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理論屋転生記  作者: アロハ座長
第Ⅱ部
26/53

学士・トレイル

区切りが良かったので、メイプルシロップまでを第Ⅰ部としました。これからは、第Ⅱ部です。

時期は、セフィリア九歳の夏。もうじき十歳だ。

 俺は、一通の手紙を旅装の内ポケットから取り出し、もう一度確かめる。

 内容は、家庭教師を頼みたい。娘との相性を知るために一度来てほしい。だそうだ。全く面倒だと思いながらも、俺は馬車で領主の城へと向かう。

 ここに来る途中、領地の村々を見て回ったが前回来た時よりも大きな改善点がいくつも見ることができた。ダイナモが領主だった頃は頻繁に地元の村の調査をしたが、随分小奇麗になったものだ。


「行く先、行く先でダイナモ万歳か。死んでも愛されているな」


 別に皮肉じゃないが、死んだ後に評価されるのはいつの時代の天才、鬼才は同じだなと思う。


「着きました。トレイル様」

「俺に様は要らん。貴族なんて堅苦しい称号は好きじゃないんでね」


 ジルコニア家の若い執事が微妙な表情で見つめる。まあそうだろう。今から会う人物は、同じ伯爵位でも俺は粗野な中年男だ。今の恰好だって、旅装の下は、よれた白衣なのだからな。


「荷物は俺が持つ。あと、旅装は頼むぞ」


 それだけ言って、丸めた旅装を胸元に押し付け、革張りのトランクを持ち城の中にずかずかと入る。


「お久しぶりです。ようこそいらっしゃいました。トレイル殿」

「ご健勝何よりだ、ジーク翁。キリコとリリィーは?」

「今は、それぞれ仕事をしておられます。セフィリア様もすぐにやってこられるでしょう」

「そうか。では待たせて貰おう。ダイナモの友人として」


 ダイナモの娘とこっそりと家庭教師の面談。この家の人間は考えることが分からん。まあ、俺自身ダイナモの娘じゃなければ断っていた。面談とは別で聞きたいこともあるしな。

 少し待っている間に、ドアがノックされた。


「お待たせしました。お初にお目にかかります。私は、モラト・リリフィム領の領主、セフィリア・ジルコニアと申します」

「お初にお目にかかります。俺は、学術院で講師をしていトレイル・ノレーと言う者だ。ダイナモとは友人関係にあった」

「はい。話に聞いております。私もお父様の友人とお話ししてみたいと思っておりました。ジーク、お茶をお願いします」

「畏まりました」



 かちゃかちゃとティーセットを用意するジーク翁。俺は、目の前の少女に対してどう声を掛けるか悩む。単刀直入に言うか? 苦手な世間話か? 貴族社会を捨てた俺には、こういう場面はほとほと弱い事を痛感させられる。



「あの? トレイル様?」

「ああ、様は要らん。俺は堅苦しいのは嫌いなんだ」

「では、トレイルさんは、学術院で講師をされているそうですが何を研究されているのですか?」

「まあ、色々だ。凡人には理解されない学問を、ね」



 凡人には理解できない。と言った瞬間、子どもらしい笑顔のまま目だけが存在感を増す。こいつは、九歳で腹芸も出来るのか。と感心する。



「具体的にどのような事を?」

「手を広げ過ぎて分からんが、言うなれば『環境学問』って所だ。植物や農業、酪農、農地の構造、農業概念の開発、農村部の納税組織の事も扱っている」

「そうですか。では農地の専門家からこのモラト・リリフィムの領地はどのように見えるのでしょうか?」

「良いのか? 言っても」



 俺は、含みと雰囲気を込めて返す。普通ならこれで話が詰まるがこのセフィリアって子どもは全く物怖じしない所を見ると凄い自信だ。



「では言おう。この領地は他の領地に比べて数段豊かで先進的だ。ここ数年での生産力の増大に一役買っている【肥料】やそれを作る【肥貯】の存在は、土に必要な養分を補う存在と、村の衛生状況を改善する為に一役買っている。

