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ALTO+  作者: Mercurius
33/39

刃の下に心あり 13

 二名は反撃を恐れてか、キャビネットの影に隠れた俺達に追い討ちを掛けてこない。

「ごめん……、ごめんなさい……」

 千帆は申し訳なさそうに涙ぐみ、祈るように腕をマッサージする。

 刺された腕に外傷は見当たらないが、筋肉が弛緩して思った通りに指を動かすことすら出来ない。

 俺は千帆の頭を撫でながら、次の一手を見誤らないように考えを巡らせた。

「そろそろ終わりにしようか?」

 二名雅樹は嬉々とした声を上げる。

 与えられた僅かな時間だったが、分かったことが一つある。

 二名雅樹に与えられた十分という時間。それは俺に与えられた時間でもあるということを――。

 奴はその時間内に条件をクリアすれば免罪され、妹の無念や、栞さんの受けた屈辱を晴らすことは出来なくなる。

 かといって時間切れを待っていても、司法の手に奴を委ねることになり、直接手を下すことは出来ない。

 この短い猶予は、祐子先生がくれた最初にして最後のチャンスだと思う。

 吹っ切れ――。

 彼女がこの場を立ち去る時に見せた目には、そういう意味が込められていたように思える。

 俺は千帆の手からそっと逃れ、涙と汗で頬に張り付いた髪を直す。

「千帆。いざとなったらお前は逃げろ」

 そう告げた瞬間彼女は目を見開き、口を真一文字に固く閉じてきっぱりと首を振った。

「諦めたらダメ。まだ勝負は着いていないんだから」

「万が一の保険だよ」

 ポケットから取り出した薬の瓶を彼女に見せる。

「こ、これって……、オオカミナスビの……」

「狙えるか?」

「……やってみる」

 彼女の返事を聞き、踏ん切りをつけた。

 彼女のダーツはブランデーグラスを砕いた。威力は十分にある。

 動く標的、しかもこんな小さな小瓶だ。千帆の腕をもってしても命中させる確率は五分五分だろう。

 五分しかないと思うか、五分もあると思えるかは俺次第だ。

 アイテムをポケットに入れ、思いっきり息を吸い込んで立ち上がった。

「そうだな。そろそろ終わりにしようか?」

 精一杯の虚勢を張り、二名の前に歩み寄る。

 だらりと垂れ下がる右手を見て、彼はニヤリを口元を歪めた。

「両手でも歯が立たなかったのに、片腕で何が出来る?」

「使えないように見えるか? 回復呪文で愛情満タンだぜ」

 二名は呆れたとばかりに首を振り、己が手を突き出して目の前で指を一本一本折り畳む。

 そしてその動きにシンクロするように、俺の右手が勝手に動き出して指を折り畳み始めた。

「くだらないハッタリだ。もういいよ君は……」

 そう言い終わった瞬間、二名は長い脚で距離を一気に縮めて、その固めた拳を打ち込んできた。

 視界を塞ぐほど大きく見える拳に、吸い込まれるように左手が動いた。

 反射でも本能でもない。毎日繰り返し、体に染み付いた忽雷架の套路が勝手に体を動かしたのだ。

 左手は二名の腕に絡み、腕の軌道をほんの少し外に弾く。

 体は勝手に前に向かい、迫り来る二名を迎え撃つ。

 右脚はつっかえ棒のように地に張り付き、左足は俺の体をクルリと反転させた。

 ――(こう)

