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呪い姫の剣  作者: 木犀
2/13

プロローグ

 一歩一歩と足を踏み出し、太陽の熱をふんだんに含んだアスファルトを踏みしめる。真夏の青空は見事なまでに人の高さの蜃気楼を作り上げて、ゆらゆらと視界を揺らしていく。今日の予想最高気温は見事、38度まで上がると天気予報士のお墨付きだ。

 こんな中で出歩こうなんて人はおらず、居てもハンカチを構えて足早に駆けていくばかり。普段ならこんな日に外に出るなんて馬鹿のすることと引きこもるのだが、あいにく今日は目的がある。それも、今日出なければいけないと来たものだ。


「あちー……くそ、よりによって今日までかよ。先延ばしにするんじゃなかったわ。ったく」


 大学生にもなれば暇な時間も増える。増えれば増えるだけできる事も増えるというもので、人によっては彼女を作って遊んだり、スポーツに精を出したりと色々やることもあるだろう。

 俺はと言うと、あいにくながら彼女もできず、スポーツも得意とは言い難い。交友関係もさほど広くない俺にとって唯一の趣味といえるのが博物館の観覧だった。

 国内の有名な博物館はおおむね巡り、興味の引かれる特別展があると聞けば東へ西へ。バイトで稼いだ金を遠くの博物館に行く交通費や宿賃に湯水のように費やすことに何のためらいも無い。友人からは何が楽しいのか聞かれるけれど、趣味なんてものは他人には理解しがたい部分があってこそだろう。

 そんな物好きな俺がつい見落としていたのが、今日この日で終わる『古今東西の刀剣展』だった。前々から宣伝もしていて行こうとは思っていたのだが、いつでも行けるような近場だったのでなんとなく先延ばしにしていたのだ。後悔先に立たずとはよく言うもので、上がろうとしない足と行かなきゃと思う心の軋轢が、博物館への道筋に重く圧し掛かる。階段なんてものは無ければいいのに。

 それでも自動ドアの味気ない音を聞きながら建物に入ってしまえばまさに別世界、人工的なそよ風がとにかく心地良い。加えて受付嬢がまれに見る美人、というわけにはいかないか。


「大人一人。特別展も込みで」

「はい、特別展は二階になりますので」

「どうも……なんだか、あんまり人が居ませんね」


 受付から見えるロビーはそれなりに広い。加えて特別展最終日だと言うのに、数人がソファに座っているだけでなんとも閑散としている。受付の女性も暇なのか、苦笑を滲ませながら言葉を返してくれた。


「ええ、今日はとにかく暑いですから。夕方までは皆様あまり来られないかもしれませんね」

「なるほど」

 

 女性の目線に釣られてドアの外を見れば、ジリジリと照りつける太陽がいかにも暑そうに黒い地面を焼いている。卵でも割れば白く濁りそうだな、なんて思うが、そんな鉄板を熱するようなことを連想する程に暑いのだ。わざわざ一番暑い時間帯に来た俺が馬鹿なのだろう。

 もっとも、悪いことばかりじゃない。博物館は一人で静かに周るのが良い。他に客が居ないのはゆっくり一つの物を見て居ても邪魔にならないということで、ありがたいことでもある。


「それではどうぞ、ごゆっくりご観覧ください」

「どうも」


 多少の雑談の後に快く俺を送り出してくれた受付の女性だが、階段を登る時に振り返ると暇そうに肘杖を突いていた。ここはお疲れさま、と心の中で声を掛けておくとしよう。実際には、たいして疲れられなくて退屈なんだろうけれど。

 トントンと足早に音を立てて小奇麗な階段を昇っていく。一段ずつ目線が上がり、頭から姿を現していく看板に目的の表題が記されている。そのすぐ隣の入り口からは中の様子がよく見える、のだが。


「……人居ないな」


 思わずついて出た言葉に、そっと口元に手を当てる。

 『古今東西の刀剣展』と男子の心をくすぐる題材、加えて最終日だというにも関わらず、やはり人の数は少ない。というより見える範囲には人っ子一人も居ないのだから不安にもなるというものだ。なるべく一人で周るのが好きとはいえこんなことは初めてのことで、誰も居ない展示室の奥からなんとなく、プレッシャーのようなものを感じてしまう。思わず階下を見下ろすが、居るのはやはり暇そうな受付と数える程度の客ばかりで誰かが上がってくる様子も無い。

 どうにも不安の種が育っていくよう感覚が胸に溜まるが、ここで行かないという選択肢は無いだろう。もうとっくに入館料を払っているわけだし、なにより漠然とした不安よりも見に行きたいという気持ちのほうが強いのだから。

