表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/36

第八話

 鬼塚探偵事務所──午後五時


 夕焼けが事務所の窓から差し込み、室内にはオレンジ色の柔らかな光が広がっていた。


 蓮司はデスクで煙草をくわえ、里沙はカップにコーヒーを注ぎながらのんびりとした時間を過ごしていた。


「最近、依頼が続きますね」


 里沙がカップを片手に蓮司を見る。


「まぁ、霊関係の依頼ってのは波があるからな」


 蓮司は煙を吐きながらぼやく。「静かな時はとことん静かだが、騒がしくなると立て続けにくる」


「今回も何かヤバそうな案件がきそうな気がします」


 里沙が苦笑する。


 ──と、その時。


 カラン……。


 事務所のドアが開いた。


 蓮司と里沙が顔を上げると、一人の女性が立っていた。


 二十代前半、肩までのダークブラウンの髪を持つ女性。華奢な体つきで、どこか緊張した面持ちをしている。


 オフィスカジュアルな服装で、手にはバッグを握りしめていた。


「失礼します……」


「いらっしゃいませ」


 里沙が優しく声をかける。


「どうぞ、おかけください」


 蓮司はソファを指し示す。


 女性は小さく頷き、ゆっくりとソファに腰を下ろした。


「ご依頼ですね? まずはご依頼の内容を伺います」


 里沙がノートを開く。


 女性は、不安げに視線を落としながら口を開いた。


「……私、最近”夜中に訪ねてくる人”がいるんです」


「夜中に訪ねてくる?」


 蓮司が眉をひそめる。


「はい」


 女性は小さく息をついて続けた。「毎晩、深夜二時ちょうどに、部屋のインターホンが鳴るんです」


 ──室内の空気が僅かに張り詰める。


「誰が来てるか、確認しましたか?」


 里沙が慎重に尋ねる。


「……はい。でも、ドアの”覗き穴”から見ても、”誰もいない”んです」


「ふむ……」


 蓮司は腕を組む。


「オートロックはついてますか?」


「はい、マンションのエントランスにはオートロックがあります。でも、管理人に確認しても”誰も入っていない”って言われました」


「……つまり、誰もマンションには入っていないはずなのに、深夜二時ちょうどにインターホンが鳴る」


 蓮司は冷静に言った。「そいつは随分と興味深いな」


「それだけじゃないんです……」


 女性は少し震えた声で続ける。


「インターホンの履歴を見ると、”不明な番号”からの記録が残っていました」


「不明な番号?」


 里沙がメモを取りながら尋ねる。


「はい。普通なら部屋番号が表示されるはずなのに、”UNKNOWN”って表示されているんです」


「……それは、霊的な何かの可能性が高いな」


 蓮司がタバコをもみ消しながら言う。


「それで……ある日、私は思い切って”ドアを開けた”んです」


「っ……開けた?」


 里沙が驚く。


「……ええ」


 女性は、かすかに震えながら話を続けた。


「でも、やっぱり”誰もいなかった”んです。……ただ」


「ただ?」


 蓮司が促す。


「……”誰かが、すぐそばにいる気配”がしたんです」


 ──ザワッ。


 室内の空気が一気に重くなる。


「誰かが”いる”って、どういうことですか?」


 里沙が慎重に尋ねる。


「……見えないのに、”呼吸の音”が聞こえたんです」


「…………」


 蓮司が静かに目を細める。


「インターホンを鳴らしていたのは、”見えない何か”だったってことですね」


 里沙が呟く。


「……はい。それ以来、怖くなって、もうドアを開けていません」


 女性は、力なく微笑む。「でも、毎晩二時になると、必ずインターホンが鳴るんです……」


「……お名前を聞いてなかったですね」


 蓮司が改めて尋ねる。


「……相沢 真由です」


「相沢さん、質問だ」


 蓮司は静かに言う。「この現象が始まる前、何か”変わったこと”はありませんでしたか?」


「…………」


 真由は、一瞬考え込んだ後、何かを思い出したように顔を上げた。


「……そういえば、一週間前に”古い本”を拾いました」


「古い本?」


「はい……マンションのエントランスに落ちていたんです。持ち主が分からなかったので、一度部屋に持ち帰りました」


「今、その本は?」


「部屋にあります……」


「なるほどな……」


 蓮司はタバコをくわえ直し、ゆっくりと息を吐いた。


「”その本”が原因で、何かが”お前の部屋に入った”可能性がある」


「……え?」


「相沢さん、”見えないもの”が呼吸をしていたってことは、そいつは”すでに部屋にいる”ってことです」


「……!」


 真由の顔が青ざめる。


「早くしないと、あなたは”次の段階”に進むかもしれない」


