表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/36

第七話

 静かな午後、鬼塚探偵事務所の扉がゆっくりと開いた。


 古びたベルがカランと音を立てる。


「いらっしゃいませ」


 里沙がデスク越しに声をかけると、ドアの向こうには一人の女性が立っていた。


 二十代前半の女性で、肩まで伸びた栗色の髪。どこか落ち着きのない様子で、目は何かに怯えているようだった。


 彼女はゆっくりと事務所の中へ足を踏み入れた。


「こちら、鬼塚探偵事務所ですか……?」


 女性は戸惑いながら尋ねる。


「ええ、そうですよ」


 里沙が微笑んで椅子を勧める。「どうぞ、お掛けください」


 女性は少し躊躇った後、おそるおそるソファに腰を下ろした。


 そして、目の前のデスクに座る蓮司を見つめた。


「で、何の相談ですか?」


 蓮司は煙草に火をつけながら、淡々と問いかける。


 女性は一瞬ためらった後、意を決したように口を開いた。


「……私の名前は柊沙織といいます」


 彼女は少し声を震わせながら続ける。


「実は……最近、私の周りで"奇妙なこと"が続いているんです」


「奇妙なこと?」


 里沙がノートを取り出し、話をメモし始める。


「はい……」


 沙織は不安げにうつむいた。「最初は、小さな違和感でした。物が勝手に動いたり、夜中に変な音が聞こえたり……」


「それだけなら、気のせいってこともありますね」


 蓮司は煙を吐きながら言う。


「そう思いたかったんです。でも……明らかに普通じゃないことが起こり始めたんです」


「普通じゃないこと?」


 里沙が眉をひそめる。


「誰もいないはずの部屋に、"誰か"がいるんです」


 沙織の声が震える。


「…………」


 蓮司と里沙は顔を見合わせる。


「部屋の中に"誰か"がいる?」


 蓮司が静かに尋ねる。


「はい……。夜になると、部屋の隅に黒い影が立っているのが見えるんです」


 沙織は青ざめた顔で話し続ける。「最初は、気のせいかと思いました。でも、毎晩……同じ時間に、同じ場所に立っているんです」


「……それ、"見間違い"ってことはないですか?」


 里沙が慎重に尋ねる。


「違います」


 沙織はきっぱりと否定した。「だって……その影、少しずつ近づいてきているんです」


 室内の空気が一瞬張り詰めた。


「…………」


 蓮司はじっと沙織を見つめた。


「つまり、その"影"は最初は部屋の隅にいたが、少しずつ動いてるってことですか?」


 蓮司が確認する。


「はい」


 沙織は震えた声で答える。「最初は部屋の隅にいたのに、数日前から……ベッドの近くまで来てるんです」


「それは……確かにヤバいですね」


 里沙が呟く。


「他には?」


 蓮司がさらに問いかける。


「最近、夢の中に……"黒い人影"が出てくるようになりました」


 沙織は目を伏せる。


「夢?」


 里沙が驚いたように聞き返す。


「はい……毎晩、その夢を見るんです。最初は遠くにいた影が、少しずつ近づいてきて……そして……昨夜、ついに"私の耳元で囁いた"んです」


「なんて言われました?」


 蓮司が真剣な表情で尋ねる。


 沙織は、震える唇を押さえながら答えた。


「"迎えに来た"……って」


「……!!!」


 里沙が息を呑む。


 蓮司はしばらく沈黙した後、ゆっくりと煙を吐き出した。


「……そいつは、ヤバいな」


「わかるんですか……?」


 沙織が恐る恐る尋ねる。


「ああ……"迎えに来た"って言葉はな、"取り憑かれた人間"が聞く常套句だ」


