第4話 騎士団長の娘、恋を知らぬ剣士
翌朝。
ギルド前の掲示板に張り出された依頼票を見ながら、俺は小さく唸っていた。
「ゴブリン討伐……。A級相当の報酬だけど、初回からはきついか」
昨日の“努力補正Lv2”のおかげで、体の感覚がまるで違う。
剣を振るだけで風圧が生まれるし、魔法の詠唱速度も以前の比じゃない。
けれど、まだ未知数だ。無茶をする前に実力を確かめたい。
そこへ、背後から澄んだ声がした。
「その依頼、私も行くわ」
振り返ると、長い栗色の髪をひとまとめに結んだ女性が立っていた。
黒の軽鎧に細身の剣。凛とした気配が漂う。
「俺と一緒に?」
「ええ。私はセリア・クロード。グラスベル騎士団長の娘よ」
……騎士団長の娘。
つまり、お嬢様だ。俺のような平民が並んで歩くのも恐れ多い。
「けど、どうして俺なんかと?」
セリアは微笑みもしないで言った。
「昨日のステータス、見たもの。あれ、本当なんでしょう?」
「……たぶん、そうだと思う」
「なら、あなたを見てみたいの。どれだけの“努力”でそこに立っているのか」
努力、という言葉に俺は少し驚いた。
彼女の瞳は、戦士のそれだった。強さを見極めたい人間の光。
俺は頷いた。
「いいよ。一緒に行こう」
◇◇◇
森の中、朝露の残る草を踏みしめながら俺たちは進む。
セリアは驚くほど静かに歩く。剣の扱いも一流。
ただ、表情が固い。
「初対面の相手と組むの、苦手?」
「……別に。人と話すのが得意じゃないだけ」
「剣の稽古ばかりしてた、とか?」
「正解。父の期待が重くて、誰とも比べられないように努力してきたの」
その言葉に、俺は少しだけ笑った。
「似てるな。俺も“努力しかできない”って言われてたから」
「……そう」
短い沈黙のあと、彼女がふっと笑った。
硬い表情が、少しだけ柔らかくなる。
「あなたの努力、剣筋に出てる。
一太刀ごとに迷いがない。……見ていて、気持ちがいい」
その言葉に頬が熱くなった。
褒められ慣れていない俺は、どう反応していいか分からない。
その瞬間、茂みが揺れた。
ゴブリン三匹。武器を構えて飛び出してくる。
「下がって!」
セリアが剣を抜いた。だが俺は前に出た。
「大丈夫。これも試したかったんだ」
呼吸を整え、一歩踏み込む。
剣を振り抜くと、空気が裂け、光が走った。
――瞬く間に、ゴブリンが三体まとめて吹き飛ぶ。
セリアの瞳が見開かれる。
「……なに、今の」
「努力の成果、かな」
嘘ではない。努力補正が働いた結果だ。
俺は肩を竦めて笑った。
するとセリアは、顔を赤らめて一歩近づいてきた。
「あなた、本当に……強いのね」
「いや、そんな――」
「努力って、こんなに人を変えるんだ。……素敵」
“素敵”。
その言葉が頭の中で反響した。
何度も、何度も。
「……あの、セリアさん?」
「なに?」
「いまの、どういう意味で」
「意味……? さあ、私にもよく分からない。胸が、少し苦しいだけ」
え?
それって、もしかして――
「疲れたのか? 座ったほうが」
「……そうね。あなたが隣にいると、落ち着かないの」
完全に誤解されている気がする。
俺はただ剣を振っただけなのに。
でも、その夜。
焚き火の光の中で、セリアはぽつりと呟いた。
「ねえ、レイン。あなたみたいに努力できたら、
……きっと、恋もできたのかもね」
その言葉に、俺の心臓は跳ねた。
けれど、彼女の横顔はまっすぐで、涙の跡が光っていた。
――努力は、誰かの心を動かす。
そのことを、俺はまだ知らなかった。