 アルトは瞬時に検索し、ショートレンジの体当たりであると解析結果をくれた。

 背に受けた衝撃はそのままカウンター気味に二名に返り、彼の体を吹き飛ばして壁に打ち付けた。

 何が起こったのか理解出来ないでいる二名だったが、表情をサッと変えて身構えた。

「退魔士ってのはおっかない奴らだと思ってたけど、口ほどにもないな」

 左手しか動かせない俺には、懐に飛び込んで五分に打ち合うことは出来ない。

 今のように攻撃を受け流してカウンターを打つしかない。

 だが奴も馬鹿じゃない。カウンターを警戒して最後の最後まで踏み込んで来ないだろう。

 となると遠距離からの攻撃――、蜂を使った霊気戦闘になる。

「バーサーカーが後を任せるだけはある……か。近接戦闘は避けた方がいいようだな」

「いや、今のはマグレだ。全然チョロいと――」

 そう口にしてみたものの、案の定二名は霊気を放出して蜂を具現化し始めた。

 アルトは左手の可動範囲を計算し、ガード出来ない部分を視野に表示させた。

「だぁっ、右半分が完全に無防備じゃないか」

「精々気をつけてね。ヒロヤ」

 アルトはプイっと顔を背けて、なにやら冷たい言葉を吐く。

「アルト……、もしかして怒ってる?」

「怒ってなんかないよ。チホとベタベタしすぎだとか、そんなこと全然思って無いもん」

 ヤキモチか……。

 そう言えば千帆と一悶着あった時に、アルトはいなかったんだっけ。

「ヒロヤのパートナーは千帆なの!?」

「いえ、アルトさんです。……言い間違えましたアルト様です」

「ふむ、よろしい」

 アルトは腕を組んで鼻息荒く頷く。

「最高のパートナーたるアルトちゃんが、ヒロヤにアドバイスしてあげるね」

「お前、やっぱシンクレアに似てきたぞ……」

 アルトはそれを悪口だと取らず、成長した証と認識したようだ。

「右手が動かないのは霊気の塊が残っていて、それが神経伝達を阻害する微弱な電気を発してるの」

「なるほど、正座のあとのしびれと同じか。アレも神経や血管一時的に圧迫されて生じるもんだからな」

「霊気には霊気で対抗するに限るんだよ」

「オッケー。皆まで言うな」

 俺は一歩飛び退いて二名との距離を取る。

 そして動かぬ手をキャビネットに押し付け、もう一方の手で思いっきり殴りつけた。

 赤の霊気が左手から右手に……、そしてキャビネットへと伝播していく。

 同時に右手から強烈な痛みが戻ってきた。

「がっ!」

「思いっきり殴るからだよ……。ヒロヤは加減ってものを知らないね」

 痛む右手を押さえ、悶絶しそうになるのを必死で堪えた。

 霊気を放出する方法は紅の霊気を纏うあの人を見て学んだこと。まだ応用が利くほど経験を積んでいない。

 俺に出来るのは強く殴り、より多くの霊気を流し込むことだけだ。

「だが――」

 痺れの取れた右手は拳を握り込めるほどに回復した。

 これなら蜂は問題ない。

 だが俺の頭の片隅には不安材料が一つある。

 蜂と二名が同時に攻撃してきたら太刀打ち出来ないってことだ。

 アルトは目の前を二度通過し、なにやら思わせぶりな態度を見せる。

「アクセラレート、コンセントレート。サポートプログラムはそれだけじゃ無いんだけどな~」

「な……、だったら何故出し渋る。何か魂胆でもあるのか?」

「アルト、行ってみたい場所があるんだけど――」

 あからさまな脅迫だった。

 普段真面目な性格をしているだけに、お馬鹿なシンクレアを扱うようにはいかないようだ。

「アルトの行きたい場所は、俺が行きたい場所。二人は一心同体じゃないか。な? アルト様」

「よし、ヒロヤがガス欠になるまで椀飯振舞しちゃおう」

 アルトは肩の上に乗り、脚を組んで二名を指差す。

「行くよ。――アナライズ!」

 二名を取り囲む蜂の一つが視界に拡大され、その横に解析結果を示す情報が付加された。

 凝縮した霊気体。腹袋に溜まった霊気を針を経由して人体に流し込む。

 霊気の属性は風。微弱な電気を遠隔から放出して神経伝達を阻害し、遠隔からの命令に応じて体を操る。

「そしてこれがアルトだけにしか出来ないスペシャルプログラム。ディスアセンブル」

 蜂の霊気体が機械語に、さらにC言語へと二段階に逆アセンブルされた。

 形状データ。行動パターンデータが視界内にダンプされる。

 プログラム形式はアルトと酷似したルーチン形式。違いはメインルーチンの『アザルヤ』が無いことくらいだろうか。

「ヒロヤなら出来るはずだよ。あのプログラムを改竄するように意識を集中して!」

「改竄――、ならばアレが――」

 頭の中に閃いたビジョンに意識を集中させる。

 他の命令を受け付けないようメインルーチンの変数を書き換え、行動パターンデータを反転させる計算式を付加する。

 同時に手が前に引っ張られるような感覚。それに逆らわず両手を前に突き出した。

「コンパイル!」

 アルトがそう叫んだ瞬間、俺の手から霊気が放出された。

 真っ赤なその霊気は俺の頭に描いたイメージをそのまま具現化した。

 その霊気体を見てアルトは思わずスッコケた。

 それもそのはず、俺の頭に描いたのは――。

「ゆけっ! おしりかじり虫ども!」

 俺とアルトが出会ったキッカケでもあるアラバスターウイルス。

 米粒ほどの大きさをした無数のアラバスターが飛翔し、二名の周りを旋回していた蜂達に齧り付く。

 そしてアラバスターが内包していた改竄プログラムが蜂の体内に流し込まれた。

