クアデルノ Quaderno 02
女子生徒が二人、俺達の前を足早に通り過ぎ、振り返って好奇の目を向ける。
栞さんはそんな生徒達を見つめ、眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。
「何をするにも、これじゃあ……ね」
下御門さんが仕事の手伝いをするとなれば、三人が学内で話す機会が増えるだろう。
俺と栞さんだけなら冷やかし程度で済んでいたが、そこに下御門さんが加われば、不快な脚色をされてしまうに違いない。
彼女は事件後精神的に不安定な状態だし、つまらないストレスを感じさせないようにしてやりたい。
「あ、あの……」
下御門さんはおずおずと手を上げ、口ごもりながら意見を口にした。
「お二人がそういう仲じゃないと、皆さんに伝えればいいのではないでしょうか?」
「……まあ、そうなんだけどね」
それが出来るなら苦労はしない。
俺も栞さんも外向的な性格じゃないし、取り立てて友達も多い方ではない。
こういった情報操作をしようにも、伝えるべき相手が少なくては意味が無いのだ。
「私達って表向きは口下手を装ってるし、そういう行動そのものが不自然なのよ」
「言い訳している姿が想像出来ないもんな……」
下御門さんは得心いったように頷きつつ、予想を超えたとんでもない案を口にした。
「祥子ちゃんに頼めばなんとかなるんじゃないかな?」
その名前を耳にして、うなだれかけた頭が跳ね上がった。
それは栞さんも同様のようで、突拍子もないアイデアに目を丸くしている。
「……祥子って、あの多聞祥子?」
「ええ、祥子ちゃんとは中学校からの仲良しなんです」
多聞祥子――。
美人って程でもない十人並みの顔立ちだが、そこはかとない色香があり、見た目以上に魅力を感じてしまう不思議な女の子だ。
性格は超が付くほど外向的。誰彼問わず気さくに話し、いつの間にか友達になってしまう特技を持っている。
そうして構築された交友関係は幅広く、全校生徒のメ-ルアドレスを掌握しているという噂さえ耳にする。
その上彼女はかなりの噂好きで、同報メール一通で噂を広める危険人物でもある。
教師達もその危うさを認識しているようで、腫れ物を扱うかのように接しているらしい。
「二人は親戚ということにして、親御さんと離れて暮らしているから、仕方無しに面倒を見ているって感じで、……どうかな?」
「なるほど、多聞祥子か……」
ちょうどその時、急き立てるように予鈴が鳴り響いた。
栞さんの表情は渋い。清水の舞台から飛び降りるくらい、かなりやぶさかではない心境だろうか。
俺は彼女に向き合い、頷くことで背中を押した。
「その作戦お願い出来るかしら?」
「はいっ、任せて下さい!」
内向的な二人には遂行不可能な作戦だが、カラーの違う下御門さんが加わって選択肢が広がる。
もしかすると仕事でも、彼女のそういう面はプラスに作用するかもしれない。
本日の授業は全て消化し、ホームルームを残すのみとなった。
「じゃあ、今日はここまで。部活のある者は勤しみ、それ以外の者は気をつけて帰るんだぞ?」
柏木女史はいつものセリフを口にして教室を後にする。
喧騒の中帰り支度を終え、教室を飛び回っていたアルトを呼び寄せる。
「もう帰るの?」
「いや……。下御門さん待ちの状態だ」
「シモミカド……、ああ、千帆ちゃんのことね?」
「いきなりちゃん付けで呼ぶとか、お前は気兼ねなくていいな……」
教壇の前にある下御門さんの席には、多聞祥子の姿があり、今、まさに密談の最中である。
そして下御門さんはチラリとこちらを一瞥し、周りの級友に気付かれぬよう合図を送ってきた。
「合図、……来るか」
その瞬間、教室中にメール着信音が鳴り響く。
あちらこちらで携帯を取り出す同級生達。次の瞬間、彼らの目が俺に向けられる。
「マジか?」
「……んだよ、おかしいと思ったんだよ! 秋篠だろ?」
「春日野さんは俺の嫁」
予測されたリアクションと意味不明の言葉が呟かれる。
多聞祥子は満足げにその様子を見つめ、西部劇のガンマンのように携帯をスカートに放り込む。
「な、なあ、秋篠?」
メールを受け取った一人、春日野さんを嫁と称した男子、古市くんが声を掛けてきた。
俺は何気ない素振りを装いつつ、椅子を引いて彼の方に向き直った。
「ん? どうかした?」
「お前さ、春日野さんと親戚だっての、マジか?」
「ああ、親戚ってほどじゃないけど、ミトコンドリアDNAレベルの遠縁かな」
「と、遠縁っ! なんつー甘美な響きだ!」
古市の叫び声が呼び水となり、クラス中がざわめき出した。
そして頻繁に話をする同級生はもちろん、それほどの間柄でもない男子まで、我を忘れて俺の机に齧り付いてくる。
そして全員が打ち合わせしたかのように声を揃えた。
「春日野さんを紹介して下さい。秋篠様っ!」
下御門さんの作戦は大当たりだった。
この状況ならば数日掛からず、あらぬ噂はかき消されてしまうだろう。
だが薬が効きすぎたようだ。こういう副作用が出るとは思いも寄らなかった。
「栞さんは紹介とか、そういうの苦手な子だからな。かえってマイナス評価になるかも知れないぞ?」
「やっぱ、そうか……。大人しくて真面目な子だもんな……」
かわいそうに、こいつら全員騙されている。
