【21】
凛が選んだのは、いつもの散歩の場所だった。
ーここなら雅巳さんも来るはず。
そう期待し、優と対峙する。2人は吊り橋の上におり、周りは自然だらけだった。人の姿などほぼないに等しい。吊り橋は意外としっかりしており、多少揺れるものの、落ちる心配はなさそうだった。
「…で? あたしに何の用?」
寒そうに二の腕を擦る優は、夕日を浴びているわりには冷たく見える。別人格になったのかと思うほど、顔つきはきつめだった。しかし凛も負けず、厳しい顔つきになる。
「私に隠しごとをしてない?」
「…は? 何それ」
相手にならないとばかりに、優は手を振ってくる。大人しくて優しい性格のほうが良かったと、凛は悲しくなってくる。
ー雅巳さんを信じる。
彼が来るまで時間を稼ごうと、一生懸命、言葉を選ぶ。
「これは私の推測だけど…」
「何? 役人のものまね?」
くすりと笑われ、凛はきっと優を睨む。
「冗談じゃないのよ!! 真面目に聞いて!!」
「…。はいはい。分かりましたよ」
面倒臭そうに髪を払い、優が凝視してくる。枯れ葉が2人の間を舞い、落ちていく。そのもの悲しさが今の凛の心をあらわしているようだった。
「優、温泉にいた女の人と、知り合いなんじゃないの?」
「だから人違いだって…!!」
「嘘よ!! そうじゃなければ、うちまで来るわけがないでしょう!! それに「やば」って言って逃げたのよ。何か関係があるはず!! 早く言って」
「…。やばって言ったのか…」
優はつまらなそうに言い、首の後ろを撫でる。凛はここは強気で押すことにする。
「やっぱり知り合いなのね?」
「…。さあ? 知らない」
爪にふっと息をかけ、優はあくまでもとぼける。しかし凛には1つの考えがあった。
「もしかして、旦那さんー慎二さんの愛人なんじゃないの?」
「…。はは」
急に笑い出した優に、凛は思わずびくりと肩を揺らす。彼女はこれでもかというくらい笑い、そして目尻を拭く。
「凄い妄想。誰の案?」
「誰って…。私だけど」
「あのね」
優は一歩近づき、馬鹿にしたような顔で言ってくる。
「愛人が本妻のところになんか来るわけがないでしょう? 旦那を寝取られているんだから。違う?」
「そ、それは…。…でもちょっと待って」
凛の頭に浮かぶものがあった。それをそのまま口にする。
「逆を言えば、本妻が愛人のところへ行くことだってあるかもしれないってことよね? …そうか!!」
凛は良い案が浮かんだと、優の目を真っすぐ見つめる。それに彼女は訝しそうに眉根を寄せたが、気にせず続ける。
「ふらりと出かけていたのって…もしかして愛人のところ?」
「…いつの話?」
「とぼけないで!! うちにいた時、ふらりと出かけていたでしょう!! それって…もしかして温泉に行くって話をしに行ったんじゃないの? そうじゃなきゃ、愛人が来るわけがないもの」
「…」
優は口を閉じ、軽く横向きの姿勢を取る。まるで女王様のようないでたちだと、凛は悲しくなってくる。
ー友達って、何なのかしら?
凛も利用されたのかもしれないとちらりと考え、なんとも言えなくなる。
「仮にそうだとして」
優が冷静に切り出してくる。
「あたしが何でそんなことをしないといけないの? 愛人と一緒に何をするのよ?」
「それはー」
言おうか、言うまいか、迷ったが、凛は顔をしっかり上げ、答える。
「ー慎二さんを殺すため、じゃないかしら?」
「…。はっ!!」
また笑い出した優に対し、凛は何も言わず、答えを待つ。
「何を言うのかと思ったら…!! あたしはあなた達と一緒に派出所にいたでしょ?」
「そうだけど、愛人が協力すれば、状況が変わるはず」
「…どういうこと?」
凛は一生分の頭を回転させ、優を追いつめようとする。
「金品が盗まれたっていうのは嘘で、自分の立場を守るために、私達を利用したんじゃないかしら? そうすれば、役人は私達につくし、愛人は手があくはずだもの。どう? 違う?」
「…」
さあ、っと木々が風に吹かれ、鳴く。それは今、熱くなっている凛には、心地良いものだった。天が味方してくれていると感じ、凛は続ける。
「あの、下手すると…他の一緒にいた女の人達もそうなんじゃないの? その、愛人が多いって聞いたから」
「は? 馬鹿じゃないの? そんなに集めてどうするのよ?」
「それは…」
凛は口に手を当て、考える。愛人を集めるとしたら、1つしかない。
