刃の下に心あり 13
二名は反撃を恐れてか、キャビネットの影に隠れた俺達に追い討ちを掛けてこない。
「ごめん……、ごめんなさい……」
千帆は申し訳なさそうに涙ぐみ、祈るように腕をマッサージする。
刺された腕に外傷は見当たらないが、筋肉が弛緩して思った通りに指を動かすことすら出来ない。
俺は千帆の頭を撫でながら、次の一手を見誤らないように考えを巡らせた。
「そろそろ終わりにしようか?」
二名雅樹は嬉々とした声を上げる。
与えられた僅かな時間だったが、分かったことが一つある。
二名雅樹に与えられた十分という時間。それは俺に与えられた時間でもあるということを――。
奴はその時間内に条件をクリアすれば免罪され、妹の無念や、栞さんの受けた屈辱を晴らすことは出来なくなる。
かといって時間切れを待っていても、司法の手に奴を委ねることになり、直接手を下すことは出来ない。
この短い猶予は、祐子先生がくれた最初にして最後のチャンスだと思う。
吹っ切れ――。
彼女がこの場を立ち去る時に見せた目には、そういう意味が込められていたように思える。
俺は千帆の手からそっと逃れ、涙と汗で頬に張り付いた髪を直す。
「千帆。いざとなったらお前は逃げろ」
そう告げた瞬間彼女は目を見開き、口を真一文字に固く閉じてきっぱりと首を振った。
「諦めたらダメ。まだ勝負は着いていないんだから」
「万が一の保険だよ」
ポケットから取り出した薬の瓶を彼女に見せる。
「こ、これって……、オオカミナスビの……」
「狙えるか?」
「……やってみる」
彼女の返事を聞き、踏ん切りをつけた。
彼女のダーツはブランデーグラスを砕いた。威力は十分にある。
動く標的、しかもこんな小さな小瓶だ。千帆の腕をもってしても命中させる確率は五分五分だろう。
五分しかないと思うか、五分もあると思えるかは俺次第だ。
アイテムをポケットに入れ、思いっきり息を吸い込んで立ち上がった。
「そうだな。そろそろ終わりにしようか?」
精一杯の虚勢を張り、二名の前に歩み寄る。
だらりと垂れ下がる右手を見て、彼はニヤリを口元を歪めた。
「両手でも歯が立たなかったのに、片腕で何が出来る?」
「使えないように見えるか? 回復呪文で愛情満タンだぜ」
二名は呆れたとばかりに首を振り、己が手を突き出して目の前で指を一本一本折り畳む。
そしてその動きにシンクロするように、俺の右手が勝手に動き出して指を折り畳み始めた。
「くだらないハッタリだ。もういいよ君は……」
そう言い終わった瞬間、二名は長い脚で距離を一気に縮めて、その固めた拳を打ち込んできた。
視界を塞ぐほど大きく見える拳に、吸い込まれるように左手が動いた。
反射でも本能でもない。毎日繰り返し、体に染み付いた忽雷架の套路が勝手に体を動かしたのだ。
左手は二名の腕に絡み、腕の軌道をほんの少し外に弾く。
体は勝手に前に向かい、迫り来る二名を迎え撃つ。
右脚はつっかえ棒のように地に張り付き、左足は俺の体をクルリと反転させた。
――靠
アルトは瞬時に検索し、ショートレンジの体当たりであると解析結果をくれた。
背に受けた衝撃はそのままカウンター気味に二名に返り、彼の体を吹き飛ばして壁に打ち付けた。
何が起こったのか理解出来ないでいる二名だったが、表情をサッと変えて身構えた。
「退魔士ってのはおっかない奴らだと思ってたけど、口ほどにもないな」
左手しか動かせない俺には、懐に飛び込んで五分に打ち合うことは出来ない。
今のように攻撃を受け流してカウンターを打つしかない。
だが奴も馬鹿じゃない。カウンターを警戒して最後の最後まで踏み込んで来ないだろう。
となると遠距離からの攻撃――、蜂を使った霊気戦闘になる。
「バーサーカーが後を任せるだけはある……か。近接戦闘は避けた方がいいようだな」
「いや、今のはマグレだ。全然チョロいと――」
そう口にしてみたものの、案の定二名は霊気を放出して蜂を具現化し始めた。
アルトは左手の可動範囲を計算し、ガード出来ない部分を視野に表示させた。
「だぁっ、右半分が完全に無防備じゃないか」
「精々気をつけてね。ヒロヤ」
アルトはプイっと顔を背けて、なにやら冷たい言葉を吐く。
「アルト……、もしかして怒ってる?」
「怒ってなんかないよ。チホとベタベタしすぎだとか、そんなこと全然思って無いもん」
ヤキモチか……。
そう言えば千帆と一悶着あった時に、アルトはいなかったんだっけ。
「ヒロヤのパートナーは千帆なの!?」
