意志の継承
序章はここまで。ほのぼの一転、転生幼女の本気が始まります。
伝染病の設定をやや変更しました。12月7日
雨の音が喧しい。もう何日こうして部屋に閉じこもっているのだろう。
ベッドの上で膝を抱えて、不安を押し込める。鏡に映る自分の顔を先ほど一度見たいが酷い物だ。うっすらと隈が出来ており、顔も青白い。
不安の原因は、お父様の滞在先でも問題だ。
お父様は元気に城から領地の南方方面の村へと視察に行った。三日で帰ると言っていたのに、今日で三週間だ。
長引いている理由は、視察に行った村の森で山火事が発生したらしく、お父様は不眠不休で陣頭指揮を執っていたらしい。そしてその鎮火が完了したと早馬が知らせを届けてくれた時は、ほっと安心したと同時に、お父様が誇らしかった。この時点で一週間。ただ、不幸が重なってしまった。
帰省の途中寄った街で、強力な伝染病である【赤黄斑病】が蔓延していた。
字の如く身体に赤い斑点が浮き上がり、そこから血と膿が吹き出し全身に広がる伝染病だ。死の可能性は低いとも高いとも言えないが、恐ろしいのはその感染力。
免疫力の弱い子どもに爆発的に感染、低年齢の死亡率が高いことだ。また病気に耐え抜いたとしても、血と膿の噴き出した感染者は、身体の皮膚が斑模様のように白くなってしまい、とても惨めな姿になると言う。幸いに一度掛かれば二度と掛かる事が無いのが特徴だ。
またかつて別の領地では、瞬く間に領地全体に広がったことがあることから、お父様は全領地の移動制限を終息宣言までの無期限に設定した。
それは、理解できる。被害を最小限にとどめるためだ。だが、それ以降、早馬の利用すら制限されて正確な情報が入ってこない。どうなったのか、終息宣言は出ていないが、潜伏期間一日、発症が三日。様子見で一週間。最後の患者が出るのが何時になるか分からず、私は、常に緊張状態にいた。
だが、子どもの身体で緊張状態は長くは続かず、不安から三日前に体調を崩したが、今は安定している。
お父様の事は、多分大丈夫、とただ無事を祈っていた。
「セフィリア? いるのでしょう?」
お母様だ。お母様が私の事を心配してくれている。気丈な人だ。私は、この不安に押しつぶされそうなのに、こうして私の心配をしてくれる。
「ご飯も食べていないでしょう? 一緒に食べましょう?」
「ごめんなさい、お母様。でも、あまり食べたくありません」
「セフィリア、また倒れてしまうわ。お願いだから食べて」
そう言われてしまい私は部屋から出る。お母様と共にほんの少し、お菓子を食べる。蜂蜜を使った甘いお菓子と蜂蜜とミルクを煮た甘い飲み物。
胃を中心に温まる感じがする。蜂蜜などの甘味料は、貴族でも滅多に食べられないために子どもの私の気を紛らわそうとしているのを感じ取り、それが余計に気に掛かる。
「お母様、お父様は大丈夫ですよね!」
「ええ、ダイナモは私の夫で、あなたの、そして領民達の父です。父は簡単には倒れないわ」
笑顔で答えてくれるお母様だが、お母様の手はぎゅっと握りしめて震えている。お母様も不安なのだ。少し、離れたところにいる侍女も表情が暗い。皆不安なのだ。自分だけが無事な帰還を祈っているわけじゃない。
そんな時、外で馬車が走ってくるのが見えた。
「あれは、お父様の馬車だわ!」
私は、お母様から離れ、制止する侍女を振り切り玄関の扉を開いた。
雨に濡れるのにも構わず、私は、馬車からお父様が降りてくるのを待った。しかし馬車から下りてきたのは、一緒に視察へ行ったジークフルと護衛の騎士だけだ。
皆、沈痛な面持ちで誰も私と目を合わそうとしない。
何故?
