刃の下に心あり 10 >>
春日野栞は孤児である。
父母の顔を覚えておらず、姉の沙織と共に幼い頃から児童養護施設で育った。
その生い立ちがそうさせたのか、子供らしからぬ理知的な顔立ちと、どこか達観したような大人びた雰囲気を持っていた。
彼女は努力家で成績も良く、生い立ちに僻むこともなく素直に育つ。
とりわけ絵を描くのが上手で、写実的な描写は大人顔負けの才能を持っていたという。
彼女……、いや彼女らは普通の子供と変わらぬ教育を受けて、至極真っ当な人生を歩むはずだった。
だが彼女はある事件をきっかけに、能力者としての才能に目覚めてしまう。
その能力を見出したのは施設の男性職員である。
才能に目覚めたことは幸福なのか不幸なのか。一般的な常識に当てはめ、キッカケに関しては後者であろうと思う。
彼の立場に立つならば栞と出会ったことが、逆の立場を取るならば、彼に目を付けられたことが不幸だった。
当時小学生の栞は頻繁に熱を出し、学校を休んで施設の寮で床に伏せることが多かった。
強い霊力は時としてその者に害を及ぼすことがある。彼女の場合も同じく霊気を御しきれずにいたのである。
男性職員は他の子供達を学校に送り出し、薬を飲ませるべく栞の部屋へと足を運んだ。
二段ベッドに机があるだけの小さな部屋に入ると、机に薬と水差しを置いてベッドに伏せる栞を見下ろした。
汗ばむ肌に吸い付くパジャマ、紅潮する頬に小さな桜色の唇が、酷く艶めかしく彼の目に映った。
そう……、彼は幼い子供を好む異常性癖を持っていた訳ではない。
栞だからそういう衝動に駆られたのだと、もし生きていれば証言したであろう。
ベッドの下段に眠る栞に馬乗りになり、震える手でパジャマのボタンを外していく。
そして男児とさほど変わらぬ胸を撫で回し、背徳感を感じながらも舌を這わせて悦に浸った。
ふと体に違和感を感じ――、栞は目を覚ました。
彼女は見慣れた職員を見て一瞬気を許したが、上半身がはだけていることに気が付いて声を荒げた。
悲鳴が寮内に響く前に口を覆われ、続けざまに平手を二度食らわせられた。
「栞ちゃんが、栞ちゃんが悪いんだよ。普通の子みたいにしていればよかったのに……」
普通ではない――。その言葉は酷く栞を傷つけた。
人の見えないもの、感じられないものを察知し、鉛筆くらいの重さの物ならば自由自在に動かすことが出来る。
そんな些細な力が自分と他者の溝を作るであろうことに気づき、それを隠し通そうとしてきたのである。
普通ではない――。呪いの言葉が栞の心を浸食し、別の形に組み換えられていく。
私は悪い子なのだ。普通の子ではないから罰を受けているのだと心を閉ざそうとした。
もし彼が彼女を一人の人間と見ていれば、最後までコトを成就させていたに違いない。
それどころか、この卑劣な行為が表沙汰になることはなかった。
だが不幸なのは彼女を『物』として見てしまったことだった。
――なぜ彼を怒らせてしまったのだろう。
そう心の中で何度か反芻し、幼き心の中にどす黒い憎悪が沸き上がる。
――なぜこの男は私を人として見てくれないのだ。
――なぜこの男は『人』ではない私に執着し、嬉々として体を舐め回すのか。
――なぜこの男は笑い、私は泣かされねばならないのか。
栞は無意識に彼の肌に爪を立てた。
そして強い願いを込めて『キエロ』と刻印を刻んだ。
それが彼女に出来る精一杯の抵抗だった。
寮内に響き渡る悲鳴――。
別の職員が悲鳴を聞きつけて部屋に踏み込み、血塗られた床で蠢く職員の姿を発見する。
だが人というには小さすぎ、あまりにもいびつな肉塊だった。
ぶくぶくとした”ソレ”はありえない力で圧縮され、どんどん小さく密度を高めていく。
そしてぬいぐるみの大きさまで縮んだところで、小気味良い音を立てて弾け飛んだ――。
真っ赤に染まった部屋の中、栞は駆け付けた職員を光のない瞳で見つめる。
だがその職員は栞に恐れを抱き、傷ついた体を抱きとめようとはしなかった。
その後栞は病院に収容される。
鑑定の結果、彼女の体に付着した体液が職員の遺伝子情報と一致、あの場で何が行われていたのか解明された。
だが直接的な死の原因は謎のまま、この事件は表沙汰になることはなかった。
その事件を境に国家機関に才能を見出され、さらなる能力を引き出すべく特殊な訓練を受ける。
だがそのことが姉である沙織の人生をも狂わせてしまうことになる。
ふと既視感を感じて栞は目覚めた。
男らしき人影が馬乗りになり、ベビードールを脱がせようとしていたのだ。
反射的に跳ね起きようとしたが、ベッドに固定された手錠が音を立てる。
