刃の下に心あり 14
メニューに顔を埋めるように見つめ、栞さんはテーブルの端に置かれたブザーを押す。
そして足早にやって来たウェイトレスを見上げることもなく、聞き取れる限界の早口でオーダーを口にした。
「ハンバーグ&若鶏の竜田揚げプレートにチキンシーザーサラダ、まぐろ小柱丼と豚汁。食後にフレッシュ苺パフェ」
細身の女の子がオーダーする分量を遙かに超えている。
だが栞さんは澄ました顔でメニューを閉じ、何か文句でもあるかと言いたげに目を細めた。
千帆はそんな栞さんに習うように、ゆっくりとした口調でオーダーを通す。
「デラックスツインハンバーグにズワイ蟹と海老のトマトソーススパゲティ。まるごと苺シフォンたっぷりカスタード&生クリーム」
これもかなり重量級のメニューだ。この二人はカロリー計算出来ないのだろうか。
ウェイトレスはオーダー端末に打ち込み終わりチラリと俺を見つめた。
「鶏生姜ご飯と季節野菜のおろしビーフ和膳焼き舞茸添え、食後に至福のスイーツ・マウンテン」
「至福――っ、なに、それ!」
栞さんと千帆は二種類のケーキとアイスのセット、至福のスイーツ・マウンテンに反応した。
そして慌ただしくメニューを捲り、二人同時に口を開いた。
「それ、追加で!」
ウェイトレスは滝汗を掻きながら営業スマイル、長ったらしいメニューを復唱して歩き去った。
「この時間じゃ、開いている飲食店なんてないからね」
「この系列のファミレスに来るの初めてなんですよ。楽しみですー」
今俺達はフォーチューンタワービル横のファミリーレストランに来ている。
今の今まで死闘を繰り広げていた場所から徒歩一分、見通し距離で三十メートルほどの距離だ。緊張感もあったものではない。
栞さんは拘束されてから食べ物を口にしていないらしく、鬼のように注文してウェイトレスをどん引きさせたのは理解できる。
だが俺と夕食を共にしたはずの千帆が、栞さんに匹敵する分量を頼むのはどうだろう。
そう言えば昼も夜もかなりの分量を食べていたような気がする。
あれは運動をしていた反動なのかと思っていたが、もしかすると千帆は大食漢なのかも知れない。
「甘い物は別腹なんですよ」
「お前はエスパーか!」
千帆は柔和な微笑みを湛え、栞さんに向き直る。
「そういえば私、広哉くんとお付き合いすることになったんです」
そしていきなり爆弾発言をし始めた。
栞さんはチラリと俺を一瞥し、目を細めてピクリと眉を上げた。
「へ……へぇ。良かったじゃない」
「――良くありませんよ」
柔和だった千帆はいきなり表情を変え、真顔でピシャリと切り返した。
「彼は春日野さんと私、どもらも同じくらい好きだって言うんです」
「ぐはっ。いきなり暴露?」
「私はそれでもいいと思うんですけどねっ!」
「……いいのかよ。フリーダムな奴だな」
「でも、気持ちを半分持って行かれたままじゃ嫌なんです!」
栞さんは片肘を付いて目を閉じ、少し間を置いて口を開いた。
「で、どうすれば納得するの?」
「春日野さんは私から見ても魅力的だし、私には無いものを一杯持ってると思うんです」
「それは私も同意見。下御門さんは自分の魅力に気付いていないだけだと思うわよ」
「双方の魅力に広哉くんが惹かれたのなら……」
千帆は栞さんの手をギュッと握り、店中に響き渡る大きな声で力説した。
「いっそ二人一緒に付き合っちゃって、三人一緒に楽しくやりましょうよ!」
栞さんは片肘ついた手からずり落ち、俺はざわつく店内の雰囲気に耐えきれず背中を丸めた。
まるで子供のような発想だが、千帆も色々な経験をした女の子だ。おままごと気分で口にしたわけではない。
彼女もまた俺と同じく、栞さんの魅力に惹かれているのかも知れない。
