1:墜落。
趣味全開で書いていますが、分からなくても話が分かるようにしています。
また、2010年代前後の時代からスタートしています。
「よし。一応セッティングはそろったな。」
小さな工場でカチカチとラチェットレンチの音が響く。
「先輩……まさか今から試走行ってくるんですか!?」
「ああ。……というかお前いつから居た。」
「朝からですよ。先輩が土曜に休暇なのに来るって聞いて飛んできちゃいましたよ。」
「またそりゃなんで。」
「いいじゃないですか。別に。」
後輩は頬をぷくっと膨らませ、そっぽを向いた。
「それじゃあ試走行ってくるぞ。」
「やめた方がいいんじゃないですか…?だって。」
シャッターの向こうからバケツの水をひっくり返したかのような豪雨の音が響いていた。
「こんな雨の中、それも夜10時に出るなんて死ぬようなもんですよ!?」
「大丈夫だ。この車は悪路に強い。この車は四駆だぞ。」
「そうは言っても……」
「WRC優勝経験車だぞ。」
「うーん……」
「インプレッサを信じてあげて欲しい。」
「とは言ってもGC8っすよね。」
「うん。」
「10年以上も前の車をどう信用しろと?」
「お前のRX-8だって大概だろ。」
「だから今日は試走しないんですよ。」
「ああ・・・なるほど。」
しかし彼は懲りずシャッターを開く。
「あ。先輩!」
「大丈夫だって。工具をトランクとリアシートに積んでる。トラクションは稼げてる。」
「お願いします……行かないで。」
後輩は俺の服の裾にしがみついた。
「おいおいどうした。俺だって下手じゃないぞ。それに美人がだいなしになるぞ。」
「いいんです!ただ、すごく嫌な予感がするんです。だからいかないで……!」
「なんでそこまで俺に構うんだ。大丈夫だ。俺を信じてくれ。予感は予感だ。必中じゃない。」
すると彼女は俺の裾を離した。
「じゃあ、行ってくる。」
青いインプレッサが雷のような咆哮を上げ、雨粒を蹴立てながら夜の闇へと滑り出していった。
「先輩……お願いだから事故らないで。私は……」
祈るように手を合わせ、インプレッサのブレーキランプをじっと見つめるのだった。
インプレッサは迷うことなくサイクルサーキットへ向かった。
ちなみにサイクルサーキットはどれだけ飛ばしてもいい峠のようなサーキットのことである。
「まずは60キロくらいの速度での回頭性だな。」
インプレッサは驚くほどすんなりと雨の中を旋回した。
「よし。これならスピードレンジを上げてもよさそうだな。」
アクセルを踏み込み、速度は100キロを記録する。
その直後、大きな水たまりの上をインプレッサが乗っかった。
水しぶきを上げた。
それだけでは済まなかった。
ブレーキを踏み込む。
「減速しないだと!?……まさか。」
サッと血の気が引いていくのを感じた。
ハイドロプレーニング現象か……!
車が水の上に乗っかって制御不能になっちまってる…!
「戻れ!GC8ォ!」
GC8は横へ向いた。GC8はじっとコーナー出口を見据えていた。
しかしそれを路面は許さなかった。
横滑りのまま、悲鳴を上げるようにガードレールへ突っ込み、青い車体は空を舞い、谷底へと吸い込まれていった。
「あいつの言うことを聞いていればこうはならなかったのかもな……」
俺は谷底へ落ちて行くインプレッサの中で思わずそう思わざるをえなかった。
俺の意識は、車のシャフトが腹に突き刺さり、その激痛によって意識を失うまで走馬灯のようにあの時の会話を鮮明に思い出すのであった。
〘Thank you for loving me.〙
WRCとはワールド・ラリー・チャンピオンシップのこと。公道を封鎖してそこでタイムを競うレース。
※WRCの車両はその国の車検に通る必要がある。なぜならレースする場所まで公道を自走するからだ。
ハイドロプレーニング現象とは車が水たまりなどの上に乗っかり、地面と設置しなくなることでクルマの制御が聞かなくなる現象のこと。速度が乗っていれば乗っているほど起こりやすい。