「……次の段階?」


「今はまだ”訪ねてきている”だけだ」


 蓮司は静かに言った。「だが、いずれ”あなたの名前を呼び”、そのうち”部屋の中にまで入ってくる”」


「そ、そんな……」


「だから、今夜、”あなたの部屋を調査する”」


 蓮司は立ち上がる。「準備しろ。そいつが何者かを暴く」


「今夜……ですか?」


「ああ。”今夜二時”が勝負だ」


 里沙も荷物をまとめながら言う。


「相沢さんの部屋で、”訪ねてくる者”の正体を突き止めます」


「……分かりました」


 真由は不安そうにしながらも、意を決したように頷いた。


 ──こうして、鬼塚探偵事務所の新たな事件が幕を開けた。


 ”夜の訪問者”の正体とは何か? そして、真由が拾った本の秘密とは?



 相沢真由のマンション──深夜一時四十五分


 鬼塚蓮司、里沙、そして依頼人の相沢真由は、彼女の部屋の中にいた。


 間接照明の灯る室内は、静かで落ち着いた雰囲気だったが、蓮司と里沙は”何か”の気配をすでに感じ取っていた。


「……確かに、空気が重いですね」


 里沙が腕を組みながら部屋を見回す。


「霊的な気配があるな」


 蓮司はポケットから小さな呪符を取り出し、部屋の四隅に貼っていく。


「こ、これで何か分かるんですか?」


 真由が不安そうに尋ねる。


「ああ。これで”霊的な影響”が部屋のどこに強く現れるか分かる」


 蓮司が最後の呪符を窓際に貼った瞬間──


 パチン!


 室内の照明が、一瞬チカチカと瞬いた。


「っ……!!」


 真由が肩をすくめる。


「……もう来てるみたいですね」


 里沙が小さく息をつく。


「深夜二時、”訪ねてくる者”が現れる時間まであと十分か……」


 蓮司は時計を確認しながら、デスクの上にある本に目を向けた。


「これが”例の本”か?」


「はい……」


 真由は怯えながら、本を蓮司に差し出す。


 それは、古びた革表紙の本だった。ページの端は黄ばんでおり、明らかに年代物だ。


「相沢さん、この本を拾った後、ちゃんと中身を読みましたか?」


「いえ……怖くてあまり開いていません。でも、最初のページに”誰かの名前”が書かれていました」


「誰の名前?」


「……”水沢美月”って書かれていました」


「……水沢美月?」


 里沙がメモを取りながら、蓮司を見た。


「聞き覚えのある名前ですか?」


「いいや……だが、”夜に訪ねてくる何か”と関係があるかもしれないな」


 蓮司は慎重に本を開く。


 ──すると。


 ザザザザザ……!


 ページの文字が、一瞬”滲んで”見えた。


「っ……!!」


 里沙が息をのむ。


「本に”霊的な力”が染み付いてるな」


 蓮司が低く呟く。「この本が”何かの媒体”になってるのは確かだ」


 蓮司はページをめくりながら思案を巡らせる。


 ──と、その時。


 ピンポーン……。


「っ……!!」


 真由が凍りつく。


「……来たな」


 蓮司が時計を見る。


 ちょうど二時ジャスト。


「いつも通りですね……」


 里沙が呟く。


「覗き穴を見ていいですか?」


 真由が震えながら言う。


「待て」


 蓮司は手を挙げて制止する。「開けるなよ。ドアの覗き穴に”目を合わせるな”」


「えっ……?」


「”見た瞬間に引き込まれる”ってパターンもあるからな」


 蓮司はポケットから”特殊な霊視鏡”を取り出す。


「この鏡越しに、”何がいるか”を見る」


 蓮司はゆっくりと、鏡をドアに向けた。


 ──そして。


「……っ!」


 里沙が息を呑む。


 鏡に映った光景には、”女の影”が立っていた。


 しかし、それは人間の形をしているが、”顔がぼやけている”。


 まるで、”形が定まっていない霊”のようだった。


「……。”水沢美月”か?」


 蓮司が低く呟く。


 ピンポーン……ピンポーン……。


 インターホンが鳴り続ける。


「開けて……」


 ──女の声がした。


「っ……!!」


 真由が怯える。


「蓮司さん……どうします?」


 里沙が緊張した声で尋ねる。


「……確定だな」


 蓮司は鏡を下ろし、煙草に火をつけた。


「”水沢美月”は、今ここにいる」


「……っ! そ、それじゃ、私は呪われて……?」


 真由が青ざめる。


「違います」


 蓮司は静かに言った。「こいつはあなたを”迎えに来た”んじゃない。”訴えに来た”んだ」


「訴えに……?」


 里沙が怪訝な表情を浮かべる。


「こいつはただの悪霊じゃない。”本当は、何かを伝えたくてここにいる”」


 蓮司はコートの内側から、”封印用の呪符”を取り出した。


「なら、直接話してやるしかないだろ」


 ピンポーン……ピンポーン……ピンポーン……!!


