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【6】

奥の部屋ー休憩室に着くと、凛は椅子を勧める。

「座って。今、お茶をいれるから」

「いいわ、お茶は」

「いいのよ。私も喉を潤したいし」

そう言うと、凛はグラスを用意する。まずはグラスに湯を注ぎ、温める。温まったら、湯を捨て茶葉を入れる。さらにまた湯を注ぎ、できあがりである。

「ーどうぞ」

できたてを差し出すと、優は小さく頭を下げた。凛も椅子に座り、茶を楽しむ。しかし、

「痛。頬を冷やさないと」

まだ叩かれた感触が残っており、グラスを卓に戻す。優が体を丸め、申し訳なさそうに言う。

「ごめん。その…痛いのは当たり前だよね」

「気にしないで。さあ、お茶を飲んで」

「…うん」

優が茶を口に含んだのを見届けてから、凛は手巾を濡らし、頬に当てる。何もしないよりは、冷たくて気持ちが良かった。

「…ふう。どう、お茶は?」

「…美味しい。ありがとうね」

「うん。そんなに緊張しなくていいよ。体を楽にして」

そう言うと、凛は優を素早く観察する。髪は乱れているし、顔色は青白いし、襦裙もよれよれで酷い状態だった。

ー何があるのかしら?

また巻き込まれそうな予感がしたが、聞かずにはいられなかった。

「ーそれで? 何でうちに来たの?」

「…。それは…」

グラスを弄びながら、優は下を向く。言いづらそうだった。

ー確かにあの旦那さんじゃねえ…。あとが怖そうだもの。

それでも今、手を差し伸べないと、何か大変なことが起きる予感がし、凛はなるべく刺激しないように言う。

「言える範囲でいいから。何があったの…?」

「…あの」

言わないと先に進めないと思ったのか、優が顔を上げる。少し躊躇した後、卓にグラスを置き、いきなり頭を下げてきた。

「ごめん!! 思いついたのが、凛の顔だったから…!!」

「謝らなくていいわよ。それで?」

「それが…。実はー」

勇気を出す決意をしたのか、いきなり襦裙を脱ぎ始める。凛はぎょっとし、止めに入る。

「ち、ちょっと!! 何で脱いだりなんか…!!」

「いいの。見て」

そう言った優の体は白いのだが、何箇所もあざだらけだった。凛もびっくりし、まじまじと見てしまう。

「それ…!! どうしたの!!」

「…その、旦那に…」

短く答えると、優は手早く襦裙を着直す。

ーあいつ!! 優に暴力をふるっていたのね。

痛む頬を冷やしながら、優の顔を凝視する。美加ほどはいかないが、それなりの美人だった。あの暴力夫にはもったいないほどである。

ー結婚したまでは聞いていたけれど…。

優との音信はそこまでだった。久しぶりの再会がこんな形だなんて、正直、衝撃的だった。

ー顔を狙わなかったのは、暴力をふるっているって分かるからね。酷い奴!! 許せない!! 女の敵!!

心の中で吐き捨てると、凛は真剣な顔つきで聞く。

「いつからなの? 暴力は…?」

「…その、赤ちゃんができてからというか…」

嘘だと確信し、凛は静かに首を横に振る。あざの数からすると、日常的に殴られていたと推測される。

ー変な奴のところにお嫁にいったわね。全く!! ちゃんと相手のことを調べたのかしら?

誰も優を助けなかったのかと思うと、憤り始める。せめて両親だけでも状態を知っておく必要があるのに、と眉根を寄せる。それを見た優が慌てて言い出す。

「あの!! 優しい時もあるのよ!!」

「…本当に? 嘘をついてない?」

「嘘って…その」

やはり凛が睨んだ通り、日常的に暴力をふるわれているようだった。

「赤ちゃんができてから、さらに暴力が増したというか…」

「…。最低!!」

だん、と卓を叩くと、凛は怒りの表情となる。赤子ができたなら、かわいがったり、労ってやったりしないといけないのに、何でさらに暴力が増したのか理解不能だった。

ー赤ちゃんに手をあげていないでしょうね?

それは口にできなかった。定のあやし方がいいのか、赤子の声は響いてこない。

「それで私のところに来たのね。分かったわ」

凛が言うと、優は申し訳なさそうに顔を崩し、頭を下げる。

「ごめん!! 迷惑なのは分かっているんだけど…!!」

「何で優が謝るのよ? おかしいでしょう」

「それはそうだけど、その…関わりたくないかなと思って」

優は手を弄りだすと、黙った。凛も彼女が言い出すまで無理じいしないことにする。

ーさて関わったほうがいいか、関わらないほうがいいか。

勇気を出して言ってくれた優を放っておくなど、凛は平気でいられる人間ではなかった。話を聞いてしまった以上、見捨てるわけにはいかない。

ー…あんなに綺麗で優しかったのに。

別人かと思うくらいだが、自分でもよく分かったなと思う。しかも結婚というものは、良いことばかりではないと知る。

ー運命を左右するものなのね。

結婚が大きな出来事で、自分だけでなく、周りにも影響を与えるものだと知り、ほうとため息を吐く。凛も気をつけないとと思うのだが、優とその旦那である慎二は、うちの父母、大雅と定とは雲泥の差があると考えてしまう。

