【20】
「ー赤ちゃんが死んだ?」
雅巳の驚いた声に、凛がこくりとうなずく。今、雅巳は仕事中なのだが、人気のない場所で全て話したのだった。
「どう思う、雅巳さん?」
「そうだな…。その逃げた女も気になる」
雅巳は難しい顔をして腕を組むと、すぐに顔を上げ、言ってくる。
「ちょっと派出所まで行って来る」
「え!? 今?」
「そうだ。善は急げだ。お前は友達を捕まえろ」
「それはそうだけど…。帰って来るかしら…?」
「分からない。けれど何もしないよりはましだろう?」
そう言うと、雅巳は甘味処でちょうど奥から出てきた流美加に声をかける。
「美加さん、申し訳ありません!! ちょっと行って来ます!!」
美加は目を瞬かせたが、雅巳は
「理由は後で話します。ちょっと馬を借りますね!!」
1人で行ってしまった。残された凛は、美加に詫びる。
「ごめんなさい。ややこしい出来事になってしまって…」
「しょうがないわね。いいわよ、許してあげる」
「ありがとうございます!! じゃあ私も失礼します!!」
凛は優を探そうと、頭を巡らせたのだった。
結局、考えた末に辿り着いたのは、優の家だった。
ーここしかないのよね。うちに来るわけがないし。
誰もいないのを確認し、うちの中へ入る。相変わらず、どういう生活を送っていたのか想像できないほど、殺風景だった。人間が長く住んでいたとは思えない冷たさを感じる。
ーとりあえず、椅子に座って待とうかな。
凛は埃を払うと、椅子に座り、入口の戸を見つめる。早く優が帰って来ないかと待ちぼうけするのだった。
どれだけ経っただろつか。うとうとしていると、急に戸ががらっと開いた。凛はよだれを拭くと、優が帰って来たのかと期待する。入って来たのは、やはり優だった。家に凛がいるのにびっくりしたらしく、驚いている。
「優? 優よね?」
「…」
優はくるりと回転すると、逃げ出した。どうして逃げるのが分からなかったが、今、捕まえなければ後悔すると思い、懸命に走る。どうやら天は凛の味方をしたようで、優を捕まえることができた。
「や、やっと捕まえた…!!」
荒い息を吐きながら、凛は優を見つめる。不思議なことに、前よりもふっくらしており、元気そうだった。
「な、何? 何の用?」
優が慌てたように言う。凛は呼吸を整えると、
「探したのよ。あなたを」
はっきりした声で告げた。もう日が過ぎて、辺りは橙色に染まり始めていた。
ー雅巳さんはどうしたかしら?
ちらりと頭をよぎったが、凛は思いきって優に言う。
「何で美明ちゃんが、美明ちゃんが死んだの…?」
「…」
優は無表情で黙ったままだった。それでも凛は続ける。
「それに、どうして温泉にいた女の人が、優のうちを知っているの? 何か関係があるの?」
「…うるさい」
ぼそりとした声で優は告げると、凛を睨んでくる。
「宿屋の料理の手伝いに行っているの。疲れているから、後にしてくれない?」
「料理の手伝い…? 仕事を始めたの?」
「うるさいって言ったでしょう!! 黙っていてよ」
いきなり怒り出した優に対し、凛は前と違うと感じた。もう自分を脅かす相手がいなくなったせいか、それとも手がかかる赤子がいなくなったせいか、自我が強くなっていると感じた。
「…」
黙る凛は戸惑っており、何から話そうか困っていた。
ー雅巳さんがいれば…。ううん、駄目だ。自分が対峙しないと。
凛は頬を叩くと、しっかりしろと気合を入れる。
「何で美明ちゃんが死んだのか答えて!!」
「…。ふん!!」
どうやら優は強情でしたたかになったかのようだった。無理にでも言わせてやると、凛は追求する。
「赤ちゃんが自分でうつ伏せに寝るわけがないでしょう?」
「そう? 勝手に動いたんじゃない?」
まるで他人事のような口ぶりに、凛のほうが驚いてしまう。
ーどうして…?
混乱しているのは凛だけらしく、優が強い力で手を払った。
「もういい? あたし、疲れているの」
「駄目!! まだ話は終わっていない!!」
「じゃあ場所を変えましょう。…目立つし」
争っている2人を、周りの人間が興味深く見ていく。さすがに凛もまずいと感じ、念を押す。
「逃げないでよね」
「逃げないわよ。…それで? どこへ行けばいいの?」
「どこって…」
思いついたのは、自分の家か甘味処だったが、両方に迷惑がかかってしまう。優はまた「ふん」と鼻を鳴らすと、襦裙を払いながら言ってくる。
「言えないなら、もういい? お金を儲けないといけないの、あたし」
「そ、それは…」
優が行こうとするので、慌てて肩を捕まえる。
「しつこいって言っているでしょ!! じゃあね」
「待って!! 優、あなた変よ!! 普通、旦那と赤ちゃんが死んだら、悲しむはずじゃないの? それなのに…」
「別にいいでしょ?」
「良くない!! 良くないのよ!!」
凛のほうが泣き出しそうだった。しかしここは堪えて、さらに問いつめる。
「どうして温泉の女の人があなたのところへ来るの? もしかして知り合い?」
「さあ? 人違いじゃなくて?」
とぼける優は手強い。風がさあっと吹いていく。凛は身震いすると、まだ続ける。
「なぜ優の旦那が温泉にいたの?」
「…。しつこい男だったから」
優は短く答え、逃れようとする。
「もういい? あたしは旦那が死んだのに関係ないし、美明だって殺しわけじゃないのよ? 証拠もないし」
「…」
しらばっくれる優に、凛は諦めない。
「ここじゃなんだから、場所を変えましょう」
「…いいわよ。あんたが後悔するだけだと思うけど」
2人は肩を並べると、その場から移動したのだった。




