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ALTO+  作者: Mercurius
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ガードレールに座る幽霊

 春日野さんのマンションを後にして、駅までの道を歩きながら拳を硬く握りしめる。

 帰り間際、春日野さん言われた一言が頭の中をリフレインする。


「この男を探し出したとしても、今の秋篠くんでは敵わないでしょうね」


 この男を探し出したいと言い出す前に、春日野さんはこう言って釘を刺した。

 妹を穢した男は、一年も前から電子の妖精を従えていた。

 もう高速知覚の段階はクリアし、更なる高みに登っているはずだ。

 奴と対峙すれば返り討ちにあうのは目に見えている。彼女はそう言いたいのだ。

 確かに今の俺には、妹の無念を晴らすための絶対的な力が足りない。

 

 

 

 家に帰るなり部屋着に着替え、床に手を付いて腕立て伏せを開始する。

 一回、二回……。三回目で腕が震え出す。

 そしてもう一度体を持ち上げた時、力尽きて床に這いつくばった。

「確かに力が足りない。それもかなり壊滅的に……足りてない」

 あまりの非力さにアルトは困った顔をして、どう声を掛けていいのか分からない様子だ。

 こういう時は春日野さんみたいに罵倒してくれた方が気が楽だ。

 逆に気を使われると情けなくて涙が出てくる。

 だがヘコんでばかりはいられない。

 体力がダメなら知力で勝負するしかない。

 パソコンの電源を投入し、アルトを肩に乗せて目を閉じる。

「俺にも春日野さんと同じく、ハッキングの能力が――」

 OSが構築している一見使いやすく見せかけた世界も、一皮剥けば0と1の塊だ。

 メモリーに記号化して溶け込み、CPUの制御を通り抜けて、入出力ポートからネットワークカードへ移動する。

 アプリケーションで紡がれたTCP/IPプロトコルは、下層のイーサーネットプロトコルにカプセリングされる。

 0と1のプリアンブル。そこに1を挿入して通信開始。MACアドレスを頼りにルータへと到達する。

 そしてイーサーネットプロトコルの殻を取り除き、ルーター上でPPPオーバーイーサーネットに乗り換える。

 やっと光ケーブルに乗れたと思った瞬間、耐え難い脱力感に見舞われ意識が遠のく。

「くっ……」

 部屋に残されていた体に引き戻される感覚。

 目を開けた瞬間、体の中に消えていくもう一人の自分が見えた。

 パケットが飛び交う数ミリ秒の間だったが、確かに魂は体から離れ、ルーターを越えた実感がある。

 だがパソコンを操作して、ブラウザーを開けばもっと先に行ける。ハッキングには程遠い状態だ。

「……しかし、体の重みを実感したのは初めてだ」

 魂は自由に飛翔出来るが、肉体はケーブル一本通り抜けることが出来ない。

 肉体を行使し力を使うことと、アストラル体になるのは真逆の行為に思える。

「こういう場合、春日野さんはどうしたんだろうか……」

「心と体は繋がっているってシンクレアも言ってるよ。広哉の場合、まずは体を鍛えなくちゃね」

「そっか……、やっぱりな」

 まずはアクセラレートに対応出来る体作りだ。

 高速知覚を使いこなせば、電子の精霊は必ず次の段階に誘ってくれる。

 春日野さんの受け売りだが、今はそれを信じるしかない。

「アルト、高校一年生最低ランクの体力をベースに、体力強化メニューを作れるか?」

「お安いご用だよ。とりあえず文科省に行って、体力測定の結果を取ってくるよ」

 あっと言う間にファイルが一つダウンロードされた。

 アルトはそのファイルを見て、メモ帳に体力強化メニューを書き上げる。

「夕食まで時間があるし、軽く体を動かしておくか」

「じゃあ、体力メニュー作成プログラムを起動させておくね。結果は追々伝えるから、とりあえず庭に出よう?」

 アルトはパソコンに分身を残し、軽やかに飛翔して肩に乗る。

 例えるならグリッドコンピューティングか。処理の一部を分身に任せ、演算結果だけを受け取る。なかなか便利な機能だ。

 学校指定のジャージに着替え、庭に出て玉砂利を踏む。

 アルトが送り込んでくれるイメージに従い、ゆっくりと全身の筋を伸ばしていく。

「広哉、がんばれ~」

 アルトはティッシュで作ったポンポンを手に、黄色い声を上げて応援してくれている。

 まだ柔軟体操の段階で応援が必要なのなら、もっとキツいメニューになったらどうする。

 先行き不安になりつつ、硬くなった関節に活を入れた。

 次のメニューはウォーキング、早足で近所を何周も回り続ける。

 歩くのが速すぎてもダメ、遅すぎると運動にならない。

 アルトの指示通りにペースを加減し、点在する街灯を区切りに歩き続けた。

 どうやら今日は無難に下半身強化から入ったようだ。

 アルトはどこで資料を揃えてきたか分からないが、体力強化メニューは理にかなっている。

「広哉、もうすぐお婆ちゃんが呼びに来る時間だよ。部屋に帰ってシャワー浴びよう?」

「おっ、そんな時間か……」

 アルトのスケジュール機能は大したものだ。

 こちらが指示していないのに、自己学習で一日のイベントを学んでいる。

 

 

 

