第64話 囮
足元に絡みつく濡れ落ち葉を払いながら、僕たちは森の奥へと進む。
蒸し暑さの中にあって追い打ちをかけるかのようなジメッとした空気が、ベタベタと僕の頬に張りつき気持ち悪い。
出来る事ならこの場で水浴びでもしたい気分だが、流石にそれは無理というもの。
顔についた汗とも湿気ともわからない水滴を袖で拭いながら、僕は皆に声をかけた。
「大丈夫? 少し休もうか?」
「まだ平気なの。ありがとうなの」
「……無問題」
「ミウも大丈夫だよ!」
後から誰かがついてくる気配さえなければ、一旦イデアに帰ることも考えるのだが……。
何の目的でついて来るのかわからないが、警戒だけは十分に行っている。
それも踏まえ、万が一の体力温存を考えて、僕の判断で一旦休憩を取ることにした。
「まだいるね……」
ミウの言う通り、何人かの気配をある程度離れた茂みの方で感じる。
ご丁寧にもこちらが休憩に入った途端にあちらも動きを止めていた。
それはすなわち、相手もそれだけの精度の気配探知は出来るということ。
相手の立ち位置はハッキリしないが、こそこそとついて来るところを見ると、こちらに益する存在の可能性は低いだろう。
「……近寄って来ないなら、今は気にする必要はあまりない。……休みましょう」
確かに、折角の休憩なのに精神をすり減らすのも勿体ない。
僕もミサキに習ってゆっくりと休むことにした。
しっかりと休憩を取った僕たちは、再び森の奥へと進む。
後方の気配も同じくして動き出すのがうっとおしい。
「カナタ、来たよ!」
前方から重苦しい羽音が聞こえてくる。
現れた魔物は、今回のターゲットであるビックビーだ。
初めて見るその姿は、見た目スズメバチの巨大版といったところか。
相手は一匹のみ、対処を間違えなければ問題ないはず。
「えいっ!!」
アリアの矢が、針をこちらに向けて突進してきたビックビーに向かって放たれる。
その矢は、ビックビーの堅そうな外殻に突き刺さった。
青白い光がその場所から発生し、ビックビーを氷漬けにする。
「アリア凄い! ミウの出番が無かったよ!」
「これくらい何てことないの」
ミウとアリアが健闘をたたえ合う中、僕は後方の気配を探る。
今のところ特に動きは無いようだ。
ビックビーから牙と針を回収し、僕たちは急ぎその場を離れた。
既に空の陽が陰りかけている。
ひたすら森を徘徊しているのだが、まだ二匹目のビックビーは発見できていなかった。
今日は諦めてそろそろ引き返すかと思ったその時、ビックビーらしき羽音が僕の耳に届く。
僕はその音のする方へと歩を進める。
近づくにすれ次第にその音は大きくなってくる。
「……カナタ、引き返した方が良い」
ミサキの助言が聞こえたその時、目の前の視界が開ける。
その開けた先に見えるのは巨大なビックビーの巣。
それは大木の枝から幹にかけてぶら下がるかのように存在していた。
そこに群がるのは数十匹のビックビー。
僕はそれを見て即座に決断を下す。
「うん、引き返そう」
踵を返そうとしたその時、後方から何かが僕目掛けて飛んできた。
僕はそれを黒曜剣で防御する。
だが、弾けて中から出てきた粉末がこちらに振りかかってしまった。
「何だ、毒か!?」
もしそうならば早急に治療が必要。
しかし、治癒の魔法が反応しないところをみると、どうやら毒ではないようだ。
「……やられた。……どうやら撒き餌」
ミサキが言葉を漏らす。
それに気づいた時には、既にビックビーの一匹が眼前に迫っていた。
ミサキの魔法がそれを打ち落とし、対処の遅れた僕をフォローする。
「まだ終わってないよ!」
頭の上のミウが叫ぶ。
正面では大量のビックビーが、こちらに針を向けて獲物を吟味するかのように僕たちを視界に入れていた。
引き返す余裕はない。
「……殲滅一択」
「がんばるの!」
こうして僕たちは強制戦闘に突入した。
近寄ってくるビックビーを魔法で迎え撃つ。
しかし、倒せど倒せどその蜂の壁は崩れることを知らない。
数の暴力とはよく言ったものだ。
このままでは不味い!
「ミサキ! 炎を解禁するから焼き払って!」
素材がどうこうとか言っている場合では無いし、火は後で消せば良い。
全ては命あっての物種、僕はミサキに目の前の蜂たちを焼き払ってもらうことにした。
「……了解」
ミサキがありったけの魔力を込めるかのように目を閉じて集中する。
その信頼を裏切らない様に、何とか残りの皆で前線を崩壊させないよう踏ん張る。
そして数秒後、ミサキが目を見開き詠唱を完成させた。
「……エクスプロード」
ビックビーの目の前に現れたのは小さな丸い炎の塊。
それが徐々に膨れ上がり、ビックビーたちを次第に包み込む。
その凄まじい熱気はこちらにも届いてくる。
「ミサキ! これ大丈夫なの?」
「……元々至近距離用では無い。……逃げた方が良い」
そういう事は先に言ってくれ!
このままでは間に合うかどうか微妙なので、仕方なしに魔法で地面に穴をあけ、その中に皆を引き込む。
ミウが念の為とばかりに、水魔法で上部に膜を張ってくれた。
絶妙のコンビネーションである。
膜の向こうでは炎の渦が透けて見えた。
「ミサキさん、張り切り過ぎです」
「……反省」
炎が治まったのを感じて、穴から這い出て辺りを確認する。
「何にも無いね」
その惨状を見てミウが呟く。
炎の塊が発生した地点からほぼ同心円状に、ただただ焼けた地面が広がっていた。
炎が森全体に燃え移っていないのがせめてもの救いか。
「まあ、あの場合仕方ないけど……、次から威力は考えてね」
「……学習した、無問題」
ホントかなぁ……。
僕たちをつけていた気配はもう無かった。
間違いなくあの攻撃は彼らによるもの、一体何の目的で僕たちを攻撃したのだろう?
そんな事を考えつつ、僕たちは巨大な巣のあった地点へと向かう。
しかし、そこにある筈の巣はきれいさっぱりと無くなっていた。
「焼けた……訳ではなさそうだね」
ここは魔法の範囲外、しかも元になる木はまるまる残っているのでそれはあり得ない。
不思議に思っていると、アリアがある発見をする。
「これ、切り取った跡なの」
その意味を僕は瞬時に理解する。
……なるほど、僕らは囮という訳か。
「……あれだけ大きい物だとかなり高く売れる筈」
「どうやら、してやられたってことだね」
下手すればこちらが大怪我、もしくは死ぬくらいの強引な手法で――。
僕はその場で拳を握りしめた。
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