栞さんは何か言いたげに口をパクパクさせていたが、気を取り直して俺に向き合った。
「秋篠くんが私のこと好きだって、何となくだけど気付いてた。ごめん……」
「いえいえ。何となく気付かれるって感じてた」
二人はどちらからと無く頭を下げ、再び目が合って苦笑しあう。
「……で。私のこと、どれくらい好きなの?」
「えっと……、栞さんのことを考えると、何も手に付かなくなるくらい」
「下御門さんと私、どっちが好きなの?」
「どちらがどうとは言えない。二人ともかけがえのない人だと思っている」
栞さんは重苦しく溜息を吐き、千帆に向き合って手を取った。
「下御門さんの気持ちがなんとなく理解出来た。モヤモヤっとした気分になるわね」
「でしょう? 嬉しくもあり、悲しくもある。相手が春日野さんだってことで、広哉くんの気持ちが理解できてしまうのが悔しいの」
「なるほどね。私も下御門さんが相手じゃなければ、頬を二度張ってサヨナラしているわよ」
二人はそう言い終わるなり、固く手を取り合ってコクコクと頷きあう。
お互いがお互いを認め合うってのは美しい光景だが、この場合それと同じにしては問題がありそうだ。
「最後に秋篠くんの忌憚ない意見をどうぞ?」
栞さんからの無茶振り。
俺はコホンと咳払いを一つし、思いの丈を口にした。
「大切にしたいと思えて、気持ちが安らいで、互いの価値観を共有したいと思う。そんな二人と出会えたのは幸せだと思う」
そう口にした途端、拳骨が二方向から飛んできた。
「開き直った!」
「分かっていても腹が立つ!」
煙の出る拳を握りしめる二人。
だがその笑顔を見ていると、痛みなど吹っ飛んでしまいそうだ。
食事を終えた後、栞さんが部屋を取っていたアレイスター・ベイサイドホテルに向かう。
無知な俺でも知っている。それくらい格式のある有名ホテルだった。
栞さんは臆することなくホテルマンに会釈し、悠然とエレベーターに向かった。
「栞さん、俺達は料金払ってないんだけど……」
「馬鹿ね。スイートルームなんて人を呼ぶために借りるのよ。何のためにゲストルームがあると思ってるの?」
しれっとそう口にしてエレベータに乗り込む。
俺と千帆はキョロキョロと周りを気にしながら、栞さんの後を追った。
二十八階、栞さんの借りたスイートルームに辿り着く。
扉を閉じてバクバクと鳴る心臓を押さえ、部屋を見渡して嘆息する。
広々とした部屋はリビング風。その奥にベッドルームがあり、大きなベッドが見えている。
「ハイ! 一番下御門千帆、行きます!」
千帆は手をピッと上げて宣言し、そのままダッシュしてベッドにダイビングする。
「じゃあ二番、春日野栞、行くわね」
「栞さんまで?」
そう言うや否、栞さんは俺をヘッドロックしたままベッドに飛び込んだ。
顔面をベッドに打ち付けられ、先程食べた食事が逆流しそうになる。
「ブルドッキング、ヘッドロック……」
アルトが検索してくれたプロレス技を口にして力尽きる。
そしてそのままうつぶせで呻いていたが、しばらくして強引にひっくり返された。
目の前には栞さんの真剣な表情。その向こうで手で顔を覆う千帆の姿があった。
「下御門さん、ごめんね……」
栞さんはそう断りを入れて、俺の肩と手を押さえつけてキスをした。
軽く触れて離れていく唇。
「意識朦朧とした状態の時、秋篠くんの唇を奪っちゃったけど、あれがファーストキスだと悲しくなると思わない?」
そして再び柔らかい感触。
軽く口を開いて導くと、彼女の舌が割り込んできた。
前にされたキスなんかとは比べものにならないほど、彼女の情熱のようなものが流れ込んでくる。
糸を引いて離れる唇。上気した栞さんの表情が艶めかしい。
