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ALTO+  作者: Mercurius
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アクセラレート

 出る杭は打たれる。

 人より秀でたものはとかく人から憎まれるといった意味の諺だが、その意味を再度考え直していた。

 成績が急に上がった訳でも、一夜にしてイケメンに変わった訳でもない。

 ただ原因を挙げるとすれば、下御門さんと仲良く話すようになり、柏木女史に痛ぶられる回数が増えたこと。

 なにより春日野さんと弁当を食べるようになり、付き合っているのではないかと噂されるようになったことだろうか。

 今日、廊下で柏木女史に呼び止められ、気をつけるように言われたばかり。

 だが、何をどう気をつければと首を傾げて帰宅していたら、駅に辿り着く前に怖い先輩方に拉致られ、現在人気のない路地裏に立たされている。

 目の前には制服をラフに着こなし、ほんの少し茶髪テイストの、肉食系の目を持った先輩方四名に取り囲まれている。

 どの先輩方も面識無く、話したことも無ければ、その存在すら知らなかった。

 だが一同、俺に対し何らかの憤りを感じていらっしゃる様子。これは困ったものだ。

「秋篠広哉だな? 最近発情期に突入した一年坊主って……」

 なるほど、原因はそういうことね。いや、なんかそうじゃないかなと思っていた。

 こういう場合、俺の取る選択肢は二つある。

 一つは彼らのいいなりになり、一発コツンと殴られてやること。大げさに痛がってやればなおよろしかろう。

 もう一つは非力ながらも抗って見せることだろうか。しかしこれは暴力の連鎖を巻き起こし、勝っても負けても一回切りで終わる保証はない。

 前者はプライドと引き替えに軽傷で済むかも知れないが、春日野さんや下御門さんと縁を切るつもりはないし、柏木女史は何か下僕だと勘違いしている節がある。

 とすると度々彼らに小突かれてやらねばならない。これはかなり苦痛だな。

「何、黙ってんだよっ!」

 背後から蹴り一発。勢いに押されて前によろけると、ちょうど顔の位置に肘が待ち受けていた。

「ヒロヤ!」

 アルトが耳元で悲痛な叫び声を上げる。

 一蹴り食らって肘で口の中を切った。とりあえず大人しく一発殴られる選択肢は消えた。

「むう、怒ったぞ。もう許さないんだから!」

 アルトは俺の心を代弁するように、プンスカと憤ってピーピーと鳴き声を上げる。

 お前が怒ってどうすると思ってしまったが、どうやら彼女の怒りは本物だったようである。

「ヒロヤ! 私が指示するから、その通りに動いて!」

「お?」

 不意に頭の中にイメージが吹き込まれる。

 両拳を握って顎をガード。ベタ足ではなく、軽くつま先に重心を掛ける構え。

 そのイメージに出来るだけ忠実に、拳を固めて構えを取る。

「イメージ照合、合致率87パーセント。アクセラレート開始っ!」

 ズキリと偏頭痛がこめかみを襲う。

 先輩方の一人が構えを見て眉を顰め、鬼のような形相で拳を向ける。

 迫り来る拳がスローモーションのように見える。これはシンクレアの時と同じ、集中力が増した状態だ。

 首を傾けて拳を回避、勢い良く突っ込んでくる先輩の顎に単打を見舞う。

 そして闘牛士が華麗に躱すように、足を踏み替えてやり過ごした。

 踏鞴を踏んでつんのめる先輩。顎を押さえながら憤怒の表情で振り返った。

「こっ、こいつ何か囓ってやがるぞ。……囲めっ!」

 その指示に全員が呼応する。

 手の届く射程の外で包囲網を敷き、背後から蹴り、右と左から拳が放たれた。

 素人臭い跳び蹴りが背後から迫る。振り返りもせず横に回避し、目の前の拳をすり抜けて、右の先輩に膝蹴りを食らわせる。

 鳩尾深くに食い込む感触。相手が息を吐き切って、苦痛のあまり呻き声を上げた。

 跳び蹴りの男らしき手が、俺の襟元を掴んだ。そして力任せに引き倒そうとする。

 引く力のモーメントから、右手と判断。襟を掴ませたまま、時計回りに体を捻る。

 その腕には逆間接の力が加わり、肘の限界値に達したところで襟元から手を離す。

 捻りの勢いで背後に立つ先輩の脚を薙ぐ。だるま落としのように足元を掬われ、受け身も取れずに転倒。

 瞬時に立ち上がろうとするその手を蹴り、胸元を足で踏みつける。

「てんめぇ!」

 戦の名乗りをするが如く、奇声を上げて迫り来る先輩。

 声の発せられた場所でおおよその角度を特定。一旦身を屈めて拳をやり過ごし、そのまま膝を伸び上げながら背負い投げの要領で投げ落とす。

 落下地点には先程の先輩が寝ているし、いい緩衝材になる。

 残すは顎を押さえた先輩と、少し腰が引け気味のもう一人の先輩だけ。

 無言で一瞥くれてやると、半歩下がって臆する素振りを見せた。もう彼らに戦闘意欲は残されていない。

「別にサカっている訳じゃない。彼女らは俺なんかを相手にしてくれる奇特な人種なんだ」

 蹴られた辺りの汚れを払い、地面に転がった鞄を手にする。

 そして腰の引けた先輩方の方へ歩を進め、二人の間を指差した。

「駅はそっちの方角なんで……」

 二人はしばし呆然と言葉の意味を噛みしめていたが、ふと我に返って道を譲ってくれた。

 

 

 