「いえ、アルトさんです。……言い間違えましたアルト様です」
「ふむ、よろしい」
アルトは腕を組んで鼻息荒く頷く。
「最高のパートナーたるアルトちゃんが、ヒロヤにアドバイスしてあげるね」
「お前、やっぱシンクレアに似てきたぞ……」
アルトはそれを悪口だと取らず、成長した証と認識したようだ。
「右手が動かないのは霊気の塊が残っていて、それが神経伝達を阻害する微弱な電気を発してるの」
「なるほど、正座のあとのしびれと同じか。アレも神経や血管一時的に圧迫されて生じるもんだからな」
「霊気には霊気で対抗するに限るんだよ」
「オッケー。皆まで言うな」
俺は一歩飛び退いて二名との距離を取る。
そして動かぬ手をキャビネットに押し付け、もう一方の手で思いっきり殴りつけた。
赤の霊気が左手から右手に……、そしてキャビネットへと伝播していく。
同時に右手から強烈な痛みが戻ってきた。
「がっ!」
「思いっきり殴るからだよ……。ヒロヤは加減ってものを知らないね」
痛む右手を押さえ、悶絶しそうになるのを必死で堪えた。
霊気を放出する方法は紅の霊気を纏うあの人を見て学んだこと。まだ応用が利くほど経験を積んでいない。
俺に出来るのは強く殴り、より多くの霊気を流し込むことだけだ。
「だが――」
痺れの取れた右手は拳を握り込めるほどに回復した。
これなら蜂は問題ない。
だが俺の頭の片隅には不安材料が一つある。
蜂と二名が同時に攻撃してきたら太刀打ち出来ないってことだ。
アルトは目の前を二度通過し、なにやら思わせぶりな態度を見せる。
「アクセラレート、コンセントレート。サポートプログラムはそれだけじゃ無いんだけどな~」
「な……、だったら何故出し渋る。何か魂胆でもあるのか?」
「アルト、行ってみたい場所があるんだけど――」
あからさまな脅迫だった。
普段真面目な性格をしているだけに、お馬鹿なシンクレアを扱うようにはいかないようだ。
「アルトの行きたい場所は、俺が行きたい場所。二人は一心同体じゃないか。な? アルト様」
「よし、ヒロヤがガス欠になるまで椀飯振舞しちゃおう」
アルトは肩の上に乗り、脚を組んで二名を指差す。
「行くよ。――アナライズ!」
二名を取り囲む蜂の一つが視界に拡大され、その横に解析結果を示す情報が付加された。
凝縮した霊気体。腹袋に溜まった霊気を針を経由して人体に流し込む。
霊気の属性は風。微弱な電気を遠隔から放出して神経伝達を阻害し、遠隔からの命令に応じて体を操る。
「そしてこれがアルトだけにしか出来ないスペシャルプログラム。ディスアセンブル」
蜂の霊気体が機械語に、さらにC言語へと二段階に逆アセンブルされた。
形状データ。行動パターンデータが視界内にダンプされる。
プログラム形式はアルトと酷似したルーチン形式。違いはメインルーチンの『アザルヤ』が無いことくらいだろうか。
「ヒロヤなら出来るはずだよ。あのプログラムを改竄するように意識を集中して!」
「改竄――、ならばアレが――」
頭の中に閃いたビジョンに意識を集中させる。
他の命令を受け付けないようメインルーチンの変数を書き換え、行動パターンデータを反転させる計算式を付加する。
同時に手が前に引っ張られるような感覚。それに逆らわず両手を前に突き出した。
「コンパイル!」
アルトがそう叫んだ瞬間、俺の手から霊気が放出された。
真っ赤なその霊気は俺の頭に描いたイメージをそのまま具現化した。
その霊気体を見てアルトは思わずスッコケた。
それもそのはず、俺の頭に描いたのは――。
「ゆけっ! おしりかじり虫ども!」
俺とアルトが出会ったキッカケでもあるアラバスターウイルス。
米粒ほどの大きさをした無数のアラバスターが飛翔し、二名の周りを旋回していた蜂達に齧り付く。
そしてアラバスターが内包していた改竄プログラムが蜂の体内に流し込まれた。
「な、なにを!」
その行動を見て慌て出す二名。
蜂達は彼の命令下を離れ、攻撃対象を二名へと変えた。
だがさすがは退魔士。咄嗟に命令が通じないことを覚り、攻撃してきた蜂を手で打ち落として霧散させる。
「今よ、ヒロヤ」
「お……、おう!」
千載一遇の好機。二名は蜂に気を取られて隙だらけだ。
だが一歩足を動かした瞬間目眩がして、膝が砕けて動けなくなった。
「れ、霊気切れ……か」
体を包み込んでいた霊気が薄れていく。
薄れた生命力を体に伝達しようと鼓動は高鳴り、より多くの酸素を欲して過呼吸になった。