 ──インターホンが急激に鳴り響く。


「……さて、”本当の目的”を聞いてみるか」


 蓮司は、ゆっくりとドアに手を伸ばした。


「蓮司さん!? 開けるんですか!?」


 里沙が驚く。


「大丈夫だ。結界を張ってる。もし襲ってきたら、即座に封じる」


「……っ!」


 真由は不安げに蓮司を見つめる。


「いいか、”話せる霊”ってのは滅多にいない。だが、コイツは”自分の名前が残された本”をあなたに拾わせた。これは”偶然”じゃない」


 蓮司は、深く息を吸い込んだ。


「”お前が、ここに来た理由”を聞かせろ」


 ──そう言って、蓮司は静かにドアを開けた。


 ──そこには、”ぼやけた顔の女”が立っていた。


「…………」


 霊は、ゆっくりと口を開く。


「……”私のことを思い出して”」


 ──次の瞬間、部屋の中の本が”勝手にページをめくり始めた”。


「っ……!!」


 本の最後のページには──


 ”私は、忘れられたくない”。


 そう書かれていた。


「……そういうことか」


 蓮司は静かに呟いた。


 ”水沢美月は、忘れられたくなかった”。


「さて……”お前の願い”をどう叶えてやるか、考えてやるよ」


 ──”夜の訪問者”の真相が、今、明らかになろうとしていた。



 相沢真由のマンション──深夜二時五分


 蓮司がドアを開けた先には、ぼやけた顔の女の影が立っていた。


 霊の姿は不明瞭で、まるで煙のようにゆらめきながら、しかし確実に”こちらを見ている”。


「……”私のことを思い出して”」


 女の霊が、低く囁いた。


 ──その瞬間、部屋の中の本が勝手にページをめくり始めた。


「っ……!!」


 真由が小さく悲鳴を上げる。


 蓮司は、静かに霊を見つめながら、呟いた。


「お前が”夜ごと訪ねてきた理由”は、それか」


 霊は答えず、ただ静かに揺れている。


「相沢さん、この本を拾ったって言ってたな?」


 蓮司が振り返る。


「は、はい……」


「この本の持ち主は”水沢美月”……そして、”彼女のことを思い出してほしい”って言ってる」


「……忘れられたくない、ってことですか?」


 里沙が慎重に尋ねる。


「そういうことだろうな」


 蓮司は煙草をくわえ、ゆっくりと火をつける。


「”夜ごと訪ねてくる霊”ってのは、大抵”未練を残して死んだ者”だ。”迎えに来る”パターンと、”伝えたいことがある”パターンの二つに分かれる」


「じゃあ、この人は……?」


 真由が震えながら尋ねる。


「”伝えたいことがある”側だ」


 蓮司は煙を吐きながら言った。「問題は、その”伝えたいこと”が何なのかってことだな」


「……!」


 ──本が、最後のページでピタリと止まった。


 そこには、たった一文だけが書かれていた。


 ”私を思い出してくれる人は、もういないの?”