 蓮司は静かに答えた。


「取り憑かれた……?」


 沙織の顔がさらに青ざめる。


「霊がな、お前を"連れて行こうとしている"可能性がある」


 蓮司は真剣な表情で告げた。「そして、お前がそれを"受け入れてしまったら"──もう帰ってこれなくなる」


「……そんな……」


 沙織の手が震える。


「今のところ、あなたの霊的な状態はギリギリ"警告"の段階だ」


 蓮司は机の上のペンを指で転がしながら続けた。「つまり、まだ間に合う」


「助かるんですか……?」


 沙織が不安げに尋ねる。


「ええ。あなたの部屋を調査して、そいつの正体を突き止める。そして、"完全に祓う"」


 蓮司は力強く答えた。


「……ありがとうございます!」


 沙織は安堵したように胸を押さえた。


「ただし」


 蓮司は鋭い視線を向けた。「これから数日は、絶対に一人で寝ないように」


「えっ……?」


 沙織が驚く。


「あなたに取り憑いてるのは、"時間をかけて獲物を追い詰める"タイプの霊だ」


 蓮司は言葉を続けた。「そいつは、"夜が深まるごとにあなたの魂を削っていく"」


「……っ」


 沙織は身震いする。


「一人でいる時間が長ければ長いほど、あなたは霊の影響を強く受ける」


 蓮司は立ち上がり、コートを羽織った。「だから、万が一のことがあったら、家族や友人の家に泊まって下さい」


「……わかりました」


 沙織は小さく頷いた。


「里沙、準備しろ。すぐに依頼人の部屋へ向かうぞ」


 蓮司が指示を出す。


「了解です!」


 里沙は素早く霊的な道具をバッグに詰め込む。


「じゃあ行くぞ」


 蓮司は煙草を灰皿に押しつけ、立ち上がった。


 こうして、鬼塚探偵事務所の新たな事件が幕を開ける。


 果たして、"迎えに来た"という霊の正体とは──?



 夜、柊沙織のアパート前。


 蓮司と里沙は、彼女の部屋を調査するため、静かな住宅街に佇むアパートの前に立っていた。


 辺りは既に暗くなり、風がビルの隙間を吹き抜けるたび、不吉な音を奏でる。


「ここが柊さんの住まいですね……」


 里沙は警戒しながら、アパートの建物を見上げた。


「……霊的な気配が強くなってるな」


 蓮司は鋭い目つきでドアノブに手をかける。


 沙織が鍵を開けると、扉がゆっくりと軋みながら開いた。


 ──ゾワッ。


 その瞬間、二人の背筋を悪寒が駆け抜ける。


「……気のせいですかね?」


 里沙が眉をひそめる。


「いや、気のせいじゃないな」


 蓮司は一歩部屋の中へ入り、深く息を吸った。


 ──重い。


 空気が、異常なほど重い。


「……"いる"な」


 蓮司は静かに言った。


 沙織は不安そうに後ろで立ち尽くしていたが、「本当に……?」と震えた声を漏らした。


「間違いない」


 蓮司は部屋を見渡しながら言う。「だが、こいつはまだ姿を見せていない……慎重に行くぞ」



 室内は、一見何の変哲もないワンルームマンションだった。


 ベッド、クローゼット、小さなテーブル、そして壁際に置かれた姿見の鏡。


「……この鏡」


 里沙がふと、壁際の鏡を見つめた。


「何か気になるか?」


 蓮司が尋ねる。


「はい……」


 里沙は慎重に鏡へ近づき、指で表面を軽くなぞる。


 ──"冷たい"。


「この部屋の温度より、鏡の表面が異常に冷えてます」


 里沙がそう言った瞬間──


 バチン!!


 突然、鏡にヒビが入った。


「っ!!?」


 沙織が悲鳴を上げる。


 蓮司はすかさず呪符を取り出し、鏡の前に投げつけた。


 バチバチバチ……!