 農村部の若い子どもの病気の原因の一つに、衛生状況の悪さがある。道端に転がる糞尿も一か所に集めることで、衛生状況は大分改善されるからな」

「専門家の方にそう言って頂けるとお父様の残した政策はやはり凄いものだと分かります」



 セフィリアのその言葉に、俺は目を細める。じっとその内心を探ろうとする。為に、あえて持ち上げた話を落とす。



「だがな。問題点もある」

「えっ……」

「糞尿を肥料とする場合、そのまま畑に投入しても効果はあるが、土壌には悪い影響もある。これを見ろ」


 俺は、トランクの中から二枚の押し花を取り出す。


「これは、なんの花か分かるか?」

「いえ……花弁が小さ過ぎて分かりません。青と赤紫っぽい花弁ですね」

「これは、同じ花だ。紫陽花という雨の時期に咲く花だがこいつの力はそれじゃねえ。土壌の様子が分かるんだよ」



 今までの微笑みを消して真剣な表情のセフィリアがこちらの目をしっかりと見つめる。良い表情をしてるじゃねえか。と内心にやにやとしながら、俺は淡々と講義を続ける。



「青は土が硬くて根腐れを起こしやすい土。赤は柔らかい肥沃な土に咲き易いのが特徴なんだが、この花は青は肥料。赤はこの領地で言うところの腐葉土を混ぜて育ててある」

「どうして腐葉土の事を……」



 確かに、森の柔らかい土を利用するのは、この領地だけだ。それに腐葉土という名で通るのもこの領地。それも森に隣接する農村部だけだ。だが、俺は学士。新たな物には目が無いんだ。



「俺は二年前、この領地の村に調査に来たから詳しいんだよ。まあそれは良い。つまり、肥料ってのは栄養を補給するのに適した物であると同時に土地を硬くしちまうんだ。それに、虫の温床になるから畑に虫がわき易くもなる」

「……」

「だがな。経験則「大地に恵みは、地に帰す」は正しい。腐葉土の性質は、長時間掛けて腐った土。それなら肥料を長時間掛ければ、腐葉土と同じように肥沃な物になる。その目安は、臭いの有無だ。だから今後の農業指導は、一年ごとに肥料を作り、三年ほど放置した臭いの薄い物を利用するのを勧める」

「……ありがとうございます。今後の指導にその意見を取り入れさせて貰います」


 セフィリアの表情は硬い。つい、普段の厳しい物良いをしてしまったので、すぐに補足を加える。

「まあ、その。あまり赤過ぎても良い土とは言えないんだ、紫色。がちょうど良い。他にも、色によって適した作物がある。だからあまり気にする必要はない」

「ふふふ、トレイルさんはお優しいですね」

「大人を茶化すな」


 俺は、そう言って笑うセフィリアに安堵の笑みを浮かべるが、すぐに顔から表情を消す。お茶を用意しているジーク翁から『セフィリア様になんて無遠慮な物良いを』のような嫌な視線を受けるが無視しつつ、今日聞きたい核心に迫る。


「それで、セフィリア。聞くが、これは本当にダイナモの残した政策か?」

「はい。お父様は最後まで領民を…「嘘だな」」


 途中でセフィリアの言葉を遮る。あまり褒められた事じゃないが、話し合いの主導権を得るためだ。教会被れの馬鹿どもと口先で渡り合う俺には、これは当然の事だ。



「ダイナモの政策は領内の効率的な組織化。農村部との連携を重視していた。第一、あいつ自体はそれほど深い農業の知識は無い。視察も農民の抱える問題を直接聞くためだ」

「それは、お父様は、領内の組織化をした次に……」

「残念だが、ダイナモの政策は、俺達が学院時代に考えた物だ。それを更に活版印刷を取り入れたあいつなりのアレンジだ。それによる製紙業の発生と安い記録媒体のによる大量の情報保持、間伐材の利用と植林の概念の定着。まさに俺に扱う『環境学問』が基本だ。だがこの肥料は全く別種の政策だ」


「……」


 セフィリアは、完全に俯いている。だが、二度三度深呼吸をして引き締まった顔でこちらを見つめ返してくる。



「これは、全部私が考えました」

「セフィリア様! それは」

「良いのです。もうトレイルさんは、気が付いているのですから」


 ジーク翁の反応を見る限り、やっぱりダイナモを隠れ蓑にした政策だったようだ。



「それが本当なら、神童や鬼才って言われても不思議じゃないな。それで、なぜ隠していた?」

「隠していた訳ではありません。私は子どもです。子どもの言ったことを、はい、そうですか。と納得して受け入れられるでしょうか? 無理なのです。ですからお父様の名を借り、近くの農地での実証のデータを採取してから領地に広めたのです」

