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ALTO+  作者: Mercurius
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サトリ

 アクセラレートによる超高速の感覚にも慣れ、通常時もそれなりに動けるようになったと思っていた。

 だがその感覚を最大限に引き出しても彼女の拳の出所が見えない。

 彼女の右拳を躱せたのは、相手の攻撃をいなした後、俺ならどうするかと考えたにすぎない。

 一定の距離を取ってアルテアの動きを見ながら、攻撃の糸口を探る。と言いたいところだが、今は時間を稼ぎたい。

 たかがゲームと侮っていたが、このゲームはかなり良く出来ている。

 モーショントレーサーで人の動きに同期させているからだろうか、動きがリアルで実際の戦闘に近い雰囲気を感じる。

 右手で牽制すれば、即座に相手は防御を固める。それはこちらも同じこと。

 ゲームという仮想空間を通じて、対戦相手と繋がっている感覚がなかなか面白い。

「こらぁ、秋篠! 逃げ腰になっているぞ!」

 背後でかなめちゃんの声が響いた。

 そうは言えど、小梅さんの受け流しはパーフェクト、これ以上無いタイミングで攻守の切り替えを行う。

 アタリ判定をずらされた一瞬の動きで、どれほどこのゲームをやり込んでいるかが分かる。

 だがこのゲームを俺にやらせた理由を突き止めるまで、簡単に玉砕してやるわけにはいかないのだ。

「秋篠さんもこのゲームに慣れてきたようですし、そろそろ皆さんにお見せいたしましょうか?」

 小梅さんの声がアルテアから発せされたのかと錯覚する。それほど気持ちは目の前のアルトと同期しつつあるのだろう。

 アルテアが無防備な体勢のまま、一歩、二歩と歩み寄る。

 突き出した左手をしならせて牽制の拳を打ち、腰に引き付けたままの右拳を間髪入れずに打ち込んだ。

 だがアルテアは首を傾けるだけで左拳を躱し、力任せに右拳を弾いて、インファイトボクサーのように両拳を顎に添えた。

「行きますね」

 小梅さんは短くそう言い切り、体を小刻みに左右に動かして、息が掛かるほどの距離から単打を打つ。

 一発目は右脇腹。突き出した肘に滑らせるように弾き出す。

 次の拳は体の中心に向かっている。鳩尾だ。胸の前で真横に向かい拳を打ち、脇腹を掠めながらも外へ弾き飛ばす。

 これで終わるはずがない。だけど退いて逃げる時間も、攻撃に転じる余裕もない。

 真下から顎を目掛け、拳が伸び上がろうとしている。

 俺はその攻撃が来ることを『なんとなく分かって』いて、顎を引き付けて待ち構えていた。

 不意に感覚が加速していき、戦闘中にも関わらずフワフワとした精神状態になる。

 小梅さんの攻撃を躱すことだけを考え、それだけを実行する。酷くデジタルな単純作業。

 拳の出所を探り、コンマ何秒でも早く動き出す。ただそれだけを考えていた。

 右拳、次は左拳、そして次は――。

 一瞬脳裏に小梅さんの顔が見え、彼女の差し出した細い手にソッと触れる。

 彼女の思考が頭の中に流れ込み、剥き出しの心の中がさらけ出していく。

 俺の心と彼女の心が混じり合い、それをお互いが心に流し込む。

 二人で唾液を混ぜ合わせて、お互いに嚥下してまた求め合うような、淫靡で背徳感を感じる行為を繰り返す。

 視界は狭窄して二人だけの世界で、蛇のように絡み蠢きながら、お互いの鼓動を感じ合う。

 密度の濃い空気が体に纏い付き、新聞紙を虫眼鏡でみたような点で構成された世界を肌で感じた。


「やたーっ!」

 不意にかなめちゃんの声が耳に入り、現実に引き戻された。

 嫌な虚脱感。全身には汗が吹き出し、シャツがピタリと身に張り付いている。

 狭窄した視界が広がり、網膜に画面のドットが鮮明に映し出された。

 目の前には膝を付いたアルテア、それを見下ろすアルトの姿がある。

 画面には時間切れの表示がなされ、僅差の判定でアルトが勝利を収めていた。

「え?」

 ゲームのタイムカウンターから察するに、打ち合いが始まってから一分以上経過している。

 ほんの数秒躱し続けていた。そんな感覚しか残ってないのに――。

「分かっていただけましたか?」

 小梅さんはゲームの筐体から飛び降り、栞さんと千帆に微笑みかけた。

 彼女らは目を点にしながら、コクコクと首を振る。

「ていうか……、頭がボーッとしていて状況が全然掴めないんだけど」

