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ALTO+  作者: Mercurius
25/39

刃の下に心あり 05

 肉と野菜を手ログハウスに戻った時には、太陽は天高く昇り、昼になったことを知らせてくれていた。

 邪魔者がいなくなり、ジジイはさぞかしお気楽な時間を過ごしたのではないか、到着するまではそんな後ろ向きな考えに囚われていた。

 だが到着して見た下御門さんの様子に、そんな思いはいっぺんに吹き飛んだ。

 長袖のTシャツは汗と土埃で煤け、パンストは破れて素足が露出している。

 露出した肌には切り傷が目立ち、赤く腫れ上がっているのが遠目でも分かる。

「おいおい、どうした。酷い有様だぞ?」

「あっ、秋篠くんおかえりっ!」

 見てくれは酷いものだが、下御門さんらしく出迎えてくれた。

 ジジイに酷いことをされたんじゃないことは、彼女の晴れ晴れとした表情で分かる。

 もしそんな目に遭ったのなら、全霊力を使いジジイを消滅させねばならないところだった。

「爺さんは?」

「――呼んだかえ?」

 不意に下御門さんの表情が一変し、彼女の口からジジイの声音が発せられた。

 見鬼の目でじっくりと見定めると、ジジイがおぶさるように憑依している。どうやらジジイは彼女の体を借りて話しかけているようだ。

「お前は子泣きジジイか!」

 ジジイの頭をポカリと殴ると、本体である下御門さんも同時に頭を押さえ、恨みがましく涙目で睨み付けた。

 何気に高いシンクロ率。汎用ヒト型決戦兵器でも操作出来そうな勢いだ。

「秋篠くん、これはね――」

「お嬢ちゃんの体に憑依し、直接動きを教えておるのじゃ」

 目まぐるしく変わる表情。話しているセリフをその当の本人が遮るなんて離れ技、初めて見たぞ。

「肉を日陰に置いて準備せい、昼飯前にちぃと揉んでやる」

 ジジイは下御門さんの顔を歪ませ、指をポキポキと握り鳴らす。

 やっと俺のターンか。二度の登山でかなり疲れているが、この好機を逃してなるものか。

 テラスのテーブルにリュックを置き、腕まくりしてジジイの……、いや下御門さんの前に立った。

「ちなみにお嬢ちゃんの意識はハッキリしているから、胸を揉んだりしたら大変なことになるからの?」

「するか!」

「この胸になんの魅力も感じんということか? お嬢ちゃんはかなり傷ついておるぞ」

「下御門はそんな子じゃない!」

 ジジイはそう言いながら彼女の体を操り、前転気味に飛びこみ踵を振り下ろしてきた。

「浴びせ蹴り? いきなりそんな大技っ――」

 スエーバックでその攻撃を躱して二歩三歩と後退る。

 そして体勢を立て直した時には、下御門さんに懐深く入り込まれていた。

 目の前で弓を引き絞るように拳を固める構え。咄嗟に右手を投げ出して、その拳を受け止めるべく身を固めた。

 俺の体から発せられた音とは思えない重い打撃音。衝撃を受け止めきれず体をくの字に折り曲げ、後方の木の幹に打ち据えられた。

 木を支えに立ち上がり、受け止めた手を見て震えが来た。

 拳の形に内出血し、指の部分は赤黒く染まっていたのだ。

