第37話 異変
メルキスの森――エルドアの墓場の北に位置する広い森で、その奥地はロキアス山脈へと繋がる。
その中で生息する魔物は多種多彩、その為、さまざまな戦闘への適応能力が必要とされる。
それ故に、ギルドはベテランの中級冒険者向けの地域として指定、依頼のランクもDランク以上となっていた。
ただし、その森におけるギルドの依頼が受けられないというだけで、もちろん入るのは自由、自己責任である。
ギルドが管理している訳ではないので当然ではあるが……。
そのメルキスの森の中にマイケル君の故郷があった。
王都を出発した僕たちは北東へと進路を取り、現在は王都の北に大規模に広がるガルド平原を馬車で走っているところである。
芝生のような緑が辺り一面に広がり、何も遮ることが無いその視界の遠く向こうには、ちらほらと魔物らしきものが見受けられる。
距離が遠いので、こちらとしても特には警戒する必要も無く、逆にポカポカとした陽気と青臭い自然の香りに誘われそのまま昼寝をしてしまいたくなる。
だが、ギルドでついでに受けた依頼がこの平原での仕事なので、残念ながらそうもいかなかった。
草原を駆け抜けるのがこんなに気持ち良いと知っていたら、特にギルドの依頼は受けなかったのに……と今さらながらに思うが、それは後の祭りである。
「く〜」
僕の膝の上でミウが寝返りを打つ。
もふもふが緩やかに上下に揺れている。
欲求に逆らわず、その毛並みを優しく撫でながら僕はミサキに尋ねた。
「ミサキ、見つかったかい」
その問いに対し、ミサキは首を横に振る。
「……まだ」
手分けして別々の窓から探しているのだが、どうにも見つからない。
探しているのは金色草、調合により異常状態を治す作用がある薬草だ。
金色草はほとんどが群生しており、その色の違いからすぐに見つける事が出来ると資料には書いてあった。
馬車で走りながらでも簡単に見つかるかと思いこの依頼を受けたのだが、どうやらそんなに甘くは無かったか……。
視界に飛び込んでくる景色は緑一色、それ以外の色は今のところ無さそうだ。
ただ、薬草の採取については、常時依頼がかけられているので期限は無い。
要するに、手紙を渡した帰りにゆっくりと採取するのでも良いということだ。
その為、ユニ助には特にスピードを落として貰う理由は無い。
行きがけに見つかればラッキーぐらいの気分が良いだろう。
この際、行きはいっそ探すのを諦めても良いかな。
そう思い、ミサキにその事を提案してみる。
「……カナタが良いなら。……私も寝る」
その場で横になり目を瞑るミサキ。
どうやらミサキもこのぽかぽかした陽気の攻撃に耐えていたらしい。
「――と、いう訳で、ユニ助よろしく!」
この馬車の運転手兼動力に一声かける。
「うむ、我に任せよ。その代わり、今日の食事は豪勢に頼むぞ!」
うん、スラ坊に頼んでおこう。
鬱葱とした木々の中を縫うようにして森の中へと入っていく。
もちろん徒歩での侵入、ユニ助は別荘でスラ坊の食事に舌鼓を打っている頃だろう。
進む方角に関しても、王都の雑貨屋で方位磁針ならぬ魔力磁針を買ったので抜かりはない。
魔力の濃い場所では役に立たないという使いどころが限定されるが、銅貨五枚で買えるので冒険者の必需アイテムになっている。
魔力磁針は魔力の濃い方角を指し示すので、針は北にあるロキアス山脈を指す筈、魚人の集落は森の北方向、となれば、針の指す方向にそのまま向かえば良いということになる。
何が出るか分からないので警戒は怠らず、慎重に進んでいく。
「アイスシュート!」
ミウの放つ氷の弾丸が、頭上から迫りくる魔物に命中し氷漬けにする。
ミサキも魔法で応戦している。
それらを躱した魔物を狙い、僕は黒曜剣を振るった。
魔物たちは短い手足を繋ぐ被膜のような物で滑空するかのように襲い掛かってくる。