 数瞬ばかり入り口で足を留め、一度だけ唾を飲んで進んでいく。入り口は手狭だが、西洋風の鉄柵門を模した飾り付けでどこか厳しいな印象を受ける。博物館の展示の癖に人の侵入を拒むような雰囲気で、どうも場違いだ。


「これのせい、かもなあ」


 半眼で門を睨みながら、また独り言だ、とついつい苦笑を零してしまう。分かっているのに止められない、というのは俺の中ではまさにコレで、何度指摘されても直すことができていない癖だった。特に他人の居ない場所では多くなり、実は人が居ましたー、という状況で赤っ恥を掻いたことも少なくない。

 それでも不安を解消するには良い手段らしく、今だって重く引き摺るようだった足が少しずつ軽くなっていくのを感じるほどだ。

 今一度辺りを見渡して、客どころか学芸員の一人も居ないことを確かめる。……居ない、な。

 吐いた息を声に変えると、胸の内の不安を押し出すようにぺらぺらと回り出す。傍から見ればブツブツと独り言を呟く気味の悪い男だ。我ながらなんとも気持ち悪いけれど、要は見られなければ問題無いのだ。


「これは中世ヨーロッパ、こっちは日本の戦国時代か。七支刀やらなんやらと……えらく雑多だな」


 いざ心を決めてしまえば楽なもので、不安なんてものは高揚する心と目新しい展示物に押し隠されていく。

 しかし、随分と乱雑に剣が並んでいる。以前やったゲームで見た剣の丘のような感じと言えばいいだろうか、床に土を盛ったようなオブジェがあり、そこに突き刺さるように様々な刀剣が展示されている。普通展示物はショーケースの中で管理されるものだけれど、どうも模造品なのか剥き出しのまま。それも、ご自由にお手を触れてくださいなんて注意書きまである始末。

 試しに近くにある幅の広い両刃剣に触ってみると、重厚な見た目どおりに硬く、重い感覚が伝わってくる。

 

「へえ、いわゆるエクスカリバー的な感じ? よっこら、せっ……!」


 思い切って両手で引っ張ってもビクともせず、まるでお話のように封印でもされているかのよう。元から力が強いわけじゃ無いが、それでも大人の力で引っ張っているのだが。

 

「……っだあああ!抜けん!」


 足に腰にと力を入れて、汗が滲むほど踏ん張ってもダメときた。握る力を込めすぎたのか、ヒリヒリ痛む手の平からは鈍い鉄の匂いが伝わってくる。

 鍛えられていないひ弱な腰に文句を言いつつ剣の前に座り込むと、刃に当たるライトの光が煌くのが眼に映る。しかし模造品にしても随分と迫力があるな。触っても大丈夫か?

 恐る恐る指の腹を刃に当てると、冷たく鋭い感触がある……が、押しても引いても撫で回しても、傷の一つも付くことは無い。思わず漏れ出た溜息は、多分安堵のものだろう。


「そりゃ、そうか。簡単に触れるんなら本物なわけ無いよな」

「そうでもありませんよ」

「っ!?」


 誰かいるのか、と声が出る間もない。唐突に掛けられた声は自分の頭の上から聞こえ、ほんの少し振り向けば女性のしなやかな足が俺に寄り添うように立っている。

 これほどまでに間近で女性の足を見たことがあっただろうか? いや、無いだろう。彼女居ない歴で年齢を数える俺だから自信を持って言える。

 白く綺麗な丸さを持った膝頭、真っ直ぐ白く張りの有る輝く太もも、ミニスカートの丈は見えるか見えないかというレベルのギリギリという危うさだ。というより、少し角度を変えさえすればこれは。

 

「はい、残念でした。そちらはお見せできるほどのものでは御座いませんので」

「えっ」


 べちり、と目を覆う暖かく柔らかな感触。遮られてまるで外は見えないが、甘い香りが漂い鼻腔をくすぐる。香水というよりは直接鼻に摘み取った花を押し当てるような、濃密でむせ返りそうな香り。

 どこか人をぼうっとさせる香りを撒き散らしながら、目の前に居るであろう人物は楽しそうに、面白そうに言葉を紡いでいく。


「その剣は既に主人を見つけた聖なる剣。ですからもう抜け殻のようなもので、剣としての役目を果たすことはできないのです」


 ころころと鈴が転がるように前へ後ろへ、響く声は移動する。その度に柔らかい感触が少しだけ動いて、俺を弄ぶようにチラチラと一瞬だけ視界の一部を映し出す。

 ほんの僅かに見える白い肌が逆にエロい。そう考えるのは未経験者の悪い癖だろうか。


「あちらもこちらも、多くの剣や刀が自らの主を見つけて旅立っていきました。残るはほんのわずかばかり、そのどれもが主を待ち望んでいます」


 耳元に甘い声が掛かる。酔ってしまいそうなほどの匂いと声が耳のすぐ後ろから漂ってくる。それどころか暖かで柔らかい二つの塊が俺の背中で形を変えて、ぞわぞわと脳まで感触が這い上がってきて。