 ザワッ……。


 室内の空気が、また一段と重くなる。


「……この人、生前に誰かに忘れ去られたって思ってたんでしょうか?」


 里沙が呟く。


「それにしても、不思議ですね」


 蓮司は眉をひそめる。「”本を拾った相沢さんがターゲットになった”ってのが妙だ」


「……っ!!」


 真由が何かを思い出したように顔を上げる。


「どうした?」


「わ、私、もしかしたら……水沢美月さんのことを知っているかもしれません」


「なに?」


「その……昔、小学生の頃に”水沢さん”という名字の人が同じクラスにいました」


「それで?」


「でも、その子……ある日、突然転校してしまって、そのまま忘れていました。でも、確か……名前は”美月”だったような気がします……」


「…………」


 蓮司は少し考え込んだ後、ゆっくりと霊の方を向いた。


「お前……相沢が”忘れていた”から、お前を呼んだのか?」


 霊は、ゆっくりと頷いた。


 ──静寂が訪れる。


「……じゃあ、この人は”私を思い出してほしい”ってだけで……?」


 真由が戸惑いながら尋ねる。


「いや、問題はそこじゃない」


 蓮司は指をトントンと机に当てながら言った。


「”なぜ今になって思い出させようとしたのか”って話だ」


「……!」


 里沙と真由が息をのむ。


「幽霊ってのは、そんな気まぐれに動かねぇ。”何か”のきっかけがあったはずだ」


「……それって、私が本を拾ったことじゃないんですか?」


「いや……そもそもその本が”なんでそこにあったのか”を考えろ」


「…………」


「俺は、この”水沢美月”の死に関する情報を調べる必要があるな」


 蓮司は立ち上がった。「里沙、警察や市役所の記録を当たれ。”水沢美月”という人物がいつ、どういう理由で死亡したのかを調べる」


「了解しました」


 里沙は即座にスマホを取り出し、ネットで情報を探し始める。


「相沢さん、あなたは……”水沢美月”について、もう少し何か思い出せることはないか?」


「えっと……」


 真由は考え込み、やがて小さく頷いた。


「小学生の頃、美月さんは……いつもひとりでした。でも、ある日を境に学校に来なくなったんです。その後、転校したって聞かされて……」


「……ふむ」


「でも、もしかしたら……”転校”じゃなくて……」


「”死亡していた”可能性もある、ってことか」


「…………」


「だが、そうなると”なんで今になって現れたのか”が謎だ」


 蓮司は煙草の火を消し、霊をじっと見つめた。


「……お前、”思い出してほしい”ってだけか?」


 霊は、ゆっくりと首を振った。


「……!!」


「違うんですか……?」


 真由が緊張した面持ちで尋ねる。


 霊は、ゆっくりと消えかけた姿を揺らしながら、静かに”指をさした”。


 その先には──”窓”。


「……?」


「窓の外?」


 里沙が訝しげに見つめる。


「いや……”窓そのもの”を指してる」


 蓮司は、ゆっくりと近づく。


 ──すると、窓ガラスに、”うっすらと何か”が浮かび上がった。


「……っ!!」


 そこには──


 ”助けて”


 という文字が、白く曇ったガラスに書かれていた。


 ──ザワッ……!!


「っ……!!」


 真由が震える。


「……なるほどな」


 蓮司は静かに息を吐いた。


「”水沢美月”は、”何者かに助けを求めていた”……それが、ここに繋がってるってことか」


 ──この霊は、ただの”思い出してほしい霊”じゃなかった。


「……事件の匂いがするな」


 蓮司は、霊を見つめながら呟いた。


「よし、”水沢美月”の死の真相を掘り下げるぞ」


「……っ!」


 真由が息を呑む。


「”迎えに来た”んじゃねぇ。”助けてほしい”って訴えてたんだ」


 ──果たして、”水沢美月”の死の真相とは?


 鬼塚探偵事務所は、新たな”過去の謎”に足を踏み入れることになった。



 鬼塚探偵事務所──翌日午前


 翌朝、鬼塚探偵事務所では、里沙が市役所や警察の記録を調べながら、コーヒーを片手にパソコンとにらめっこしていた。


 蓮司はデスクに肘をつきながら、静かに煙草をふかしている。


「……ありました」


 里沙が画面をスクロールしながら、小さく呟いた。


「”水沢美月”の死亡記録、見つかったか?」


 蓮司が視線を向ける。


「はい。でも……妙なんです」


 里沙が眉をひそめる。


「どう妙なんだ?」


「水沢美月さんは、”十五年前に死亡”したことになってます。でも、その死亡届が出されたのは”十年前”なんです」


「……つまり、五年間の空白があるってことか」


 蓮司は指をトントンと机に当てる。


「ええ。そして、死亡原因は”事故死”って記載されています。でも、その詳細が載っていません」


「事故死? 何の事故だ?」


「それが、記録が不自然に”抜けてる”んですよ」


「…………」


「ネットのニュースアーカイブとかも調べましたけど、水沢美月さんの名前が出てくる事故の記録はありません」


「まるで、”意図的に隠された”みてぇだな」


 蓮司は、煙を吐きながら冷静に言った。


「”誰かが、美月の死を五年間隠していた”……そういう可能性もあるな」


 ──その瞬間、事務所の電話が鳴った。


「……相沢真由からだな」


 蓮司は電話を取り上げ、通話ボタンを押す。


「鬼塚探偵事務所です」


『蓮司さん……! あの、本が……勝手にページを開きました!』


「……何?」


『しかも、”見たことのないページ”が現れて……”ここに来て”って書かれてるんです!』


「……っ」


 里沙も、その言葉を聞いてすぐにメモを取る。


「”ここ”ってのは、どこを指してる?」


『住所が書かれています……でも、古い地名で……”水沢邸”って……。』


「……水沢邸?」


 蓮司は、すぐに里沙に目配せした。


「里沙、”水沢美月”の実家の住所を照会しろ」


「了解です!」


 里沙が急いで市の土地台帳を調べる。


「ありました! ”水沢邸”……確かに存在してました。でも、今は”廃墟”になってます!」


「なるほどな……」


 蓮司は煙草を消し、電話に向かって言った。


「相沢さん、今すぐそっちに迎えに行く。”水沢邸”の現場に向かうぞ」


『……分かりました!』


 ──”水沢美月”が遺したメッセージ。 それが指し示す”水沢邸”とは、一体何なのか?



