ゲームの達人
一旦部屋を出て行った小梅さんは、動きやすそうな外出着に着替えて戻ってきた。
レースのショートパンツに黒のストッキング。露出度の高いシルクのキャミソールに紺のカーディガンを羽織り、ブランド物らしき鞄を持つ手にはアンティーク風の時計が光っている。
中高生が着るお手軽な服ではないのは一目で分かる。お嬢様がそれとなく着こなす高級ブランドなのだろう。
この歳でそれらを着こなしているあたり、小梅さんも相当なお嬢様なのだと思う。
「さ、かなめさまも着替えいたしましょう」
「ええ~、いいよこのままで!」
そういうかなめちゃんの服は女児らしいミニスカートに白のタイツ、長袖のチュニックに目の荒い毛糸のボレロ。部屋着には勿体ない服を着ている。
かなめちゃんはピョンとソファーから飛び上がり、パタパタと玄関に向かって走っていった。
俺は千帆と栞さんに苦笑して、行くしかないと目で語る。
二人は目と目を見合わせて、釈然としない表情のまま立ち上がった。
小梅さんはかなめちゃんの手を取り、案内するでもなくマンションを出る。
そして『近くに――』という言葉はなんだったのかというほど歩かされた。
住宅街を出て国道沿いに歩き、隣駅の近くの大きな交差点で足を止めた。
目の前にはゲーム企業が全国に展開しているアミューズメント施設、有り体に言えば大きなゲームセンターがあった。
小梅さんはその施設を見上げ、軽く両手の指を動かした。
「ここです――」
その施設は一階、二階がゲームセンター、三階以上がボーリング場やビリヤード場になっている。
広い駐車場を共有してカラオケボックスや多種多様な飲食店が建ち、ある程度の娯楽はここで済ませられるようになっている。
小梅さんはゲームセンターの二階に向かい、カウンターに会員証らしきカードを提示する。
そして店員に一言二言話をし、一枚の用紙を受け取った。
「秋篠さん、この用紙に記入を」
彼女は振り返って俺を手招く。躊躇いの足取りでカウンターに向かい、その用紙を見て言葉を失った。
ゲーム名はストリートバトルⅢ。モーショントレーサーを駆使したバーチャル格闘ゲームのユーザ登録証だった。
登録したユーザ名のキャラクターを自分の体で動かし、戦いを重ねてランキングを上げていくってゲームだ。
高速ネットワークの恩恵で、海外のユーザと戦えるのがウリなのだが、実際は時差の問題でそれほど裾野は広がっていない。
だが全世界で数十万近いユーザが登録していて、それら多くのランカー達の中で勝ち上がっていく達成感があるらしい。
「ここに名前とキャラクターの特徴……、500ポイントからステータスを割り振ってください」
「性別や体格は何となく分かるけど、ステータスってのは?」
小梅さんはピクリと眉を動かし、よくぞ聞いてくれましたとばかりに口を開く。
「攻撃力は力の強弱、体力、防御力、近距離と遠距離の命中率などがあり、攻撃速度や回避力は動きである程度カバー出来ます。それぞれ上限は200ポイント、全てを満たすことは出来ません」
「なるほど……。体力と攻撃力に特化したら命中率はそこそこ。かといってバランス型だと特徴のないキャラになってしまう。微妙な匙加減だな」
「そうですね。大抵の方はステータスを決定するのに数日から数週間悩むといわれています。それくらい重要な決定事項なのです」
「そうか……」
その説明で十分だった。
バーチャルリアリティであるからこそ重要な要素がある。それはいかにキャラクターとシンクロするかじゃないかと感じた。
非力な俺が無双の力を持っても上手く扱えない。自分に見合ったステータスを振るべきなのだ。
「ちなみに攻撃を受ける以外に、受け止めるだけでも体力を消費します。その辺りは注意が必要です」
「じゃあ、体力100、攻撃力は50、近距離命中率200。回避力に150。後のステータスは捨てる」
「いいのですか? そんな偏ったステータスで……」
「いいや…………、これでいい」
性別は男。背丈は俺に合わせて小柄。キャラクター名はアルトと書き込んだ。
「これを……」
用紙をそのまま受付の係員に手渡す。
彼はその用紙を受け取り、記入に不備がないか確認の後、慇懃な笑みを浮かべてキャッシャーの受け皿を目の前に差し出した。
「料金は一回五百円。会員証を兼ねたプリペイドカードに三千円あらかじめジャージさせていただくようになっております」
少し高い出費と思いつつ、財布から三千円を取り出して皿の上に置く。
彼は手慣れた手付きでステータスを入力し、出来上がったカードと小さなモーションマーカーを手渡した。
「これを両膝、両肘、両拳と頭にセットしてください。故意にマーカーを外す等の不正行為は、即座にランク剥奪、ユーザー消去を行います。その点ご注意をお願いいたします」
「動いているうちに外れた場合は?」
「拳ならばアタリ判定が無くなり、攻撃が出来ません。その他の場所はキャラクターの動きに制限が付き、各部位の動きが重く……遅くなります」
「そんなので不正行為? 不利になるだけじゃないか?」
「まあ、中には色々なことを考える方がいらっしゃいまして。方法は説明できませんが、裏技のようなことをなさるお客様がいらっしゃいます」
「……まあ、いいや。そうならないように気をつける」
カードとマーカーを受け取り、大きな筐体の前に向かう。
そこで小梅さんに手解きを受けながらマーカーを手足に取り付ける。