「皆で慎二さんを殺したんじゃないかしら?」
「…何を言っているの? 頭、大丈夫? 旦那は自殺したのよ。酔っぱらって温泉に入って」
「そうなんだけど、ええと、でも気兼ねしない関係じゃなければ、慎二さんは温泉に来ないわよね。しかも酒を飲ませるなら、得意でしょう、あなた達? それで温泉にまで入るとなると…人数が必要なわけよ。つまり、あの場にいた女の人達全員で、慎二さんを温泉につからせて殺したんじゃないの?」
「…」
優の頭に葉がついたが、彼女は気にせず口を開く。
「何、その変な推理。誰も期待していないわよ」
「でも!! 大の男の人を酔っぱらせて運ぶとなると、それなりの人数がいるばず!! 違う!?」
「それは…」
優の言葉が歯切れ悪いものになってくる。あくまでも推測だが、合っているのではないかと、一抹の光がさしてくる。
「理由は分からないけど…。でも暴力を振るっていたんでしょう? だったら他の愛人だって、受けていたはず。その、耐えきれなくなって、皆で相談したんじゃないの? しょうがない馬鹿男だから、もう消すしかないとか」
「…。帰る。もう飽きた」
くるりと方向を変えてしまったので、凛は慌てて彼女の肩に手を差し伸べる。
「ち、ちょっと待ってよ!!」
「嫌よ、放して!!」
2人は揉み合いになり、橋が大きく揺れる。優が爪をたててきたので、頬に傷ができたが負けじとやり返す。
ー負けてたまるものか!!
凛は優の髪を引っ張ると、彼女が苦痛の表情となる。そのまま吊り橋に押し倒し、馬乗りとなる。
「この馬鹿!! 白状しなさい!!」
「何を!! あたしにはできないって、あなたが証言できるのよ…!!」
「だから今、言ったでしょう!! 痛っ!! この!!」
まだ揉み合っていると、カラスが呑気に飛んでいく。しかし音など耳に入らなかった。ただひたすら優だけに集中する。
「早く言え!! 合っているのって!!」
「何でよ!! 証言や証拠を出しなさいよ!!」
「それは…きゃ!!」
いきなり叩かれ、凛は後ろに倒れる。その隙に、優は立ち上がり、衣服を整える。
「全く!! 金があったら罪人にしたいくらいだわ!!」
「それはこっちの台詞よ!! 助けを求めてきたから、助けようと思ったのに…!! 人の親切心を無駄にして!!」
「利用されるほうが愚かなのよ。…もういい? あたし、行くわ」
「待って!! まだ話は…!!」
凛は体の傷など気にせず、素早く後を追おうとする。すると、その時。
「…え? 馬車?」
1台の馬車が橋の向こう、来た道からやって来て停まった。凛と優の荒れた雰囲気がぴたりと止み、馬車に注目する。
「ー待たせたな!」
「雅巳さん!!」
助けが来たとばかりに、凛は嬉しい声を出す。しかし彼1人ではないことに、すぐ気づく。
「あ、あれ…? 役人さんと、その女の人は…!!」
役人に捕らえられたまま、女の人ー優の家に来た者が姿を現す。すぐさま、閃いたのは、
ー私、運が良いわ!! これで証人ができる!!
その通りらしく、縄で縛られた女の人がちっと舌打ちする。優も何でとばかりに憎しみの視線を向ける。
「ほら、証人だ。全部、吐いた」
「え…。じゃあ、きゃ!!」
急に優に羽交い締めにされ、首に小刀を突きつけられる。
「何の真似?」
「うるさい!! 黙れ!! お前らならお人好しだと思ったのに…!! くそ!!」
完全に豹変した優は、もう赤子のことで泣いた優しさを捨てていた。
ー私が重荷になるわけにはいかないわ。
肘で優の腹を打つと、緩んだ隙に手を押さえる。尖った先がかすったが、気にせず戦い、小刀を何とかはねのける。
「この大馬鹿野郎…!!」
きつく平手打ちすると、優が涙を零した。偶然だったのか、彼女自身、びっくりしてすぐさま拭く。
「もう逃げられないぞ。金づる」
「金づる? …どういうこと?」
雅巳と互いに意見を交換すると、珍しく頭を撫でられる。
「よく推理した!! その通りだ!!」
「ほ、本当に…? じ、じゃあ…」
「お前が推理した通りだ。こいつら酒を飲ませて、しかも睡眠薬入りのものをだ。それで、溺死に見せかけたってわけだ」
「やっぱり!! そうだったのね!!」
優を睨みつけると、彼女は諦めたのか、体から力を抜いている。
「おい、手巾を使え」
手巾を渡され、凛はありがたく使わせてもらう。雅巳の匂いがして、心が少しずつ穏やかになっていく。
「…よくここが分かったわね?」