「子どもながらに裏付けを取るとか……こりゃ驚いた。学術院ですら、自身の空想をそのまま垂れ流す輩が多いのに」

「それでは学問ではないと思うのですが……」

「違ぇね」



 セフィリアは、子どもっぽく頬に指を添えて小首を傾げる。その様子に俺は事実主義の大人びた側面と今の子供っぽい側面のギャップに笑ってしまう。



「それで? これだけが領内に施した政策じゃない筈だ。他に何をした?」

「他と言われましても、まだ明確な結果が出ていない物が多いので伝えることは……」

「教えてくれ。それらも評価をさせてくれ」

「……分かりました。ジーク、私の執務室から資料を持ってきてください」

「ですが。あれらの実態はなるべく秘匿すべき案件でございます。部外者であるトレイル殿に見せるのは……」



 あのジーク翁が歯切れが悪い姿に、重要な内容か、部外者である俺への忌避を感じられた。



「ああ、俺は話さないぞ。まあ、もしも話したら捕まえて殺すなりすればいいさ」

「……畏まりました」


 ジーク翁がすぐに反応を示さななかったが、結果は了承してくれた。まあ重要な政策に軍備増強があれば、それだけで反逆罪に繋がりかねない。ただでさえ小麦が安定供給できるモラト・リリフィムだ。不用意に武力を持てば、そう言う意思が無くても嫉妬に駆られた貴族がある事ない事を吹聴するだろう。


 だが俺の前に出てきた政策は、どれも軍備とは無関係。いや、どちらかと言うと戦など無縁な政策ばかり。その内容には、専門分野が含まれており、目を見開き興奮する。


「まさかこれほどとは! あの『脱穀機』はセフィリアの発明か! それに、そうか特産品の成立による交易重視政策! 需要のない作物に需要を持たせるための新作料理の開発と直営店! 一番の驚きは、生産力の低い北部で商品価値の高いものを生産する! それであの『砂糖』と新たな甘味料か!」



 俺の興奮した姿に対するジーク翁の視線など気にしない。だが初対面のセフィリアが俺のこの姿には相当面を食らったようで、咳払いをして俺は誤魔化す。



「ごほんっ、すまない。とても良く考えられた政策だ。だが、分からないアイディアがある。この『農業試験場』と『品種改良』って言葉はなんだ? 今年から始めたようだが」

「農業試験場とは、私が農業での様々な作物のデータを採取するために作った物です。今そこでは長期的に『品種改良』という人間に都合のいい作物を作る作業をしています」

「……作物を作る? 言葉だけなら作物の創造のように聞こえるが?」

「いいえ、『品種改良』とは作物を配合して人間が飼育し易い能力を持たせるのです。親と子の顔の造形が似ているのも形質に受け継ぎ、と言うのでしょうか」

「なるほど。つまり、長期的に配合を繰り返し、対虫、対病気、雨風に倒れにくい、実りの多い、といった特徴の作物を作るんだな。これを論文にして発表すればどれだけ学術界に反響が及ぶんだろうな。論文にして発表して良いか?」



 ジーク翁が今までにない殺気を放つ。つい口を滑らせた。本来この情報は秘匿だった事を思い出し、冗談だと一言付け加える。



「それで、トレイルさんから見てこれらの政策の評価は?」

「多少の改良点はあるだろうが、政策に改良は付き物だ。合格以上か他の領主よりも有能だよ。セフィリアは」

「それは良かったです」



 ほっと胸を撫で下ろす。本当にそうだ。まあ、他の領主が糞過ぎるのも領主の合格ラインを下げている要因なのだが、これは言わないでおこう。



「トレイルさん。一つご相談があるのですが?」

「なんだい? 俺自身は大した学士じゃないが聞けるのなら聞こう」

「広く学問を扱っているトレイルさんは先ほど『学術院ですら、自身の空想をそのまま垂れ流す輩が多いのに』と仰いましたが、学術院に対して思い入れは強いのでしょうか?」

「いや、あそこは金羽振りは良いだけだ。俺の研究や論文に対しての明確な反論材料なしでの文句が多くて困る」

「でしたら、私の。いえ、ジルコニア家がパトロンとなります。当家で農業研究をしてみませんか?」

「セ、セフィリア様! トレイル様は教会と揉め事を起こした学士ですぞ! そのような者に対してパトロンなどと!」



 俺だってなんの冗談だと思う。パトロンと言えば、簡単に言って後援者の事だ。音楽や芸術を趣味とする貴族が己が欲望を満たすために音楽家や芸術家に金銭的な支援するのだが……



