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ALTO+  作者: Mercurius
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伝授

 彼はベンチに腰掛け、手招いて俺を目の前に立たせる。

「どこに力を籠めるでもなく、自然体で立ってみてくれないか?」

「自然……体? こんな感じですか?」

 足は肩幅に開き、手をだらりと下げ反応を窺う。

 彼は足元に落ちていた棒きれを拾い上げ、肩と肘、太ももと足首をピシリと叩いた。

「そんなに力んで何時間でも立っていられるか?」

 棒きれで叩かれた場所は力の入っている場所。指摘されてなるほどと思い知らされる。

 首を左右に振り、肩から力を抜いて、肘を体に沿うように垂らす。そして歩幅を若干調整して足の裏全体で体を支える。

「キミは右利きのようだね。まだ左右のバランスが悪い、少し利き腕から力を抜いて」

「はいっ!」

 こんなことをしてなんの役に立つのかと思ったけれど、やっていく内にそんなことはどうでも良くなった。

 バランスを取って立つ。そんな簡単なことが出来ない悔しさを感じ、体を整えるにつれ達成感のようなものが感じられたからだ。

「ん、なかなか良い背筋をしている。グッと来るね」

「それ……褒めてるんですよね?」

 姿勢を矯正するに従い、ふわりと体が軽くなったような気がした。

 重い荷物を下ろしたような安堵感。まるで海に浮かんでいるように不思議な浮遊感を感じる。

 彼はそんな心を見抜いたかのように、クスクスと笑い、刺激を与えないように優しい声を上げた。

「体に一本筋が通ったね。それは正中線と言って、体の中心点を結んだ状態だ。その姿勢、結構楽だろう?」

「確かに……」

「バランスが悪いと極端な話、片足で立っているのと同じなんだ。今は左足と右足が同じ力で立てているから、その部位に掛かる負荷は半分で済んでいる」

「言われてみるとそうですね。休んでいる片方は楽だけど、もう片方はその分の負荷を負っている。今こうしてみると、それが分かる気がします」

「運動にしろ、格闘にしろ、体の構造を知ることが重要だと考えている」

 彼はだらりと垂れ下がった右腕を持ち上げる。

 正中線をブラさないよう、慎重に肩の位置に持ち上げ、拳のタメを作るポーズを取らせる。

 そして反対の左腕を持ち上げ、くの字の折り曲げて胸の高さでソッと手を離した。

 彼はしばし無言のまま空を見上げる。

 引き絞った右手が疲れを感じ、くの字に折り曲げた左手が震え出す。

 だが彼は次の指示を出さない。

「なかなか辛いだろう? 昔試みたときには十分と保たなかった」

「体が楽な状態に戻りたがるのを、無理矢理押さえ込んでいるものだから……」

「じゃあ、ゆっくりと右手を前に伸ばしてみようか?」

 やっと苦役から解放されると、胸を撫で下ろした。

 言われた通りに腕を伸ばしたところで、再び彼から指示が飛んだ。

「はい、そこで停止。そのまま動かないで――」

「ぐはっ」

 一度楽な立ち方を教えてもらっているから、今の状態がどんなに悪い立ち方か分かる。

 右足一本に体重が乗り、手を伸ばしている分上体のバランスが取りにくい。

 これは十分どころか、一分も持ちこたえられない。

「打撃の弱点が分かるか? 引き絞る時にタメを作るためにバランスを崩す。打ち込むときはその何倍も不安定になってしまう」