栞はもう子供ではない。ぼんやりとした頭の中で何が行われようとしているのか明確に察知した。
――犯される。
そう判断して初めて、拘束されていることと、相手の男が二名正樹であることを思い出した。
ベッドの弾性を利用して男を跳ね上げ、背に膝蹴りを食らわせてベッドの下に転落させる。
だがそれ以上の追撃は出来ない。これが今の彼女に出来る精一杯の抵抗なのだ。
ベッドの下から二名が顔を出し、不機嫌そうに顔を歪める。
「……まだ抵抗出来るとはお見それしたよ。お仕置きが足りないのかね?」
だが栞はそんな二名より、その背後に飛翔する無数の働き蜂に戦いた。
蜂は彼の合図を待って襲い掛かり、彼女の下半身を覆い尽くす。
そして突き立てられた針が皮下に食い込み、悪しき霊気の塊が打ち込まれた。
下半身の筋肉が弛緩し、どんなに力を込めようとも微動だにしない。
二名は働き蜂を消し去り、例の女王蜂を具現化する。
彼はそれを指先に乗せ、ベビードールから露出した胸の先に乗せた。
「い、いや……、それ……いや。もう止めて……」
栞らしからぬ懇願に満ちた声。
打たれたら最後、襲い来るであろう快楽の波に身悶えてしまう。そしてその象徴である蜂に心底恐怖した。
だがその願いも虚しく、卵管が乳首の先に打ち込まれ、彼女を狂わせる霊気が大量に流し込まれた。
「あっ、ああっ……。いや……」
「嫌なのか。胸をそんなに勃たせておいてそれはない。正直に答えろ、でないと壊してしまうぞ?」
注挿された蜂毒は脳に伝達し、彼女の掛け金を外していく。
栞は半ば白目を剥きながら、ギャグの隙間から大量の唾液を噴き出した。
「あっ、はひっ……。きもひいいれす」
「もっと気持ちよくして欲しいか?」
そう問い掛けられ、放心状態で瞳を小刻みに揺らす。
そして期待に満ちた表情で見つめ返し、コクリと頭を動かして更なる快感を求めた。
もう一方の胸に移動する女王蜂を愛おしげに見つめ、突き立てられた卵管を見て恍惚の表情を浮かべる。
「よし、脚を開け」
「あぅ、あ……」
赤子のような甘えた声を上げ、泡を吹いて焦点の合わぬ目を彷徨わせる。
会話すらままならないほどの蜂毒が脳内を蝕み、彼女のモラルを根底から破壊しつくそうとする。
下着をゆっくり下ろされると、呼吸を合わせるようにゆっくり腰を上げ、だらしなく両脚を開いていく。
彼女は閉ざされていく意識の中、唇を噛んで最後の力を振り絞る。
「あ……秋篠……、助けて……」
二名は彼女の反応を見て、嗜虐の表情を浮かべてほくそ笑む。
彼女の体に覆い被さり、小さな胸を鷲掴みにした。
栞は混濁した意識の中で、必死にその手から逃れようと抗う。
その時――。
不意に部屋の照明が瞬きを始め、電気がショートした時のようなオゾン臭が部屋に漂い始める。
そして次の瞬間激しい金属音と共に、天井に設置されたスプリンクラーが作動した。
天井から降り注ぐ水を睨み、二名は忌々しそうに爪を嚙む。
「春日野……沙織かっ!」
その問い掛けに答えるように天井の照明機器が火花を散らし、水を伝って床に帯電した。
その電気は意志を持ったように一箇所に集まり、矢のように二名を襲い始めた。
二名はその初撃を避け、素早くベッドから飛び退いて扉の前に立つ。
その電気の塊は栞を守るように二名に立ち塞がり、ゆっくりと形を成していく。
紫電の光が作り出すホログラム。ベッドに横たわる栞と瓜二つの、一糸纏わぬ女の姿だった。
二名は口元を歪め、その女を睨み付ける。
「タンディラジオシャックが開放されて目を覚めたか。……化け物め」
沙織は化け物となじられようと動じない。鋭い目で彼を睨み付け、時折激しい火花を散らして牽制を掛ける。
「消防には連絡が届いているはず。身なりを整えて、精々マシな言い訳でも考えていなさい」
「ふん、上手くやり過ごすさ。それより病み上がりの体力でその姿を何分保っていられる? 今にも消えてしまいそうなほど弱々しいぞ」
彼の言う通り、沙織を具現化させている電気は弱々しく見える。
誰の目にもそう長くは保たないと分かるほどに……。
それでも沙織の表情に迷いは見受けられない。
そして憐れみの目で二名を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「ユニオンの一人がこちらに向かっている。あなたの最後を見届けるまで、死んでもこの場を離れない」
彼はユニオンという言葉を聞き、サッと顔を青ざめさせた。
忌々しそうに舌打ちをして濡れた髪を手で撫でつけると、ネクタイを締め直して荒々しく扉を閉めた。