閑話:工匠の試み
脱穀機を開発して三年。悩み続けたスポパヌスはある行動に出る。
儂は、今日も直営店・ニーレ・ストールで仕事終わりの酒を弟子たちと飲み交わしていた。
「何か良いアイディアはないかのう?」
「また言っているんですか、師匠。いい加減にあの貰った鉄を打たないと錆ついちゃいますよ」
そうなのだ。脱穀機を制作する際、余った鉄を儂は新たな便利な道具のために思案していた。
「他の兄弟子たちは、水車の軸部分だとか、斧や鍬にしたのに、当の師匠がまだ何も作ってないんじゃ示しが付きませんよ」
「分かってるんだがよ。どうにもこうにも、ただ作るだけじゃ面白みがねえんだ」
「そうやって。子供みたいに固執しないで大人になってくださいよ」
普段は、おどおどした態度だがこの弟子は酒が入ると容赦が無い。たとえ師匠の儂であっても。
「ああっ! 喧しい! 儂は少し工房から離れる! あとはお前が仕事をしておけ!」
「えっ、ちょ、し、師匠!? 待ってください! お会計は僕が払うんですか! 待ってくださいよ!」
本当に大人げない。腹いせに弟子に仕事を丸投げして、儂は、ただ飯喰らって帰る。
その翌日は、早朝の農家の馬車に乗せて貰い、近くのラムル村に実際に赴いてみる。農村風景など殆ど見たことが無い儂にとっては色々と新鮮に映る。
「俺も一緒に行って村長に挨拶してくるだよ」
「うむ。かたじけない」
そう言って案内された農村は本当に喉かだ。小麦畑の金色と遠くの別の畑の緑がまたなんとも言えないコントラストにステンドグラスのアイディアの一つとして浮かぶ。
そうこうしている内に、村長の家の前に辿り着いた。
「そ~んちょう。お客さんだよ」
「はいよ。どちらさんだい?」
中から出てきたのは、がっちりとした筋肉質の中年男だ。すこし鋭く涼しげな顔立ちは上に立つ者の風貌である。
「はじめまして。儂は町の工匠・スポパヌスと言う者だ。実は新たな道具を開発するためにこの村にやってきた」
「そうですか。村には案内が必要でしょう。ダリア」
母屋の奥から呼ばれたのは十歳程の少女だ。綺麗な赤毛を三編みにしたおっとりとした少女が出てきた。町の同年代の子どもよりも大分発育が良いのが見て取れる。
「ダリア。村を案内してあげなさい。一通り村を回ったら、戻ってくると良い」
「分かったわ、お父さん。スポパヌスさん、こちらです」
「ああ、ありがとうよ」
とても丁寧な様子で儂は驚く。儂が同じ年の頃は、悪戯しては良く親に叱られたのものだ。
「村はそれほど広くありませんが色々ありますよ」
「うん。見せてくれ」
それほど広くないなど謙遜だった。広すぎる。
儂は、北側からぐるりと反時計回りで回った。北の村共有の粉挽き小屋とその隣の水車。村の中央部には畑があり、畑の傍を通った時、少し歪んだ鍬で畑を耕していたので、儂が槌で打ち付けて形を整えてやったら、使いやすいと喜んでいた。外周部には牧草地や酪農をしており、それから南の洗い場を通って村の風下・北東の所で儂は、顔を顰めた。
「なんじゃ、この臭いは」
「これは肥料って言うんです。畑に混ぜると作物が良く育つんですよ」
「だからってこの臭いは酷い。鼻が曲がりそうじゃわい」
「でもこれがあるから美味しい野菜が取れるんです。感謝しないと。それに、最初に作った肥料はもうあまり臭わないんですよ」
そう言って村長の娘のダリアは、嬉しそうに微笑んでいる。
そして村長の家の前まで戻ってくるまでに気がついた事がある。
――なんで作物の種をああやってばら撒いているんだ?