「今ならアルトに突かれてただけで転んでしまう……かも」

 彼は満足そうに頷き、伸びた手に自分の手を添える。

 支えていた足が限界を超え、体は右へ傾いていく。よろけながら踏みとどまって、疲れ果てた両腕をだらりと下げた。

「衝突のエネルギーを溜めるって、実は殴られるより疲れることなんだ。百パーセントの力を伝えるのは、体の構造上不可能に近いからね」

「運動量保存の法則って習いましたけど……」

「この場合に限り、デカルトの法則は通用しない」

 彼は体操をするように腕を大きく回し、小さく引き絞るように鋭く動く。

「大きく伸びやかに学び、小さく鋭く実践する。太極拳がゆっくりと大きな動作をするのと同じ」

「分かりやすく動いて、利点や欠点を見出すってことですね? 今やったように……」

「野球でもそう。バットを短く持って、小さなスイングを心掛ければ、より高確率でボールを捉えることが出来る」

 なるほど。俺のパンチは予備動作が大きく、相手に打つタイミングを教えているようなものだ。

 バランスの崩れたフォームで引き絞れば、おのずと力も弱まる。発射台がしっかりしていなければ、ロケットは飛び出す方向を定められない。

 短い予備動作で小さく鋭い拳を放てば、タメから打ち込みまでの時間を短縮出来る。

 だけど注意すべき点がある。予備動作でバランスを崩さないこと、拳を放った後すぐに正しい姿勢に戻れることを心掛けないとダメだ。

 一度体の力を抜いて立ち、引き絞る動作を小さく纏める。左手はくの字で腰の位置に落とし、右拳は胸の前に。

 そして鋭く前に突き出し、手早く引き戻す。

 小さい振りなのに、風を切った感覚が拳に伝わる。

「ん、いいね。その感じ」

 彼は満足げに頷き、目の前で同じような姿勢で構える。

 握りを固めずに引き絞り、左手を引き絞りながら右手を前に突き出した。

 汗ばんだ前髪を吹き飛ばす拳圧。一陣の風が吹き抜けた。

「違いが分かる?」

「膝の使い方が……。腰の振りと、左手の補助、それに右手を強く握っていないから、筋肉がスムーズに動いて腕の振りが速い」

「ん、パーフェクト。それはキミの眼力? それとも肩に乗ったおチビちゃんの能力か?」

「……残念ながら彼女、アルトの能力に頼っています」

 アルトが体に乗っている限り、彼女の見たもの、感じたもの、検索結果が瞬時に頭の中に流れ込んでくる。

 それがなければ彼の動きを解析するなんて出来ない。それほど卓越した動きなのだ。

「まったく……、彼女はとんでもないものを作り出してくれたものだ」

 彼らしくない表情を一瞬見せた。

 苦虫をかみ潰したような、焦燥感に駆られたような表情。そして冷静に計算しているような冷たい目。

「キミを手っ取り早く強くする方法が分かった」

 彼は右手を腰に置き、左手を前に翳して身構える。

 対峙する相手を見据える目には殺気が満ち、素手であるにも関わらず、刃を向けられているような威圧感を感じる。

「アルト……。行くぞ」

「あいあいさー」

 昨日までの俺なら勢い良く踏み込んでいただろう。

 だが小さく鋭く動くには間合いが遠すぎる。腕の長さと踏みこみを計算すれば、最適な間合いは一メートルといった所だろうか。

 出来るだけ姿勢を楽にして彼の前に立ち、ジリジリと摺り足で近づく。

 そしてここという場所で地を蹴り、彼の前に踏み込んで小さいけれど鋭い拳を放つ。

 彼の顎に向かおうとする拳。彼は左手をソッと添えただけで弾き返す。

「――っ!」

 今のはなんだ?