見た目はムササビの様だが、口を開くとその可愛い顔に似つかわしくない牙がむき出しとなる。
とてもではないがお友達にはなれそうもない。
木々の間を縦横無尽に飛び交うムササビもどき。
慌てても仕方がないので慎重かつ確実に一匹ずつ倒していく。
幸いなのは、このムササビもどきはそれほど強い魔物では無いらしく、魔法を一発当てればほぼ戦闘不能に出来るということだ。
それから数十分、時間はかかったが何とか魔物の殲滅に成功する。
こちらの被害は無し。
だが、まだまだ森の入り口近く、油断は禁物だ。
倒した二十数匹の魔物のうち、損傷の少ないものに関しては巾着袋に入れておいた。
もしかしたら素材が売れるかもしれないからね。
聞きなれない虫たちの鳴き声が森全体を包み込んでいた。
辺りは次第に薄暗くなり、獰猛な魔物たちの時間が近づく。
ふと思ったのだが、森には危険な虫とかはいないのだろうか。
ジャングルで一番怖いのは虫である、という話を聞いたことがある。
その事をミサキに聞いてみると、「……大丈夫、たまに刺されるくらい。……命に影響はない」とのことだ。
ただし、中には蚊のような刺されると痒い虫もいるらしいので、虫よけは売られているらしい。
うん、今度買っておこう。
日が完全に陰る前に、僕たちは別荘へと戻る。
次回はこの場所からスタート、本当に別荘って便利だよね。
女神様ありがとう!!
「カナタさん、ミウさん、ミサキさん、お帰りなさい」
別荘に着くと、スラ坊が出迎えてくれた。
「ただいま、スラ坊。ユニ助は我儘言わなかった?」
食事の件をスラ坊に丸投げしてしまった手前、迷惑をかけなかったか一応聞いてみる。
「心外な! 我がそのような事を言う訳なかろう!」
リフォームされた新・馬小屋からユニ助が顔を出して抗議する。
「うっそだ〜! いつもスラ坊に我儘聞いてもらってるくせに。スラ坊に迷惑かけちゃダメだよ!」
「何だと、このチビ! 我がいつその様な事を言った? 今すぐ勝負したろかコラ!」
「いいよ〜だ! ユニ助なんかに負けないよ〜!」
ミウとユニ助が何時もの口げんかを始まる。
「まあまあ、ミウさん。私は大丈夫ですから」
スラ坊はぷるぷると震えながら二人の仲裁に入る。
「む〜っ」
ミウは不満を顕わにするが、当のスラ坊に仲裁に入られてしまった為、これ以上何も言えないようだ。
とりあえず収まったところで、僕らは別荘の中に入った。
その後、別荘での美味しい食事と温泉で疲れを癒し、柔らかいベッドでしっかりと睡眠、明日へと備えた。
翌日、再び森へと降り立った僕たちは、改めてマイケルくんの故郷を目指す。
昨日の例もあるので、上空にも気を使いながら慎重に歩を進める。
しばらく歩いていると、ちょろちょろと水の流れるような音が僕の耳に届いた。
川が近くにあるのだろうか?
それを辿っていけば、マイケルくんの故郷に着くのではないか。
そう思った僕たちは、音のする方へと進んでいった。
――確かに川である。
膝までの深さしかなさそうな浅い川が僕の目の前を流れている。
こういう場面では、その流れる水を飲み「やっぱり自然の水は美味しい」とか言って自然を満喫するのが普通のパターンなのだろうが、どうやらそれは出来そうもない。
なぜなら、流れる水は濃い紫色、その毒々しい色はまるで工場が出す汚染水のようだったからだ。
「ミサキ、こういう川もあるの?」
その問いに対し、ミサキが首を横に振る。
「……おそらく毒」
「え〜っ!? 大変だよ! カナタ、急ごうよ!!」
こんな毒が流れているとしたら、魚人の故郷が大変なことになっているのではないか。
そう考えた僕たちは、毒の川の上流方向へと急ぎ駆け出して行った。
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