【2】
ようやく雑貨屋に辿り着くと、もう辺りは真っ暗だった。ただ店の灯りがあるので、暖かい光がぼんやりしているが頼り甲斐があった。
「ただいま」
「ああ、お帰り」
迎えてくれたのは、父親の葉大雅だった。店じまいするところだったのか、ちょうどタイミングよく現れたのである。
「雅巳くん、ありがとうね」
「はい。こちらこそいつもお世話になっております」
大雅には良い顔して、と文句を言おうとしたのだがやめた。素の雅巳を見られるのは自分だけだという優越感があった。
ー喜怒哀楽のある雅巳さんのほうがいい。
一度は失いかけた感情を取り戻したことに、安堵する。元の雅巳に戻ってくれたことが嬉しく、またどきどきするのだった。
ー独り占めするのは、凄いことなのよね。
本当の雅巳は凛だけが知っていればいいと、心の中に蓋をしていると、大雅が意外な提案をしてくる。
「雅巳くん、良かったらご飯を食べていかないかい?」
「…え」
さすがにそうくるとは思っていなかったようで、雅巳が躊躇する。そんな彼の腕に自分の腕をからめ、凛が言う。
「そうしよう!! お母さんの料理、美味しいんだよ」
「でも、しかし…」
「いいから。ね、お父さん?」
「ああ。早く上がりなさい。お腹が空いただろう?」
大雅が雅巳の背を押し、中へ招き入れる。雅巳はまだ遠慮しているようで、
「あの、俺はこれで帰ります。大丈夫ですから」
と告げてきた。しかし凛と大雅は同時に言う。
「駄目」
「…。困ったな」
2人に動きを制限され、雅巳が呟く。しかしその声音はまんざらでもなさそうだった。
「早く、早く。あ、その前に手を洗いに行こう?」
「あ、ああ」
2人は井戸に行くと、つるべー井戸で水を汲む道具を凛が操る。水を桶に入れて、先に雅巳に洗わせる。
「うわ、冷たい」
「そう? …あ、本当だ」
外気が冷たいのなら、水も冷たくなるのは当然だった。2人で綺麗に手を洗うと、厨房へ向かう。
「あら、お帰り。雅巳くんもいらっしゃい」
「…どうも」
照れくさそうに頭を下げる雅巳に、母親の定はほほっと笑う。
「私の手料理、気に入ってくれるといいんだけど」
「早く席につきなさい」
大雅に勧められ、雅巳と凛は席につく。もう卓上には料理が並んでおり、兄の清も雅巳に話しかけてくる。
「よう、雅巳。凛のダイエット、付き合ってくれてありがとうな」
「はい、どうも」
どうやら雅巳は戸惑っているようで、ぎこちない。凛が不思議に思い、聞いてみる。
「どうしたの、雅巳さん? 嫌だった?」
「いや…そういうわけでは…。ただ」
「ただ? 何?」
言うか言うまいか悩んでいる雅巳に、清が言う。
「言ってしまえ。ここでは誰も悪口を言わないから」
「はあ…。その」
雅巳にしては珍しく、何度も唇をしめらせる。緊張しているようだった。
「何、雅巳さん?」
気になって凛が小声で聞くと、雅巳がようやく口を開く。
「その…。和やかな雰囲気がな」
「…ああ。なるほど」
凛は雅巳の家族を思い出し、頭から打ち消す。どういう生活を送ってきたのだろうかと嘆きそうになる。
ー多分、1人で食べていたんじゃないかな?
そう思った凛に対し、雅巳がこぼす。
「温かいご飯を食べたことがないんだ」
「…。何それ」
凛が冷たく言ったのは雅巳にではなく、雅巳の家族に対してだった。冷たいご飯をぽつりと食べる姿が浮かび、泣きそうになってくる。
ー温かい家庭を知らないんだ、この人は。
皆でわいわいするのは慣れていないのだと知り、雅巳の肩を叩く。
「大丈夫、大丈夫。皆でご飯を食べよう、ね?」
小さな子どもに言うように告げると、雅巳はこくりと頷いてくる。雅巳の心はすさんで、すたぼろだったのかもしれないと思うと、雅巳の家族が憎くなってくる。罵詈雑言を吐こうとしたその時、
「ーはい、できたわよ」
定がせいろを持って現れた。皆、一斉に注目し、熱い湯気の立つそれを見つめる。
「何? 食べ始めてないの?」
定が不満そうに言う。食卓には、ほうれん草のおひたし、きゅうりの塩漬け、それから羊のあつものに、胡麻餅と並んでいる。基本的に料理は焼く、蒸す、漬けるなので、今、定が持ってきたのも蒸し餃子だった。
「うわ…。美味しそう」
つい唾液を飲んでしまったが、凛はぐっと堪える。豆腐を食べるのが日課だった。このお陰で、大分、体重が減ったのだった。
「ほら、雅巳。食べろ。うちの母親の料理は格別だぞ」
「言い過ぎよ、清」
「本当のことだもん。な、凛?」
「うん!! ほら、冷めないうちに」
凛が雅巳の皿を持ち、取り分けてやる。雅巳は子どものようにきょろきょろと目を動かし、じっとしていた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
小さく言い、蒸し餃子を雅巳が口にする。中身は多分、白菜と肉とニラだと思うのだが、雅巳の顔が変わる。
「…美味しい」
「そうか。美味しいか。ほら、もっと食べろ」
「こら、清。雅巳くんの好きなようにさせてあげなさい」
「無理。こいつ、黙ったまま、箸を動かそうとしないように思うから」
図星なのか、雅巳の頰が少し赤くなる。
「たくさん食べてね、雅巳くん」
「…はい、どうも」
定の押しが強いのか、雅巳がやや動揺しつつある。凛は豆腐を食べながら、雅巳を肘でつつく。
「ほら早く。そうじゃないとお兄ちゃんに食べられるわよ」
「…うん」
素直な雅巳は可愛く、箸を動かしていく。賑やかなのは清で、1人でぱくぱく食べていく。
「こら、清。ゆっくり噛みなさい」
「だって美味しいんだもん。蒸し餃子のおかわりは?」
「まだあるわよ。持ってくるわね」
定が厨房に引っ込んでいく。その隙に、凛は試しに雅巳に聞いてみる。
「どう? 料理の味は」
「…。美味しい。こんなの食べたのは初めてだ」
ぽつりと漏らした言葉に、凛は頭を撫でてやりたくなった。
ーあいつら…! 許せなんだから。
雅巳の家族を思い出し、顔を顰める。しかし雅巳がこちらを向いてきたので、黙る。
「お前、豆腐しか食べないのか?」
「ううん。おひたしとかは食べるけど、肉はちょっと…」
「そうか。頑張っているんだな」
雅巳に褒められ、凛は嬉しくなる。
「秋は太るから気をつけろ。汗をかかない分、痩せにくいから」
「分かったわ。それより…きゃあ! お兄ちゃん、盛りすぎよ!!」
雅巳の皿が大盛りになっていた。いつの間にと思いつつ、雅巳も軽く笑ったので、よしとすることにした。