 霊的な波動が発生し、鏡の表面が一瞬光る。


「やっぱりこいつが"鍵"か」


 蓮司は確信したように呟く。


「でも、柊さんは"鏡の影"の話はしてませんでしたよね?」


 里沙が首を傾げる。


「だな」


 蓮司はじっと鏡を見つめる。「……こいつは、"影"を映し出す媒体かもしれねぇ」


「……?」


 沙織は困惑した表情を浮かべる。


「簡単に言うと、あなたが見てた"影"は、ここから"投影"されてた可能性があるってことです」


 蓮司は鏡の前にしゃがみ込む。


「この鏡、どこで買いました?」


 彼は沙織に尋ねた。


「えっ……? ずっと前から部屋にあったものです。前の住人が置いていったものらしくて……」


「前の住人か」


 蓮司はタバコをくわえ、考え込む。「そいつの情報、調べてみる必要があるな」


「じゃあ、今すぐ調べてみます!」


 里沙はスマホを取り出し、手早くアパートの過去の住人情報を検索し始めた。



「……ありました」


 里沙がスマホの画面を蓮司に見せる。


 そこには、驚くべき事実が書かれていた。


【五年前、この部屋の住人が変死──遺体は部屋の中央にうずくまり、何かを"見つめる"ような状態だった。死因は不明。】


「……マジかよ」


 蓮司は眉をひそめた。


「しかも、これ……事件が起こった時間、"夜の二時ちょうど"ですよ」


 里沙が指で記事の一部を示す。


「柊さん、"影"が現れるのって何時だ?」


 蓮司が確認する。


「……毎晩、ちょうど二時です」


 沙織は震えながら答えた。


「ビンゴだな」


 蓮司はゆっくりと立ち上がる。「こいつは……"この部屋に取り憑いてる霊"だ」


「取り憑いてる……?」


 沙織の表情が青ざめる。


「前の住人が何らかの理由で"死んだ"。そして、その霊が"次の住人"に影響を与えている……」


 蓮司は鏡を睨みつけた。「つまり、あなたは……"次のターゲット"ってことだ」


「……っ!!」


 沙織は思わず口元を押さえる。


「でも、普通、霊って"恨み"や"未練"があって残るんですよね?」


 里沙が慎重に尋ねる。「この霊は何が目的なんでしょうか?」


「それを今から探る」


 蓮司は呪符を数枚取り出し、鏡に貼りつけた。


「里沙、お前は部屋全体の"霊的な痕跡"を探ってくれ。俺は、こいつの正体を突き止める」


「了解です!」


 里沙はバッグから霊視用の道具を取り出し、部屋の気配を探り始めた。


「柊さん、あなたは俺たちの後ろにいろ。何があっても、この鏡には近づくな」


 蓮司は低い声で指示した。


「……わかりました」


 沙織は怯えながらも、頷いた。


 ──そして。


 時計の針が、ゆっくりと"二時"へと近づき始めた。


 次の瞬間、部屋の空気が"凍る"ように冷たくなった。


「来るぞ……」


 蓮司が呪符を握りしめた。


 ──そして、鏡の表面が"波打ち"、黒い影が"ゆっくりと"現れた。


「やっぱり"この霊"か……!!」


 里沙が緊張の面持ちで叫ぶ。


 鏡の中には、ぼんやりとした"黒い影"が立っていた。


 しかし──次の瞬間。


「……やめて……」


 影が、"初めて言葉を発した"。


「……?」


 蓮司は驚いたように影を見つめる。


「助けて……私は……"迎えに来た側"じゃない……"連れて行かれそうになってる"の……!!」


 ──この霊は"襲う側"ではなく、"取り込まれそうになっている者"だった。


「……何……?」


 蓮司は、事態の異常さに気づいた。


「……これ……"呪いの霊"じゃない……。"本当の元凶"がまだ別にいる……!!」



 柊沙織の部屋──午前二時


 鬼塚蓮司、里沙、そして依頼人の柊沙織は、"黒い影"の霊と対峙していた。


 だが、その霊はこれまでの"呪いの霊"とは違っていた。


「助けて……私は"迎えに来た側"じゃない……"連れて行かれそうになっている"の……!!」


 蓮司の予想が崩れた。


 この霊は、ただの"悪霊"ではない。


 むしろ、"何か"に取り込まれそうになっている被害者側だった。


「……どういうことだ?」


 蓮司は、影に向かって問いかけた。


「"迎えに来た"って言葉……お前が言ってたんじゃないのか?」


「違う……。"あの者"が、私を"連れて行こうとしている"の……!!」


 ──その瞬間、部屋の空気が一変した。


 ズズズズ……!!