「ヒロヤ、顔を上げて!」
目の前には乗っ取った蜂を消し去り、俺を見下ろす二名がいた。
俺の手を踏み付けて、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「チェックメイトだな。クソガキ」
立ち上がろうとする俺を蹴り上げ、地に付いた手をギュッと踏みしめた。
俺はぼんやりと奴の顔を見上げ、その視線を一段高い位置に向けた。
「――千帆!」
もう一方の手でポケットの瓶を投げ上げ、その拳を出来るだけ固く握りしめた。
頭上でガラスの割れる音が響き、薬液が二名と俺に目掛けて降り注ぐ。
くぐもった二名の声を聞き、固めた拳を奴の膝に見舞う。
そして最後の力を振り絞って立ち上がり、がら空きの腹部に連打を打ち込んだ。
「――――――」
奴が何を口にしたか、俺の耳にはもう聞こえない。
体勢を崩して倒れた二名の体に馬乗りになり、奴の顔目掛けて拳を振り下ろした。
「これが栞さんの分!」
引き戻した拳には折れた歯が突き刺ささり、勢い良く血が噴き出した。
そしてもう一方の手を振り上げ、妹の愛香を思い絶叫した。
「これが愛香の――」
石を床に落としたような音が鳴り、二名の頭が床から跳ねた。
そしてもう一度拳を落とそうとしたその時、俺の腕が何者かに止められた。
「はい。そこまで――」
見上げるとそこには祐子先生がいて、静かに首を振っていた。
「教え子に殺人を犯させるわけにはいかないからね」
二名を見下ろす。
彼は既に意識を失い、開かれた目は左右ともあらぬ方向を見つめている。
力強く引き立たせられ、よろめく足で体を支えた。
妹の無念を晴らした満足感は無い。
栞さんの受けた恥辱を晴らしたという達成感もない。
あるのは空虚。自分を支えていた何かを失った喪失感しか残されていなかった。
祐子先生に抱きしめられ、赤子をあやすように優しく背中を叩かれる。
そしてその時初めて、自分が嗚咽していると気付いたのだ。
二名は駆け付けた警察によって連行された。
祐子先生は現場を仕切る警察関係者に一言二言話をして、俺と千帆を連れてその場を立ち去った。
そしてエレベーターに乗るなりプハッと息を吐き、大きな声で笑い出した。
「いつになってもああいう堅苦しい人達は苦手だわ」
「祐子先生、あなたには聞きたいことが山ほどあるんですが……」
ジト目で睨み付けると、彼女はピクピクと口元を引き攣らせた。
「あ、お腹空かない? 私ラーメンが食べたいなぁ……」
「必死にごまかそうとしていますね?」
「まあまあ。そういう話は後でゆっくり……ね?」
「ちゃんと説明して下さいよ?」
一階に下りてエントランスを通り抜け、祐子先生は困惑する受付嬢に手を振る。
そして愛車ハチロクレビンを指差し、その前に立つ栞さんにもう一度手を振った。
少しはにかむ栞さんの笑顔を見て、千帆は走り出した。
「春日野さん!」
千帆と同じタイミングで走り出そうとした俺は、祐子先生に襟首を掴まれてその場に留まる。
彼女は屈託無い笑みを浮かべ、ソッと俺に耳打ちをしてくれた。
「春日野は未遂で終わったようだ。安心して接してやればいい」
「安心って……」
「春日野のこと好きなんだろう?」
祐子先生は背中を思いっきり叩いて送り出す。
よろけて踏鞴を踏み、振り返って祐子先生を睨み付ける。
一言文句でも言ってやろうとしたが、気持ちはもう栞さんの方に向いていた。
俺は栞さんと千帆目掛けて、飛び込むようにダイブした。
「迷惑掛けてごめんなさい……」
いつになくしおらしく振る舞う栞さん。
うな垂れたままの彼女に、千帆は思い切ってヘッドロックをかました。
「なにを言ってるの、仲間でしょ?」
俺も千帆に習い、栞さんにデコピンを一発きめた。
「そうだ。仲間なんだし、助けに来るのが当たり前」
涙ぐむ栞さんを俺と千帆はどちらからと無く抱きしめた。
祐子先生は車から俺達のリュックを降ろし、座席に腰を下ろして車のエンジンを掛けた。
「春日野がホテルに部屋を取ってるらしい。お前らは一泊してゆっくりしてから帰ってこい」
「一泊って……明日は学校……」
「学校には上手いこと言っておいてやる。ちゃんと話し合ってメンタルケアしてこい」
祐子先生はそう言い残し、車を走らせて去っていく。
何か重大なことを忘れている気がして、千帆へ問い掛けるような眼差しを送った。
「――あっ!」
「逃げられた!」
走り去るテールランプを見つめ、俺と千帆は同時に地団駄を踏んだ。