「な、なにを!」

 その行動を見て慌て出す二名。

 蜂達は彼の命令下を離れ、攻撃対象を二名へと変えた。

 だがさすがは退魔士。咄嗟に命令が通じないことを覚り、攻撃してきた蜂を手で打ち落として霧散させる。

「今よ、ヒロヤ」

「お……、おう!」

 千載一遇の好機。二名は蜂に気を取られて隙だらけだ。

 だが一歩足を動かした瞬間目眩がして、膝が砕けて動けなくなった。

「れ、霊気切れ……か」

 体を包み込んでいた霊気が薄れていく。

 薄れた生命力を体に伝達しようと鼓動は高鳴り、より多くの酸素を欲して過呼吸になった。

「ヒロヤ、顔を上げて!」

 目の前には乗っ取った蜂を消し去り、俺を見下ろす二名がいた。

 俺の手を踏み付けて、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

「チェックメイトだな。クソガキ」

 立ち上がろうとする俺を蹴り上げ、地に付いた手をギュッと踏みしめた。

 俺はぼんやりと奴の顔を見上げ、その視線を一段高い位置に向けた。

「――千帆!」

 もう一方の手でポケットの瓶を投げ上げ、その拳を出来るだけ固く握りしめた。

 頭上でガラスの割れる音が響き、薬液が二名と俺に目掛けて降り注ぐ。

 くぐもった二名の声を聞き、固めた拳を奴の膝に見舞う。

 そして最後の力を振り絞って立ち上がり、がら空きの腹部に連打を打ち込んだ。

「――――――」

 奴が何を口にしたか、俺の耳にはもう聞こえない。

 体勢を崩して倒れた二名の体に馬乗りになり、奴の顔目掛けて拳を振り下ろした。

「これが栞さんの分!」

 引き戻した拳には折れた歯が突き刺ささり、勢い良く血が噴き出した。

 そしてもう一方の手を振り上げ、妹の愛香を思い絶叫した。

「これが愛香の――」

 石を床に落としたような音が鳴り、二名の頭が床から跳ねた。

 そしてもう一度拳を落とそうとしたその時、俺の腕が何者かに止められた。

「はい。そこまで――」

 見上げるとそこには祐子先生がいて、静かに首を振っていた。

「教え子に殺人を犯させるわけにはいかないからね」

 二名を見下ろす。

 彼は既に意識を失い、開かれた目は左右ともあらぬ方向を見つめている。

 力強く引き立たせられ、よろめく足で体を支えた。

 妹の無念を晴らした満足感は無い。

 栞さんの受けた恥辱を晴らしたという達成感もない。

 あるのは空虚。自分を支えていた何かを失った喪失感しか残されていなかった。

 祐子先生に抱きしめられ、赤子をあやすように優しく背中を叩かれる。

 そしてその時初めて、自分が嗚咽していると気付いたのだ。




 二名は駆け付けた警察によって連行された。

 祐子先生は現場を仕切る警察関係者に一言二言話をして、俺と千帆を連れてその場を立ち去った。

 そしてエレベーターに乗るなりプハッと息を吐き、大きな声で笑い出した。

「いつになってもああいう堅苦しい人達は苦手だわ」

「祐子先生、あなたには聞きたいことが山ほどあるんですが……」

 ジト目で睨み付けると、彼女はピクピクと口元を引き攣らせた。

「あ、お腹空かない? 私ラーメンが食べたいなぁ……」

「必死にごまかそうとしていますね?」

「まあまあ。そういう話は後でゆっくり……ね?」

「ちゃんと説明して下さいよ?」

 一階に下りてエントランスを通り抜け、祐子先生は困惑する受付嬢に手を振る。

 そして愛車ハチロクレビンを指差し、その前に立つ栞さんにもう一度手を振った。

 少しはにかむ栞さんの笑顔を見て、千帆は走り出した。

「春日野さん!」

 千帆と同じタイミングで走り出そうとした俺は、祐子先生に襟首を掴まれてその場に留まる。

 彼女は屈託無い笑みを浮かべ、ソッと俺に耳打ちをしてくれた。

「春日野は未遂で終わったようだ。安心して接してやればいい」

「安心って……」

「春日野のこと好きなんだろう?」

 祐子先生は背中を思いっきり叩いて送り出す。

 よろけて踏鞴を踏み、振り返って祐子先生を睨み付ける。

 一言文句でも言ってやろうとしたが、気持ちはもう栞さんの方に向いていた。

 俺は栞さんと千帆目掛けて、飛び込むようにダイブした。

「迷惑掛けてごめんなさい……」

 いつになくしおらしく振る舞う栞さん。

 うな垂れたままの彼女に、千帆は思い切ってヘッドロックをかました。

「なにを言ってるの、仲間でしょ?」

 俺も千帆に習い、栞さんにデコピンを一発きめた。

「そうだ。仲間なんだし、助けに来るのが当たり前」

 涙ぐむ栞さんを俺と千帆はどちらからと無く抱きしめた。

 祐子先生は車から俺達のリュックを降ろし、座席に腰を下ろして車のエンジンを掛けた。

「春日野がホテルに部屋を取ってるらしい。お前らは一泊してゆっくりしてから帰ってこい」

「一泊って……明日は学校……」

「学校には上手いこと言っておいてやる。ちゃんと話し合ってメンタルケアしてこい」

 祐子先生はそう言い残し、車を走らせて去っていく。

 何か重大なことを忘れている気がして、千帆へ問い掛けるような眼差しを送った。

「――あっ!」

「逃げられた!」

 走り去るテールランプを見つめ、俺と千帆は同時に地団駄を踏んだ。



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