 ……座っていて良かった。もしも立ったままだったら、腰が砕けた拍子に頭でもぶつけて旅立ってしまうところだったかもしれない。


「貴方は今日、この場所の最後のお客様。選び選ばれ貴方は問われるでしょう。それに答えて行くも留まるも貴方次第」


 恋人が甘えて後ろから目隠しをするシチュエーション。縁遠いものだと思っていたけれど、まさかこんな形で実現しようとは。

 そんな愉快な妄想を余所に女性の言葉は紡がれていく。楽しそうな色から慈愛に満ちた色へと変えながら、俺へと語りかけるように。


「私は今日が終われば、またどこかへとたゆたいましょう。可愛い剣達と共に、全ての子が主人を見つけられますよう」


 女性はそう言って話を締めると、ゆっくりと立ち上がり二つの膨らみを背中から離していく。一体どこの誰なのか、顔さえ見えないが、ただ脳裏を過ぎるのは残念だという思いだけ。我ながらえらく欲望に忠実だとは思うが仕方がない。正直女性の言っている言葉の意味がさっぱり分からない以上、安直に思考停止した先で動けるのは欲望ばかりというものだ。

 とはいえ、何も分からないなりに聞くべき事もあるだろう。甘さに酔い痺れてロクに動きもしない口元を無理矢理揺らし、どうにか疑問を音にする。


「ま、待ってくれ。それって、どういう意味」


 ……何のことかさっぱり分からない場合、湧き出る疑問なんてものはこんなものだ。俺自身でさえ、何を聞いているのかさっぱり分からない。

 それでも後ろに立っているであろう女性に戸惑った気配は無く、むしろ初めのように楽しげに声を返してくる。聞こえる声はやはり綺麗なもので、なんとか振り向いてご尊顔を拝したいのだが情けないことに口以外はさっぱり動かないときた。指一本の先端までがピリピリと、柔らかな絹で絡め取られたように僅かな痛みさえなく縛られているようだ。


「私は剣を預かる身。全ての世界から主を亡くした子、未だ主無き子を集め、新たな主を見出すための船に過ぎません。言わば仲介、それ以上の意味も無ければそれ以下ですら御座いません」


 つらつらと述べる女性の声が再び耳元へと近づいて、視界の端からするすると見惚れるほど美しい指先が現れる。そのまま指先に釣られる様に見つめた先には、丘陵を模したオブジェの中でも一際大きい場所があった。

 大展示室とでも言うのだろうか、広大な空間の中にある丘陵には大小形も様々な刀や剣が突き刺さっている。照明の違いでもあるのか分からないが、ここにある鈍い光を放つ刀剣と違って、どの剣達もが輝きを放っているかのように見えた。


「どうぞあちらへ。貴方を望む剣達が貴方を待っております。そして、あるいは」


 とん、と軽い衝撃が背中で弾む。別段強いものでも無いというのに俺の体は操られたように立ち上がり、驚くほど滑らかに足を進めていく。

 自分の意思でもなく動くっていうのは酷く気味が悪い。それだというのに一体どういうわけか、心の中には特別恐怖の一つも芽生えないときた。この展示場に入るまでは入り口の段階で不安にまみれていたくせに、どうも妙に自分から浮いてしまったような感想すら浮かんでくる。


「あるいは、貴方が望む剣が待っているかも知れません。どうか互いが幸福でありますよう、私は陰ながら祈らせていただきます」


 鈴が手元から転がり落ちていくように、背中に掛かる甘い声が遠ざかり、小さくなっていく。せめて顔か胸の大きさだけでも、と後ろ髪を引かれるが、首は固定されたかのごとく後ろへ振り向こうともしない。俺の首なのにその辺の欲望に従わないなんて、酷い。

 嘆きたくなる心とは裏腹に、足は意思でも持ったかのように鈍い剣の群れをすり抜けて、一際明るい部屋へと辿り着く。どこまで行くのかと少し不安になったが、大きな丘陵の手前でピタリと止まった直後じんわりと暖かさを感じ、ようやくコントロールが自分に戻ったのを感じ取る。


