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ALTO+  作者: Mercurius
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下御門千帆 02

 耳に当てた携帯電話から聞こえる呼び出し音。

 ワンコール、ツーコール、スリーコール。怪訝そうに携帯を見つめる相手の姿が容易に想像出来る。


 ――通話開始。


 お互い無言のまま、相手の様子を探る。

 耳障りなテレビの音と、携帯電話を持ち替える動きが聞き取れた。

「夜間飛行のベッドは寝心地いいか?」

 端的にどういう状況なのかを一言で告げた。

 相手と下御門さんだけの秘密という、被害者と被疑者に存在する奇妙な信頼関係に終止符を打つためだ。

 奴がまだホテルにいるというのは読めていた。

 そういったホテルは夜二十二時までフリータイム。それ以降は宿泊料金になるからだ。

 奴はその料金体系を知っていて、二十二時にホテルに来いと脅してきた。

「脅迫は空振りに終わりそうだったから、代わりにデリヘル嬢でも呼ぼうと思っていたか?」

 電話の向こうで息を呑む音。大人の考えることは単純で分かりやすい。

 一晩掛けて下御門さんを陵辱しようと考えていたのだ、その前に禁欲生活をして溜め込んでいたのは予想の範囲。

 二十二時に彼女が来なかったからといって、ハイそうですかと帰れるわけはない。

「ちなみに彼女は今、俺のベッドでくつろいでいるよ」

「なっ、あの子はそんな子じゃないっ! そんな……」

 相手は激高のあまり、思わず声を出した。

 予想していた通りの展開。相手の気持ちが少しだけ透けて見えた。

「そう、スポーツや勉学にひたむきで、今時珍しい純真な女の子だ。そんな無垢な女の子を欲求の捌け口にしようとしたんだ。お前がそんなことを言えた義理じゃない」

 しばしの無言。今、奴の心の中で葛藤が渦巻いている。

「近いうちに警察が介入し、捜査を始める。彼女に迷惑が掛からないよう、身辺整理をしておくべきだ」

 歪んだ形ではあるが、奴は下御門さんに恋慕の情を抱いている。

 無言もまた会話。短い時間ではあったが、俺はそう感じ取った。

 通話終了ボタンを押し、携帯をテーブルの上に置く。

「嘘は言っていないぞ?」

 隣で耳を澄ましていた下御門さんに言い訳を試みる。

「ベッドの上でくつろいでいるなんて……。くつろいでいた……でしょ?」

「ただのいい間違いだ」

 下御門さんは柔和に微笑んだが、その裏に隠された不安が窺える。

 どうも俺は人を安心させるのが苦手なようだ。彼女いない歴が長く経験値が不足している。

「心配しなくてもいいよ。動画の流出はシンクレアが阻止してくれる。電話はそのための作戦だ」

「見られていると思うと怖くて、らしくなく追い詰められちゃったけど……。今は大丈夫だから」

「無理するなよ。溜め込むのは良くない」

「人目に晒されたら諦めようと思ってる……、ハズカシイけどね?」

 ギュッと拳を握り、自分を勇気付ける。

 本心じゃない。割り切った気持ちなのだろうが、健気で応援してやりたくなるタイプだ。

「冷蔵庫にロールケーキがあるけど、食べるか?」

「うんっ!」

「この離れには小さいながら風呂もあるけど、どうする?」

「もちろん、入る!」

 会話を重ねる度に元気になっていく。

 俺は苦笑しながらリビングに向かい、再びコーヒーを二つ用意して、ロールケーキを引っさげて掘りごたつに戻る。

「二人分盛り付け頼む。俺は風呂入れてくるから」

 障子を開けて縁側に出て、奥まった場所にある風呂場の扉を開く。

 浴槽に栓をして、お湯張りボタンをオン。

 適温のお湯が注がれるのを確認の後、風呂場に置いていたひげ剃りと安全カミソリを手に持つ。

 脱衣場の棚の上、石けん箱に刃物を隠し、新しいバスタオルを用意して部屋へ戻る。

「お待たせ」

 掘りごたつの上にはロールケーキが皿に盛られ、部屋の中にはコーヒーの香ばしい匂いが充満していた。

 パソコンの前に座り、彼女に遠慮させないようロールケーキを一口頬張る。

 下御門さんもそれを見て、大きな口を開けて一口。頬を手で押さえて、幸せそうな微笑みを浮かべた。

 相変わらず画面の中に立つ春日野さんのアバターは鼻ちょうちん。俺の視線に気が付いたのか、下御門さんは心配げに口を開いた。

「シンクレアさん、眠りっぱなしだね?」

「彼女は今、紅茶なんか飲んでいない。動画を抹消するために東奔西走しているはずだから」

「そ、そうなの?」

「今、彼女がどうしているか。俺の予想で良ければ、話してもいいが」

「うん、聞かせて?」

 俺はフォークを皿に置き、コーヒーで喉を潤して、今彼女がどうしているか予想を立ててみた。

 

