表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ALTO+  作者: Mercurius
18/39

クアデルノ Quaderno 03

 休憩を入れながらマンションに辿り着き、下御門さんを椅子に座らせ冷たい茶を振る舞う。

 彼女は喉を鳴らしてそれを飲み干し、長い息を吐いて人心地ついた様子だった。

 俺と栞さんは彼女の前に座り、わざと精霊達を舞わせて様子を見る。

「お二人ともどうなさったんです? 指をくるくると動かして……」

 下御門さんは小首を傾げ、俺と栞さんを見比べる。

 彼女が精霊達を視認出来たのは、電車でパニくったあの時だけ。

 目の前を通過しても眼球の動きに不自然なところは窺えない。どうやら本当に見えていないようだ。

 栞さんは俺をキッチンに引き摺り込み、彼女に聞こえないよう耳元で囁く。

「どうやら彼女、見えていることを嫌忌しているみたいね。殻に閉じ籠もろうとしているみたい」

「そういうの、なんとなく分かる。俺も子供の頃、色々言われたからな」

 子供は自分と違う奴を見つけるのが得意だ。そして分別がつかないから限度を知らず排他的になる。

 人と違う目を持っていると認識し始めた子供の頃、頭がおかしいだのと色々言われたものだ。

 フォークダンスで手を振り払われたのは、今でも結構なトラウマになっている。

 そのトラウマを抱えているからこそ、手を握ると安堵すると思い込んでしまっているのだ。

「このまま認識を深めれば、彼女は元に戻らなくなるんだな」

「ご明察。強制するのは良くないわ」

 栞さんはそう告げて、再び俺を引き摺りリビングに向かう。

 そして空になったグラスに麦茶を注ぎ、彼女に差し出して頬杖をついた。

「ねえ、気付いてるんでしょ? 私達に精霊が憑いていること?」

「あうっ……」

「でも自分が変だと思いたくないから葛藤している。そうね?」

「は、はい……。私、病気ですから……」

 下御門さんはグラスに口を付け、俯いたまま力無く呟く。

 栞さんはクスッと笑い、椅子をクルリと回して背を向ける。

「貴方に仕事を手伝って貰おうと思ったけど、やっぱりやめておくことにするわ」

「えっ、ええっ!」

「一方的な言い分だから、キャンセル料を払うわ。そうね十万円、それでいいでしょ?」

「そ、そんな大金……、ダメですよ」

 栞さんはシンクレアを呼び寄せ、指先でちょんちょんと遊び始める。

「けれど一つ条件があるの。私達は頭のおかしな人だから、金輪際関わらないと誓って欲しいの」

 下御門さんは胸のボタンをギュッと掴み、悲しげな目を向けて唇を嚙む。

 そしてその目を俺に向け、懇願するような涙声を絞り出す。

「秋篠くんもそう思っているの?」

 彼女の戸惑う気持ちが痛いほど分かる。

 人に拒絶されるのはどんな相手でも辛いものだ。

 だが俺達と一緒にいれば、一時的とはいえ精霊達を見ることになるだろう。

 そして少しずつ認識を深め、いつしか発作が起きなくても精霊が見える見鬼になる。

「朱に交われば赤くなるって言葉通り、どちらにでもなる可能性を秘めている。下御門さんは日常と非日常の境目に立っている」

「どちらにでもなる可能性……。私に……?」

「俺は生まれつきだから普通だと思っているけど、全体から見れば少数派だからね」

 栞さんは肩を竦めて溜息を吐く。

「きっと学校の中で二人だけね。七百人の生徒が思う普通には勝てないわ」

「い、嫌です!」

 下御門さんはグイッとお茶を飲み干し、グラスを机に叩きつけた。

「死のうと思った時に秋篠くんが助けてくれて、平凡な日常は春日野さんの力で取り戻せたんです。お二人と友達になりたいです……。悲しくなるから、関わらないでとか言わないでください」