 四時三十分、春日野さんの家。

 俺はリビングに敷かれた座布団の上に寝そべり、上半身裸の状態で湿布を貼って貰っていた。

「馬鹿ね。普段マウスより重たいものを持ったことがない人間が、四人相手に大立ち回りを演じればこうなるわよ」

「うぐぅ、もちっと下の方もお願いします」

「はい、はい」

 言われた通り筋肉は過度の負荷が掛かり、体の節々が悲鳴を上げていた。

 立ち回りを演じていた時にはそうでもなかったのだが、時間が経過すると共に痛み出した。

 助けを求めて途中下車し、春日野さんのマンションに辿り着いた時には、一歩進むのも苦痛に感じるほどになっていた。

 どうやらアドレナリンか何かの作用で、直後に痛みを感じなかっただけのようである。人体の神秘を感じずにはいられない。

「腰は筋肉痛で済んでいるけど、腕と太ももは重傷ね」

「マジっすか?」

「だって肉離れを起こして、皮下出血しているもの。全治一ヶ月ってところかしら?」

「……大人しく殴られておけばよかった」

 後悔しても切れた筋肉は元には戻らない。

 春日野さんは救急箱に湿布薬をしまう手を止め、呆れたと言わんばかりに深い溜息を吐いた。

「私が原因の一端というのがアレね。少々胸が痛むわ」

「相手が春日野さんの名前を出した訳じゃないけど……」

「もしかしたらそんな諍いに巻き込まれるかなぁなんて、ちょっと過度に見せ付けたりしてみたんだけど……」

「おい、今なんて言いやがりました?」

 春日野さんはペチリと患部を叩き、スッと息を吸い込んで冷たい手をそっと押し当てた。

「柏木女史と下御門ちゃん、……それに私だとすると、原因の九割は私ってことになるわね?」

「その根拠のない自信はどこから来るんだ?」

「これでも遠慮気味に言っているの」

「はいはい、100パーセント春日野さんのせいです」

「仕方ない、治してあげる」

 そう言うなり、手のひらからバチッと電流が流されたような傷みを感じる。

 あまりにも突然の衝撃に、思わず怪我のことも忘れて仰け反った。

「動いちゃ、ダメ」

「あひゃひゃ、何やってんの? ラムだっちゃ?」

 痛みを感じたのは一瞬。その後は体の中から温かくなるような心地よさを感じる。

 その手は腰から背中に移動し、肩を優しく撫で上げる。

「春日野さんってマッサージの天才? 凄く気持ちいいんだけど……」

「これは手当て。読んで字の如く、昔の人は手を当てて怪我を治していた。現在は読み方でしか残っていないけど、古の人々の技法よ」

「……それって、身に纏う色に関係する何か?」

「そう。目に見える色は霊気と言って、生命の源のようなものなの。私はそれを秋篠くんに送り込んで、患部の治癒を促進させているの」

「霊気……、あれはそう呼ぶものなのか」

「ちなみにそういうのを見定める目を見鬼という。鬼を見ると書いて見鬼」

「――見鬼」

 俺はあまりの気持ちよさに、深い淵に落ちていくような錯覚を覚えた。

 春日野さんの囁きが体の中に響き、俺の中にある何かを呼び覚まそうと、揺り動かしているかのように感じた。