 午後三時──水沢邸前。


 蓮司、里沙、そして相沢真由は、車を降りて”水沢邸”の前に立っていた。


 そこは、荒れ果てた廃墟となっており、家の外壁は朽ち、雑草が生い茂っていた。


 窓は割れ、扉には錆びた南京錠が掛けられている。


「……十五年間、誰も住んでなかったんですね」


 里沙が、周囲を見渡しながら言った。


「いや……”誰も住めなかった”んだろうな」


 蓮司は低く呟いた。「”水沢美月の死”に関する何かが、ここにある」


「……鍵、どうします?」


 里沙が錆びた南京錠を指さす。


「簡単な話だ」


 蓮司はポケットから呪符を取り出し、南京錠に貼り付けた。


「開封──解錠」


 バチィィン!


 南京錠が”自然に外れた”。


「……っ!」


 真由が驚く。


「さて、行くか」


 蓮司が扉を押し開けると、湿った空気が中から漂ってきた。


 ──水沢邸の内部は、時間が止まったかのように荒れ果てていた。


 埃っぽい空気、剥がれ落ちた壁紙、崩れた家具。


 そして、どこからか”誰かの視線”を感じる。


「……来てますね」


 里沙が慎重に言った。


「相沢さん、美月に関係ありそうな部屋を思い出せるか?」


「え、えっと……昔遊びに行ったことがあって……確か、”奥の部屋”が美月さんの部屋だったはずです」


「決まりだな」


 蓮司は静かに奥へと進んだ。



 美月の部屋に足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。


 ──そこだけ、十五年前のままだった。


 ベッド、机、本棚……全てが、そのまま残されている。


 だが、部屋の壁には”無数の引っ掻き傷”が残されていた。


「……なんだ、これ」


 里沙が青ざめる。


 蓮司は部屋の中央に立ち、霊視のために呪符を取り出した。


「過去の痕跡を視せ──霊視開放」


 バチィィィィ……ン。


 空間が揺れ、”十五年前の残留思念”が浮かび上がった。


 ──そこには、怯えた表情の水沢美月が、部屋の隅で震えていた。


「……助けて……」


「……っ!!」


 真由が息をのむ。


「……監禁されてた、の?」


 里沙が呟く。


「そうみたいだな」


 蓮司は眉をひそめた。「美月は、ここで”閉じ込められていた”」


「じゃあ、美月さんは”事故死”じゃなくて……」


 真由が言葉を失う。


「迎えに来たの……?」


 思念の美月が、小さく囁く。


 蓮司は、静かに彼女の霊を見つめた。


「お前が”夜に訪ねてきた理由”は、これか」


「助けてほしかった……私を……忘れないで……」


 ──その瞬間、部屋の窓が”バン!!”と音を立てて閉じた。


「っ!!」


 そして、霊の姿が消えると同時に、床板の一部が不自然に浮いていた。


「……隠し床か」


 蓮司が床板を持ち上げると、そこには”封じられた手紙”があった。


 手紙の封を開けると、そこには震える文字でこう書かれていた。


 ”助けて。私はここに閉じ込められている。”


「……これが真実か」


 蓮司は静かに呟いた。


 ”水沢美月は、十五年前、事故ではなく”何者かに監禁されていた”。”


