!?」
無謀にもアルフォンスを殴りかかろうとするマーラさんを、僕は慌てて止める。
どうみても彼は魔物、無事で済む保証は無い。
「くくくくっ……。あの時僕を捨てて男に走ったのがいけないのだよ。良いことを教えてあげよう。その呪いは僕が死なない限り解けないのさ。アンデットとなった僕がね」
なるほど、どうやらこいつを倒すしかないようだ。
「マーラさん、下がっていて下さい」
「で、でも……」
「もう彼は貴方の知るアルフォンスでは無く、その身をアンデットに変えた魔物です。このまま放っておいたら更にどんな被害が及ぶかわかりません」
「ここは危険なの」
アリアに強引に引かれて後方に下がるマーラさん。
僕は改めてアンデットを正面に見据える。
「貴方に僕が倒せると思っているのですか? このリッチとなった僕を……」
「ああ、倒す!!」
僕の剣が眩いばかりに白く光る。
「ならば見せてもらいましょう! 今からマーラの絶望する顔を見るのが楽しみです」
その口を黙らせるべく、僕はリッチに向かい剣を振り抜いた。
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