ー結婚は子どものことまでも考えて、慎重にならないと駄目ね。

今は自分のことを考えている場合ではなく、首を横に振る。それから笑みを作り、優に柔らかく告げる。

「私で良かったら、何でも言って。どうしたらいいの?」

ふわりと空いた窓から風が入り、穏やかな空間となる。凛の言葉に救われたのか、優がいきなり泣き出す。

「ち、ちょっと…!! どうしたのよ!!」

変なことを言っただろうかと、凛は慌てて立ち上がり、優の側に立つ。すると優がすがるように抱きついてきた。

「苦しいの…もう。どうしたらいい?」

「…。辛かったのね」

片手で頬を押さえながら、もう片方で優を抱き、ぽんぽんと叩いてやる。するとさらに泣き出したので、ぎょっとする。

「優…。よく1人で頑張りました」

「…ごめん、ごめん、ごめん」

ちゃんと食べていないのか、優の体から骨の感触が分かるほどだった。ひたすら謝る優に、凛は優しく撫で続ける。

ー思いっきり泣かせてあげよう。そうじゃないと、感情も忘れてしまうかもしれないし。

責任重大だと考えながら、窓の外を見る。光は皆に平等に明るさを与えているが、優には届いていないように思えた。暗い道を1人で歩いて来たような、そんな感じがするのだ。我慢の日々だったのではないかと結論づける。

ー一つ間違えれば、私もこうなるかもしれないし。

他人事とは思えなかった。大雅の見合い話を思い出し、すぐ首を振って打ち消す。人生を狂わす出来事など、まだ当分、先でいいと考える。

ー今、幸せだもの。それを違う人間に壊されるなんて…。

優も幸せになれると思って結婚したのかもしれないが、相手が悪すぎると決めつける。酒の香りがしたから、まともに働いているのかさえ、怪しかった。

「よしよし。もういいから。大丈夫だから」

「うん、うん」

泣きながら、優は何度もうなずく。赤子のようだと凛は思い、必死で抱きしめてやる。その思いが伝わったのか、徐々に涙が止まっていく。

「…。ごめん、ごめん」

ひたすら謝ってくるので、凛は優しくあやしてあげる。

「もういいってば。十分、伝わってきたから」

「…ありがとう」

そう言った優は少しすっきりしたのか、ぎこちなく笑った。凛も笑い返してやると、優は意を決したように言ってくる。

「あの!! その…しばらくこの家においてもらえないかな?」

「え…。このうちに?」

いきなりの提案に、凛は驚いたが、あの暴力夫と一緒いさせて命の危険性があったら困ると考える。おそらく優も命の危機を感じて助けを求めてきたのだと想像する。

ー徳を積まなくちゃ。

良いことをすれば、その分、返ってくると信じている。それに、優と赤子を守らなければ、本当に危険なような気がした。

ー…でも私が決めてもいいのかな?

躊躇したのは一瞬で、凛は深くうなずく。

「分かったわ。うちにしばらくいればいい。お父さんとお母さんには私が言うから」

「…本当に…?」

一筋の光を見出したかのように、ゆっくりと優が顔を上げてくる。その儚い美しさは、今のこの場にいる凛にしか見られないものだった。

「いいの、いいの。友達でしょう? 遠慮しないの」

「…。ありがとう。本当に助かるわ」

ようやく手巾で涙を拭き、笑顔を浮かべてくる。その表情のほうが好きだと凛は見とれる。

ー母性溢れる神様みたい。

母は強しというが、まさしくその通りだと思う。

「ちなみに、その間、旦那は放っておいて…」

「大丈夫。愛人達のところにでも行くでしょう」

吐き捨てるように言う姿は、もう弱々しいものではなかった。凛という仲間を手にしたからかもしれない。

「そう。それならいいんだけど。…とりあえずお茶を飲もうか」

「うん。改めて礼を言うわね。ありがとう」

「どういたしまして」

そう言うと、凛は自分の席に戻り、茶をすする。喉が渇いていたのか、一気に飲んでしまった。

「おかわりいる? それとも何か食べる?」

「あの、気を使わなくていいから」

「そう。じゃあそうするわね」

垂れた髪を耳にかけると、優が恐る恐る聞いてくる。

「あの…凛」

「何?」

「その髪、どうしたの? 随分と短いけれど」

「あ、これ? えっと…」

話すとややこしいことになりそうなので、誤魔化しておく。

「ちょっとね。それより、寝る部屋は私と同じでいい?」

「うん。よろしくね」

「はい」

ようやく2人が自然に笑うと、晩秋の香りが濃くなった。気持ちいいと感じながら、凛は自分用にお茶をいれようとしたのだった。


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