 床が軋み、鏡の表面が波打つように揺れる。


「来ます……!」


 里沙が呪符を構え、身構える。


 そして──


 鏡の奥から、"何か"が這い出してきた。


 それは、"人間のような影"だ。


 ──いや、違う。


 それは、"顔のない人間の形をした、闇そのもの"だった。


 "黒い影"よりも、さらに濃い漆黒の存在。


 そして、その影は"無数の手"を伸ばしながら、這い出してきた。


「迎えに来た……」


 蓮司は、すぐに理解した。


「こいつが……"本当の迎えに来た者"か」


 迎えに来た者──"霊喰い"の正体


「何なんですか、あいつ……!!」


 里沙が震えながら叫ぶ。


「おそらく、"霊喰い"の類だな」


 蓮司は冷静に呪符を指先で弾いた。


「霊喰い……?」


 沙織が怯えながら尋ねる。


「ああ。"未練を持った霊"を取り込んで、より強い存在になろうとする"捕食者"だ」


 蓮司は淡々と言った。「そして、今まさに──"こいつの次の獲物はあなた"ってことです」


「迎えに来た……お前も、"こっち"へ……」


 "迎えに来た者"は、無数の手を伸ばしながら、沙織に向かってゆっくりと近づいてくる。


「くっ……!」


 沙織はベッドの端に後ずさる。


「させるかよ……!」


 蓮司は呪符を鏡の前に叩きつけた。


「封印・展開!!」


 バチバチバチッ!!


 光が弾け、霊喰いの影を押し戻す。


「グァァァァァ……!!」


 霊喰いは、苦しそうに身をよじらせた。


「効いてますね……!!」


 里沙が叫ぶ。


「だが……"これだけ"じゃダメだ」


 蓮司は真剣な表情を崩さずに続ける。「こいつを完全に消すには、"影の核"を潰す必要がある」


「影の核?」


 沙織が震える声で尋ねる。


「この霊喰い、普通の霊とは違って"形を持たない"。本体は、"どこか別の場所"にあるはずだ」


 蓮司は鋭い視線を鏡に向けた。


「つまり、"鏡の中"にあるってことですね……」


 里沙がすぐに理解する。


「そういうことだ。だから……"こっちから乗り込むしかねぇ。"」


「行くぞ、鏡の向こうへ」


 蓮司と里沙は、霊的なエネルギーを最大限に集中させ、鏡の表面に手をかざした。


「"境界突破"!!」


 次の瞬間、二人の体が鏡の中へと吸い込まれる。


 ──そこは、"異様な空間"だった。


 まるで世界が反転したかのような、歪んだ空間。


 周囲には"うごめく無数の影"が漂っていた。


「……ここが、霊喰いの本拠地か」


 蓮司はゆっくりと辺りを見回した。


「迎えに来た……」


 ──その瞬間、空間が揺れた。


 "巨大な影"が、蓮司と里沙の前に姿を現した。


 ──それは、"無数の人の顔を持つ影"だった。


「こいつが……"霊喰いの核"か」


 蓮司は、呪符を握りしめる。


「来ます!!」


 里沙が叫ぶ。


 霊喰いの核は、一斉に"顔"を開き、無数の悲鳴を上げながら、蓮司たちに襲いかかる。


「させるかよ……!!」


 蓮司は呪符を投げつけ、"霊的な波動"を発生させた。


 バチィィィィン!!!


「蓮司さん、核が露出しました!!」


 里沙が叫ぶ。


「なら、"決める"ぞ……!!」


 蓮司は、"霊滅符"を手に持ち、全力で霊喰いの核へと叩きつけた。


「封印・絶!!!」


 ズドォォォォォン!!!!


