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彼が目覚めるまで

 

          ◯



 長い夜が明け、また新しい一日がやってくる。

 しかし朝食の時間になってもオーナーが起きてくることはなかった。彼は昨日からずっと眠り続けたまま、誰の呼びかけにも反応しない。


 館の拝観時間が始まると、昨日と同じように猫たちは皆それぞれ持ち場につく。

 私は相変わらず二階での家事がメインで、時折様子を見に来るルナさんに逐一小言を言われた。


「叶さん。廊下の角にホコリが残っていますよ」

「シャツの(えり)の染みが消えていません。洗濯もやり直しです」


 爪が甘い箇所を的確に指摘され、私はぐうの音も出ない。


 できればルナさんには昨日の『時間がない』という発言の意図を確認したかったのだけれど、そんなことを言い出せるような雰囲気は微塵(みじん)もなかった。


 むしろ彼女の態度はどんどん冷たく厳しいものになっている。

 昨日私がオーナーを守れなかったことへの当てつけもあるのだろうか。

 彼女の叱責が飛んでくる度に私はカチコチに緊張して、余計にヘマを繰り返してしまうという悪循環に陥った。


 これでは会話どころではない。

 ほぼ一方的に注意を受けるだけでその日も拝観時間が終わり、夕食を終えると、その片付けのために私は一人で厨房に籠った。


 泡立てたスポンジで食器の汚れを落としながら、今日一日を振り返って溜め息を吐く。


 オーナーが目覚めるまで、ずっとこのままなのだろうか。


 いや、私の仕事のスキルが上がればルナさんとのやり取りももう少し穏やかにできるはず。

 だけど、なんでもできる彼女を満足させられるまでには一体どれだけの時間がかかるのか……と暗澹(あんたん)たる気持ちになっていたところで、コンコンと扉がノックされる音を聞いた。


 私が顔を上げるよりも早く、開かれた扉の向こうからは白髭のおじいさんが顔を覗かせた。


「やあ、絵馬ちゃん。遅くまでご苦労さま」


 シワが刻まれた優しげな笑みがこちらに向けられ、私の緊張もわずかに和らぐ。


「どうしたんですか、おじいさん。何か忘れ物ですか?」


「いや。ちょっと絵馬ちゃんとお話しがしたくてね」


 よいしょ、と彼は近くにあった丸椅子に腰掛けると、改めて私の顔を見て目を細めた。


「今日も疲れただろう。絵馬ちゃんは真面目だからな。無理をしているんじゃないかと少し心配なんだ」


 そんな労いの言葉をかけてくれる彼に、私の胸はほんのりと温かくなる。

 無理はしていない、と言えば嘘になるかもしれないけれど、こうして私を気遣ってくれる人が職場にいるなんて、自分は恵まれた環境にいるとしか思えなかった。


「いえ、私なら大丈夫です。それに早く仕事を覚えなきゃいけないですし」


「ここのところ、ルナの当たりが強くなっているが……それも大丈夫か?」


 直球で尋ねられて、思わず返事に詰まった。


 昨日、オーナーが倒れたあたりからルナさんの態度はどんどん厳しくなっている。

 とはいえ彼女から注意を受けるのは私の能力が低いせいなので、反論の余地はない。


「ご心配、ありがとうございます。でも私、叱られても仕方のないことばかりしていますから……」


 私が苦笑して流そうとすると、おじいさんは思いのほか真剣な声色で続けた。


「ルナも本当は、もっとゆっくり時間をかけて絵馬ちゃんを育てたかったはずなんだ。だが、彼女にはもう時間がない。だからあんなに焦って、厳しく指導をしてしまうんだ」

 

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