 ──そして、それを隠そうとした”誰か”がいる。


「……こりゃ、”霊の事件”だけじゃ済まねぇな」


 蓮司たちは、”封じられた事件の真相”に踏み込むことになった。



 水沢邸──美月の部屋


 蓮司が掘り出した手紙は、埃にまみれ、紙は湿気を吸って脆くなっていた。


 しかし、その文字ははっきりと残っている。


「助けて。私はここに閉じ込められている」


 静寂が部屋を包む。


 ──水沢美月は、十五年前、事故ではなく監禁されていた。


 そして、そのまま”死亡した”か、あるいは”殺された”。


「……美月さんは”家族に監禁されていた”んでしょうか?」


 真由が震える声で尋ねる。


「……可能性は高いな」


 蓮司は手紙を慎重に畳み、封筒に戻す。「それにしても、十五年前の事件がなぜ今になって動き出した?」


「もしかして……”美月の霊が、自分の死の真相を伝えようとしている”とか?」


 里沙が推測する。


「だろうな」


 蓮司はポケットから呪符を取り出し、部屋の隅に置く。「これで一時的にここを封じる。だが、これだけじゃ”核心”には辿り着かない」


「じゃあ、どうするんですか?」


「……”水沢家の人間”を探し出す」


 蓮司は煙草をくわえながら言った。「もし、家族が美月の監禁に関与していたなら、必ず”何かを隠している”」


「確か、水沢家には両親と姉がいたはずです」


 里沙がスマホを操作しながら言った。「ただ……記録上、水沢家は”十五年前にこの家を売却して、行方不明”になっています」


「……行方不明?」


「ええ。公的な転居届が出されていません。”失踪”扱いになっています」


「妙だな」


 蓮司は目を細めた。「”家族ごと消えた”ってことか?」


「それか、誰かが”意図的に消した”」


 里沙が推測する。


「どっちにしても、こいつは普通の”未練が残った霊の案件”じゃ済まないな」


 蓮司は煙を吐きながら、手紙を慎重に持ち上げた。


「……警察記録を当たるか。あるいは、当時の近隣住民に話を聞くのも手だな」


「でも、十五年前のことを覚えてる人なんて……」


 真由が不安げに言う。


「いるさ。”そういう記憶を抱えてるやつ”がな」


 蓮司は口元を歪めて笑った。「そいつを見つけ出す」



 翌日──鬼塚探偵事務所。


 里沙は、警察記録や地元の住民リストを調べ、ようやくある名前を見つけた。


「長谷部孝一」


 水沢邸の近くに住んでいた当時の住人で、今も同じ市内に住んでいる。


「……どうやら、まだ市内にいるみたいですね」


 里沙がメモを取りながら言う。


「なら、直接会いに行くか」


 蓮司は立ち上がる。「”十五年前の真実”を聞く」


 午後四時──長谷部孝一の家


 長谷部の家は、古びたアパートの一室だった。


 ドアをノックすると、中からしわがれた声が返ってくる。


「……どちらさんだ?」


「鬼塚探偵事務所の者です。少しお話を伺いたいのですが」


 ドアがゆっくり開き、中から白髪混じりの初老の男性が顔を覗かせた。


「探偵? 俺に何の用だ?」


「十五年前の”水沢美月”について、何かご存知ではありませんか?」


 長谷部の顔色が一瞬、変わる。


「……なんで、今さらそんな話を?」


「彼女が”助けを求めていた”からです」


 蓮司は静かに言った。


「…………」


 長谷部はしばらく沈黙した後、ため息をついた。


「……あの家のことを、覚えてるのは俺くらいかもしれねぇな」


 彼はソファに腰掛け、静かに語り始めた。


「水沢美月は、”母親に監禁されていた”んだ」


 ──衝撃の事実が明らかになる。


「母親……?」


 里沙が息を呑む。


「ああ。あの家では、母親が”美月を外に出さなかった”。近所でも噂になっていた。”水沢家の娘は病気で寝たきりらしい”ってな」


「実際は違ったんですね」


 蓮司が言う。


「そうだ。美月は”母親の精神的な異常”のせいで、あの家に閉じ込められていた。母親は”外の世界は危険だから”って理由で、娘を監禁してたらしい」


「それで、”事故死”っていうのは?」


「警察の公式発表だ。でも、近所のやつらは皆知ってた。”美月は自分で家から逃げようとした”って」


「…………」


「ある晩、美月が窓から脱出しようとしたらしい。でも、何かの拍子にバランスを崩して、”転落死”した」


 ──つまり、美月は”逃げようとして死んだ”のだ。


「警察は事故として処理した。だが、実際は”監禁されていた”って話が広まって……」


「それで、水沢家は消えた」


 蓮司が静かに言った。


「そうだ。事件の後、母親は”精神病院に入院”したはずだ。家族もすぐにこの町を去った」


「母親の現在地は?」


「……知らねぇ」


「…………」


 蓮司は深く息をついた。


「あんたが知っていることは、これで全部か?」


「……ああ。だが、ひとつだけ言える」


 長谷部はタバコに火をつけながら、静かに呟いた。


「あの女は、今でも”娘のことを探している”かもしれねぇぞ」


「…………」


 蓮司は、ポケットから呪符を取り出し、手のひらで転がした。


「”迎えに来る者”は、”水沢美月”だけじゃなかった可能性があるな」


「え?」


 里沙が顔を上げる。


「まだ終わってないってことだよ」


 蓮司は、静かに微笑んだ。


 ”夜の訪問者”の正体が明らかになった今、新たな怪異が姿を見せようとしていた。


 ──次の”迎えに来る者”は、一体誰なのか?