 

 

 マンションの駐輪場、午前零時前。愛車のベスパS50のエンジンを掛ける。

 ハーフタイプのヘルメットを被ってゴーグルを装着、ベスパに跨がり、脚でスタンドを蹴る。

「パソコンの電源が入ってないから、ハッキングも出来やしない」

 春日野栞はそう毒づいて、バイクを発進させる。

 ターゲットの住所や家族構成は事前にチェックしている。

 彼女の住む場所からそう遠くない場所に立つ、独身向けのマンション。彼はそこに暮らしている。

 親と死別。一度結婚しているものの、十年目にして離婚した。

 どうやら満ち足りた結婚生活ではなかったようだ。

 国道を西に走って脇道に逸れる。シンクレアのメモリーに残された地図情報を頼りに、細い路地を右に左に徐行する。

 電柱の住所表示を一瞥。周りを見上げて、それらしいマンションを探す。

「アレね」

 白っぽい壁のマンション。ベランダの区切り方で、大家族向けでは無いことが見て取れる。

 ベスパを目立たぬ場所に停車。鍵を掛けて、ヘルメットをハンドルに掛ける。

 入り口は電子ロック。閉じられた扉の向こうには、守衛室らしき部屋はない。

 彼女は電子ロックに手のひらを置き、スッと目を閉じて息を吸い込む。

 同時にシリンダーの稼働音が響き、事も無げに扉が解錠される。

 彼女はさも、自分が住人であるかのように振る舞い、人の目を気にするでもなく扉を開ける。

 一歩踏み込んだ所でピタリと脚を止め、天井付近を見て目を細める。

 エレベーター前の様子を常時映し出すためのカメラが設置されているのだ。

「お休み……」

 彼女は小声でそう呟くと、カメラの下部、電源オンのパイロットランプが消える。

 活動を停止したカメラに向かい、あかんべーをしておどける。

 そして何事もなかったかのように、淑女然とした振る舞いでエレベーターに乗り込んだ。

 三階。表札を確認しながら、足音を消して歩を進める。

 そして味気ない扉の前で足を止め、肩に乗ったシンクレアを指で突く。

「開けて頂戴」

「あいあい……」

 シンクレアはドアを通り抜け、一息置いて鍵が中から開けられた。

 扉をそっと開け、後ろ手で手早く閉める。

 彼女は壁の灯りを付けて、玄関先にミュールを転がした。

「おじゃまします」

 一応の礼儀だろう。一言そう呟いて部屋に上がる。

 ポケットからペンライトを取り出し、部屋の隅々に光を当てる。

 そしてダイニングを抜けて寝室の扉を開く。薄暗がりの中、猫のような目が右へ左へ動き回る。

 ベッドサイドにある机の上、書類の横に置かれたノートパソコンに目を付け、手探りで電源を付ける。

「DVDはROMだけの廉価ドライブか」

 パソコンが起動するまでの時間を利用し、机の中を下から一段、一段と引き出していく。

 二段目の引き出しに大量のDVDーRを見つけ、鷲掴みして机の上に並べる。

 ラベルは貼られておらず、油性のペンで日付と場所が記されている。

「一階女子トイレ、更衣室、部室……。色々あるわね」

 パソコンの起動音。立ったままキーだけでOSを操る。

 メインドライブの直下にある『画像』というフォルダーを見つけ、中を開いて呆れた風に溜息を吐く。

 中には年端もいかない幼女から、女になる寸前の女子高生まで、年齢別に整理整頓された画像や動画が大量に見つかった。

「秋篠くんもこれくらい溜め込んでいると思ったんだけどな」

 彼女はそう独りごちて苦笑した。

 そして胸元からペンダント状のUSBメモリーを取り出し、ノートパソコンのスロットに差し込む。

 再びキーを叩いて、その画像全てをメモリーに転送させ始めた。

「証拠隠滅の前に押収っと」

 そしてポケットから携帯を取り出し、フラッシュを何度も焚いてその様子を画像に収める。

 転送待ちの時間を利用して、戸棚、ベッドの下に手を伸ばす。

 どうやら意中の物は見つからなかったようで、少し残念な表情を浮かべた。

「転送完了……っと。シンクレア、物理フォーマットかましちゃっていいわよ」

「あいあい。ささっとやっちゃいます」

 彼女はUSBメモリーを胸元のホルダーに差し込む。

 同時にパソコンはブルースクリーンに変化した。

 手前に置いたDVDーRを小さなリュックに詰め込み、部屋の中をもう一度指差し確認して回る。

 そしてふと首を傾げ、眉を顰めて唇を?む。

「……意外と根が深いかも知れないわ」

 彼女はそう独りごちて、部屋の扉をそっと閉めた。

 

 

 

「……って具合じゃないかな」

「えーっ、扉を開けるところとか、端折っちゃってよく分からなかった」

 何も知らない下御門さんに、精霊の力なんて説明出来るわけもない。頭を掻きながら苦笑するしか出来ない。

「そろそろ」

「ホントに?」

「ああ、何となくそんな気がする」

 そう言った途端、携帯が着信。春日野さん……もとい、シンクレアから動画抹消の知らせが届いた。

 春日野さんはおおよそ予測した通りに動いていたらしく、行動の詳細を語って聞かせてくれた。

「――そういうことだから、とりあえず彼女に伝えておいて」

「ああ、安心すると思うよ」

「安心……ね。秋篠くんだけに話しておくけど……」

 春日野さんはそう前置きして、小声で所感を口にした。

「私の話した内容をもう一度良く考えてみて。意外と根が深いわよ。

 

 

 

