第9話 神々の余韻と、新たな誓い
――風の匂いが違う。
神界から戻った翌朝、俺は街の門の前に立っていた。
あの日まで静かだったグラスベルの空が、今はどこか騒がしい。
屋台の呼び声、笑い声、剣の打ち合う音。
そして――耳を疑うような言葉が、あちこちから聞こえてきた。
「レイン様が、神を退けたって!」
「努力の英雄だってさ!」
「うちの子も朝から剣を振ってるのよ!」
……やめてくれ。
英雄なんて呼ばれるほど、たいしたことはしていない。
ただ、目の前の誰かを守りたかっただけだ。
「本当に戻ってきたのね」
聞き慣れた声がした。
振り向くと、フィリアが駆け寄ってきて、涙を浮かべた笑顔を見せた。
「無事でよかった……っ」
「心配かけた。悪かった」
「もう、勝手に消えないでください!」
彼女は拳で俺の胸を軽く叩き、そのまま言葉を詰まらせた。
その震える指先を見て、ようやく自分が“戻ってこられた”ことを実感する。
「みんな、あなたのことを信じてたんです。
あなたの努力は、ちゃんと届いてました」
その言葉に、胸が少しだけ軽くなった。
けれど、背中のどこかがまだ痛む。
神界で戦った時に感じた“光の爪痕”――あれが消えていない。
◇◇◇
ギルドの中に入ると、以前とはまるで別の場所みたいだった。
訓練場では若い冒険者たちが朝から剣を振っている。
談話室では魔法使いたちが詠唱の練習をし、
受付には「努力日誌」なんてノートが置かれていた。
フィリアが恥ずかしそうに笑う。
「レインさんの言葉を聞いて、みんな“自分の努力を記録したい”って」
「そんな……俺、何も言ってないぞ」
「言葉じゃなくて、背中ですよ」
彼女の瞳が真っ直ぐに俺を見つめる。
その視線に、なぜか心がざわついた。
「でも、みんな頑張りすぎてる気もするな」
「え?」
「努力が伝染するのはいいけど、無理して倒れる奴まで出たら本末転倒だ」
言いながら、自分の胸にも同じ痛みが走った。
努力は誰かを照らす。けれど、同時に誰かを焦がすこともある。
リュミエルが言っていた“影”の意味が、今になってわかる気がした。
◇◇◇
夜。
街の灯が落ちる頃、俺は屋根の上に腰を下ろして空を見上げた。
星がやけに近く見える。
リュミエルの気配を探したが、今夜は現れない。
「神界に戻されたのか、それとも――」
言葉の途中で、そっと風が吹いた。
甘い花の香りが混じる風。
その中に、懐かしい声が溶けていた。
「私はいつだって、あなたの努力を見ています」
振り向くと、淡い光の粒が舞っていた。
それは人の姿を取る前に消えたが、確かに彼女の声だった。
「……見てるだけか。
でも、ありがとな」
夜空を見上げる。
星が一つ、流れた。
その光を追いながら、心の奥で静かに誓う。
――もう、誰かに“努力”を押しつけるような真似はしない。
――でも、誰かが努力しようとしたとき、隣で一緒に歩ける人間になりたい。
それが、俺の新しい努力の形だ。
◇◇◇
翌朝。
ギルドの扉を開けると、セリアが待っていた。
剣を腰に下げ、いつもの凛とした目をしている。
「やっと戻ってきたわね、英雄さん」
「やめてくれ、その呼び方」
「でも、あなたのおかげで街は変わった。
……それに、私も」
セリアは視線を逸らしながら、静かに言った。
「前は努力する意味が分からなかった。
でも、あなたを見て、ようやく“自分のため”に努力してもいいって思えた」
彼女の言葉に、胸が熱くなる。
フィリアの笑顔、リュミエルの光、セリアの決意。
みんな違う形で、俺の努力を見てくれていた。
「ありがとう、セリア」
「まだお礼を言うのは早いわ。
だって、あなた――これから何を目指すの?」
問いかけに、俺はしばらく黙った。
そして、笑った。
「“努力が報われる世界”を作る」
セリアの目がわずかに丸くなる。
「そんなの、神にでもならなきゃ――」
「神なんて、もう怖くない」
その瞬間、陽が昇り始めた。
朝の光が、剣の刃を照らす。
「行こう。次の努力の場所へ」
「……まったく、あなたって人は」
セリアは呆れたように笑い、それでも隣に並んだ。
ふたりの影が、朝の街に伸びていく。
その足跡の先に、まだ見ぬ試練が待っている。
けれど、今の俺は怖くなかった。
――努力は、伝染する。
その光がある限り、俺たちは何度でも立ち上がれる。
次回予告
第10話「再起の鐘、そして新たな光」
街に広がった“努力の加護”が、ついに国をも揺るがす。
レインの名は王都に届き、そして――「次なる神」が動き出す。