 大粒の涙を溜めて潤んだ目を向ける。

 栞さんはニヤリと笑って向き直り、彼女の手を包み込むように握った。

 この栞さん、前に一度見たことがある。電脳探偵に誘った時の粘着モードだ。

「どうせなら思い切って非日常に踏み込んでみない? 私達と同じものを見て、泣き笑い感動する仲間に!」

「は……、はい?」

 硬直したままの下御門さんを力強く揺さぶり、栞さんは訳の分からぬ言葉で洗脳を始める。

 俺は加速度を増す彼女を止めるべく、二人の間に割って入った。

「――って、思いっきり強引に勧誘しているじゃないか」

「ご、強引って何よ。全然強引じゃないわよ、ねぇ?」

「は、はあ……」

「踏み込むたって、どうやってやるつもりなんだ? 彼女のメンヘラを酷くさせるつもりか?」

「秋篠くん……、メンヘラって言われると、少し悲しくなるんだけど……」

「確かに彼女は精神を患っているけど、それはそれ、これはこれよ。違う方法で見鬼の才を磨くのよ」

「精神を患ってるとか……、そんなにハッキリと言わなくても……」

 涙目の下御門さんをそっちのけで、栞さんはパソコンのモニターを点ける。

 壁紙は例のショタキャラのヌード。反射的に下御門さんは手で顔を覆ってしまった。

「秋篠くん、姉さんはなんのためサイバーフェアリーを研究していると話したかしら?」

「……誰にでも電子の精霊を使えるように、だろ?」

「誰にでもという目標はまだ実験結果は出ていないけど、そのプロトタイプは完成しているのよ」

「マジか?」

「彼女みたいに曖昧な人には有効だと思うわ」

 栞さんはパスワード付きのフォルダーを開き、クアデルノと書かれたアイコンをクリックした。

 突如モニターの光が増し、三つ叉の槍を携えた小さな少女が飛び出した。

 尖った長い尻尾と背中にはコウモリの羽、黒っぽいレオタードを着て、エナメル調のロングブーツを履いている。

 ちょっとツリ目だけどかわいらしい。見た目はまるで小悪魔だ。

「クアデルノ。姉さんの残した電子の精霊、そのラストナンバーよ」

「クアデルノ……。オリベッティの名作といわれたノートパソコンか」

「さすがパソコンオタク。歯切れの良い即答ありがとう」

 クアデルノはは無言のまま栞さんを一瞥し、彼女の指差す先を目で追って下御門さんに向き直る。

「……標的捕捉」

 彼女はボソリと呟いたかと思うと、力強く机を蹴って跳躍し、下御門さんの頭の上に飛び乗った。

 下御門さんもその感触に気が付いたのか、手を頭の上に置いて不思議そうな顔をした。

 栞さんは再び下御門さんの手を包み込み、力のある目を向けて力説し始める。

「下御門さん、最後にもう一度聞くわ。三人目の変な人になるの? それとも七百人の普通がいい?」

 下御門さんはしばし躊躇っていたが、栞さんを見つめ返してコクリと頷いた。

 それに反応したのは栞さんではなく、クアデルノだった。

「……チャージ。十九、十八、十七……」

 そう呟いた瞬間、下御門さんの霊気が薄れていく。

 完全な霊気不足の状態。その変化に耐えきれず、苦しげな表情を浮かべて身を捩る。

 その間もクアデルノはカウントダウンを続け、自身の体を輝かせていく。

「彼女は水に近い木行ね。綺麗な若葉色の霊気だわ」

 栞さんはニコニコしながらその様子を眺め、得心いったように頷く。

 そしてクアデルノのカウントがゼロになった時、下御門さんの体に変化が起こった。

 一転して力強く霊気を発する姿。俺や栞さんに匹敵する強い霊気を発している。

 彼女は栞さんの姿を見て、周りを泳ぎ回るシンクレアを追い掛ける。

 そして俺の姿を見て、鼻先まで近づくアルトを目で追った。

「あなたの非日常、私達の日常の風景よ」

「――これが春日野さんや秋篠くんが見ている世界?」

 クアデルノは髪の毛を伝って肩に、そして彼女の手に飛び降りた。

 感情のない目で下御門さんを見上げ、いい仕事をしたとばかりに腕を組む。

「クアデルノのチュートリアルモード。対象者の霊気を強制的に絶ち、一定レベルの霊気を与える」

「電動アシスト自転車かよ」

 栞さんは俺のツッコミを聞いて満足げに微笑む。

 下御門さんはクアデルノを両手で持ち上げ、クアデルノを物珍しそうに見つめている。