「お前なら、俺の分かるところにいるだろうと思って。しかも静かな場所を選ぶだろうなと」
吊り橋は揺れたが、5人くらい平気らしかった。凛は雅巳の側へ近づくと、彼が自主的に前に出てくれる。
「ちっ。馬鹿女。絶対に捕まらないって言ったくせに」
捕まっている女が悪態をついて、唾を吐き出す。優は彼女に対抗し、きつく言い返す。
「あんたなんか知らないわよ!!」
「は? いい加減、諦めたら? 他の女も吐いたらしいし」
「え…」
人間関係ー特に悪事に関しては、意外と脆いものだと知り、凛はやるせなくなってくる。
「金づるになると思ったのにさ…!! 貧乏人の言うことなんか聞くんじゃなかった」
「貧乏人…」
その言葉を聞き、凛は閃くものがあった。
ーなるほど。自分のために働き出したのもあるけど、お金を要求されていたからということもあるのね。
何となく虚しく思い、視線を落とす。優を助けようとした自分が愚かに思えてくる。ぐずりと鼻をすすると、雅巳が振り返ってくる。
「大丈夫か?」
「…うん。雅巳さん達が来たから大丈夫」
雅巳は優しい顔つきから、急に怖い表情になる。
「もう終わりだ。分かるな?」
「…もういい。面倒くさい」
「あたしが代わりに言おうか?」
捕まっている女が、可笑しそうに言ってくる。人の不幸が楽しくてしょうがないらしい。
「その女が暴力から逃げたくないかって言って、皆で計画したの。睡眠薬入りの酒をたくさん飲ませて温泉に顔をつっこませたわけ」
ははっと笑う女に対し、優が唇を噛みしめる。しかし雅巳が気になったのは別のことだった。
「睡眠薬…。どこで手に入れた?」
「さあ? 知らない。その女が用意したから」
薬と聞き、凛の頭にも1人の顔が浮かんだが、すぐに打ち消す。今は考えたくなかった。
ー愚かなのは私じゃなくて、優か。
組む相手を間違えたというか、何とも言いがたいものがあった。
「出頭するな?」
今まで黙っていた役人が優に対して、逃げ手を封じる。もう諦めたとばかりに、優は、
「あははははは」
と笑い、脱力した。もう抵抗するつもりはないようだった。
「…何とかならなかったの?」
凛がぽつりと呟くと、優が激しく言い返してくる。
「あんたに何が分かるのよ!! 純粋そうな顔をして!! この世から消えてしまえ!!」
「…。ごめん。もう助けてあげられない」
淡々と答えると、優のほうが子どものような顔をし、下を向く。
ー昔は昔。今は今だけど、この結末は…。
最後に聞きたいことがあった。
「何で美明ちゃんは…? 事故なの?」
「…あいつの血なんかいらないのよ」
そう言うと、懐から何か取り出し、あおった。
「まずい!!」
慌てたのは雅巳で、手を伸ばしたのだが、間に合わなかった。優が「うっ」と言い出し、ばたりとその場に倒れる。
「優…!!」
「寄るな!! もう助からない」
しばらくぴくぴくと痙攣していたが、そのうち止まった。あっけない最期に、皆、優のうつ伏せ姿を見つめる。
ー人間が死ぬって、あっという間なのね。
自然と涙が溢れていた。もう優と会話することはできないのだ。
ー人間って何? 何で自殺するの? 動物の中で1番偉そうにしているのに、1番最低かもしれない。
どっと涙が流れ、手巾を濡らす。雅巳が動かなくなった優の首に触れ、首を横に振る。もう生きていないという合図だった。
「見るな。お前は悪くない」
雅巳が凛の頭を引き寄せてくれた直後、子どものように声を立てて泣き出してしまった。
「だ、大事な人だと思ったのに…!!」
「ああ、そうだな」
「いなくなっちゃった。守りたいと思ったのに!! 手の中から滑り落ちてしまう!! 私がいけないのかな?」
「そんなことはない!! 俺はお前の前からいなくならないから」
「うん、うん」
こくりとうなずき、雅巳に甘える。
「ーよし行くぞ」
役人の硬い言葉に、女が連れていかれる。それを複雑そうに見つめ、雅巳の袍をきつく握りしめる。
「私だけ本気になって、でも何も残らない…!! お人好しなのかな?」
「違う!! 俺はお前に救われているんだよ」
「あ、ありがとう…。ぐすっ」
ぎこちなく礼を言うと、優しく抱きしめられる。
「自分にとって良かれと思った人とだけ、今度は付き合え」
「ごめん、ごめんなさい」
「謝るな。お前はよく戦った」
2人の重なった影が吊り橋に伸びる。この2人の間だけ雰囲気が穏やかなものであり、しばらく動かなかった。