 電話を切った後、春日野さんが口にした謎掛けが頭の中を駆け巡っていた。

 彼女は俺を試しているのだろう。違和感に気が付いたか、どういう展開が待っているのか予想できるか……と。

「秋篠くん、お風呂が入ったみたい」

 下御門さんが手を耳の後ろに置く素振りをみせる。

 風呂場から聞こえるメロディは遠き山に日はおちて。とっても悲しくなる選曲だ。

「下御門さん、先に入ってよ。……着替えまでは用意出来ないけど、バスタオルは脱衣場に置いてあるから」

 がさつな男ならいざ知らず、女の子が使用した下着を再び身に着けるのは苦痛に感じる。

 下御門さんが悔しげに唇を噛んで俯く。そして自嘲の表情を浮かべて顔を上げた。

「……秋篠くんに軽蔑されるかも知れないけど、着替えは鞄に入ってるんだ」

 脅迫に屈してしまい、自ら汚される準備をした。そういうことだ。

 だが彼女はそうしなかった。清廉なまま死を選ぼうとした。

 どちらが正解だなんて言えないし、彼女の選択した道を褒めようとも思わない。

「結果オーライじゃないか。ゆっくり湯に浸かって、嫌な気分を洗い流してしまうといい」

「……ありがとう」

 下御門さんは潤む目を擦り上げ、鞄を手に障子を開けて縁側に消えた。

 俺は風呂場の扉が閉じられる音を聞き、春日野さんの謎掛けに対する答えを口にすべく、着信履歴を探りリダイヤルし始めた。




「朝、朝だよ、朝ご飯食べて学校行くよ。朝、朝だよ――」

 愛用のケロちゃん時計が起床の時間を知らせる。

 午前四時。始発電車に乗り込むため、この時間に目覚ましをセットしていたのだ。

 正直まともに眠っていられる状況ではなかった。目を閉じて仮眠を取るのが精一杯、決していい目覚めでは無かった。

 なにしろベッドには下御門さんが眠り、そっと手を伸ばせば触れられる距離にいるのだ。

 時折布団から生足が見えたり、Tシャツにピンクのブラが透けて見えたり、甘い吐息と共に意味深な寝言を口にする。

 その度に布団を直し、冷たくなったコーヒーを口にして、毛布にくるまって横になる。エンドレス。

 下御門さんがこんなに寝相が悪かったとは……。慣れないベッドがそうさせたのか、彼女もまた眠りが浅かったようだ。

「下御門さん、起きろ」

「…………うん、もうちょっと……だけ」

 彼女は布団を深く被り直し、俺に背を向ける。

 もうちょっとと言いながら、その実起きる気が無いのは明白だ。

「早く起きないと、魔が差してしまうかも」

 一晩の苦役がそんなセリフを口にさせる。

 だが下御門さんは動じず、俺の方に寝返り直して形の良い口を動かす。

「今日はダメだよ、理由は……気付いてるよね?」

 そう口にして再び眠りについた。

 女の人にありがちな月に一度のアレ。

 一晩同じ部屋にいれば、気遣う様子で何となく気が付いてしまう。トイレでの盗撮は昨日今日撮られたものだったのだ。

 そんなことを口にしなくても、本当は手を出さないと安心している。彼女の寝息がそう告げているように思えた。

「はいはい。あと五分だけだぞ」

「ふぁい」

 障子を開けて脱衣場にある洗面台に向かい、洗顔ソープを手に取り冴えない顔を何度も洗う。

 タオルで顔を拭い、ブラシで寝癖を整える。

「よっし、秋篠広哉、起動」

 部屋に戻り、タンスから制服を取り出す。

 眠っているとはいえ、彼女の前で着替えるのは気が引ける。リビングの方で着替えるとするか。

 リビングを仕切っている障子を開けると、そこには鬼婆らしき人影が立っていた。

 瞬間的に跳ね上がる心拍数。脆弱な精神は耐えきれず、無意識の内に障子をソッと閉じた。

