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ALTO+  作者: Mercurius
31/39

刃の下に心あり 11

 眼前は漆黒の闇。

 星明かりと木々が纏う微かな燐光を頼りに足場を探る。

「千帆、足元がぬかるんでいるから気をつけろ」

「うん……」

 千帆は岩の上にしゃがみ込み、おっかなびっくり足の置き場を探る。

「支えるから、手を前に」

「手……、こう?」

 見鬼の目ではこうも見え方が違うとは……。

 闇の中に身を置くなんて経験が無かったから、そんな当たり前のことに気付かなかった。

 千帆の姿はサーモグラフ映像のように見えるし、差し伸べる手を握るなんて造作もない。

 岩の上から彼女を下ろし、霊気が薄れた腕を手で撫でる。

「怪我したのか?」

「枝で引っ掻いたみたい。擦り剥いただけだから大丈夫だと思うけど……」

 彼女は見鬼の目を長く維持できない。

 千帆がいくら霊気コントロールに長けているとしても、人並みの霊気である以上、持続性に難があるのは変わりはない。

 見鬼の目を維持し続けるのは限界があるだろうし、彼女の目では俺を追うのが精一杯のはずだ。

「ヤバイ場所は指示する。心を開いて見れば、違った風景に見えるはずだ」

 霊気の使いどころを千帆と、そして頭の上に鎮座するクアデルノに伝える。

 心の目なんてよく耳にするけど、見鬼の目はそれほど都合の良いものではない。

 あくまでも網膜から『認識』し、心を開放することによってと像を結ぶのだ。

 目の視細胞には明るさだけに反応する桿体細胞と、光の三原色に反応する錐体細胞がある。

 見鬼の目はその二種類の細胞を活性化させて、初めて実現するスキルなのではないかと思えて仕方がない。

「爺さんの薬で瞳孔が開きっぱなしだ。動物が残した霊気の滓まで目で追える」

「ど、動物? ……いるの?」

「ウサギ……じゃないな。この大きさはイノシシの子供かな」

「やだ……、怖いよ」

「怖かねえよ。ウリ坊って滅茶苦茶カワイイんだぜ?」

 アルトがダウンロードした画像をクアデルノに手渡す。

 千帆はその画像を見て安心したのか、胸に手を当ててホッと息を吐く。

 俺はそんな彼女を励まそうと空を見上げる。

「星が遠くなったように感じる。街の灯りで見えにくくなったんだな」

「大分下りて来たもんね」

「もう少しで思う存分休憩出来る。それまで頑張ろう」

 彼女に背を向け、下山を再開する。

 予想した通り、沢を跨ぎ藪を掻き分けて、国道に出るまでそれほど時間は掛からなかった。




 俺と千帆は約束の場所に到着し、歩道の脇で疲れ切った体を休めていた。

 まだ薬の効果が残っているのか、集落を照らす街灯がやけに明るく見える。

 網膜が焼き付かないように目を細め、携帯電話を手に現在時刻を確認した。

 暗闇の中で神経をすり減らしたのだろうか、千帆は肩に寄り掛かって寝息を立てている。

 湿気を含んだ冷たい風が吹き付け、汗で濡れた体から体温を奪っていく。

 千帆の体が冷えてしまわぬよう、そっと体を抱き寄せる。

 だが風は体温を奪うだけではなく、来訪者の到着をも伝えてくれた。

 約束の二十二時三十分まであと僅かだが、彼女らしく遅刻ギリギリに滑り込んでくれたらしい。

「千帆……起きろ。柏木女史が来るぞ」

「えっ、あ、うん……」

 千帆は寝ぼけなまこを擦り、キョロキョロと辺りを見回す。

 だが辺りに車の姿はなく、少し拗ねたように口を尖らせる。

「いないじゃないかって? 耳を澄まして」

 連続して鳴り続けるスキール音とFCRキャブの給気音が断続的に響き、ありえない速度で走り来る車の存在を伝えている。

 そして次の瞬間つづら折れの道から車が飛び出し、ヘッドライトが俺達を眩く照らし出す。

 車はあっという間に風を切って通り過ぎ、タイヤの溶けた匂いを残してスピンターンを終えていた。