 爆発的な光が放たれ、霊喰いの核が砕け散る。


「グァァァァァァァ!!!!」


 霊喰いは苦しみながら、"完全に消滅"した。


 現実世界──終焉


 気がつくと、蓮司と里沙は沙織の部屋に戻っていた。


 鏡は、"完全に砕け散っていた"。


「……終わったの?」


 沙織が恐る恐る尋ねる。


「ああ」


 蓮司は煙草に火をつけながら、疲れたように頷いた。「これで、もうあなたを"迎えに来る者"はいません」


「本当に……ありがとうございます……!」


 沙織は涙を滲ませながら、深々と頭を下げた。



 鬼塚探偵事務所に戻った後、里沙は調査報告をまとめながら言った。


「今回の霊喰い、完全に消滅しましたよね?」


「……ああ、多分な」


 蓮司は煙を吐きながら、机の上の書類を眺める。


「……何か気になることが?」


 里沙が尋ねる。


「今回の霊、"迎えに来た"って言ってたよな?」


 蓮司は目を細めた。


「ええ、それが何か?」


「"あれ"は、"まだ何かの予兆だった"のかもしれねぇ」


 蓮司は静かに呟いた。


 "迎えに来る者"は、まだ終わっていない。


 新たな事件の気配が、すぐそこまで迫っていた──。



 鬼塚探偵事務所──数日後


 柊沙織の事件が解決して数日が経過した。


 事務所にはようやく平穏な時間が戻ったかに見えた。


「ふぅー……」


 里沙はコーヒーを片手に、ソファでくつろぎながら大きく伸びをする。


「今回のはキツかったですね。久々に本気でヤバいと思いました」


「だな」


 蓮司は煙草をくわえ、煙をゆっくりと吐き出す。「だが、どうにも引っかかる」


「……やっぱり、"迎えに来た"っていう言葉のことですか?」


 里沙はカップを置いて、蓮司を見つめる。


「ああ。今までは、霊喰いが"迎えに来た"って言ってたと思ってた」


 蓮司は机の上の書類を指で弾きながら続けた。「だが、あの霊は"迎えに来る側じゃない"って言ったよな」


「確かに……」


「つまり、"迎えに来た者"は、霊喰いじゃなかった可能性がある」


「え? でも、霊喰いは確かに沙織さんを狙ってましたよね?」


「そうだ。だが、アイツは"何か"の影響を受けていた気がする。霊喰い自体も、"上位の何か"に操られてたんじゃねぇか……」


 蓮司が言葉を続けようとしたその時──


 事務所のドアがノックされた。


「いらっしゃいませー」


 里沙が返事をすると、扉がゆっくりと開いた。


 そこには、一人の男性が立っていた。


 スーツ姿の三十代前半の男。黒縁の眼鏡をかけ、落ち着いた雰囲気を持っているが、表情は明らかにこわばっている。


「……鬼塚探偵事務所、でしょうか?」


「ええ、そうですが」


「私……水無月浩一と申します」


 男は深く息を吐き、ゆっくりと話し始めた。


「お願いがあります。私の家に"迎えに来る者"を止めてほしいんです」


 その言葉を聞いた瞬間、蓮司と里沙は顔を見合わせた。


 "迎えに来る者"──また現れた。


「詳しく聞かせてもらいましょうか」


 蓮司は煙草を灰皿に押し付け、視線を鋭くした。


 水無月浩一は、静かに語り始めた。


「一ヶ月ほど前から、私の家で"奇妙な現象"が起こるようになったんです」


「奇妙な現象?」


 里沙がノートを取り出し、メモを取り始める。


「最初は小さな異変でした。家具の位置が微妙にずれていたり、部屋の隅に黒い染みのようなものが現れたり……」


「ふむ」


 蓮司は腕を組む。「それだけなら、そこまで深刻じゃないな」


「ですが、ある日……"それ"が現れました」


 水無月は、少し顔をこわばらせながら続けた。


「最初は気配だけでした。夜になると、部屋の隅に"何か"がいる気がする。けれど、目を凝らしても見えない。……しかし、翌日になると、その"気配"が少しだけ"近づいて"いたんです」


