紅の霊気を纏う男
西日差す病室。
春日野さんはカーテンを少し閉じて、先程の荒唐無稽な話に注釈を入れてくれた。
幽霊や霊気を見ることの出来る能力は、特別な才能というわけではなく、昔の人なら誰でも持っていたものなのだそうだ。
現代において何故その能力が失われつつあるのかという疑問。
これまでは退化し、損なわれた能力といわれてきたが、共通概念による認識力の低下が要因とする説が有力視されている。
共通概念による認識力の低下とは何か。
例えると、ある美術評論家が一枚の絵を絶賛する。
その言葉は大勢の人に影響を与える。これは絶賛に値する絵なのだと認識を植え付けてしまう。
その共通化された概念は、本来個々が持つ美意識に変化を与えてしまう。これが共通概念による認識力の低下だ。
本来であれば子供の描いた絵に感銘を受けたり、埋もれた名作に心惹かれたりするもの。
百人いれば百人が違う色を見て、違う匂いを嗅ぎ、違う味を感じ、違う風景を見ているはずだ。
だが人と同じ服を着て、同じ環境で規律を学び、人と違うことを嫌悪する。
情報化社会といわれる現代では、テレビやパソコンが評論家の代わり。
昔の人が何年もかかって得ていたであろう情報、そんなものをボタン一つで情報を垂れ流してくれる。
同じ人物の演技に感動し、同じ曲に共感を覚え、テレビタレントの劣化コピーに恋をする。
何故チープな詩に共感するのか。何故この役を演じている役者に魅入るのか。そういう視点で考えるものはいない。
つまり、昔の人が目にしていた怪異が現代人に見えないのは、存在そのものに気付かないだけなのだ。
「私や秋篠くんは少しはみ出した存在なの。人に言われたりしない? 変わってるねって……」
「春日野さんには負けるけどな!」
「五十歩百歩……。戦場で五十歩逃げた者が、百歩逃げた者を臆病者と罵ったそうだけど、少しの違いはあれど、本質は変わらないという意味ね」
ぐうの音も出ない。
こういう時は言い返せないほど論破せず、少し逃げ道を用意してくれると助かる。言葉のキャッチボールが出来なくなってしまうからな。
「まあいいわ。次に――」
春日野さんは霊気について語り始めた。
オーラ、マナ、プラーナ、氣。身に纏う霊気は国や地域によって呼び名が変わるが、その本質的は意味は変わらない。
人が身に纏う生命力の源を霊気、人に害を成すものを瘴気と呼称する。
愛や慈しみの気持ちはプラスに作用し、恨み妬む心はマイナスに作用する。裏と表の性質を持っているが、本質的には同じものらしい。
真っ当な霊気を纏っていれば、幽霊や怪異の類を寄せ付けない。霊気が強いものなら、中和して分解することが可能なのだそうだ。
俺達のように強い霊気を持つ者の中には、そういったことを生業にしている者がいるらしい。
「能力を持ちえない者は、私達のような人間を超能力者のように思っているのでしょうね」
「超能力者、ねぇ……。物を持ち上げたり、電撃を食らわしたり……か?」
春日野さんはクスッと笑い、財布の中から十円玉を一枚取り出して、周りを泳ぎ回るシンクレアに手渡す。
シンクレアはそれを持ち上げ、俺の手元に運んで手渡してくれた。
「……ああ、なるほどね。見えない人から見れば、今のは念動力。十円玉が浮いて動き回っているように見える」
「ちなみに電撃も可能……」
春日野さんがそう口にするなり、シンクレアが嬉々とした目を向ける。
パチリ、パチリと紫電の火花を散らす尾ビレ。CPUの稼働電圧を利用した電撃か。
「ちょ、ちょっと待て。そういうことをするとCPUが壊れる。もっとアホになるぞ、シンクレア」
「言っていいことと悪いことがあるぞ、アキシノ」
シンクレアは激高し、尾ビレをダイナミックに振り回し、回し蹴りの要領で二の腕に電撃を加える。
一瞬パチリと電気が走ったが、冬場の静電気並の痛み。痛痒いくらいの衝撃だ。
「――というのは置いといて。霊気をコントロールすれば、同じことが出来てしまうの。姉のように……」
そう……、沙織さんは霊気でサイバーフェアリーを具現化した。
アルトが『アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌』の力で具現化し、彼女はその具現化理論に到達していた。
だが彼女はその方法を用いないで、霊気でサイバーフェアリーを具現化したのは何故か……。
それは恐らく――。性能の差が歴然だったのだ。
でなければ生命力を削ってまで、霊気を使おうとは思わない。
「霊気を使いこなした者は岩をも砕く力を得るらしいわ。その才の一端が八枚のコイントス」
「……もしかして春日野のと、俺のやったコイントスは、似て非なるものだってことか?」
「そう……、二年かかってあの程度だけど、着実にものにしている実感がある。極めれば岩をも砕くと信じられるくらいに……」
春日野さんは俺の手から十円玉を取り、親指と人差し指で挟み込む。
「おい……。マジか?」
「大マジよ」
彼女は深く息を吸い込み、腕を抱え込むように力を込める。
そして俺の手首を掴み、手のひらの上にくの字に曲がった十円玉を乗せた。
「おっ、お前は大山倍達か!」
「誰、その人。シンクレア、検索して頂戴」
「空手バカ一代の人。通称ゴッドハンドだって、マラドーナ、五人抜きだよ」
さすがシンクレアだ、適当な検索かましているな。
これにはアルトも渋い顔。訂正したくてウズウズしている。