「――広哉」

 障子の向こうから聞こえる婆ちゃんの声。冷静かつ胆力のある声だった。

 俺は深呼吸を一つして、障子を開けた。

「起きたのなら、朝ご飯を食べなさい。二人分用意してあるから、そちらのお嬢さんも連れていらっしゃい」

 何から何までお見通しだったようだ。

「はい……。すぐに用意します」

 

 

 

 母屋。大きな座卓に座布団が二つ、そこに下御門さんと並んで座る。

 婆ちゃんに促され、下御門さんは緊張の面持ちで味噌汁を啜る。

 そんな様子を横目に、醤油を垂らした卵焼きを囓ってご飯を掻き込み、流し込むように味噌汁を啜った。

「どうだい。京ナスの味噌汁は」

 軽く炒めたナスを入れただけの味噌汁だったが、香ばしさと含んだ油が絶妙の味を醸し出している。

「塩加減が少々物足りない気がしますが、味はなかなかのものです」

「広哉は私を早死にさせたいのかい?」

「いえ、そんなことは……ありません」

 俺は婆ちゃんに頭が上がらない。当然口調も畏まったものになってしまう。

 婆ちゃんは昆布巻きを囓って、ご飯を口にして咀嚼し始める。

 下御門さんはチラリと俺を見て、申し訳なさそうな苦笑を浮かべる。

 たくわんを囓る音が妙に響く静かな食卓。そんな針のむしろに耐えきれなくなって、何か話すネタをと頭をフル回転させる。

「かっ、彼女は同級生で、下御門千帆さんと言います」

「はっ、初めまして。下御門です」

 少々無茶振りだったかも知れないが、彼女は阿吽の呼吸で頭を下げる。さすが下御門さん、空気を読むのが上手い。

 婆ちゃんはピクリと眉を跳ね上げ、初めて下御門さんに顔を向ける。

「同級生?」

「そっ、そうなんだ。ただの同級生、本当に……」

「そんなことだから広哉はモテないんだよ。ただの同級生を部屋に泊めたりしないだろう?」

「だから、それは……」

「友達……だろうに。今のところ」

 今のところって言葉に毒を感じるが、この際多少の誤解は目を瞑ろう。

 婆ちゃんは下御門さんに向き直り、テーブルに両手を置いて頭を下げる。

「広哉は変わり者だけど、心根は優しい子です。いい友達でいてやってください」

 深々と下げられた頭に、大慌てで恐縮する下御門さん。こちらも負けじと何度も頭を下げる。

「あっ、いや、そんな、すみません」

 婆ちゃんらしい深い言葉だ。いい友達というのは、隠れてこそこそするなという言葉の裏返しだろう。

 あえて苦言を呈したい相手に頭を下げる。婆ちゃんらしい懐の深さだと思う。

 同時に俺を大切に思っていてくれる気持ちが伝わってくる。だからこそ俺は両親と離れ、ここで暮らす決意を固めたのだ。

「婆ちゃん、下御門さんも困ってる。そろそろ頭を上げてやって欲しい」

 二人は頭を上げて見つめ合う。照れくささから苦笑しあう二人を見て、微笑ましく感じてしまった。

「早く食べないと、始発の時間に間に合わない」

「はい」

 下御門さんは元気よく返事をして、ごはんを一口頬張った。

 婆ちゃんは物言いたげな表情で俺を、そして肩に乗るアルトを見つめる。

 俺の目は婆ちゃん譲りのものらしい。恐らくアルトの姿が見えているだろう。

 気が付いていながら、何も聞かないでいてくれる。話すべき時には話すだろうと、待っていてくれるのだろう。

 食事が済んで軽く挨拶を済ませ、離れの横に停めたママチャリを指差す。

「始発電車が学校の駅に到着するのは五時四十五分。自転車で学校まで二十分掛からない」

「なんとかって感じだね」

「いの一番に学校に着いて、ケリを付けに行こう」

 勢い良く自転車を押し、勝手戸を開けて表に躍り出た。

 