「なんだったんだ……それにしても、ここの剣はほんとに綺麗だな」


 光り輝く、というのはまさにこのことだろう。照明の煌きを返す両刃の剣、水晶のように透き通った刀。そのどれもが俺に訴えかけるようで、女性の言った俺を望むというセリフもあながち間違ってないんじゃないか、なんて考えすら抱きそうになる。

 前の部屋と同じような看板もあり自由に手にとって良いようで、試しに手近な剣の柄を握った、その時だった。





《ああ巡り巡る堂々巡りに到る私を貴方は手にとって下さったその身を捧げ下さいませば敵を滅し焼き払いましょう我が名は黒炎の御剣レヴァテインお呼び下さいませ我が名をお呼び下さいませ我が名はレヴァテインレヴァテインレヴァ》

「っあああああああああああああ!?」


 痛い、と意味有る言葉を発する余裕すら無かった。頭の中を溢れんばかりに言葉が埋め尽くし、目の前を黒く濁った色に染め上げる。遠ざかりそうになる意識を必死に繋ぎ止め、どうにか柄を通して這い上がるおぞ気を振り払うまでは多分一瞬のこと。それなのに不自然なほど息は荒れ、首筋には冷たい汗が滝のように流れ落ちている。


「なん、だったんだ……」


 息を整えながら恐る恐る剣へと目を向ける。先ほどはなんとなくで掴んだが、よくよく見れば刀身は真っ黒に染め上がり、柄にはなんとも禍々しい装飾が施されている。子供らしい心を残した印象で言えば、いわゆる魔剣、だろうか。それこそゲームで出てきても違和感を感じなさそうな恐ろしい、それでいて目を惹きつける輝きに満ちていた。けれど。

 

「……嫌な、感じがする」


 もしかするとあの声が女性の言っていた、剣が望むという奴なのだろうか。だとしてもこれはもう一度手に取ろうという気は起きそうにない。わざわざ痛いと分かっているものに手を出すなんてあり得ないし、そんなわけの分からないものを恐れないのも俺には困難というもの。

 震える動悸が治まるのを待って立ち上がり、今一度辺りをみやる。どれもが禍々しい剣と同じように俺を惹きつけてやまず、きっと持ち主を求めているのだろう。

 また別の剣に伸びそうになる手を必死に押さえながら剣の林を潜り抜けていく。

 女性は自分を仲介と呼び、詳しくは分からないが剣を選ぶのも俺次第と言っていた。つまるところ、剣に応えなければ特に何も起こらないということかもしれない。それなら今できる一番は、足早にこの場から立ち去ることだ。


「やめろ、止めてくれ、あんな痛いのは嫌なんだよ」


 ――見てよ、来て下さい、手に取れ、名前を呼んで。

 目は口ほどにモノを言うというが、丘陵に溢れる刀剣はまさにその通りだった。声無き声を溢れんばかりの輝きに変えて訴えてきて、俺はといえば薄目のまま俯いて足早に出口を目指すことでしか抵抗できない。

 ……金を払って見に来たのにもったいない、という思いも無いわけじゃないけれど、頭が割れそうなほどの痛みとは割に合わない。

 必死になって丘陵を下りれば、やがて麓に到る。ようやく近づいてきた出口にほっと一息つきながら、下を向いたまま目を開いて歩を進めた。


 きっとそれが、俺にとっていけないことで、良いことだったのだろう。




「……あ」


  出口からほんの一歩手前。俺の行く手を遮るように床に剣が突き刺さっていた。

 それはなんとも奇妙な剣で、腰の高さほどの長さをした翡翠色の刀身がぐねぐねと蛇行している。曲がった状態で腰の高さだから、真っ直ぐに伸ばしたら結構な長さになるだろう。間違っても固い鞘には入らないだろうそれは剣としていかがなものか。そもそも実用性のある形なのか?

 

《――。》


 物珍しさで言えば今日見た中でも結構なものだ。柄は木製でどこか暖かみがあり、太さも俺の手にすっぽり収まりそうで丁度良い。


《――。》


 と言っても、それだけのこと。横にずれて出口から出て行けばいい。


《――あ。》


 だから、この握り心地のいい柄の感触は俺にとって予想外のことで。思わず痛みに備えて構える俺の頭の中に響き渡る穏やかな声も、やはり予想外のものだった。


《ありがとうございます……どうか、御名を》


 名前を問われているのに気付いたのは、数秒の時間が過ぎてからだった。

 きっとこれは応えたらいけないのだろう。とにかく漠然とした理解でしかないが、応えてしまえば何かが変わってしまう。そんな予感が警鐘を鳴らしていて、さっきまでのように無視して帰れと叫んでいる。

