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呪い姫の剣  作者: 木犀
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逡巡

 歩いた時間はどれほどのものか。分厚い木の葉の層を頭上に頂いている間、太陽の光は僅かにも見えていない。薄暗さがまったく変わらない上に景色も同じ木々が四方八方に延々と立ち並んでいるから、方向感覚も時間感覚もとうに狂って使い物になりやしない。とりあえず明かりが無くても見えているから夜にはなっていないと思うのだが、もしも今歩いている道が無かったらと思うとまったくゾッとする。


「ジェヴェル、どうだ」

《周囲にはまだ、何も。小さな動物ばかりです》

「そっか……」


 木々の擦れる音は森のざわめきと呼ぶにはあまりにも静かで、色の無い森を更に侘しいものに変えていく。時折見えるリスやらモグラやらがいるからまだマシだけれど、これが無かったらまさしく死の森とでもいう言葉が似合う、なんとも恐ろしい空間になるだろう。

 しかしそう思っていていきなり生命力溢れるクマでも飛び出してきても困るので、森に足を踏み入れてから何度かジェヴェルに確認してもらっているのだが、帰ってくる声は同じようなものだった。もっとも出てこられてもお生憎、抵抗できる手段も無いのだから、その返答を聞くたびに安堵の息が漏れ出て行くのは仕方がない。

 

「せめてお前が切れればなあ」

《……申し訳ございません》


 溜息混じりにジェヴェルを振るい、柳のように道に垂れる木の枝を打ち払う。するとバシン、と棒をぶつけたような小気味良い音を立てて枝は揺れ、木の葉を数枚落として同じ位置へと立ち戻る。剣の刃を立てて振るったにも関わらず枝は傷の一つも無く、俺をあざ笑うようにゆらゆらと揺れていた。

 これじゃあ煌く翠色の刀身も、ただのぐねぐね曲がった石の棒と変わらない。剣とは名ばかりか、と少しばかりガッカリしてしまったのだがそれがジェヴェルに伝わってしまったようで、頭に響く謝罪の声もどこか弱弱しいものがある。悪かったかな、と思って慰めようにも出てくる言葉はつまらないものばかり。


「まあ、別に危ない動物がいないなら大丈夫だろ。道も切り開く必要ないくらいだし」

《はい……》


 危ないのがいなかったから、必要ないからというのは詰まるところ、言葉を返せばもしも居たらお前じゃ役に立たないと言っているようなものだ。心なしか翠色の光が薄く広がる木々の影に負けてしまっているような気がする。手元の光が小さくなると不安になるから止めて欲しいのだけれど。

 相も変わらず乱立する樹木の群れを横目に歩を進めていく。どんよりと重さを感じさせる空気が剣から流れ出ているが、どうすればいいものか。これ以上下手に声を掛けてもまた口を滑らせるかもしれず、かと言って他に人も居ないのだから助けを求めることもできないときている。

 針のむしろとまでは言わなくともひしひしと迫る居心地の悪さ。更にたっぷり歩いての後、ようやくそれを拭ってくれたのは、唐突に声色を変えたジェヴェルの警告だった。


《主様、道の先に気配がします。人間程度の気配で、数は5体。たった今森に入ってきたようです》

「人か」


 避けたほうがいいか、それとも接触したほうがいいか。

 思わずピタリと足を止めて逡巡するが、前を向いても後ろを見ても同じような道が続くだけだ。ましてや今まで来た道を戻っても何の意味も無い。逃げることは諦めて横を見れば、入ればすぐにでも迷ってしまいそうな木の迷路。それでも隠れる所はたくさんありそうだし、深く立ち入らなければ問題ないだろう。


《主様、気配がこちらに向かって来ます。如何致しますか》

「……とりあえず隠れて、様子を見よう」


 そもそもだ。人が来るのを待つか、自分から人里を探すか。後者を判断した上で森の中を歩いておきながら、人が来たら隠れるというのも妙な話だが、いざとなると腰が引けるのは仕方が無いだろう。

 ここは俺のいた日本じゃなくて、オルトビークという世界。人も本当に俺が知っている人間なのかも分からない。姿形だけじゃなく言葉に、人種、生態系、社会制度、文明の基盤。ありとあらゆる要素が俺の知っているものとは違う可能性があるのだから、数が多い相手に気軽に接触するような肝の太さは俺は残念ながら持ち合わせていなかった。

 進むベクトルを90度ばかり変えて、なるべく物音を立てないように落ち葉と木の根で覆われた場所へと踏み入れる。ありがたいことに軽く払うだけで足跡は見えなくなり、少し踏み入れた場所の大木の後ろに身を隠す。そのまま息を潜めると、歩くたびに足元から伝わっていた土の鳴る音が消えて、シンと音の無い音が耳を刺す。時折思い出したように揺れる葉の音と小さな動物の鳴き声が、どこか冷たい汗にじっとり濡れる掌を震えさせる。 

 膨れ上がってくる不安から目を背けるように、手元に確かに存在するジェヴェルへと声をかける。もしもこれで無言の返答だったら心細さのあまり確実に狼狽して泣いてしまっただろうけれど、その心配は無かった。

 

「どれくらいで来そうだ?」

《さほど遠くはありません。5分もすれば姿が見えるかと》

「5分か……」


 言えば早いが待つには長い。実際には数十秒の間であっても葉の擦れる音の数も数えられなくなり、唾はいくら飲み込んでも後から後から湧いてくる。落ち着け、と息を吐いて吸うほどに、その音がまだ見ぬ誰かに聞かれていないか不安になってしまう。

 こうなるとどれだけ経っても誰一人として来ないんじゃないか、それともすぐに見つかってしまうんじゃないかという思いがグルグルと頭の中を駆け巡る。

 けれど、時の流れは遅く感じられても止まりはしない。

 

《主様、来ます》


 ジェヴェルの声に、思わず柄を握る手に力がこもる。細めた目を縦断する汗がすこぶる不愉快だった。

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