「じゃあ、二番、下御門千帆。行きなさい!」
「はい!」
拒絶しようと動いた両手を押さえつけ、千帆は目を輝かせながら俺を見下ろす。
「な……、なんか力ずくで押さえつけたら、妙に興奮してしまいました」
「分かるわ、その気持ち」
「変じゃないですよね。普通ですよね?」
千帆はそう口にして強引に唇を奪う。
栞さんは唇を腕で拭い、スッと立ち上がった。
「秋篠くんが選んだ道って、思ったより茨の道かも知れないわね。お風呂入れてくるわ」
「むー、むぐー」
唇を塞がれたまま何も反論できず、手だけは助けを求め空を掻く。
だが千帆はその手を押さえ込み、一度唇を離してもう一度口付けた。
バスルームの中から栞さんの声が響く。
「お風呂、三人で入ろっか!」
その呼びかけにもう一度唇を離して千帆が答えた。
「賛成!」
確かに選んだ道は茨の道のようだ。
一人でも乗りこなせるかどうかのじゃじゃ馬なのに、乗りこなして二人を幸せにしなくてはならないのだ。
――俺、もしかするととんでもない選択をしたんじゃ。
そう思いながらも、心の奥底では満更ではないと思っている自分がいた。
バスルーム――。
ホテルの風呂なんてものは、大抵防水カーテン付きの狭苦しいバスタブと相場が決まっている。
だがさすがは高級ホテルのスイートルーム。マジで半端無い。
大理石の床に円形のジャグジー付きの浴槽。文句あるかってほど広々としている。
俺としては『朝、目を覚ますとソファの上で毛布にくるまり――』なんて健全な展開を期待したが、神はそれを許さなかったようだ。
大きな湯船に鼻まで浸かりながら、チラリと視線を彷徨わせる。
丸みを帯びたお尻。脚を閉じていても隙間のある太もも、程よいふくらはぎと締まった足首。
なぜ下半身から見るのかとツッコミに、脚フェチなので下から見るのですと答えるしかない。
キュッと締まったウエストの上は華奢にみえる肩とうなじ。
さすがに千帆の胸はボリュームがあり、体を動かす度タユンと上下に揺れる。
だが栞さんの胸も負けてはいない。慎ましやかでありながら、釘付けなってしまうほど形がよい。
「秋篠くん、お待たせ。洗ってあげるから出てらっしゃい」
「いえ……。お構いなく」
栞さんは腰に手を当て、胸や――を隠すことなく仁王立ち。
クイクイと手を動かして来いと命令を下す。
「嫌がらせしているんじゃないか? 俺を戒めようと……」
「私のこと好きなんでしょ? そうと口にしたわけじゃないないけど、もう恋人同士だと思ってるわよ?」
「ひい……」
「恋人同士ですからね。少し恥ずかしいですけど――」
仁王立ちする栞さんの奥で、恥ずかしげに手のひらで顔を隠す千帆。
隠す場所を色々間違えている気がするが、こればっかりはツッコミようがない。
「秋篠くん……」
「うぐぅ……」
「来なさい! これは命令よ!」
有無を言わせ激しい口調。これ以上抵抗するのは無理そうだ。
ゆっくりと湯船から出て、手で前を隠しながら前屈みになる。
栞さんは俺の裸体を見ながら眉一つ動かさない。スポンジにボディソープを付け、軽く揉んで泡立てた。
「手、どけてくれない? 邪魔だから」
「ひい……」
「私は背中を洗いますね」
千帆はそう断りを入れ、スポンジを手にして背後に回る。
酒池肉林の極楽。人によってはそう思うのかも知れない。
だが俺はどうにもそういう風に思えない。何かの罰ゲームを食らっている気分で一杯だ。
泡だったスポンジが体を擦り上げる。
千帆の手が背中から脇を、そして時折勢い余って体がピタリと密着する。
その度にたわわな胸が背中に触れるのだ。
栞さんは胸元を洗い終え、片膝を付いて太ももを擦り上げる。
