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ALTO+  作者: Mercurius
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明けない夜はない

 シェークスピアの四大悲劇、マクベスの四幕に『The night is long that never finds the day』という台詞がある。

 日本では『明けない夜はない』と希望のある意訳がなされているが、この一文を素直に訳せば、『夜は永遠に明けない』という反対の意味になる。

 マクベスに妻子を殺され復讐心をたぎらせる領主マクダフ、そんな彼に『明けない夜はない』なんて言葉が必要だろうか。

 このシーンには『マクベスを倒さぬ限り、夜は永遠に続く』という解釈がしっくり来ると思っている。

 未来は自分の手で切り開いて行くものであって、誰かに与えられて享受するものではない。

 とは言うものの、この件に限ってはそう思うだけで、決して悲観主義ってわけではない。

 明日に希望を持つことは悪いことではないし、止まない雨がないのと同じく、やはり明けない夜はないと思いたい。

 

 眠れない夜が終わりを告げ、カーテンの隙間から朝日が差し込む。

 そっと身を起こして、眠りを妨げる原因となった二人を見下ろす。

 栞さんの行動は猫のように気まぐれ。手が届かないところにいると思っていたら、いつの間にか懐に潜り込んで来て自己主張する。

 遠いようで近い、無関心かと思えば情に厚い二律背反。気が付くと、いつの間にかそんな彼女に惹かれていた。

 対する千帆は犬だろうか。明るくて人懐っこく裏表が無くて、陽気に振舞っているけど、実は誰よりも寂しがり屋。

 悲しい時は泣き、嬉しい時にちゃんと笑える。そんな彼女と一緒にいると、素直な気持ちになれる。

 もっと二人のことを知りたい、そして恋い焦がれてみたい。だけど二人に対してそんなことを考えるのは、常識的に考えると不実なのではないか。

 昨夜は眠ろうかと思った直後、そんなことをとうとうと考えてしまって眠れなくなった。

 一旦こうなってしまうと羊を数えてもダメ、天井の模様を眺めても一向に眠れない。

 色々考えた挙げ句にシェークスピアへと行き着き、おかげさまで時間を潰すことだけは出来た。

「――五時か」

 まったく習慣とは怖い。日課である訓練の時間を体が覚えているようだ。

 二人を起こさぬように足を忍ばせ、パウダールームで身なりを整える。

 まだ若干目が赤く腫れぼったいが、冷たい水で顔を洗って幾分引き締まったように思う。

「あっ……広哉くん……、おはよ……」

 顔を洗う水音が耳に届いたのか、それとも彼女も習慣的に目を覚ましたのだろうか。千帆がフラフラとやって来てあくびをかみ殺した。

 前が見えているのか判断しかねる糸目、髪は乱れ、口元にはよだれが乾いた痕がある。

 何もかもが台無しの状態だ。しかも本人が気が付いていないところがまた痛々しい。

 彼女は幽霊の如くフラフラと歩き、身なりを確認してその場で崩れ落ちた。

「女の人の寝起き姿を見た時、男の人は大抵幻滅するとか、しないとか」

「家に泊まった時から寝相が悪いのは気付いていた。まあ、それもコミで千帆だと思ってるよ」

「はぅぅ……、一生隠し通そうと思ったのに……」

「後で気付いた時のほうがショックが大きいぞ。お互い悪癖は早めにカミングアウトしておこうぜ」

「はぁい……」

 ひとしきりため息を吐き終えると、諦めたかのように念入りに顔を洗い始める。

 そしてお湯を出して蒸しタオルを作ると、爆発した髪を整えて頭に巻いた。

 この手馴れた手付きから察するに、彼女は毎朝こうやって髪を手懐けているようだ。

「……ねえ、広哉くん」

「ん? どうかしたか?」

「手……、もう痛くない?」

 彼女は赤黒く内出血した右腕を心配そうな目で見つめている。

 昨日の戦闘時、体内に打ち込まれた霊気をかき消すために、思いっきり殴りつけた場所だ。

 千帆への配慮が足りなかったのが原因だが、どうやら自分のミスでああなったと責任を感じているらしい。

「ああ、見た目は派手だけど、痛みは全然無い」

「そう……?」

「知らないうちに青アザを作ってる時ってあるだろ? あんな感じだよ」

 渾身の力で思いっきり殴り、ありったけの霊気を流し込んだ腕だ。一晩で痛みが引くはずがない。

 だが心配そうな彼女を見ていると、やせ我慢してでも虚勢を張ってみたくなる。