 女の子の細腕で出せる力ではない。フルスイングしたバットを受け止めたような衝撃だった。

「こういうことも教えたぞい。お嬢ちゃんは稀にみる才能があるようじゃ」

 そう前置きして後ろ手に隠した腕を露わにする。その指先には尖った鉛筆のような物体が挟み込まれていた。

「これは棒手裏剣といってな――」

 言葉を紡ぎ終わる前に、手首のスナップだけでそれを投擲する。

 棒手裏剣は小気味良い音を立て、頬を掠めて木の幹に深く突き刺さった。

「――刺さると怪我どころの話じゃ済まんぞ?」

「だっ、大事な部分を説明する前に投げやがった!?」

 実際ジジイの解説通り、手で引き抜けないほど深く突き刺さっている。これがもし体に命中したら……。

 ゴクリと生唾を飲み込んで、下御門さんに向き直る。

 彼女の両手には六本の棒手裏剣。ニヤリと口元が歪んだ瞬間、一息でそれを投擲してきた。

 六つの軌道を計算して――、そう判断して臍を噛む。

 そういえば部屋でパソコンを起動させた時に、アルトを起きっぱなしにしてしまった。

 横っ飛びに身を投げ出して棒手裏剣から逃れ、土を掴んで一息で立ち上がる。

 遠距離で攻撃を躱し続けるのは限界がある。次弾を装填する前に接近戦に持ち込むしかない。

 握られた棒手裏剣を手で払い落とし、脚を踏み込んで地面に霊気を流し込む。

 霊気は手っ取り早い導体である下御門さんに流れ込み、彼女の体を瞬間的に硬直させた。

 彼女の鼻先でピタリと拳を止め、勝負あったとその拳を下げる。

 下御門さんは目を丸くして仰け反り、屈託のない微笑みを浮かべた。

「お……お腹空いた……」

 見ればジジイの憑依は解除され、硬直したまま地面に転がっていた。

「ごはんにしようよ。炭と網は用意してあるから……」

「おう。腹が減っては戦が出来ぬってな」

 彼女はふらふらと夢遊病患者のように歩き、リュックの重みを確かめて幸せそうな顔をする。

 そして中から野菜を取りだし、水で洗い流して下準備を始めた。

 さすが栞さんを唸らせる料理スキルの持ち主だ。あっという間にチシャ菜をむしり終え、ピーマンやタマネギを切り揃えた。

 俺はその間に炭に火を起こし、皿にタレを用意しておにぎりを並べた。

 彼女は真っ先にタンを焼き始め、塩を軽く振ってチシャ菜を巻いて手渡してくれる。

「お買い物ごくろうさまでした。はい、食べて」

 そしてもう一つ同じ物を作り、爺さんに手渡そうとする。

「お爺さんは……無理?」

「わしゃ、死んどるからのう……、物に触れることは出来ても、食うのはのう……」

 ふと見せる寂しげな表情を見て、ジジイが少し哀れになってくる。

 下御門さんはポンと手を叩き、爺さんに手を差し伸べ背中を向けた。

「憑依すれば一緒に食べられると思います。よろしければどうぞ」

「ええのか、ええんかい?」

 爺さんは涙ぐんで下御門さんの背中に張り付く。

 そして皿に置かれたタン塩を手にし、豪快に口の中へと放り込んだ。

「ほむっ、ふぐっ。健康な歯はええのう。しゃくしゃくのパリパリじゃわ」

 肉の感想なのか、歯を褒めているのか分からないが、本人が喜んでいるならよしとしよう。

 しかし霊が憑依するというのはどういう気分なのだろうか。

