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呼び名

 

 勝手に聞き出してもいいのだろうか……と再び自問して、とりあえず今は、私が何について悩んでいるのかだけでも伝えることにした。


 あのおじいさんに名前を教えてもらえなかったこと。

 そして、名前を聞き出すことでおじいさんを悲しませてしまわないかどうか。


「なんだ、そんなことか」


 オーナーからの返答は、意外にもあっけらかんとしたものだった。


「心配しなくても大丈夫だよ。彼が名前を明かさなかったのは、ネガティブな理由じゃないから」


「そうなんですか?」


「ああ。あの子は別に名前を教えたくなかったんじゃなくて、《《名前がたくさんあるから》》、一つに絞り切れなかっただけなんだ」


 名前がたくさんあるから。

 その言葉の意味がよくわからなくて、私はますます首を捻る。


「ど、どういうことですか? 名前がたくさんって」


「あの子は……『シロ』は、もともと野良猫だったんだ」


 どうやらオーナーは、あの白猫のことをシロと名付けているらしい。

 そして、彼の名前がたくさんある理由を、オーナーは懐かしむように語り始めた。


「シロは、うちの祖母が拾ってきたんだ。今から十年くらい前かな。たまに家の近くをウロウロしてたんだけど、見かける度にケガをしてて。多分ケンカが弱い猫なんだろうねって話してた。最終的に保護した日は、頭からも出血してて」


 あまりにもケガが多くて見兼ねたおばあ様が、彼をこの館に迎え入れた。

 今では穏やかに暮らしている彼も、昔は過酷な環境で生きていたのだ。


「祖母は保護する前から『シロちゃん』って呼んでたけど、この辺りに暮らしている他の家の人たちもみんな、あの子にそれぞれ名前を付けてたみたいでね。『チビ』とか『みーちゃん』とか、様々な名前で呼ばれて、あちこちの家で可愛がられてたらしい」


 人が野良猫に勝手に名前を付けるのは、よくあること。

 私も外でたまたま猫ちゃんを見かけた時、その場限りの名前で呼ぶことが何度もあった。


「おじいさんの名前がたくさんあるって、そういうことだったんですね」


「うん。本人もシロという名前を気に入ってくれてはいるみたいだけど、それだけがあの子の名前じゃないから。どれか一つに絞るよりは、好きに呼んでくれたらいいって思ってるみたいなんだ」


 オーナーからの説明を受けて、私はようやく腑に落ちる。


「良かった……おじいさんが名前を教えてくれなかった時は少しだけ不安でしたけれど、悪い意味じゃなくて安心しました」


「絵馬は、優しい子だね」


「え?」


 唐突に、オーナーは私のことをそう評価した。


「名前のことで、シロが嫌な思いをしないように配慮してくれたんだろう? あの子の心を大事にしてくれて、僕も嬉しいよ。だから、ありがとう」


 おじいさんが嫌な思いをしないように、というのは確かに考えたことだけれど。

 それでも、改めてそんな風に言われると、なんだか照れ臭くなってしまう。


「い、いえ。私より、オーナーの方がずっと優しいですよ」


 おじいさんのことも、私のことも、オーナーはとても大事に扱ってくれる。それに、


「ルナさんも言っていました。オーナーは、いつも人のために魔法を使ってしまうんだって」


 自分の身も顧みずに、誰かのために魔法を使おうとする。

 そんな彼は私なんかよりもずっと優しい人だと思う。


 なのに、


「いや、僕は……——僕のこれは、『本当の優しさ』じゃないから」


 そう呟くように言った彼の目には、見覚えのある陰がかかっていた。


(あれ?)


 いつのまにか、彼の口元から笑みが消えている。


 また、あの表情だった。

 

(私、何か変なことを言っちゃったかな……?)


 どう反応して良いかわからずにいると、やがてオーナーが道の先に目的の店を見つけた。

 そこからは買い出しの商品の話になって、疑問の答えは聞けずじまいだった。

 

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