 

 

 ――動画ファイル保存開始。ファイル名は登校シーン。

 

 午前六時。校舎の正面玄関脇にある守衛室に一人の教諭が姿を現した。

 女子バスケ部の顧問である高畑である。

 薄くなった白髪に人の良さそうな表情。六十近いであろう体を鞭打って、教鞭と部活の顧問を両立させている。

「おはようございます。いつも精が出ますな」

 ガラス越しに挨拶をする警備員。高畑は愛想笑いを浮かべながら、鍵管理台帳の末行を見つめて顔を強張らせた。

「あっ、今日は柏木先生が先に来てまして。鍵はお任せしてあります」

「……そ、そうですか」

 高畑教諭は額に浮かべた汗をハンカチで拭い、教員用の駐車場を見つめる。

 その視線の先には柏木教諭の車。教員らしからぬ改造を施したトヨタ社のカローラレビンがあった。

「珍しいですな。いつも遅刻ギリギリの柏木先生がね」

「……そうですな。雪でも降るんではないですかな」

 高畑教諭はそう上の空で返事をして、校舎内に姿を消す。

 

 

 

 ――動画ファイル保存開始。ファイル名は職員室。


 職員室の扉が開かれる。高畑教諭が顔を覗かせて、自席に座る柏木教諭を一瞥する。

「おはようございます」

「あ、おはよう。今日はどうしたね?」

「いえ、家のパソコンがどうも思わしくなく。家でやろうと思っていた仕事が出来ませんでしたから……」

 柏木教諭はパソコンに向かい、キーボードを叩き続ける。

 その様子を見て高畑は苦笑し、自席に着いて鞄を置くと、中からジャージを取り出して紙袋に詰め直した。

「高畑先生は女バスの朝練ですか。大変ですね」

「いえいえ、試合も近いですし」

 そう言い残して職員室を後にした。

 

 

 

 ――動画ファイル保存開始。ファイル名は被疑者パソコン内データ内精査。

 