「下御門、その状態ってどんな感じなんだ? 苦しくないのか?」

「ん、私が嫌がれば憑依が外れちゃうみたい。二人三脚で歩いている感じかなぁ」

「ジジイにエッチなことをされそうになっても問題ないな」

「それは……ちょっと危なかったけどね」

 そう口にしながら、体は肉を貪り食う。ジジイの食欲は底知れない。

「感覚は私にも直結しているから、さっきのような動きも自然に覚えられそう」

「へ、へぇ……」

 アクセラレート無しに素早く動き、体術まで覚えられては、先輩としての威厳が無くなってしまう。

 これはうかうかしていられない。マジで電脳探偵の序列が書き換わるぞ。

「試しに棒手裏剣を投げさせたら、かなり筋が良くてのう。見込みがありそうじゃったから、ビシビシ鍛えてしもうたんじゃ」

「シューティングガードですもん。手首は元々鍛えていますからね」

 彼女は片手を伸ばして、手首を折り曲げる動作を見せた。

 確かバスケのボールは六百グラム程、球技の中でもとりわけ重いボールを使用する。

 それを遠距離からゴールに投げ入れるのだ。手首が強いと気軽に言っているが、相当努力の積み重ねたに違いない。

「憑依して手本を見せてやったが、飲み込みも早いようじゃ。十メートルほどの距離なら外しはせんよ」

「へぇ……それは凄いな」

「おぬしにも憑いてやりたいところじゃが、霊気が強すぎて無理なんじゃわ」

「子泣きジジイは勘弁。美人の幽霊なら大歓迎なんだけど……、後ろからガバッと来て欲しいな」

 その瞬間下御門さんの眉がピクリと吊り上がる。

 そして焼いた肉をチシャ菜に包み、おもいっきり豆板醤を練り付けた。

「はい、秋篠くん。食べて?」

「はいって、これは……」

 それは肉なんだか菜っ葉なんだか分からない真っ赤な食べ物と化していた。

「はい、食べて」

「いや……これはちょっと食べ――」

「つべこべいわずに食べなさい!」

 彼女はムッとした表情で、その物体を口に押し込んだ。

 口中に広がる唐辛子。もう肉の味なんか微塵も感じない。

「秋篠くんのエッチ」

「えっひって、ほんふぁ……」

 下御門さん……いやジジイは苦笑しつつ席を立ち、建屋の中から妖しげな薬瓶をもって戻ってくる。

 そしてその中から二、三粒手に取り、下御門さんに飲ませた。

「急激に激しい運動をしたら内臓を痛める。おぬしもこれを飲んでおくとよいぞ」

 そういってスッと薬瓶を手渡す。

 ラベルも効能も書かれいない瓶。化学実験室によくあるタイプの愛想の無い奴だ。

「大丈夫なのかよ。これ?」

「馬鹿者。甲賀の忍びは薬を用いるので有名なんじゃ。今でも甲賀には製薬会社がぎょうさんあるじゃろが」

 薬瓶から二、三粒取り出し、水を片手に飲み下す。

「うぁ……苦っ」

「野草から作った生薬じゃからの。良薬口に苦しと言うじゃろ」

「爺さんが作ったのか? マジで心配になってきたぞ……」

「おぬしは二度山に登っておるし、慣れない運動をして内臓が弱っておる。薬を飲んで二時間寝て、修行はそれからじゃな」

 カカカと笑いながらおにぎりをパクつくジジイ。

 チッ、買い出しも運動の一つか。上手くジジイに乗せられたってことだな。

 

 

 