目の前に屹立した暴れん坊を目にしながら、ミリ単位にも表情を変えず淡々と洗ってくれている。
そしてその暴れん坊を手で避け、脚の付け根にスポンジを動かす。
まるで台所からのれんをよけて顔を出すような、自然でさりげない対応だ。
「コレはどうやって洗えばいいの?」
「スポンジでゴシゴシしたりすると大変マズイことになります」
「手で洗えばいいのかしら?」
「それはもっと大変なことになってしまいます」
わざとなのか、それとも天然なのか。栞さんは真顔で頷く。
上目遣いで見上げるのがいいと本に書いてあったが、その気持ち痛いほど良く分かる。
「はい、洗い終えたわよ」
暴れん坊袋の裏から尻の割れ目まで洗い上げられ、彼女らが掛けてくれたシャワーで泡を洗い流す。
二人は前と後ろから手でぬめりを洗い流して、一仕事終えたとばかりに手をパンパンと叩いた。
「髪の毛も洗ったげようか?」
「いえ、結構です……」
「んじゃ、下御……もとい千帆、私達は湯船に浸かろうか?」
「はい、――栞さん」
二人はぎこちなく名前を呼び合って湯船に向かう。
俺はやっと苦役から解放された気分になり、シャンプーのポンプを二度押した。
指を立てて髪を洗い、シャワーで洗い流す。
そしてとっとと風呂から上がろうと思った時、背後で俺を呼ぶ猫撫で声がした。
「あ・き・し・の・く・ん」
「ひ・ろ・や・く・ん 」
二人は手のひらに泡を乗せ、フッと吐息で飛ばして脚を湯船から覗かせた。
今さっき風呂から出ようと決意したばかりなのに、吸い寄せられるように湯船に向かってしまう。
再び湯に浸かりながら目は二人の脚に釘付けになる。
腿をきゅっと閉じ恥じらいを醸し出し、ハの字に開かれる開放的なふくらはぎ。
そしてゆったりと指先まで伸ばされ、これでもかと脚線美を見せ付ける。
男なら誰しもそうなるのと同じく、俺もその美を余すことなく堪能した。
「――ね?」
「ホント。面白い生き物ね」
千帆と栞さんはヒソヒソと耳打ちし合い、生温かい視線を俺に送る。
キョトンと二人を見つめる俺に向かい、栞さんは呆れ声で天を仰いだ。
「千帆がね。秋篠くんって脚フェチだって聞いたので、私達の脚に反応するか試してみませんかって」
「キャー、バラしちゃダメですよ!」
千帆は栞さんの首に手を回し、どさくさに紛れて溺死させようとする。
そんな手を振り解いて、栞さんは濡れ髪を掻き上げた。
「秋篠くんに質問。千帆の胸と脚どっちがいい?」
「脚」
「私の大切な部分と脚、どっちがいい?」
「脚」
キッパリと言い切る。
二人は珍しいものでも見るかのようにジト目になった。
「二人の体、一箇所だけ触らせてあげると言えば?」
「脚にする」
「……色々と考え直したくなるわね」
風呂から上がり、ベッドに腰掛けて時を待つ。
彼女らはパウダールームに残って、丹念に髪を乾かしている。
ドライヤーの音が止み、二人は扉の向こうから顔を覗かせる。
「あら……どうしたの、借りてきた猫みたいに……」
「先に寝るのが怖いんだよ」
ちょっとした嫌味を言ったつもりだったが、彼女らには通用しなかった。
ニヤリとほくそ笑んで、お互い顔を見合わせる。
「じゃあ、私達が寝るまで見守ってくれる?」
「広哉くんって、優しいんだ!」
二人は申し合わせたように右と左に分かれ、俺の体を押さえつける。
そして腕を押さえつけると、自分の頭を乗せて布団を被った。
「じゃ、オヤスミ。秋篠くん」
「ふわぁぁ、今日は疲れた……」
二人はそう告げ、あっという間に寝息を立てた。
囚われていた栞さんはもとより、千帆も今日は動きっぱなし。かなり疲れていたのだろう。
そういえば俺も――。
閉じていく瞼に逆らうことなく、二人を抱き寄せて眠りについた。