 鬼塚探偵事務所──深夜


 長谷部孝一の証言により、水沢美月の死の真相が明らかになった。


 美月は母親に監禁され、逃げようとして転落死した。


 その後、家族は町を去り、母親は精神病院に収容された。


 だが、蓮司には一つの疑念が残っていた。


「”迎えに来る者”が、水沢美月だけだとは限らない」


「どういうことですか?」


 里沙が尋ねる。


「”夜に訪ねてきた者”が、ただ”思い出してほしい”だけなら、こんなに執拗にインターホンを鳴らす必要はない」


「それじゃ、”迎えに来ていた”のは……」


 真由が不安げに顔を上げる。


「……”水沢美月の母親”かもしれねぇ」


 ──その瞬間、事務所の窓が”コン、コン”と鳴った。


「っ!!」


 真由が肩をすくめる。


「……まさか、来やがったな」


 蓮司はタバコを消し、窓の方へとゆっくり歩いた。


「蓮司さん、開けるんですか?」


 里沙が緊張した声を出す。


「ああ……だが、普通に開けるわけじゃねぇ」


 蓮司はポケットから”霊視鏡”を取り出し、窓に向けた。


 ──すると、鏡の中に”女の姿”が映り込んだ。


 それは、美月とは違う存在だった。


 ぼさぼさの髪、やせ細った体、そして異常に大きく見開かれた目。


 口元は不気味な笑みを浮かべている。


「……。”あの世”から戻ってきてやがるな」


 蓮司が低く呟く。


「私の娘を、どこにやったの?」


 女の影が、窓越しに不気味に囁く。


「娘?」


 里沙が驚く。「水沢美月のことを言ってるんですか?」


「いや……こいつの認識じゃ、美月は”まだどこかにいる”と思ってやがる」


 蓮司は目を細め、低く笑った。


「”監禁していたことすら忘れてる”んだろうよ」


 ──水沢美月の母親は、今でも”娘を探し続けている”。


 生前の狂気のまま、霊となって”美月を迎えに来た”のだ。


「……こいつはヤバいぞ」


 里沙が警戒しながら、呪符を手に取る。


「蓮司さん、どうします?」


「”迎えに来る者”ってのは、放っとけばどこまでも追ってくる。”何があっても娘を見つけるまで”な」


「つまり、私も狙われる可能性がある……?」


 真由が青ざめる。


「ああ。あんたが”美月の記憶を持っていた”せいで、”美月の関係者”だと勘違いされた」


「じゃあ、どうすれば……!」


「簡単な話だ。”こいつの未練を断ち切る”」


 蓮司は、ポケットから特製の封印符を取り出した。


「”水沢美月の母親”が、”娘はもういない”ってことを理解すれば、この霊は消える」


「……そんなこと、霊が聞き入れますか?」


 里沙が懐疑的な顔をする。


「聞き入れないなら、”無理やり消す”までだ」


 蓮司は静かに言った。「だが、まずは説得を試す」


 ──再び、窓が”コン、コン”と叩かれる。


「私の娘を、どこにやったの?」


 低く、不気味な声が響く。


「水沢美月は、”十五年前に死んだ”」


 蓮司は窓越しに静かに言った。


「お前の監禁のせいでな」


 ──ザワッ……。


 一瞬、空気が張り詰めた。


「……嘘よ」


 影が、低く呟く。


「私は……私は美月を、ずっと守っていた……」


「違うな。お前は”娘を閉じ込めていた”だけだ」


「嘘……そんなことは……」


 影が、ゆらゆらと揺れる。


「私の娘は、どこにいるの……?」


「”もうどこにもいない”」


 蓮司は静かに言った。「美月は、”お前のせいで”死んだんだ」


「…………」


 影が、ゆっくりと後ずさる。


「……違う……私は、娘を……」


「もういいだろう」


 蓮司は、呪符を指先に挟み、目を細めた。


「美月は”迎えに来てほしくなかった”」


「…………」


「”お前のことを、思い出してもいなかった”」


 ──ビキッ!!


 影の動きが止まり、瞬間、室内の温度が一気に下がる。


「……違う……違う違う違う違う違う!!!」


 影が、狂ったように叫ぶ。


「私は、娘を愛していたの!!!」


 ──その瞬間、影が窓を突き破り、室内へと侵入してきた。


「蓮司さん!!」


 里沙が叫ぶ。


「やるぞ!!」


 蓮司は、即座に呪符を投げつける。


「封印──終幕!!」


 バチィィィン!!!