「……もしかして、昨日一緒に風呂に入ってくれたのは、腕が不自由だからか?」

「うん、正解。それに二人がお風呂に入っていて、私一人が蚊帳の外なんて嫌だし……」

 栞さんが風呂に入ってくれたのも、千帆と似たり寄ったりの理由からだと思っている。

 もう一つ理由があるとすれば、恐らく自分の純潔を証明するためだったに違いない。

 いかがわしい行為をされたかどうか、後々邪推されることを嫌ったのじゃないか、そんな風に思えるのだ。

 栞さん風に言うと『心配しなくていいんだから。やましいことは何も無いんだから、確認したければすればいいじゃない』てなもんだろうか。男前すぎるツンデレだ。

「せっかく早起きしたんだし、ちょっと体でも動かそうか?」

「ん、そうだね、一日休むと取り戻すのが大変だから」

 腰に手を当ててストレッチを開始、両脚のアキレス腱を伸ばしたところで、寝室からビュンと枕が飛んで来た。

「うるさい! 何時だと思ってるの? この、健康バカップル」

 枕を投擲した張本人、栞さんはベッドの上から身を起こし、真柴兄並みに眼光を輝かせて睨み付けている。

 さすが栞さん、健康馬鹿とバカップルをミックスするなんて、起き掛けにしては頭が冴えてる。

「栞さんも一緒にどう?」

「嫌よ」

 即答で却下された。にべもない態度とはこのことだ。

 あまりに素っ気無さすぎて、ちょっとムッとしてしまった。

「そんなこと言って、栞さんが運動しているところを見たことないぞ。もしかして隠れメタボになりかけてるんじゃないのか?」

「だっ、誰がメタボよ!」

「昨日風呂に入った時に気が付いたんだが、栞さんのお腹がぽっこりと――」

 最後まで挑発し終える前に再び枕が飛んで来た。

「あ……、あのね。女の子は色々な理由でああいう体型になるのよ」

「そうなのか? 千帆は別にぽっこりしてなかったぞ?」

 そう言うなり千帆は誇らしげに胸を張り、自慢のウエストをポンと叩いた。

「えっへん! 鍛えてますから!」

 ベッドのスプリングがギシリと鳴り、幽鬼の如く黒いオーラを纏って栞さんが現れる。

 逆三角の目で俺を睨み、千帆のウエストを一瞥して舌打ちする。

「わっ、分かったわよ。腹筋運動すればいいんでしょ? 十回、それが限界よ」

「よ、弱っ……。体がというより心が弱い……」

 床の上に脚を伸ばし、頭を抱えて仰向けになる。

 そして渾身の力を込めて起き上が…………ろうとして力尽きた。

 丸一日以上拘束されていて、体力も霊力も底をついていたとしてもへなちょこすぎる。

「もしかして栞さんって、シンクレアの力を借りないとまともに動けないんじゃ……?」

 ピクリと眉が動き、頬の肉が痙攣した。これはマジで図星を突いたみたいだ。

 十円玉のコイントスがあまりに凄かったので、体術全般も出来る人だと思っていた。アレはハッタリだったのか。

 それに俺を仲間に引き入れた時、あなたは荒事担当ね、なんて言っていたけど、アレはマジで本心から言っていたのか……。

 千帆とアイコンタクトを取って無言で頷き合う。

「朝の修行は参加決定として……、週末は爺さんの山で鍛えるか?」

「そうですね。そうしましょう」

「なっ、何を二人で勝手に決めてるの? 山? 無理無理無理、疲労骨折して動けなくなるわよ!」

 慌てふためく栞さんを見下ろしながら、俺達は静かに首を振る。

「栞さんはやれば出来る子です」

「春日野さんは私の憧れの人です。失望させないでください……」

 栞さんはムクリと起き上が…………ろうとして、再び力尽きた。

「分かったわよ。すぐにベストコンディションまで引き上げるから、今日のところは腹筋三回で許して」

 十回から三回に減った、なんてツッコミが欲しかったわけではなさそうだ。それが彼女の限界なのだろう。

 俺は栞さんの足を押さえ、彼女が起き上がるのを待つ。

 スッと深く息を吸い込み、全力で起き上がろうとする。

「いーち」

 押さえた手に全身の震えが伝わってくる。滑稽に見えるが、これが彼女の限界なのだ。

 顔を真っ赤にして起き上がり、フッと息を吐いてもう一度仰向けになる。

「はい、にーい」

 ほっぺたを膨らませ、根性で起き上がる。

「ラスト、さーん」

 再び根性を見せるが、もう一息のところで力尽きそうになる。

 だがさすがは春日野栞。最後の力を振り絞って起き上がった。

「ひい、ふう、ふふふ、あはははっ」

 そして壊れた――。

 

 

 