「まあいいわ。表だっては活動していないけど、国家はこういう人種を登用しているの」
「沙織さんもそうだと言っていたよな?」
「姉の能力は情報統制するのに適していたから……。愚民を右に向かせたり、左に注意を逸らしたり……」
「愚民って……」
確かに政治家のヤバイネタが露見したら、すかさず別の事件が起こって国民の関心が逸らされる。
逆も真なりっていうか、良いタイミングで暴露ネタが新聞にすっぱ抜かれたり、重要法案の可決時期になると政権がひっくり返る。
そういった裏の仕事を担当していたってことか。
俺やアルトにはまだ無理だけど、春日野さんとシンクレアなら十分仕事をこなせるだろう。
サイバーフェアリーの生みの親である沙織さんなら、……いわずもがなって奴か。
「瘴気から生じる悪霊や怪異を滅するため任官されるのが退魔士。昔でいえば陰陽師ってところかしら?」
「陰陽師……、確かに律令制度の頃は国家公務員だったけどね」
「彼らは時として悪霊や怪異以外にも任を負う」
「――ターゲットは人ってことか」
「私達のような異能者は、一般人には手に負えないでしょ?」
悪い言い方をすれば、毒をもって毒を制す。言い方を変えれば適材適所、量才録用ってことだな。
こういう時はポジティブに考え、後者の意味で受け取っておこう。
「今日私が秋篠くんをここに連れてきたのは、姉とシンクレア達の生い立ちを話しておきたかったから。それに――」
春日野さんは沙織さんの布団の乱れを直し、鞄を手に立ち上がった。
そして言い淀んだ一言を口にした。
「私達が戦おうとしている相手って、そういう人種だと知ってもらうため……」
その一言は笑みを消し去るのに十分な破壊力を持っていた。
病室を後にしてエレベーターで外来に向かい、壁に貼られたバスの時刻表を見ていた。
隣に立つ春日野さんがビクンと直立不動になり、キョロキョロと落ち着かない素振りを見せた。
「あっ、秋篠くん……。ちょっと、ここで待っていてくれないかしら?」
「ん、どうかした? 病室に忘れ物でも?」
落ち着き無く靴を踏み鳴らし、せわしなく歩き出そうとした。
俺はそんな彼女を追おうとしたが、平手打ちまがいに鞄で叩かれた。
「空気を読みなさいよ!」
唇をキュッと噛み締め、そのまま小走りに駆けて行った。
「なんだ……トイレか。あの慌て具合だと、相当……」
デリカシーのない言葉と思われたのか、最後まで言い終わらぬうちにアルトに頬を抓られた。
一人になって手持ち無沙汰。外来の様子を見回して暇を潰す。
待合の長椅子には老人達が世間話に花を咲かせ、看護師達が早足で歩く姿が目に映る。
不意に入り口の自動ドアが開き、その方向に目を向け言葉を失う。
風景が真っ赤に染まるほど霊気を纏う男が一人。
ジーンズに白のシャツを着てジャケットを羽織った姿。俺は直感的に思った。
――この人は沙織さんの病室に向かう。
長い前髪で顔立ちや表情が分かり辛いが、看護師達が仕事を忘れ足を止める、それほど目を惹く存在だった。
身長が高くてモデルのように華奢に見えるが、服を押し返す肩の張りで鍛えられた体だと分かる。
なにより彼に付き従う怪異の存在。
和服を着た少女と、仙女のような薄絹を纏った女性の霊が、まるで彼を守るように寄り添っている。
彼がエレベーターを待って乗り込むまで、息をするのも忘れて見入ってしまっていた。
エレベーターの扉が閉まった瞬間、俺の脚は無意識に動き出していた。
「あれは…………」
きっと話しに聞いた退魔士という奴らだ。
もし沙織さんの部屋に向かったとして、彼はそこで何をする。
ゾッとするような想像が頭を過ぎり、さっき春日野さんが口走った言葉がリフレインする。
「彼らは時として悪霊や怪異以外にも任を負う」
俺はエレベータを待たず、階段を一足飛びに駆け上がった。
息切れしながら六階へ辿り着き、廊下の端にある病室の前に立つ。
予想は的中していた。固く閉じたはずの扉が半開きになっており、その隙間から男の背がチラリと見えた。
彼はポケットに入れていた手を引き出し、ゆっくりと沙織さんに近づける。
その手には考えられないほどの霊気が込められ、俺の目には禍禍しいナイフのように見えた。
俺はたまらず扉を開き、後先考えず病室の中に踏み込んだ。
「おい! 沙織さんに何をするつもりだ!」
アルトが耳を塞ぐほどの一喝だったが、男は慌てもせず振り返り、長い前髪の隙間から切れ長の目を覗かせた。
「ただの見舞い……だよ。害意が無い証に、扉を半分開けていただろう?」
男はボソリとそう口にして、沙織さんの額にソッと手を置いた。
手に込められた霊気が沙織さんの体に流れ込む。いや、染み込んでいくと表現した方が適切な状況。
頭の先からつま先まで、掛け布団から透けて見えるほど強力な霊気が流されている。
「霊気を……流しているのか?」
「……変わったのを連れていると思ったが、キミも見鬼のようだね」
彼の体から霊気が薄れていく。
限界まで沙織さんの体に流し込んでいるのだ。苦しげな表情と頬を伝う汗で、その辛さが理解できた。
命の灯火が消えてしまう。そう思った瞬間、彼は手をそっと離し、何事も無かったかのようにポケットに手を差し入れた。
そして踵を返して俺の前に立ち、ジッと見下ろして唇をゆっくり開いた。
「女性が寝ている部屋に入るのはドキドキするね。キミが入って来た時にはどうしようかと思ったよ」
くったくない笑顔で表情を緩める。
その笑顔を見た瞬間、俺はこの人に魅了されていた。