ストッキングのような伸縮性のバンド型で、体に負担も無く、激しい動きにも耐えられそうだ。
肝心のゲームはダンス系のゲーム機の、台座の部分を大きくしたような筐体構造をしており、縦横に二メートル近い空間がある。
目の前には大きなプロジェクターがあり、戦闘シーンのデモらしき映像が垂れ流されていた。
「ここに会員証を翳してください」
小梅さんは隣の筐体に乗り、脇にあるカードリーダーに会員証を翳す。
すると目の前に少女のキャラクターが表示された。
「ここは待機室。インしたキャラクターのうちレベルの近いものが表示され、対戦希望のキャラクターは点灯して上位にソートされます」
小梅さんのキャラクターは『アルテア』という名。
彼女がインした瞬間に対戦希望のキャラクターがめぐるましく表示され、画面外にスクロールアウトしていく。
よく見るとキャラクターランキングは84位。なるほど彼女が人気キャラなのも頷ける。
数十万はいるといわれているユーザで二桁の順位、それがこのバーチャルワールドでの彼女の実力なのだ。
隣の筐体に飛び乗り、栞さんにアルトを手渡す。
「アルト無しで大丈夫?」
「アルト付きなら、正当に勝っても不正扱いだろう? 今回は彼女の思惑を確かめる意図があるからね」
そう告げて彼女から離れ、会員証をリーダーに近づける。
すると瞬時に目の前には少年の画像が表示された。
白地のシャツに長ズボン。なんの特徴もないキャラクターだった。
「秋篠さん、右手を左に素早く動かしてみてください」
隣の筐体から小梅さんの声が響く。
俺は彼女の言う通り、右手を差し出して左に動かした。
「おっ!」
その手に合わせて色々なコスチュームがキャラクターに着せ替えられる。
ヒップホップ、番カラの学生服、落ち武者の鎧まで。格好良さそうな服から色物的な地雷まで、多種多様な着せ替えが楽しめる。
俺はその中からクラッシュジーンズに革ジャンを選び、選択画面を閉じた。
キャラクターランキングは無表示。画面には唯一アルテアからの対戦申し込みが届いていた。
その申し込み表示に手を伸ばし、触れた瞬間画面がホワイトアウトした。
目の前には遙か上から降り注ぐ瀑布。滝壺の前の岩場が今回のバトルフィールドらしい。
目の前にはアルテア。中国娘っぽいズボン風のチャイナ服を着て立っている。
画面上でカウントダウンが始まる。アルテアは拳を手のひらに翳し、悠々と一礼をした。
カウントゼロ、ファイト開始。床が圧力センサー仕立てになっているのか、ちょっとした動きに反応して画面上のアルトが動き出す。
「行きますよ、秋篠さん。キャラクターと自分がシンクロするように集中してください」
「お、おう!」
アルテアは素早く前転して懐に入り込み、地を這うような回し蹴りで足払いを掛ける。
俺は瞬時に飛び、彼女の背後に飛び退いた。
アルトとアルテアを中心に、背景がぐるりと一回転。今度は滝を背後に、そそり立つ岩山が眼前に広がる。
「小梅さん!」
「はあい?」
「今、前転しなかったか?」
「ええ、いまここでやりましたよ」
なるほど、バーチャルリアリティは伊達じゃない。ちゃんと人間の動きにあわせてキャラクターをトレースするようだ。
左手を前に翳し、右手を腰に当てる。カオルって人に教えてもらった唯一の構え。
体幹を確認して左右に過分なく自然体に立ち、目の前のアルテアに拳を向けた。
彼女もそれに合わせたのか、同じような構えをして、手と手が触れ合うほどににじり寄る。
先手はアルテア。左手を不意に動かし、一瞬注意が逸れた瞬間に踏み込んで右拳を放つ。
俺はその手を膝蹴りで相殺し、一瞬彼女が踏鞴を踏んだ瞬間に右手を突き入れた。
彼女は左手で弧を描き、捻りを入れて突きをいなした。
ゾッと背筋に冷たいモノが走る。
俺は反射的に飛び退き、クッション付きの手摺りに背中を打ち付ける。
画面上のアルトは腹部にアタリ判定5。だがこの場合かすり傷と考えていいくらいの剛拳が、彼女の右手から放たれていたのだ。
だが大きな動きをした反動からか、彼女の戻りが遅い。
必殺のタイミングで震脚。筐体を踏み割る勢いで体重移動し、彼女の懐に潜り込んだ。
左手を軽く胸に手を当て、右手を腹部に添える。体を可能な限り捻り、踏み込んだ勢いを両手に伝えた。
完璧な身の入れ方。勝利を確信した瞬間、彼女はあろうことか前に出た。
いや、正確には身を捩って最大のアタリ判定を躱し、数センチ前で衝撃を受け止めたのだ。
ヒット値は65。なのに彼女の体力ゲージはほんの少ししか減っていない。
「――VIT極か!」
不意にMMORPGにはまっていた頃の用語が口から飛び出す。
体力値、防御力を最大に振り、攻撃力は微細。いわゆる壁や戦車と呼ばれるステータスの振り方だ。
だがMMORPGと違うのは、キャラクターの動きを自分でカバー出来るところ。MMORPGでは色物のステータスも、このゲームではアリなのだ。
ボスキャラ並の体力と防御力。小さいながらも相手の体力を削る。嫌なタイプだ。
こちらは近接攻撃に特化した俊敏型。体力はあるけど防御力は無い、いわゆる紙装甲のステータスだ。
「だから言ったでしょう? そんなステータスで良いのかって」
「初心者には優しくしろ!」
例えるなら甲冑を着こんだ重装歩兵と丸裸の忍者か。
お互い徒手空拳なのが救いだが、一発で仕留められないとなると長期戦を覚悟しなくてはならない。