 それまで感情の薄かったクアデルノだったが、さすがに間近で見つめられ、恥ずかしそうに俯いた。

「あなたがクアデルノちゃん? わたしは下御門千帆というの、よろしくね」

「千帆。あなたを昇華させるためだけに私は存在します。正式な主として登録なさいますか?」

「ええ、がんばります!」

 クアデルノは小指をちょんと槍で突き、刃先に付いた血を指で舐め取る。

「遺伝子を鍵として登録中……完了しました。あなたを主と記憶します」

 クアデルノのサブルーチンなのか、モニターに下御門さんの詳細なステータスが表示される。

 性別、血液型はもちろん、身長、体重スリーサイズまで。

 下御門さんは慌ててモニターを手で覆ったが、時既に遅し。残念ながら二度見直して確認してしまった。

「下御門さんって……」

「い、言わないで下さいっ!」

 実は着やせするタイプで、出るところは出ているようだ。

 栞さんはそっと自分の胸を押さえ、やさぐれた態度で舌打ちをした。

「霊気レベルは0.85か。単純計算で二十秒間チャージすれば、二分近くこの状態を保てるわけね」

「霊気レベル……なんだそりゃ?」

「生命維持活動に必要な霊気を除いた数値。余剰霊気よ。ちなみに私は3.56、確か秋篠くんは2.88だったと思う」

 栞さんは画面上にあるアイコンをクリックしてステータス表示させる。

「バスト76のA……」

「殺すわよ」

 シンクレアとアルトのアイコンからステータス表示させ、栞さんと俺のステータス表示をし終える。

「一般的な変人レベルは1.00以上。感情次第でプラスマイナス0.25くらいの振れ幅があるから……」

「春日野さん、豆乳がいいらしいですよ」

「あんたも死にたいの?」

 栞さんの怒気に中てられ、下御門さんは苦笑しながらたじろぐ。

 どうやら栞さんに胸の話はしない方がいいらしい。本人もかなり気にしているようだ。

「とにかくクアデルノはあなたの余剰霊気を吸収し続けるわ。だから不要な時は見えないけど、見たいと思った時に見えるようになる」

「ほぇ……。それって病気になったりしませんか?」

「テストしてないからなんとも言えないわね。無茶しないように計算しているらしいけど、こればっかりはデータを取り続けないと分からない」

「もしかして私、モルモット代わり?」

 こうしている間にもクアデルノはチャージを繰り返し、放出を重ねて下御門さんの霊気を押し上げる。

 その際数値はリニアに変動し、0から1.01の間を行ったり来たりしている。

「なるほど……、吸収されることで霊気を生じさせる癖が付くし、放出を繰り返して器のサイズを広げていく。沙織さんはやっぱ凄い人だ」

「姉さんは天才だから。言うでしょ? 紙一重って……」

 しんみりした空気にならないよう、栞さんはわざと明るく振る舞った。

 彼女はマウスを操作してメールソフトを起動させる。

 山のようなDMメールに埋もれていた一通のメールを開いて、俺と下御門さんに向き直る。

「クライアントとの約束が今日の十九時なの。秋篠くんと下御門さんだけでこの案件をクリアして頂戴」

 最大化されたメールには、拙い文章で依頼内容が記載されていた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はまだルーター越え出来ないし、下御門さんはまだ――」

「シンクレアをサポートに付けるし、相手をネットカフェに誘導しているから、同じセグメントだからハッキング出来るでしょ?」

「アキシノ、手を貸してやるから安心しろ」

 そう言って俺の肩に座る小魚、もといシンクレア。

 根拠のない自信がいまいち信用ならない。

「値段を付けるのも秋篠くんの裁量でやってね。相手を見て安売りするのはダメよ」

 メールをプリントアウトして、二つ折りにして手渡す。

「下御門さんにどういう仕事をするのか、先輩としてしっかり教えてやってね」

 栞さんは意地悪でそう言っているのではない。あの時のように俺を試しているのだ。

 俺はその紙を広げて本文を、そして行間を読んで頷いた。

「成功報酬は五十万ってところか」

「さすがね。なかなかいい線行っているわよ」

 栞さんはニコリと笑って俺達を追い立てた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