 その問い掛けに対し、アルトは即座に頭の中にリプレイを流してくれる。

 拳に手の甲を付け、クルリと手首を返して手のひらで押し返す。力の方法を示す矢印が角度にして五度、外向きに逸らされたことを知らせてくれた。

 アルトの解析結果は『スパイラル』、螺旋状の渦が手首に重ね合わされる。

 直進していた衝突エネルギーは八十キロ。受け流された後は四十キロほどに半減させられた。まるで力を吸い取られたような気分だ。

 だがこれは魔法なんかじゃない。物理的な法則に基づいた技、人が長年に渡って培ってきた熟練の技なのだ。

 アクセラレートのレベルを更に引き上げる。体がぶっ壊れる危険域だ。

「これくらいでないと――」

 加速に身を任せればすぐさまぶっ壊れてしまうけれど、体を正しく使えば長い間動いていられる。

 目の前の目標に拳を向け、先程より近い距離で拳を放つ。

 今度はその拳に防御する姿勢を見せない。むしろ一歩踏み込み、腕が伸びきる前に手で押さえる。

 彼の足が踵を蹴り、続けざまに膝を蹴る。軽く蹴られただけなのに体は斜めに傾き、手を軽く捻られただけで天地が逆転した。

「がっ……」

 背中から地面に叩きつけられ、肺に溜め込んでいた息が吐き出される。

 砂場の上でこれだ。固い地面だったら動けなくなっていただろう。

「まだまだっ!」

 膝を抱え、反動で飛び起きる。

 彼はその一瞬を見逃さず、俺の目の前に足を踏みこんで、クルリと背中を向けた。

 それが体当たりだと理解する前に、俺の体は砂場の端まで飛ばされた。

 膝を折ってバランスを取り、手と片膝で砂を掴んで着地する。

 くの字に曲がった体を伸ばし、もう一度前を見据えた時には、彼は目の前で踏みこみを終え、肘を突きだしていた。

 右胸に突き刺さる肘打ち。足の先は地面を離れ、遙か後方にある何かにぶち当たる。

 手に引っ掛かるペンキの剥げた鉄棒。俺を受け止めてくれたのはジャングルジムだった。

 鉄棒に寄っかかりながら立ち上がり、息一つ乱していない彼を見据える。

「こ、これがあなたの常識っすか?」

「ん……、そうだね。技一つ覚えるのに、数え切れないほど死ぬ思いをする。それが俺の常識」

「ドMっすね。それなら俺に向いているかも……」

 技を受ければ見ている何倍も体感することが出来る。

 彼は持論通りにショートレンジでコンパクトな技を繰り出している。だがその一発が予想を超えた破壊力を生み出している。

 理由は明確。踏み込みで生まれた移動によるエネルギーを、手の振りや体の捻りで得た攻撃力に相乗させている。

 たったそれだけなのにアルトはそれ以上詳しい解析結果をはじき出せない。

「見えたかい? 見えたのなら覚えられるだろう? キミの能力なら……」

「ええ、ハイクオリティで録画中っす。今は無理でも、いつかは同じ動きが出来るように努力しますよ」

「ん、便利でいいねぇ。俺も最初は師匠の動きを携帯動画に収めてたっけ……」

「まだ……見せて貰っていませんよ」

「ん? まだ何かご所望かな?」

「霊気による攻撃……。アレを見ないことには倒れるわけにはいかないっすよ」

 彼は意外といった表情で目を見開いたが、ニヤリと口元を歪めて目を細める。

「分かりやすいように打つことは出来ないよ?」

「体で覚えます。もうズルはしない、自分自身でも努力をするって決めたから……」

「そっか。短い間だったけど、キミは優秀な弟子だったよ……」

 彼はそう言うなり、地を蹴って踏み込んだ。

 踏み込んだ力が膝を伸び上がらせ、腰をクルリと回転させる。

 引き絞った右腕は前に、左腕は逆に後ろへ運ばれる。

 広げられた手のひらが胸元に押し当てられ、ジャングルジムが背中に押されぐにゃりと曲がる。

 手のひらから紅の霊気が流れ込み、体を突き抜けてジャングルジムに伝播していく。

 その映像を気を失うまで目で追い続けた。

 

 

 気が付くと俺はベンチに寝かされ、冷たいタオルを額に乗せられていた。

 柔らかな枕。冷たい手が胸元を撫でている。

「まるで春日野の手だ……」

「そりゃそうよ。春日野栞様の手だもの。……って、また呼び捨てにしたわね?」

 意外な人物の声に、思わず濡れタオルを跳ね上げた。

 見下ろしていたのは春日野さん。ってことは柔らかな枕は彼女の太ももか。

「……何で?」

「電話で呼び出されたのよ。怪我人がいるから面倒見てやってくれないか、って」

 俺はポケットの携帯を取りだし、通話記録を見て嘆息した。

 彼は技を教えるだけじゃなく、淡い恋心にもフォローを入れてくれたのだ。

 もうフェンスの向こうには赤いバイクはない。彼はもう自身の住む街に帰ったのだ。

「治ったのならどいてくれない? 結構こうしているのも疲れるのよ」

「いやまだ治っていない。胸の奥がまだ痛い」

 この痛みを治せるのは春日野さんだけ。そういう痛みだ。

 霊気を帯びた細い指はシャツの内側に潜り込み、患部を探り当てようと動き出す。

 その心地よさに身を任せながら、彼女の太ももに頭を置き直す。

「……なんで春日野さんは呼び捨てにされるのが嫌なんだ?」

「春日野は沙織と栞、二人いるから。私がその呼び名を肯定してしまうと、姉の存在を否定してしまう気がするの……」

「じゃ……、これから栞さんって呼んでいいかな?」

「そう呼ばれるのは何年ぶりかしらね。その度胸に免じて、特別に許可しようかしら。……広哉くん?」

 照れ臭そうに目を逸らす彼女がとてつもなくかわいく見える。

「そういえば、私を呼び出した人って?」

「――っ、しまった。名前を聞き忘れた」

 彼にはこのこうなることが分かっていたんじゃないだろうか。

 そしてどこかでほくそ笑んでいる。そんな気がした。

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