アレは猫をかぶっているだけで、実は高飛車な性格なんだとブチかましてやりたい。
「――てか、秋篠。春日野さんのこと、名前で呼んでるのか?」
「ん、まあ、親戚同士だし、春日野って呼ぶ方が変だと思うんだけど?」
「くううっ、栞さんかぁ……、俺も呼んでみてぇ……」
そんな人だかりを掻き分け、ひょっこりと下御門さんが顔を出す。
「お待たせしちゃったね。……帰ろう?」
「あ……、そうだね。ご苦労様」
その途端、今まで好意的だった男子共の目付きが一変した。
「くそっ、机の上に花瓶を置いてやる」
「呪われろっ! このリア充め!」
皆は口々に呪いの言葉を吐き、蜘蛛の子を散らしたように離れていく。
そんな彼らを目で追いながら、多聞祥子は不敵な笑みを浮かべ歩み寄る。
彼女はポケットから携帯を取り出し、さも当たり前のように赤外線受光部を向けた。
「はい、メアド交換」
「なぜにお前とメアドを交換せねばならんのだ?」
俺は何を隠そう、彼女とのメアド交換を頑なに拒んでいる。
デマメールを受け取りたくないってのもあるが、本当のところは日が経つにつれ魅力を感じる、抗い難いフェロモンに恐れを抱いている。
「嫌なの?」
「多聞って心を読む才能があるのか?」
「ふーん、そう……。そういうこと言うの?」
彼女はジト目で見つめ返したかと思ったら、マシンガンのように携帯のキーを打ち始める。
「どんな悪い噂を流せば、秋篠くんは分かってくれるのだろう?」
「すみません、メアド交換させていただけませんか?」
彼女はやると言ったらやるタイプの女。
エンジン音を聞いただけでブルドーザーだと認識できるほど、ハッキリとした凄みを感じる。
「やった! 秋篠のメアドゲット。これでクラスの男子はコンプリート!」
「変なメールを飛ばすなよ。でないと迷惑メール扱いするからな?」
多聞祥子はしれっと苦言を受け流し、手をひらひらさせて帰れと言いたげな様子だ。
どうにも掴みどころの無い奴だ。どうにも苦手意識は拭えそうにない。
「下御門さん、帰ろうか」
下御門さん共々彼女に背を向けた時、背後からドスの効いた声が響く。
「千帆を泣かせたら、その時は躊躇い無く抹殺するからね?」
一瞬ドキリとさせられたが、振り返りもせず手を振り返す。
下御門さんは隣で恐縮しているが、その表情はどこか誇らしげに見えた。
「割といい奴なんだな……」
「普段がアレだから、誤解されることが多いけどね」
靴を履き替え昇降口を出ると、待ち合わせの約束通り、木にもたれ栞さんが待っていた。
彼女はゆっくりとした足取りで歩み寄ると、天を仰いで呆れ返った。
「参ったわ……、あんなに即効性があると思わなかった」
彼女も俺と同じく質問攻めにあったのだろう。辟易とした表情からそう読み取れた。
「秋篠くんと親しいような口振りをして、さりげなく事の真偽を聞き出そうとしたわ」
「それはそれは……」
普段の栞さんなら一喝して蹴散らしている所だろうが、猫かぶりの状態ではそれも出来ない。
結構フラストレーションを溜め込んでいるようだ。
「いっそカミングアウトしたらいいのに……」
「もっと人気が出るかも……」
鬼のような形相で睨み付けられ、俺と下御門さんは咄嗟に口を塞いだ。
駅に辿り着いて電車に乗ると、下御門さんの様子がおかしいことに気が付く。
気丈に振る舞っているが、俺達の会話に相槌を打つのも億劫な様子。
唇を小刻みに震わせ、額には汗を浮かべ、扉にもたれ掛かって胸を押させる。
俺は空いている席を探して彼女を座らせ、栞さんは隣に座ってハンカチで額を拭う。
「……次の駅で降りよう」
「ごめん……。今日は大丈夫だと思ったんだけど……」
うな垂れた頭を上げて、はにかみながら苦笑する。
「あっ……」
彼女の目が一瞬何かを捉えたように動き、ギュッと目を閉じて俯いてしまった。
数秒前に見せた彼女の行動をリプレイし、その視線の先にいたアルトと目が合う。
「まさか……」
俺は栞さんの顔を見つめてコクリと頷く。
そして心の中に湧き上がる疑念を確かめるべく、飛び交うアルトを手で掴み、下御門さんの前に差し出した。
「もしかして……見えてるのか?」
下御門さんは手で顔を覆い、指の隙間からアルトを見つめて頷いた。
だが腑に落ちない。出会った頃の彼女には、アルトの姿は見えていなかった。
いや、昼休みもそうだ。アルトはずっと肩に座っていたが、彼女はそういう素振りを見せなかった。
栞さんは神妙な顔をして、確信めいた口調で呟いた。
「パニックになった時にだけ、私達の感覚に近くなっているのかも知れないわね」
「そういうのってあるのか?」
「特殊な経験をした場合、ごく稀だけど後天的に才能が開花する場合があるらしいわよ」
アルトはじたばたともがき、手の中から逃れ出る。
そして下御門さんの鼻先にホバリングし、指の隙間から彼女の目を覗き込む。
「千帆ちゃん、私の声聞こえる?」
「妖精さんが喋った……」
下御門さんは覆った手を顔から離し、目を丸くしてアルトを見つめ返す。
その時俺は栞さんから聞かされた言葉を思い出してた。
共通概念による認識力の低下――。一般人には見えているけど認識していないだけなのだ。
彼女は心的外傷が原因だといえ、見えないはずのアルトを認識してしまった。
それが今後どんな影響を与えるのか、考えただけで知恵熱が出そうになった。