 食後風呂に入って汗を流し、湯船に浸かって人心地ついた。

「秋篠くん、湯加減はどう? もう少し薪を足そうか?」

「あ、ああ、丁度いいよ」

 ガラス窓の向こうで下御門さんの声がした。

 その言葉通りこの風呂は薪の風呂らしい。ついでに言えば水は浄化槽を通った沢の水らしく、カルキの匂いがしない。

 石けんも廃油と米ぬかから作った自家製らしく、牛乳パックに入ったいかがわしい物だったが、ちゃんと泡立つしそれらしい匂いもする。

 綺麗さっぱり体を洗い、湯に浸かって体の変化にほくそ笑む。

 少し前まで完璧なもやし体型だったが、今は少し筋肉質に変わりつつある。

 各部位の贅肉が取れ、中から筋肉が自己主張している。この変化は何気に嬉しいものだ。

「……と、下御門さんを待たせるのもかわいそうだな。そろそろ出るか」

 私の方が汚れているし、後片付けもあるから。彼女はそう言って一番風呂を譲ってくれた。

 下御門千帆――。

 気立てが良くて優しくて、怒らせるとちょっと怖い。器量よしで料理上手、普段は一歩下がって影踏まずを地でやれている。

 栞さんに言われたからか、それとも間接キスをしてしまったからか、今まで以上に異性として意識してしまっている。

 それに彼女だって、俺を憎からず思っているのは薄々気が付いている。

 俺が好きなのは春日野栞。だが彼女への気持ちはその存在を揺るがすまでに大きくなっている。

 脱衣場でコトンと物音がして、スッと扉が閉じられた。

 ふと我に返ってお湯で顔を洗い、湯船から出て脱衣場に立った。

「下御門、ありがとう」

 もう近くにいないであろう彼女に礼を言う。

 着替えの上に真新しいスポーツタオルが置かれていたからだ。

 体を拭いて着替えに袖を通して、台所で洗い物をしていた下御門に声を掛ける。

「お風呂空いたよ。いい湯加減だった」

「ほんと、私も入ろうかな」

 濡れた手を拭い、手際よくエプロンを折り畳む。

 鼻歌を歌いながら風呂場にスキップする姿を見送り、先ほどの想いが間違いでないことを悟った。

 部屋に戻りベッドに横たわり、自分の情けなさに溜息が出た。

「栞さんも好きだけど、負けず劣らず下御門も好きって、どういう神経してんだ? 俺は……」

 毛布を頭まで被り、疲れもあって爺さんに言われた通り眠ってしまった。

 

 

 

 数分、いや数十分微睡んでいたのだろうか。

 ふと扉をノックする音が響き、夢の世界から引き戻された。

「……もしかして、寝てた?」

 扉の向こうで下御門さんの申し訳なさそうな声がした。

 俺はベッドから跳ね起き、扉を開けて彼女を迎え入れた。

 彼女は大きめのポーチを持参しており、ベッドに腰掛けてそれを開いて見せた。

 中には湿布薬や傷薬、包帯やテーピングなどが整然と収められており、彼女の目的も何となく窺い知れた。

「はい、秋篠くん。ここに座って」

 彼女は自分の横を指差し、てきぱきと湿布薬を用意する。

 ベッドに腰掛けて、彼女に腕を差し出す。

 彼女が治療したい場所は腕だと思う。赤黒く腫れ上がっているのを見て、食事中も気が気でない様子だったから。

「はい、冷たいですよ」

 彼女の指が腕を触れた時、不覚にも胸がドクンと高鳴った。

 ひんやりと冷たい湿布が貼られ、テーピングでそれを固定してくれた。

 そして今度は脚を持ち上げて膝の上に置き、脹ら脛を優しくマッサージしてくれた。

「私には春日野さんのような能力はないけど、これくらはね、出来るんだよ」

 二度の登山で悲鳴を上げていた脹ら脛、彼女は心地よいツボに指を差し当てる。

「お風呂上がりにマッサージすると効くんだよ」

 脹ら脛を両手で摩り、踵を持って足首をグルグルと回す。

 そして一通りの箇所をマッサージしてもらい、至極心地よい時間を過ごした。

 俺はその間真剣な彼女の眼差しを追い、ふと胸の中に沸き上がる思いを口にした。

「下御門のこと、これから名前で読んでいいか?」

「えっ……、あ、うん……」

「俺のことも広哉と呼んでくれたら嬉しい」

 ただ単純に千帆と呼びたかった。そして彼女に名を呼んで欲しいと直情的に思ったのだ。

 そして下御門……いや千帆の手を握りしめ、彼女の顔を間近に見つめ、ゆっくりと口を開いた。

「千帆――」

「はうっ……あっ、秋……ひっ、広哉くん?」

「お前はどこか辛いところ無いか? 恩返しのつもりで心を込めてマッサージするぞ?」

「…………はへっ?」

 千帆は素っ頓狂な声を上げ硬直する。

 見開かれた目が徐々に細く鋭くなり、頬を膨らましてベッドにダイブした。

「腰、脚、背中、肩も凝ってる。ああ、腕も怠い!」

「体全部じゃないかよ。等価交換、二箇所までだ」

「ぶーぶー、恩返しのつもりで心を込めてマッサージするっていった癖に!」

「じゃあ三箇所だ」

「もう一声!」

「ええい、四箇所。今回限りのご奉仕価格っ!」

 彼女は満面の笑みでスッと脚を膝の上に置く。

 少し筋肉質だけど、女の子らしい柔らかさを残している。ぶっちゃけ脚フェチにはたまらないご馳走だ。

「――いただきます」

 俺はそう断りを入れて、彼女の脚をマッサージし始めた。


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