その疑問が拭えないでいた。一つ粒一粒植えた方が効率が良さそうな物を。
「なあ……」
「あっ、トレイルさんだ。トレイルさん、こんにちは」
儂が話掛けようとした時ダリアは、目の前の一人の男に挨拶した。トレイルという男は、よれよれの服を来てぼけっと畑を眺めていた。
「おう、ダリアか。そちらの方は?」
「なんでも新しい道具を作るためにこの村にやってきた工匠さんです」
「そうか。そろそろお昼を持ってきてくれないか?」
「あっ、はい。分かりました」
トレイルという男に従順に従うダリア。この男は、村ではどういった立場の人物なのだろう。農夫のように筋肉質ではない身体では判断できない。
「のう、あんたはこの村の者かい?」
「俺は違うよ。暇だから村まで足を運んで、農業風景を楽しんでいるだけさ」
「そうか。実は気になった事があるんじゃが、なぜ、種をああやって蒔く?」
「うん? 種を撒く? そりゃ、種を撒かなきゃ芽は出ないからな」
「儂が言いたいのはそういう事じゃないんじゃ。種をああやって乱雑に撒いては効率が悪いのではないか? 少し土を盛れば、水捌けも良くなるだろうに」
「ああ、そういうことか。種は全部が全部発芽する訳じゃない。だからああやって神頼みで撒いているんだ。だが、土を盛って水捌けか。詳しく話を聞かせてくれ」
儂はトレイルという男に考えを伝えた。種を広い土地で撒く非効率性を、密集して出来てしまった苗は抜いて整える事、ダリアから聞いた村の傾斜のない南西部は水捌けが悪く根腐れが起こしやすい事を、だ。
「ふむ、では。スポパヌスは種を撒く行為を効率化すれば良いと考えているんだな」
「ああ、種だけ別の狭い場所で育て、ある程度に育てた苗を等間隔で置いていけばいいと考えた」
「なるほど、苗を育てて、それを植える。植林に似た概念だな。それに土を盛ることで水捌けを良くするのか」
「そうだろう? 本棚が列を為してるから取りやすんであって、作物も列を為さなければ取り辛いと思うんだが」
「だが、問題がある。苗を育てたは良いが、それを植えるのはどうする。土をそのまま移動させる手間を掛けるのか?」
「うーん。それはだな」
石で地面に絵を描いている大の大人二人。儂はふと顔を上げるとそれを楽しそうにダリアがにこにこして見ていた。
「楽しそうですね。何を書いていたんですか?」
「うん? ああちょっと村の農業を話していた」
「そうですか。お昼持ってきましたよ。パンとロールキャベツです」
「ほう。この村でもロールキャベツが食べられるとは」
儂は石を置き、トレイルという男と並んで昼飯を食べた。うん、肉とキャベツが上手い。パンも焼き立てのようでふわふわだ。農村部は、何時も硬い黒パンだという話を聞くが、むしろ良い食事を取っているのではないかと思い、隣に聞いてみる。
「食事が上手いのう」
「そうだな。俺も適当な物しか食わなかったけど、最近は食にうるさくなり始めて困っている」
「ああ、本当に毎週ニーレ・ストールに通うようになって嫁にも同じ料理を作らせるようになって食卓が豊かになった。何故じゃろうな?」
「さぁ? 民の暮らしが安定するのは領主が善政を敷いているからだろ。収穫量が増えたから税も一時的に増やす領地なんて腐るほどある」
「そうですね。私もこの領地に生まれて良かったです。それに領主のフィリアちゃんは優しいです」
「ほう、領主を知っているのかい? どんな人だった」
「可愛らしい人です」
ダリアが微笑んでいる。あまり要領を得ないが、とにかく悪い人ではないようだ。
三人で並んで食べた昼食は、お腹を満たし空を見上げる。ああ、青空じゃ。このままここで農村部の工匠にでもなろうかな? などののほほんとした考えが過る。
「食休みしてください。私は食器を片づけますね」
「おう、ありがとよ」
そう言って首だけ振り返り、儂はお盆に食器を乗せるダリアを見て閃いた。
地面の石を広い、適当に絵を書いていく。
「どうしたんだい?」
「いや、苗を植える道具を思いついたんだ。鉄のお盆に砂を詰めて、そこに種を撒けばいい」
「なるほど、お盆なら持ち運びが容易いからな。だが、お盆に水を満たしても水捌けは悪い。穴を開けておく事を勧めるぞ」
「あるほど、穴をあけるのか。だが、これじゃあ穴から土が流れないか?」
「それは麻布を敷いて、その上から砂を被せるんだ。麻布は通気性が良いから土が流れないが水はちゃんと流れる」
「そうか、なるほど。これは良い考えだ」
「ただ、金属だ。腐食するだろう。耐久性問題もあるな」
「そこは儂ら工匠の仕事じゃ! 失敗を元に何度も作りなおしてやるわい!」
「じゃあ、土を盛る案は俺の仕事だな。中々に有意義な時間だった」
儂らの間には友情が芽生えた。その夜は夜を通して酒を飲み明かし、翌日の早朝。酒の抜けない頭で村へと向かう馬車に乗せて貰い帰った。
その後は鉄を打って、鉄製の長方形のお盆を作り、ラムル村に試して貰った。
結果が出たのは、二年後だった。
余談じゃが、鉄製のお盆の話を聞いた料理長が穴を増やしたものを作ってくれと言ったので作ったら、揚げ物の油切りとして使われた時、泣いた儂がいたのは秘密じゃ
こうして世界にトレーが誕生した。そして苗木の概念も同時に誕生したのである。
ダリア成長しました。赤毛の美人になりそうです。そばかすは無いですね。