私は、震える声でジークに尋ねる。
「ジーク、お父様は? お父様はどこ?」
「セフィリア様、申し訳ありません。申し訳……」
紺の燕尾服が雨に濡れるのにも構わず、その場で跪くジーク。ジークが抱えるのは、大きな長方形の箱。
私は、これと似たものを見たことがある。生前、物心着く前からあったそれは、私の大切なものを収めたものだ。
聞きたくない、知りたくない、でも知らなければいけない。
震える唇が、絞り出すように私は、言葉を紡ぐ。
「ジーク、それは、それは、何なのです?」
「申し訳ありません、ダイナモ様を、ダイナモ様をお守りすることができませんでした。このような形でセフィリア様とお会いさせたこと、申し訳」
その声に悟った。ああ、祈りは無駄だった。大切なものが手の中から零れ落ちる。初めて得た物が――
「う、うぁぁっぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!」
自らの髪の毛を強く引っ張り、頭を大きく抱える。泥水の中に膝を付ける。服が汚れるのが気にならない。
自然と喉を突く慟哭が、雨の降る空の下に響く。慌てて飛び出してきた侍女たちやお母様も状況を把握して誰も止めない。いや、止められない。
私は、泣いた。雨と混ざり合い、お母様譲りの髪を乱し、お父様譲りの瞳を全て真っ赤にしてまで泣いた。
お父様は、領民に感謝された。
山火事の終息は早く、伝染病の感染爆破を防止した。と発症が確認された周辺の領地での被害の数は、三桁の上ったが、モラト・リリフィムの領地では発症した街のみで被害は二桁。これは驚異的な数だった。ただし、それに伴う代償は大き過ぎた。
お父様の死は、領内全ての民が悲しんだ。早すぎたしだ、名君を失ったと嘆き、悲しんだ。民と近いお父様、民の苦しみを和らげようとするお父様、私に愛を与えてくれたお父様、それらは私のこの世界の全てであり、誇りだ。いつか、尊敬し敬愛する父を助けると胸に誓ったのに、それが果たせない。
なぜ、もっと自分の力を使わなかったのか、なぜ、早くに知識を広めなかったのかと嘆いた。
その中で、葬儀に参加した貴族の話を耳にした。
「惜しいお方を無くした。ダイナモ侯爵は、まだ若いのに」
「それに、子どもは一人。それも女の子だ。あの子に領主を継がせるのは無理だろう」
「だが奥方は、農民の出。それでは領主はなれないさ。なんでも東のランドルス伯爵の長男との婚約の噂もある。ランドルス伯爵が、この領地を治めるかもしれないな」
「それはないでしょう。中央や教会は一部に力が集中するのを恐れる。娘のセフィリア嬢が継ぐ意思を表明しないと誰か適当な貴族がここに派遣されることでしょうな。まあ、今までのような民に優しい統治は終わるのは間違いない」
「だが、元々どこの派閥にも属さない貴族だ。これを機にこの領地もどこかに属した方が良いかもな」
「単純に領地分割でも良いかもしれないな」
悲しみから今度は、愕然とした。お父様が守ろうとしたものが、お父様の死と共に失われてしまう。
私の知らない所で、毟り取られてしまう。それはこの世界では当然かもしれない。だが、それだけはあってはならない。
「ジーク」
「セフィリア様、なんでしょう?」
少し疲れた顔をした執事長ジークフルに対して私は告げる。
「屋敷にいる使用人を全て集めて頂戴」
「セフィリア様?」
子どもの甘えは終わりだ。私は本来の私に戻ろう。いや、今と昔の私との迎合を果たそう。
孤児院で強かに過ごした日々と今までの両親の愛に包まれた六年間。全てを一つに結び付ける。
全員が集まった。数は少ないが、お母様、優秀な使用人。侍女長キリコと執事長ジークフル、そして現在常駐している騎士。全員に私は宣誓する。
「私は、領主を継ぎます」
「セ、セフィリア様!」
「お父様が亡き後、何時までも悲しみに耽っていてはいけません! 私が継がなければ、民の安定を願ったお父様の意志は、失われます! 私は、まだ無力です! ですがお父様が信頼し、お父様を支えてくださった皆にお願いしたい。私を、領主セフィリア・ジルコニアを支えてくださいますか?」
誰からとなく、一人一人と膝を付き、最上級の臣下の礼を取る。
「セフィリア、あなた。良いの? それで」
「良いのです、お母様。私の幸せは、民の幸せです。もしも相手がいない場合は、お母様のように素敵な農民の夫を迎えますわ」
悪戯っぽく頬笑む私をお母様は、痛いほど抱き締める。やることは、多い、しかし真に動き出すのは、来年の春からだ。
現在の時期は、六歳の秋。
次は春に飛びます。