 ――そしていつしか深い眠りについていた。

 

 

 

 目が覚めると見たこともない部屋にいて、ベッドの上に寝かされていた。

 かわいらしいクマの布団カバー。その布団から女の子っぽい甘酸っぱい匂いがして、枕には春日野さんのシャンプーの匂いが残っていた。

 保安灯の灯りを頼りに目を配ると、ベッドとクローゼットが一つ置いてあるだけ。どうやらここは春日野さんの寝室のようだ。

 そっと体を起こして、ベッドの端に座り直す。そして手をゆっくりと伸ばして、患部の痛みを確かめた。

「痛く……ない」

 腕だけではない。体全体から痛みが消え失せている。

 壁の時計は午後六時過ぎ、二時間近く眠っていたようだ。

 立ち上がって扉のノブを回す。部屋を一歩出ると、夕餉の匂いが立ちこめていた。

 エプロン姿の春日野さんが台所に立ち、俺の姿一瞥して『男はあっちに行ってなさいよ』と言わんばかりに眉を顰めた。

 テーブル……もといパソコン机に座り、その上で遊んでいるアルトとシンクレアの姿を見下ろした。

「アキシノ。元気になったか?」

「ヒロヤ、大丈夫?」

 小さな人魚と妖精は、口々に体のことを気遣ってくれる。

 電子の精霊か。不思議な能力を持っているものだ。

「アルト……さっきはありがとう。おかげで助かったよ」

「……ううん、ちょっとやり過ぎた。ヒロヤの体が耐えきれなかった。ごめんなさい」

「いや、俺が弱っちいからだよ。アルトが謝ることはない」

 俺はアルトを指の上に乗せ、もう一方の手でズボンのポケットをまさぐる。

 ポケットの中にはジュースの釣り銭、十円玉が八枚あった。

「もう一度出来るか。アレ」

「アクセラレート? うん、出来るよ」

「じゃあ、やってみてくれ」

 アルトは俺の指をギュッと抱きしめ、淡い光を放ち始める。

 握りしめた十円玉を頭上に投げ上げ、その一つ一つに視線を這わせる。

 落ちてくる十円玉を結ぶように、一筆書きの軌跡が見える。その線に合わせて手を動かし、深く息を吸い込んで手のひらをそっと開けた。

 手の中には八枚の十円玉が握られている。

「なるほど。シンクレアの能力とちょっと違うんだな」

 アルトの言ったアクセラレートは知覚の加速だ。

 シンクレアの能力を仮にコンセントレートと呼ぶとするなら、その両者は似ているようで表と裏ほどの違いがある。

 その刹那、手のひらから十円玉がこぼれ落ちる。

 手が激しく痙攣を起こし、激痛のあまりに腕が肩からぶら下がった。

「かっ、春日野、助けてっ!」

「あんた馬鹿じゃないの? 何やってんのよ!」

「いたたたっ、腕が上がらない」

「しかも私のこと、呼び捨てにしたわね? 何様のつもり?」

「いや、ツッコむ場所が違うってか。緊急事態だし」

 春日野さんは筑前煮を机の上に置き、腰に手を当てて呆れ顔。

 アクセラレート、この技は危険だと再認識した。

 少なくともマウスより重い物を持つ筋力を付けなければ、到底使いこなせない諸刃の刃だ。

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