【14】
「ーこっち、こっち」
温泉に着くと、意外にも静かだった。深夜だからしょうがないが、皆、馬車から降り、温泉に入っていく。外の気温と中の気温に差があり、もわっとする湯気に一気に体が熱くなる。
「どこだ? …ああ、なるほど」
湯船には、1人の男性がうつ伏せで浮かんでおり、袍のままだった。
ー誰、この人?
くらげのように髪と袍が伸びており、ひっくり返さないと分からなかった。
「俺も手伝う」
雅巳が袖をまくり、役人と呼びに来た男性の3人で温泉から死体をひきあげる。すると、1番はじめに気づいたのは、優だった。
「…!! この人…!!」
「どうしたの、優?」
優は激しく動揺し、顔色が青くなっていく。凛は落ち着かせようと、肩を抱くと、彼女がぽつりとこぼす。
「…慎二だ。間違いない、慎二よ!!」
「え…。慎二ってまさか」
よく見ると、確かに慎二だった。優が身震いする。
「こんなところまで追って来たの? しかも死んでるし!!」
「落ち着いて、優!! ね、大丈夫だから」
凛が優を慰めている側で、雅巳が聞いてくる。
「例の暴力夫か?」
「…そう。びっくりだわ」
優ではないが、凛もまさしく驚き、亡くなった男の顔を見つめる。
ー何でこの男が…。
優を追って来たのだろうか。そうだとしたら、凄い執念である。
ー誰から聞いたの、温泉にいるって? しかもこんな真夜中に。
役人が脈を一応はかったが、無理のようだった。
「駄目だ、こりゃ。大事になったぞ」
1人で興奮し、周りを見回す。風呂の中には、おちょこが沈んでおり、酒を飲んでいたのは明らかだった。
「…酔ったはての溺死か?」
「溺死って…」
初めて見る死体に、凛は意外と冷静だった。優が怯えているから、尚更、自分がちゃんとしていないとという責任感もあった。それは雅巳も同じであり、風呂を調べ始める。
「こら、勝手に動くな」
「邪魔しませんよ。でもこう暗くては協力したほうがいいでしょう?」
冷静を保っている雅巳は、温泉の奥まで調べに行く。頼り甲斐があるなと見つめていると、役人がぽんと足を手で打つ。
「酔っぱらった末の自殺だな、これは。君が来た時はもう死んでいたのか?」
聞かれた第1発見者は疑われると困ると思ったのか、すぐさまうなずく。
「はい。さっきの状態でした。本当は1人でゆっくり湯船につかりたいと思っていたのですが…。まさかこんなことになるとは」
「もう少し話を聞けるかい?」
「話すことはありません!! 知らない他人ですし!!」
役人が顔を向けてきたので、凛が対応する。
「私達じゃないですよ。役人さんと一緒にいたんですから」
「そうだよな…。…あんたが奥さんか?」
優は声をかけられ、びくりと肩を大きく揺らす。大丈夫とばかりに、凛がなだめていると、小声で告げてくる。
「は、はい。そうですけど…?」
ぎょろりとした目で見られ、優の体が震え出す。
「落ち着いて、優」
「う、うん…。あの、あたしの旦那です」
「そうか。でも一緒にいたから、犯行は無理だよな…」
役人は腕を組み、優に続けて話す。
「酒癖は?」
「普段から酷いものでした。だから酔っぱらって、その」
涙を零し始めたので、凛が慌てて手巾を出す。雅巳が戻って来て、役人に淡々と告げる。
「あとは何もありませんね。…夫以外、他に誰かいた?」
第1発見者に雅巳が聞くと、彼は関わりたくないとばかりに、首を横に振る。それを見、役人が立ち上がる。
「一応、身体検査させてもらうよ」
第1発見者の体を確認していくのを、凛達も真剣に凝視する。
ーこの人じゃない気がする。
何となくだが、そんな予感がした。あり得るとしたら、酔っぱらって、足を滑らしたとしか思えない。
ー何で次々と事が起きるのよ!!
盗難事件なんかどうでもいいような気がした。役人が何というか、喉を鳴らして待っていると、彼はぽんと手を打つ。
「やっぱり、これは酔っぱらった末の事故だな、うん、間違いない」
否定する人間は誰もいなかった。状況からすると、それしか言いようがない。
「…怖い。人間、怖い」
襦裙をぎゅっと握ってくる優に対し、凛は手を重ね、安心させようとする。
「とりあえず応援を呼ぶか。…ああ、君達はもういいぞ」
「え…? 何も聞かないんですか?」
逆に凛のほうが慌ててしまい、大きな声を出してしまった。役人は少しうるさそうな顔をし、手を払う。
「聞けるわけがないだろう? 一緒にいたんだし」
「それはそうですけど…」
あっけない結末に、凛は慎二を見、心の中で呟く。
ー死んだのは運がなかったけど…。これで優は安心ね。
誰も悲しむ人間がいないのが、この男の末路だと知る。人間、いつ死ぬか分からないものだと、凛は一抹の虚しさを感じた。
「ーさて、忙しくなるから、もうお前達、いいぞ」
「いいぞって…あの?」
「もううちに帰れ。盗難事件どころじゃない」
「…は、はあ…。いいのかな?」
「いいんじゃないか?」
雅巳が慎二を見、少しきつい声音で言う。
「人を攻撃した男の最期がこれか…。誰も同情しないな。こいつ、生きていて楽しかったんだか」
「そ、それは…」
優が口を開いたが、おし黙る。あっけない結末だった。
ー神様が見ていて、天罰をくだしたのね。
青白く光る月を見上げると、冷たく風が吹いてきた。凛は襟元を合わせると、雅巳に聞く。
「どうする? これから帰る?」
「そうだよな…。夜だしな。役人さん、しばらく派出所にいても…?」
「勝手にしろ。ああ、忙しい、忙しい」
1人で興奮してどこかへ行ってしまった。残された人間は皆、顔を見合わせ、ため息を吐く。
「運があるんだか、ないんだか分からないな」
「そうね。でも…酷い話、死んでくれて良かったかも。優に良くないし、美明ちゃんだって…」
「美明!! そう、美明よ!!」
優が激しく取り乱したので、凛は落ち着かせようと、体を抱きしめてやる。
「大丈夫だから。…馬車に戻ろう。もうここにいたくない」
「賛成。あーあ、せっかくの遠出が…」
「す、すみません。あたしのせいで…!!」
「謝らなくていい。行くぞ」
顎で先を示され、凛と優は動き出したのだった。