 そう……柏木女史は運転が下手なのではない、車を手足のように操る才能を持っているのだ。

 いわゆる『お前に生命を吹き込んでやる!』感じの特殊な才能。

 そう自分で言い張っているだけなのだが、確かに運転技術は目を見張るものがある。

 そんな彼女が愛馬に選んだのはカローラレビンGT-V、型式はAE-86。いわゆるハチロクと呼ばれる名車だ。

 とはいえハチロクは二十年前の車。秀でた馬力を持っている訳でなく、仕様だけを見れば平凡な車だ。

 だが軽量な車体に4A-Gエンジンを搭載し、限界を超えた領域でこそ本領を発揮する…………らしい。

 これは全部柏木女史の受け売り。耳にタコが出来るほど繰り返し聞かされた蘊蓄だ。

「乗れ!」

 半開きの窓から柏木女史が吼える。

 後部座席に千帆を押し込んで、助手席に座りシートベルトを締めた。

「高速のインターからここまで十キロ、なかなか心地よいワインディングロードだった」

 柏木女史は恍惚とした表情で胸に手を当てる。

 彼女は後部座席をミラー越しに確認し、恨みがましくジト目で睨み目を潤ませた。

「不純異性交遊……」

 柏木女史はスンスンと鼻を鳴らし、良心に訴えかけようとする。

 彼女に嘘は吐かない。本当のことだけを話そうと決めていた。

「千帆と一緒に体を鍛えようと山籠もりをしていただけです。理由はこの一件が片付いたら話します」

「千帆……ね。そういうこと?」

「――まあ、そういうことです」

 柏木女史は深い溜息を吐きながらギアを一速に入れ、思いっきりアクセルを踏み込んで車を発進させた。

 回転計の針が跳ね上がる。彼女は稲妻のような速さでギアチェンジを済ませ、更に加速を試みる。

 思わず息を止めてしまいそうな状況の中、彼女は平然と口を開く。

「下御門……、秋篠のどこに惚れた?」

 突然の問い掛けに、千帆はグッと息を飲み込んだ。

「あ……、優しいところとか、頼りになるところとか、今のところ全部好きです」

 今のところってのが少々気になるが、なかなか嬉しい言葉を言ってくれる。

 柏木女史はフッと鼻で笑い、少し大人の表情で行く先を見つめる。

 ただいまのスピードは時速百二十キロメートル。しかも先の見えないつづら折れの道だったりする。

 不意にタイヤの接地感が失われ、ハチロクは進行方向と違う方向にノーズを向ける。

 柏木女史は指一本分だけカウンターステアを切り、スピンする一歩手前で猛るハチロクをなだめる。

 そしてガードレールぎりぎりに頭をこじ入れて、そのままコーナーを抜けて走り抜けた。

「だが秋篠はやらんぞ。これは私のものだ」

「むっ!」

 千帆はシートを掴んで身を乗り出し、不機嫌そうな目を柏木女史に向ける。

「せ、先生は大人の魅力でたぶからしているだけ、本当の愛情っていうのはそんなものじゃないです」

 柏木女史は後輪を滑らせながらシフトダウンし、余裕の表情で千帆を見つめ返した。

 そして口元を僅かに吊り上げ、ふと悲しげな声で語り始めた。

「私には年の離れた弟がいて……、病弱で長くは生きられないと医者に言われていた」

「えっ……」

「ある時、弟は私に言ったのだ。元気になって、運動会で一等を取りたい、お姉ちゃんに元気なボクを見て欲しいって……」

「……えぐっ」

「弟は結局、病に勝てなかった。そんな弟と秋篠をダブらせてはいけないと思っている。年の離れた男の子に恋心を持ってはいけないと……」

「……そんなこと、無いと思います!」

 千帆は大粒の涙を零し、しゃくりを上げて嗚咽し、柏木女史はニヤリと口角を吊り上げる。

「その話、200パーセント嘘だと思うぞ。それに千帆……感化されるのも、泣くのも早すぎ……」

「私は秋篠と触れ合っている時――」

「まだ続くのかよ!」

 その与太話は千帆を畳み込むように続けられた。

 いや、畳み込むというか洗脳だな、これは……。

 

 

 