 シャワーで軽く汗を流した後、離れを出て踏み石を頼りに母屋に辿り着く。

 夕餉の匂いが立ちこめた座敷に腰を下ろし、アルトの好きなクイズ番組を見るべくテレビを点けた。

 台所の暖簾を掻き分け婆ちゃんがひょっこり顔を出し、訝しげに俺の顔を見つめる。

「あら、いい頃合いに顔を出すね」

「秘書が有能ですから……」

 ちょっとしたボケのつもりだったが、婆ちゃんは何も言わずに踵を返し、お盆を手に戻ってきた。

 お櫃に移してあら熱を取ったご飯、豚肉入りナスとピーマンの炒め物、ホタテを解いた大根のスープだった。

 取り分けてくれたサラダを受け取り、手を合わせて夕食にありつけたことを感謝した。

 婆ちゃんは大根のスープに口を付け、テレビに興じるアルトを横目に見る。

「あれが広哉の秘書かい?」

 返答に窮する一言。刀も抜かないうちに斬られた気分だ。

 頬を掻いて一つ二つ言い訳を考えてみたが、婆ちゃんに嘘は吐けないと諦めた。

 結局のところ真実を伝えることにした。

「あれはアルトと言いまして、コンピュータから生じた精霊のようなものです」

「まあ……。日本には八百万もの神がいるというけど、最近ではそういう神様もいらっしゃるんだね」

 アルトはテーブルの上で体育座りをしてテレビを見ていたが、自分が話題にされていることに気が付き、落ち着き無く振り返る。

 俺はアルトに目配せをして、婆ちゃんに目線を送る。

 彼女はコクンと頷いて、婆ちゃんの鼻先に飛び上がった。

「お婆ちゃん、こんばんは。アルトだよ」

「あらあら、なんてかわいらしい神様じゃろうか……」

 褒め言葉を聞いて、だらしなく頬を緩めるアルト。

 婆ちゃんの頬にキスをして、照れ臭そうに頭の上を飛び回る。

 いつになく和やかな雰囲気だ。このタイミングなら相談出来るかも知れない。

「婆ちゃんって、ここらに住んで長いですよね」

「古くなった家には半世紀以上、ここに引っ越して十年くらいかね」

「ここらで武道を教えている人、ご存じないですか? 出来れば実戦的な方を……」

 婆ちゃんは怪訝そうな顔をして、俺の顔をジッと見つめる。

 そして飛び交うアルトを一瞥して、深い溜息を吐いた。

「大東亜戦争で南方の島への上陸作戦に参加し、弾薬尽きて徒手でゲリラ戦を仕掛けていた猛者がおったが……」

「いや、実戦すぎっしょ。それ……」

「その方も亡くなって久しいけど、息子や孫が技を継いでいるかも知れないね。一度訪ねてみたらどうだい?」

 そう言うなり婆ちゃんは席を立ち、老眼鏡を掛け、大きな手帳を手に戻ってきた。

 まさか食事中に席を立つとは思わず、心苦しい思いで手帳を捲る様子を見つめる。

「ここじゃよ、ここに書いてあるわ」

 婆ちゃんは手帳をひっくり返し、身を乗り出して指を差す。

 そこにはこの近くの住所と『城戸健次郎』という名が書き記されていた。

 婆ちゃんはその住所と名前を紙に書き写し、二つ折りにして手渡してくれた。

「理由を聞いてもいいかい?」

「……虚弱体質を改善するためです」

 婆ちゃんは眼光鋭く俺を睨み付ける。

 そして咳払いを一つして、着物の裾を整えて座り直した。

「いえ、その脆弱な体を鍛え直し、何をしようとしているのか、ということを聞いておるんじゃよ」

 さすが婆ちゃん。適当な言い訳は通用しないようだ。

 婆ちゃんは俺に腹を割って話をしてくれる人。出来れば嘘は吐きたくない。

「愛香を……、妹を死に追いやった奴を追い詰めようと考えています」

 その一言で和やかだった雰囲気が一変し、ピリピリとした空気に包まれる。

 婆ちゃんは何も言わずに食事を済ませ、そのまま奥の座敷に引き籠もってしまった。

「お婆ちゃん、なんだか悲しそうな顔してた……」

 アルトは閉じられた襖を見つめ、物憂げな表情を浮かべる。

 いたたまれない気持ちになるが、一度決めたことを周囲の意見に流されて変えたくない。

 なによりそんな理由で挫折するほど愛香の存在は軽くない。

 ふとアルトが顔を上げ、襖の方をジッと見つめる。

 次の瞬間襖が開かれ、婆ちゃんが年季の入ったアルバムを手に戻ってきた。

 向かいに座り無言でアルバムを捲り、ソッと俺の前に差し出す。

「これが健次郎爺さんじゃ。なぜ私がいの一番に名前を出したか、見ればすぐに分かるわ」

 そう言って一枚の写真を指差す。

 町内会の旅行だろうか。温泉場の名前が入った集合写真に、一人異彩を放つ霊気を纏った人物がいる。

 隣の人をも包み込んでしまいそうな赤の霊気。

 その人物の人相に見覚えがあった。

「この人……、駅前に座っている爺さんだ」

 駅前のガードレールに座り、道行く女子高生のケツを追い掛けている爺さんの幽霊。

 あの爺さんが武道の達人だったなんて……。

 

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