 柏木教諭の持つカメラは、彼女の足元に潜む俺と下御門さんを映し出す。

「相変わらずお美しいおみ足。眼福です」

「ヒールで踏んでやろうか?」

 柏木教諭はそう口にして、俺の太ももに細い踵を落とす。

 かの柏木女史は担任の教師にして、学校における唯一の理解者だ。

 家族と別れて暮らしていることを知り、事ある毎に世話を焼いてくれる。

 三十路前の行き遅れだが、車の運転が荒い事以外、非の付け所がない美貌の持ち主である。

「いててて、マジで踏むな、足を捻るなっ!」

「冗談だ。かわいい教え子が異常性癖を持ってしまったら大変だからな」

 柏木女史は俺を立たせ、机の引き出しから安っぽいドライバーセットを取り出す。

「こんなのでいいのか?」

「十分っす」

 尖った先のプラスドライバーを手に、柏木女史のパソコンに向かう。

 最近のパソコンはメンテナンスしやすいように、ネジの類は極力使わないようになっている。

 教員に配布されているのもそういったタイプ、ネジ一本緩めるだけで分解出来るようになってる。

「ここをスライドさせると……」

 パソコンの中にはマザーボード、ハードディスクとDVDマルチ。入出力の簡易ボードが刺さっている。

 同じように永井教諭のパソコンを分解し、その中からハードディスクを取り出し、柏木女史の持つカメラでシリアルナンバーを写してもらう。

 そしてポケットから二股のフラットケーブルを取り出して、柏木女史のパソコンに取り出したハードディスクを増設した。

「パソコンのセキュリティってこんなものです。OSやBIOSで使用制限しても、別のパソコンに繋げれば中身が見れる」

「そ、そうなのか?」

「ディスクの暗号化ソフトを導入していれば話は別だけど、うちの学校は危機管理が薄いから」

 柏木女史にパソコンの電源を入れさせ、その間に永井教諭のパソコンを組み立てる。

 見た目だけ分からなくしておけば問題ない。彼はこのパソコンに二度と触れることはない。

「すみませんでした、先生」

 下御門さんは柏木女史に頭を下げる。

 彼女は苦笑し、下御門さんの頭を撫でてこう呟いた。

「生徒の危機を知らなかったなんて、担任として資質を問われる問題だ。私の方こそ謝らねばならん」

「…………先生」

 俺は柏木女史のパソコンを操作し、永井教諭のハードディスクに検索を掛ける。

 ぶっちゃけ少し大きめサイズのファイルを検索するだけで十分だ。

 検索一覧に表示される動画。情けないことにハードディスク容量の大半がそういったファイルで埋め尽くされていた。

 

 

 

 ――動画ファイル保存開始。ファイル名は被疑者カメラ撤去。

 

 一年生の女子トイレに動きがあった。扉を開けて左右を確認した当人の顔が映し出される。

 そしてノイズ混じりの画面になった瞬間、カメラの電源が切られた。

「目の前が真っ暗になった」

「眠気が吹っ飛んだんじゃないですか?」

 柏木女史は忌々しげに俺の持ち寄ったノートパソコンを見つめる。

 盗撮には無線対応の小型カメラが使用されていると予測していた。

 盗撮画面の映像と荒さ、定点にピントが合わさったままだったし、高性能のカメラを使用しているとは思えなかった。

 それにいくら警戒していないとしても、トイレにカメラが置かれていたら気付かれてしまう。

 登校して一番に女子トイレを確認すると、かなり巧妙に偽装され、ピンホールカメラが仕掛けられていた。

 それらは市販されている安物の無線LANカメラを改造したもので、無線LANルーターを経由して学校のネットワークに接続されていた。

 犯人は職員室の自席に座り、何食わぬ顔でそれらを眺めて編集していたのだ。

 それらの発見に役立ったのはアルトだ。彼女の力無くして、接続経路を見出すことは難しかっただろう。

 柏木女史は忌々しげに髪をかき上げ、皺の寄った眉間を指で揉みほぐす。

「なぜ犯人が二人いると分かったんだ?」

 怪訝そうな目を、俺と下御門さんに向けた。

 俺は下御門さんに目配せして、春日野さんの行動を伏せながら柏木女史に説明を始めた。

 高畑の単独犯でないことに気付いたのは春日野さんだ。忍び込んだ部屋の様子を見て直感的に思ったらしい。

 彼のパソコンは廉価なノートタイプで、DVDーRメディアを焼く装置が他に無かったらしい。

 机の中には山ほどのDVDーRがあるにも関わらず……。

 俺はその謎に対し、自分の所感を話して聞かせた。

 彼は六十近くの年齢で、情報機器に通じているとは思えない。

 脅迫のメールも動画を送るので精一杯。気の利いた脅迫文を添えるほど、携帯電話を使いこなしていないのではないかと感じていた。

 そんな人物がカメラを仕掛け、それを動画に保存し、携帯で使えるフォーマットに動画を変換できるだろうか。

 共犯者の存在。むしろ盗撮に関してはそちらが主犯にあたるのではないかということだ。

 脅迫の実行犯が高畑ならば、影で糸を引いていたのは永井。

 俺に電話を掛けさせたのは相手をあぶり出す作戦だと分かっていた。

 案の定高畑は俺との電話の後、すぐさま永井に電話を掛けている。


「――高畑先生が一人で犯行を行えない。たったそれだけか?」

「野生の勘みたいなもので……」

 補足しておくと永井は新婚ホヤホヤだが、デキ婚だったと小耳に挟んだことがある。

 彼もまた今はお預けを食らっている状態。鬱積したものがあったのだろう。

 こんな危険な媒体を家に持ち帰ったり、家のパソコンで編集するなんて考えにくい。

 このハードディスクにデータが入っているのは、今言ったように勘みたいなものだが、恐らくそうだと確信を持っていた。

「私は妻がいるし早朝に出掛けると怪しまれてしまう。カメラの撤去は任せましたので、データは私が責任を持って処分します」

 恐らく彼らは深夜、こんなことを相談していたのではないだろうか。

「秋篠くん、画面を見て!」

 小分けに開いていたカメラの動画が全て黒に塗りつぶされていた。

「撤去は完了したらしい。手間が省けた」

 そして遠くから足音が響く。

 俺と下御門さん、柏木女史は扉の前に立ち、一仕事を終えて帰ってきた高畑教諭を迎えた。

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