 けれど、柄を介して流れ込む想いがそれを頭の片隅へと寄せていく。膨大で様々な想いの奔流とでも言うのか、脳裏に次々と映る情景が知らぬうちに口を綻ばせていた。


「俺は、英隆。森下英隆」

《ヒデタカ様……私の、新しい主様になってくださいますか》


 脳裏の情景の一部が変わり、精悍な顔つきの青年が柄を握る俺の姿に上書きされていく。すると不思議なことに、それぞれ勝手に流れていた映像がピタリと止まり、俺の思うがままに動くようになった。邪魔だ、と思えば様々な映像が一瞬で一ヶ所に集まり、剣へと再び還って行く。

 数度の目を瞬かせて頭から現実へと視界を切り替えると、いつの間にか刀身は輝きを増して部屋中を薄い翠色に染めている。どこか愛しささえ覚える輝きに柄を撫でると剣は震え、嬉しそうにチカチカと一層輝きを増す。


 ふとその輝きに、淡い昔の思い出が掘り起こされる。中学の制服を着込んだ頃の、全ての心が一人の女の子に向けられていた時のこと。他の何もが色あせて見えたあの輝きと同じものをそこに見たのだ、と思ったときにはガンガン鳴り続ける警鐘はもう、気にもならなかった。


「お前の名前を言え。俺の剣になりたいなら、お前を縛る名前を寄越せ」

《……! ああ、ありがとう、ありがとうございます》


 もしも人の姿があったなら、ぼろぼろ涙を零してひざまずいている。そんな情景を脳裏に浮かべさせる声だった。そして声は僅かに時間を置いて、隠そうともしない歓喜の色を滲ませて俺へと伝える。


《私の名は望握の奇剣ジェヴェル。お呼び下さいませば、御身を私の世へとお迎え申し上げます》

「ああ、ジェヴェ……っぐ……」


 ちょっと待ってくれ。そんな事は聞いてない、俺は別に天涯孤独でもこの世に飽きているわけでもないんだ。


 やめろ、やめろと警鐘が再び大きな音を取り戻す。それがあまりにも大きいものだから頭痛に変わり、つい膝を折ってしまう。

 口はカラカラに渇いて思うように動かない。というよりは、頭の中の片隅で理性の奴が口を動かさせまいと奮闘しているんだろう。くそったれ、忌々しいったらないぞ。

 痛みを増やし続ける理性を振り払うように髪を掻き乱し、柄を握る手に力を込める。俺だけじゃ理性に抗いきれないから助けが必要だ。輝く剣、ジェヴェルを睨みつけながら助けを求めた、そのときだ。


――お助けしましょうか?


 脳裏に浮かぶ情景が全て消え去り、代わりに細く白い手が現れる。どこかで見たような爪の先まで美しく手入れされた手だが、気味が悪いことに肘から先だけがぼんやりと浮かんでいて、そっと優しい手つきで何かを掴むように動くとあっというまに頭痛が消え去っていく。


――どうぞお早く。長い干渉は主様の心と理性を歪めますわ。

「ああ……」


 今一度立ち上がり、両手でジェヴェル柄を覆うように握り締める。……悪いな、俺。


「俺はお前を認める。新しい、ジェヴェルの主だ」

《我が主モリシタ・ヒデタカ様、御身の世を糧に、私の世へと渡りましょう。そして全ての力と運命を、永久に主様に捧げます》


 ジェヴェルの声とともに刀身の輝きが増して、広い部屋をまるごと覆い隠さんばかりに光で満たしていく。よく一寸先は闇と言うけれど、これじゃあ一寸先すら眩しくて見えやしない。それどころか光が奔流となって蠢いていて、方向感覚すら全く利かないのだから戻ることもできないだろう。

 悪いな、と心中でもう一度俺に謝っておく。理性が開放されればきっと俺は後悔するはずだ。衝動で動いている今と違って、理性があれば家族や友人を捨ててどこかに行くなんて無茶なことができるはずが無い。というよりも、どこへ行くのかすらも分かっていないのに承諾しているほうがおかしい。

 そんな俺の思いを受け取ったのか、光に塗りつぶされていく意識の中でジェヴェルの声が響く。


《世の名はオルトビーク、神と魔の作る箱庭の大地。主様が……どうか……》


 朦朧とする意識に響く声が、だんだんと小さくなっていく。もう自分が立っているのかすらも定かでなくて、ただ握り締めた柄に必死に縋りつくしかない。

 それでも光に塗りつぶされるように、ぷつりと途絶える意識。最後に感じられたのは唯一、柄から手に伝わる暖かな感覚だけだった。


次回以降は短めに、数日毎にしたいと思います。

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