 呪符が影を包み込み、室内に強烈な光が走る。


「グアアアアアアアアア!!!!!」


 影は苦しそうにのたうち回り、形を崩していく。


「……お前の娘は、もうどこにもいない」


 蓮司は静かに呟いた。


「…………」


 影は、次第に霧のように消えていく。


「美月……ごめんなさい……」


 そう呟くと、影は完全に消滅した。


 ──部屋の空気が、静かに戻る。


「……終わった?」


 真由が恐る恐る顔を上げる。


「ああ。”迎えに来る者”は、消えた」


 蓮司は煙草に火をつけ、深く息を吐く。


「…………」


 里沙も、疲れたようにソファに崩れ落ちた。


「蓮司さん、”迎えに来る者”って、これで終わりなんですか?」


「さぁな」


 蓮司は苦笑する。


「だが、”迎えに来る者”は、世の中にまだまだいるんだろうさ」


 ──霊は消えたが、霊が生まれる理由は尽きない。


「まぁ、そうなったら”また片付けるだけ”だ」


 蓮司は、窓の外を眺めながら呟いた。


 鬼塚探偵事務所は、今日もまた”次の依頼”を待つ。



 鬼塚探偵事務所──数日後


 事件が終わって数日が経った。


 水沢美月の霊は成仏し、彼女を”迎えに来ていた”母親の霊も消滅した。


 相沢真由の元には、もう”夜の訪問者”は現れなくなった。


 事務所には、いつもの静けさが戻っていた。


 蓮司はデスクで煙草をくゆらせ、里沙はソファに寝転がりながらスマホをいじっている。


「平和になりましたね」


 里沙がコーヒーをすすりながら呟く。


「ああ……静かすぎて気味が悪いな」


 蓮司はため息をつく。「こういう時に限って、次の依頼が来るんだよ」


「じゃあ、平和を楽しめるうちに楽しんでおきましょうよ」


 里沙はリラックスしたように椅子の背もたれ手に身を任せる。


 ──と、その時。


 カラン……。


 事務所のドアが開いた。


「!」


 里沙が身を起こす。


 入ってきたのは、相沢真由だった。


「こんにちは」


「……相沢か」


 蓮司は煙草を灰皿に押し付け、立ち上がった。


「その後、何か問題は?」


 里沙が尋ねる。


「いえ……もうインターホンも鳴らなくなりましたし、変な影も見えません」


 真由は小さく微笑む。「でも……お礼をちゃんと伝えたくて」


「礼ならもう受け取ったぞ」


 蓮司は軽く肩をすくめる。「金さえ払ってくれりゃ、それでいい」


「そういう問題じゃないですよ」


 真由は少しだけ拗ねたように言う。「本当にありがとうございました。私……水沢美月さんのこと、ちゃんと忘れません」


「…………」


 蓮司は、短く頷く。


「そうか。なら、それでいい」


「それに……今回のことがあって、ちょっと考えたんです」


 真由が静かに続ける。「私……これから、人の記憶に残るような仕事をしたいなって」


「記憶に残る?」


 里沙が首をかしげる。


「うん……例えば、文章を書く仕事とか」


 真由は小さく微笑む。「何かを伝え続ける仕事を」


「いいんじゃねぇか?」


 蓮司は口元に微笑を浮かべる。「”忘れ去られる”ってのは、思った以上に辛いことだ。お前がそれを防ぐ仕事をしたいってんなら、悪くねぇ選択だろうよ」


「はい……そう思います」


 真由は深く頭を下げた。


「本当にありがとうございました」


「まぁ、また何かあったら来な」


 里沙が軽く手を振る。「……でも、今度は”普通の悩み相談”にしてくださいね」


「そうですね」


 真由は笑いながら、事務所を後にした。


 ──静かな午後が戻る。


「さて、今度こそ本当に平和ですね」


 里沙がコーヒーを飲みながら、満足げに言う。


「いや、まだ分からねぇぞ」


 蓮司はぼんやりと窓の外を眺めながら呟く。


「”迎えに来る者”は、世の中にまだまだいる。今回の件も、ほんの一部に過ぎねぇさ」


「……そりゃまぁ、そうですけど」


 里沙が肩をすくめる。「でも、今日はゆっくりしましょうよ」


「……そうだな」


 蓮司は、もう一本煙草をくわえ、静かに火をつけた。


 ──そのまま、静かな時間が流れていく。


 それは、嵐の前の静けさかもしれない。


 あるいは、本当に平和な日々かもしれない。


 どちらにせよ、鬼塚探偵事務所は、また次の”奇妙な依頼”を待っている。


 ──そして、次なる依頼へ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