 ぶっ壊れたかと思った栞さんだったが、今度は私の番よ、なんていつもの口調で息巻く。

 俺と千帆はソファーに座らされ、講師然とした彼女の方を見つめた。

「体力馬鹿どもに、霊気とは、異能とはなんぞやを教えてあげましょう」

 今、彼女は自分の存在意義を知らしめようと必死なのだ。そんな気がした。

「何か不愉快なことを考えた? 生徒アキシノ」

「いえ、別に……」

「憐れむような目で見つめないでくださるかしら? 生徒シモミカド」

「いえ、そんはことは……」

 栞さんは掛けてもいない眼鏡をクイッと上げ、エレガントな手付きでティッシュペーパーを一枚引き取る。

 そしてそれを手のひらに置いて、不意に目を細めた。

 部屋の中は無風にも関わらず、ティッシュペーパーはフワリと浮き上がって空に舞った。

「これは手から霊気を放出して、紙を浮き上がらせてるの。訓練を積めば遠くの敵に打撃を加えることが出来る」

「まさか……百歩神拳?」

「そういう単語を使うと、いきなり胡散臭く聞こえるわね」

 栞さんは空に浮いたティッシュペーパーを摘み、千帆の手の上に置く。

 そしてもう一枚を引き取り、俺の手に乗せた。

「まずは生徒シモミカドから。体を循環している霊気を手に集中して、一気に放出するイメージで……」

「はいっ!」

 千帆はいきなり手のひらから霊気を放出し、手のひらにのったティッシュペーパーを浮き上がらせる。

「なかなか筋がいいわよ……。もっと集中して……」

「はひっ!」

 そう返事をした瞬間、手のひらから針のような霊気が飛び出し、ティッシュペーパーをズタズタにしてしまった。

「……生徒シモミカドは霊気放出が得意のようね。加減が出来ないみたいだけど……」

「あうっ……」

 千帆は涙目でティッシュ片を拾い集める。

 三つ四つ天井に突き刺さったままになっているが、それはそのうち落ちてくるだろう。

「次、生徒アキシノ」

「うっす!」

 右手に意識を集中し、霊気を放出…………しようとしたが、ティッシュに霊気が流れるばかりで浮き上がらない。

 右手首を掴んで力んでみたが、細い紙の繊維は霊気と相性が悪いらしく、それ以上流れ込まなかった。

「嘆くことはないわ、生徒アキシノ。霊気には大きく分けて二通りの性質があるの」

「二通り……?」

「外向きと内向き。生徒アキシノがやっているのは、物に霊気を通す。内向きの力なの」

「……ってことは、俺に百歩神拳は習得出来ないのか?」

「出来ないってことはないわ。ただ苦手なだけ。訓練次第で、ある程度は出来るようになるわよ」

 栞さんは鞄からペンを取って指でクルクルと遊ばせる。

 そして冷蔵庫のミニバーからグラスを取り、大きく『硬』という文字を書いた。

「えっ、なっ……」

 彼女はそのグラスを頭の上に持ち上げ、思いっきり床に叩きつけた。

 硬質なガラスの音が響き、グラスは床の上で二度、三度と跳ねたが、割れることなく俺の足元に転がってきた。

「私も内向きの使い方が得意なの。文字に宿る力を借りて、その意味を書いた物に影響させる」

 あまりに突飛な行動で、言葉が上手く出てこない。

「あ……、危ないじゃないか!」

「先生にタメ口を利かない。生徒アキシノ!」

「あ……、危ないじゃないですか!」

 律儀に言い直すと、栞さんは得心がいったように頷いた。

 足元のグラスを日の光に照らして確認するが、ヒビ一つ入っていない。

 変わったところといえば、うっすらとグラスをコーティングするように霊気を帯びていることくらいだろうか。

「霊気を流すのとは違う感じだ。強いて言えば霊気をとどめている?」

「そうね。生徒アキシノのは放出したものを物質に流し込んでいるから、私と千帆の性質を足して二で割った感じかしらね?」

 そういえば霊気を帯びている時に限るけど、硬い物を殴っても拳を痛めることはない。

 栞さんがグラスを割れないように念じたのと同じで、本能的に拳をガードしているのだろうか。

「はい、先生。腕や脚なんかも物質と同じで、霊気で性質を変化させられるのかな?」

「能力者にはそういうタイプもいるらしいわ。確か――」

 栞さんはスッと目を細め、人差し指を顎に当てた。

「バーサーカーと呼ばれる能力者は、そういう戦い方をするって聞いたことがある」

「バーサー…………、それって柏木先生のことか?」

 栞さんは無言のまま首を振る。

「バーサーカーって異名を持つ能力者は、確か天野綾乃っていう名だって……」

 釈然としない口調でそう呟いた。

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