 高速に乗り、栞さんのいる街へとひた走るハチロク。

 車内は速度警告のアラームが鳴りっぱなし、スピードメータの針は振り切っている。

 時折減速して自動速度違反取締装置をやり過ごし、再び急加速して車を縫うように走り続ける。

 極限状態と言える車内では、一種異様なハイテンションで話に花が咲いていた。

 女三人いればかしましいと言うが、二人でも十分すぎるほど煩い。

 俺は一人蚊帳の外。緊張感を切らさぬように窓の外を眺めていた。

「でな、秋篠はストッキングを履いた脚ばかりに気を取られたらしく、答案用紙に名前を書き忘れたのだ」

「秋篠くんってストッキング好きなんですね」

「フェティシズムの域に達しているな」

「――あっ、それで今朝ストッキングばかり見ていたんだね。秋篠くんのエッチ」

 挙げ句の果てには人の性癖までバラされてしまう始末。

 心を許した者には隠し事をしない主義だが、さすがにこれはちょっとハズカチイ。

「じゃあ私も履こうかな。どんな反応をしてくれるか楽しみ」

「うむ、そうしてやるがいい。でも一つ欠点があってな……」

「えっ、なになに」

「心、ここにあらずというか、人の話を聞かなくなるぞ」

「あはは、秋篠くんって……」

 爆笑しながら千帆はポカポカと頭を叩く。

 怒っているのか、ただ叩きたかったのか分からないが、彼女にそれほど害意は無いようだ。

「それにしても……」

 目的地まであと二十キロと看板が現在位置を知らせてくれる。

 さすが柏木女史。おおよそ二百キロの道のりを一時間半で走りきってしまった。

 栞さんは無事だろうかと思った瞬間――。

「アキシノ!」

 不意にシンクレアが跳ねて車内を泳ぎ回る。

 一瞬バグったのかと思わせる奇行だが、彼女の表情は真剣そのものだった。

 そして涙をポロポロと流し、頬にすり寄って耳元で囁く。

「秋篠……助けて……早く」

 その言葉はシンクレアでなく、栞さんの口調そのものだった。

 シンクレアと栞さんは契約の糸で結ばれている。その絆を通じ、彼女の感情が流れ込んで来たのかもしれない。

「シンクレア! 待っていろ、きっと助け出すと伝えてくれ」

 シンクレアは戸惑うように瞳を揺らし、目を固く閉じて祈るように手と手を重ね合わせる。

「祐子先生、急いで!」

「ああ、任せろ」

 そう言うなり彼女は目を細め、アクセルを底まで踏み込んだ。

 

 

 