「あと十秒ほど待てばリプレイを表示してくれますから、ご自分の目で確かめられてはいかがですか?」

 小梅さんはモーションマーカーを体から外して、長椅子に腰掛けて深く深呼吸をした。

 彼女が言った通り、画面には戦闘開始からのリプレイが表示される。

 前転と出足払い。二三交わした攻守――。

 そしてアルトは距離を取り、アルテアを牽制しながら様子を窺う。

 ここだ。ここから……。

 不用意に踏み込んだアルテアだったが、アルトの攻撃を難なく躱してインファイトに転じた。

 単打のラッシュ。アルトは必死に攻撃を躱し続ける。

 まるでノーウェイトの落ちモノゲーム。数十発近く躱してゲームが続いていることが奇跡、そう思えるほどのラッシュだった。

 だがアルトの動きに変化が現れた。相手の動きを予測したかのように予備動作を行い、アルテアの攻撃を難なく躱し始める。

 制限時間は残り十秒。そこでアルトは初めて攻撃を仕掛けた。

 相手の攻撃に対するカウンター。左拳に右拳を合わせて撃ち抜く。

 カウンターでのダメージは絶大だが、打ち込んだアルトも無傷では済まない。

 そしてタイムアウトまでの壮絶な打ち合い。アルトはその間、全ての攻撃をカウンターで返していた。

「意味がわかんねえ。上の空でゲームしていたのは認める。だけどさ、一分近く記憶が無いんだけど、それって異常じゃないか?」

「人と心を通わせるというのは難しく、とても危険な行為です。表層ならば時間にして一瞬ですが、深層意識に踏み入ろうとすれば長い時間意識が途絶えます」

「ごめん、よく分からない。馬鹿でもわかるように説明して?」

「かなめ様の母方である真倉家は古き昔に天野の血を迎え入れ、不思議な能力を授かったと聞いています」

「真倉家ってことは一ノ倉の血もそうだってことか?」

「そうですね。人によりその才能はまちまちです。勘が鋭い程度から、相手の心を読み取る、――サトリのような能力を受け継ぐ者もいます」

 サトリ。人の心を見透かしてしまう妖怪の名だ。

 時折人里に姿を現し、里の民が口にしようとする言葉を先に喋る。だたそれだけの妖怪。

 何も考えず、口にしようともしなければ姿を消し、無心でいる者に恐怖心を抱くといわれている。

「それって、俗にいうテレパシーみたいなものかな?」

「直系である綾乃様や乃江様ならば……。ですが一ノ倉の者は血が薄く、相手の先手を取る程度が精一杯でしょうね」

「それはそれで凄いことなんだけど」

 小梅さんがこのゲームで知らせたかったこと、それは一ノ倉から血を分けた秋篠家の勘の良さか。

「実戦ならこうはいかなかったな。小梅さんに手を上げるなんて出来ないし」

「はい、私も同じ気持ちです。許嫁である殿方に手を上げるなんて出来ませんから……」

「だよね?」

 一瞬その場の全員が和んだ雰囲気に流されそうになる。

「は?」

「秋篠さんも一ノ倉の勘の良さ、血を受け継いでいるとお分かりになられましたか?」

「いや待て。その後のセリフをリプレイしてくれ」

「はあ……、ええと……もしかして許嫁?」

「そう! それ!」

 小梅さんは顎に人差し指を当てて、しばし考え込んでしまう。

「将来を約束された男女のこと――」

「いや、許嫁の意味を知らない訳じゃなく!」

 小梅さんはホッとした表情で手を胸に当てる。

 真剣に俺の学力を案じてくれていたようだが、それはこの際大きなお世話だと思うのだ。

「祖母と秋篠の御祖母様との間で取り交わされた約束事で……」

「ばっ、婆ちゃんが?」

 小梅さんは栞さんと千帆を一瞥し、俺の目の前に立って上目遣いで見上げる。

 仰け反ってしまいそうになった瞬間、手をソッと両手で包み小指と小指を絡めた。

「秋篠さんが里にやってこられた時、小梅とこうやって将来を約束してくれたではありませんか?」

 ふとわき上がる既視感。触れた指が懐かしい思い出を運ん――――。

「こ……このシスコンっ!」

「うわぁぁぁん、秋篠くんの馬鹿! 浮気者!」

 栞さんの膝が腹に食い込み、千帆の拳が背後から脇腹に突き刺さる。

 一番ショックだったのは指を絡めていたはずの小梅さんが、ヒラリと飛び退いて涼しい顔をしていることだろう。

「かなめさま、教育的によくありませんから見てはいけません」

 汚いモノを見せないようにかなめちゃんの目を覆い、背を向けながら小刻みに肩を震わせた。

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