第5話 女神の夜訪と、剣士の涙
夜の森は静かだった。
焚き火の炎が揺れて、オレンジの光がセリアの寝顔を照らしている。
昼間の戦いのあと、彼女は疲れたのか、剣を抱えたまま眠ってしまった。
強いくせに、無防備で、妙に人間らしい。
俺は少し離れた場所で剣を磨いていた。
夜風が頬を撫で、火の粉が舞う。
――努力補正。
その力は、俺の努力を何倍にも変える。
けれど、リュミエルは「限界がある」と言っていた。
それが何を意味するのか、まだ分からない。
「……ねえ、少しは休んだら?」
声に振り向くと、そこにいたのはリュミエルだった。
また光も音もなく現れる。
夜の静寂を破らないように、まるで月光のように。
「お前……また来たのか」
「“また”じゃありません。……見ていたんです。今日も、あなたの努力を」
女神は微笑む。でも、その瞳の奥に、かすかな影があった。
「剣を振るたびに、誰かの心を動かしてしまう。
あなたはそれに気づいていません」
「気づくって……まさかセリアのことか?」
リュミエルは小さく頷いた。
「彼女、泣いていました。あなたの努力を見て、自分の剣が霞んだと」
焚き火の光が、寝ているセリアの頬を照らす。
確かに、目元が少し赤い。
「……泣いてたのか」
「努力する者は、自分の無力さにも敏感です。
あなたの輝きは、彼女にとって希望であり、痛みでもある」
リュミエルの声が少し震えていた。
俺は眉をひそめる。
「それは悪いことなのか?」
「いいえ。でも……」
女神はふと視線を落とし、焚き火の明かりに頬を染めた。
「あなたが他の人に優しくすると、胸が苦しくなるんです」
俺は固まった。
まさか女神に、そんな人間みたいな感情があるとは思わなかった。
「それって……嫉妬、か?」
「嫉妬……?」
リュミエルはその言葉を繰り返し、しばらく沈黙した。
やがて、かすかに笑う。
「神にも、そういうものがあるのかもしれませんね」
彼女の指先がそっと俺の胸に触れる。
「この心、ずっと見てきました。
折れず、逃げず、信じ続ける……そんな心を、愛しいと思うのは、間違いですか?」
空気が止まった。
リュミエルの瞳は、炎を映して揺れていた。
俺は息をのむ。
「……リュミエル」
「はい」
「俺は……ただ努力してるだけだ。誰かを惹きつけたいわけじゃない」
「分かっています。でも、努力は“誰かの光”になるんです」
リュミエルはゆっくりと身を引いた。
その背後で、セリアが小さく身じろぎした。
彼女の瞳が開き、二人の姿を見た瞬間――息を呑む。
「……レイン? 誰と話してるの?」
「ち、違う! これは――」
振り返ったとき、すでにリュミエルの姿は消えていた。
セリアは静かに立ち上がり、焚き火の明かりの中で俺を見つめた。
「……女の人、だったよね。透明で、きれいな人」
「えっと、あれは……」
「そっか。あなたほど努力できる人なら、神様にも愛されるよね」
その声には、笑いと涙が混じっていた。
「セリア――」
「ごめん。少し、一人になりたい」
そう言って、彼女は森の奥へ歩いていった。
残された俺は、焚き火を見つめたまま、しばらく動けなかった。
努力は裏切らない。
けれど、努力が“誰かを傷つける”こともあるのかもしれない。
風が吹く。炎が小さく揺れた。
――その夜、初めて俺は、努力の代償という言葉を思い知った。