 ――フォーチュンタワー前。

 駐車場で車を飛び降り、後部座席の千帆に手を貸して扉を閉める。

 静かな潜入を想定していたが、予想に反し辺りは慌ただしい。

 消防車両の赤色灯。防火服を着た消防士が散見できる。

 それ以外にも警察らしきスーツ姿の男達がロビーに立ち、受付の女性となにやら話をしている。

「何かあったか……それとも……」

「アキシノ、考えている暇があれば足を動かす。ムーブムーブ」

 シンクレアはビルの裏手を指差して甲高い声を上げた。

 アルトは何も言わずビルの見取り図を視界内に展開し、最適な進入経路を示唆してくれる。

「千帆こっちだ。祐子先生は危ないからここで待っていて」

「ばっ、馬鹿なことを言うな。教え子を危険に晒して、一人安全な所で待っていられるか」

 教職らしい義憤に満ちた言葉だ。祐子先生らしい至極当然の反応と言えよう。

「ここで押し問答している暇はない。危なくなったら隠れて下さいよ?」

 そう言い含め、祐子先生を引き連れ裏口へと向かう。

 このビルには先程受付の女性が居た表玄関と、業者が日頃出入りする裏の通用口がある。

 それぞれの出入り口には警備員が常駐し、セキュリティカードが無ければ出入り出来ないようになっている。

 ここは第三の入り口、ビル管理会社の職員や警備員が出入りするための入り口である。

 堅牢なセキュリティボックスに手を翳し、アルトを電子ロックに送り込む。

 小気味良いモーター音が鳴り響き、重い鉄の音が解錠を知らせた。

 ドアノブを引いて静かに中を窺うが、予想通り警備員の姿は見当たらない。

 後ろで待つ二人に合図を送り、足を忍ばせて先に進む。

 そして突き当たりの扉を押し開けると、薄暗い階段の下に出た。

 避難誘導に従い、夜勤で詰めていた人々が欠伸を嚙みながら階段を下りている。

「警報の誤動作じゃねぇの?」

「ツイてないな……」

 彼らが口にした緊張感のない言葉で、今の状況を把握した。

 俺達は人の波に逆らいながら階段を上り、千帆と祐子先生に耳打ちをする。

「一階は目立ちますから、二階からエレベーターを使います」

 人の波を掻き分けて二階に辿り着き、エレベーターの中に乗り込む。

 そして四七階のボタンを押し、二人に目を向ける。

「千帆は後ろから援護を頼む。祐子先生は千帆から離れないでください」

「秋篠……」

 もの言いたげに口籠もる祐子先生を一睨みして、開かれたエレベーターの扉に身構えた。

 エレベーターホールに出て耳を澄ませるが、シンと静まりかえって物音一つしない。

 目の前には自動扉とカードリーダー。受付らしきカウンターにタッチパネルが一つ置かれていた。

 俺はシンクレアをむんずと掴み、カードリーダーに投げ付けた。

「働け、小魚!」

「アキシノのくせにぃ」

 シンクレアはそう悪態を吐いたが、間髪を入れずにセキュリティを解除した。

 キャッチボールの球の如く、帰ってきたシンクレアを掴んで肩に置く。

 解除された自動扉は人影に反応して開かれた。

「さて……」

 目を細めて人の残した霊気を探る。

 事務所らしき場所は多くの人が通っているが、残された霊気は時間が経っていて薄い。

 会議室も同じく希薄。

 一箇所だけ今まさに人が出入りしたらしき霊気が残っている扉が一つある。栞さんがいるとすればここに違いない。

 扉のプレートは社長室。

「様子が変だ……」

 声を細めて足元を指差す。彼女らもそれに気付いたのか、靴をカーペットから離して後退りした。

「床が水でずぶ濡れだ」

 消防車、避難する人々、ずぶ濡れの床。頭の中で何かがカチリと噛み合わさる。

 俺はそっとノブを回し、音を立てないように扉を開いた。

 観葉植物、座り心地の良さそうなソファー。その奥に大きな机と窓。

 床を伝う水を追うと、奥にある扉が目に映った。

 どうやらここの主は不在のようだ。避難誘導に従ったか、火元である故の言い訳をするために席を外したか。

 とにかく好機なのは間違いない。

 そっと足を忍ばせてもう一つの扉に向かい、ノブを回して開け放った。

 天井から滴る水が部屋の中央に配したベッドを濡らす。

 そしてそのベッドの上にはあられもない姿で拘束された栞さんの姿があった。

「栞さん!」

 俺はパーカーを脱ぎながら彼女の元へ駆け寄り、それで裸体を覆って口元に耳を当てる。

 荒い息づかいをしているが、まだ彼女は生きている。

 そう安心して初めて彼女の状況を把握した。

 手錠でベッドに手首を繋がれ、脱がされたであろう下着がベッドの下に捨てられていた。

 手錠が肉に食い込み、血がシーツに滴り落ちる。

「広哉くん、これ」

 千帆はミニバーのカウンターに置かれた鍵を手に声を荒げる。

 その鍵を受け取り、彼女の手を苛んでいる手錠に差し込んだ。

 栞さんの目がうっすらと開く。

「あ……、秋篠」

「栞――」

 彼女の名を呼ぼうとしたその声は、首に回された腕と彼女の唇によって遮られた。

 温かい舌が口中を蠢き、俺の唾液を喉を鳴らして嚥下する。

 ――これはキスではなく性行為だ。

 そう気付いて思わず突き放そうとしたが、抗いがたい腕の力はもちろん、未知の快感に腰が砕けそうになる。

 やっとことでそれから逃れ、暴れる腕を組み伏せて彼女の目を見つめる。

 虚ろな瞳、緩んだ口元、懇願するように垂れ下がった眉。これは……。

「栞さん!」

 正気に戻れと頬を叩いたが、半開きの口元が閉じることはない。

 敵の能力にやられたのだ。そしてこのベッドの上で彼女は……。

 彼女を抱え起こし、その細い体を抱きしめる。

 その時遠くでエレベーターの到着を知らせる音が響く。

「千帆……、祐子先生、彼女を頼みます」

 栞さんの体を二人に預ける。

 そしてポケットから手袋を取り出し、怒りに震える指に通した。


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