「ジーク翁の言うとおりだ。俺の出した論文は教会に目を付けられた。いや、正確には教会派の貴族の政策を真っ向から批判した内容で、潰されたんだ」

「ちなみに内容をうかがっても構いませんか?」

「ああ、西部の戦線に送る武器を作るために山の木を切り倒し炭にし、鉱山から鉄鉱石を採掘するって計画だ。それの影響について書いた」



 僅かに自嘲気味に語る。これを聞いた教会派の連中は、蛮族に恐れる者の言葉。我が祖国を守るための行為を否定するとはもしや敵国の間諜か。とさえ言われたのだ。あまりの物良いに呆れて物が言えないので、俺は一時的に学術院を離れてほとぼりが冷めるのを待っているのだ。



「なるほど、その考えは正しいと思います。ジーク? 間違っているのは教会の方だと私は考えるのだけれど」

「確かに武器を作る事は、死者を増やす事。あまり戦争が激しくなる事は正しいとは思いませぬ」

「違うわ。そう言う事じゃないの。これは長期的に農民の生活を苦しくするわ」

「なぜ、そう思う?」



 俺は、驚く。王都の学術院ですら認めなかった俺の論文をセフィリアは、認めるのだ。それも俺の説いた農民の生活との密接な関係性を何も言わずに行き着く。



「森には高い保水性があります。もしも森の木を大規模に伐採してしまえば、森の保水性は失われ、山は雨水を蓄えられずにただ流れてしまう。いつかは、水を蓄えられずに地下水は無くなり、近くの川や井戸が枯れてしまう可能性があると思っています。

 それに、山肌が曝されることで山の土砂が流れやすくなり、土砂災害の発生が増えると考えております。だからお父様は、山火事の禿げた土地に植林をしていたのです」

「そ、そうなのですか!? トレイル殿!」

「模範解答ありがとう。ついでに補足すれば、過去に鉱山開発で周囲の農村での作物不良が起こる事例が存在する。このことから鉱山からは環境に悪影響を及ぼす何かが流れている可能性がある。とこんなところだ」

「……それが本当ならば、その領民の生活はどうなったのですか? トレイル殿」

「さぁ? まだ結果待ちだ。何年も後に出る可能性の話だ。今すぐにじゃない。だが、俺も馬鹿どもにこれを教えようとして失敗したんだよ。分かりやすくて簡単な説明が思いつかなかった」



 そうだ。俺はこれを過去の事例から取り上げただけで目の前で証明できなかった。まあ、出来る筈もない。森を焼き払って実証するなんて俺には出来ない。



「ですが私はトレイルさんの考えを支持した結果、パトロンになりたいのです」

「先ほどは失礼しました。学術院の鬼才であるトレイル・ノレー学士殿を疑うような真似をして」


 セフィリアは、俺に対して尊敬の眼差しを向け、ジーク翁は深く頭を下げる。

 二人はなんと潔い事か。貴族は、教会と揉め事を起こしたくない輩も多い為に俺を腫れ物扱いするが、このセフィリアは簡単に俺の意見を認め、正確に理解した。ジーク翁も自己の間違いを認めるだけの器量がある。

 だから、俺は答えが決まった。



「残念だが、パトロンの話は断らせて貰おう」

「……っ!?」

「ただし、別の方の依頼。家庭教師は、是非とも俺が受け持ちたい。パトロンになってしまってはいざという時に学術院に戻れないという理由があるのでね」

「……家庭教師。なんの話ですの?」



 セフィリアが小首を傾げる。

 その後、リリーとキリコを加えての説明でセフィリアは、かなりご立腹だった。第一学術院には行かない気らしい。そこはこの家の人間の説得する事だが、セフィリアも俺を気に入ったようで家庭教師を取ることを認めた。



「では、今後ともよろしくお願いします。トレイル先生」


 その一言に結構照れたのは、俺一人の秘密だ。



今回は会話が多かったですね。理論屋と学士が会話するときっとこうなるだろう。と言う話。

凄い貴族同士の会話じゃないですね。あとジーク一人置き去り気味だった気がする

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