「……出たよ。"少しずつ近づく"系」


 里沙が肩をすくめる。「もうそれ、確実にヤバいやつじゃないですか」


「……その通りです」


 水無月は苦笑しながら頷いた。「そして、数日前──ついに"それ"が見えました」


「見えた?」


 蓮司が身を乗り出す。


「はい。夜中、目を覚ました時、"部屋の隅に黒い人影が立っていた"んです」


 ──ザワッ。


 事務所内の空気が、僅かに重くなる。


「そいつは……何か言ってたのか?」


 蓮司が慎重に尋ねる。


「……はい」


 水無月は、声を震わせながら答えた。


「"迎えに来た"って」


 "また"だ。


「…………」


 蓮司は目を細め、じっと水無月を見つめた。


「そいつの特徴は?」


「全身が黒い影のようで、顔が見えない。けれど、目の部分だけが"じっとこちらを見ている"ような感覚がありました」


「それは、動いたか?」


「はい。最初は部屋の隅に立っていましたが、次の日には"ベッドの横に"……」


「…………」


 蓮司は煙草を取り出し、火をつけた。


「おいおい……マジですか」


 里沙が青ざめる。


「"迎えに来た"と言いながら、日に日に距離を詰めてくる……」


「ええ」


 水無月は深く息をついた。「……そして昨夜、ついに"それ"が、私の"耳元"で囁いたんです」


「何て?」


 蓮司が尋ねる。


「"次は、お前の番だ"って……」


「…………」


 里沙がゴクリと唾を飲む。


 蓮司は、じっと水無月を見つめた後、静かに言った。


「水無月さん、あなた"何か心当たりはありますか?"」


 水無月は、一瞬考え込んだ。


 そして──あることを思い出し、ハッと顔を上げた。


「……あの……」


「どうぞ、言ってみて下さい」


 蓮司は低く言った。


 水無月は、おそるおそる口を開いた。


「実は、数ヶ月前に……古い屋敷を取り壊したんです」


「古い屋敷……?」


 里沙が眉をひそめる。


「はい。私の祖父が住んでいた家です。もう誰も住んでいなかったので、取り壊して更地にしたんですが……」


 水無月は言葉を選びながら続ける。


「その屋敷には、祖父が"決して入るな"と言っていた"一室"がありました」


「……決して入るな?」


 蓮司の目が鋭く光る。


「ええ。でも、取り壊す前に、私はその部屋に入ってしまったんです」


「何かありましたか?」


「……壁の一面が、"無数の黒い手形"で覆われていました」


 ザワッ……。


 事務所の空気が、一層重くなる。


「……おいおい」


 里沙が小声で呟く。


「……そいつが"迎えに来てる"ってことか」


 蓮司は静かに煙を吐き出した。


「つまり、あなたは"決して入るな"と言われていた部屋に入った」


 蓮司は机に肘をつき、じっと水無月浩一を見つめる。


「……はい」


 水無月は顔をこわばらせながら頷いた。


「その時、何か感じましたか? 寒気、耳鳴り、異常な気配……」


 里沙が慎重に尋ねる。


「ええ……まるで"誰かに見られている"ような感覚がありました」


 水無月は語る。「でも、その時は特に何も起こらなかったんです。だから、そこまで気にせず、そのまま屋敷を取り壊しました」


「その後、異変が起き始めた、と」


 蓮司は煙草をくわえながら、静かに言った。


「……はい」


 水無月は息をのむ。「その部屋の"何か"が、今になって僕を迎えに来ようとしているんでしょうか?」


「"迎えに来た"……か」


 蓮司は煙をゆっくりと吐き出した。「面倒な話だな」


「どうするんですか?」


 里沙が尋ねる。


「決まってる」


 蓮司は椅子から立ち上がる。「"その屋敷の跡地"に行く。そこに何が残っているのか、確かめるしかない」


 水無月は驚いたように目を見開いた。「でも……もう何もないはずです」


「そんなわけありません」


 蓮司は皮肉げに笑う。「あなたに"迎えに来た"って言ってる時点で、何かが"まだそこにある"ってことです」


「…………」


 水無月は黙り込む。


「今から行くぞ」


 蓮司はコートを羽織りながら言った。


「えっ、今からですか!?」


 里沙が驚く。


「当然だ。"迎えに来る者"は、いつ来るか分からない。"迎えに来られる前"に、俺たちが行く」



 夜、蓮司たちは水無月の祖父が住んでいた屋敷の跡地に到着した。


 そこは更地になっており、建物の形跡はほとんど残っていなかった。


 しかし、蓮司と里沙はすぐに"異様な雰囲気"を察知した。


「……寒気がすごいですね」


 里沙が腕を擦る。


「間違いない。"何か"がまだここにいる」


 蓮司は霊視用の呪符を取り出し、周囲を見渡した。


「本当に何かが……?」


 水無月が恐る恐る尋ねる。


「まぁ、見てろ」


 蓮司は呪符を地面に撒き、封印陣を展開する。


「封印解除──視覚開放!」


 バチッ──!


 呪符が光を放ち、"跡地に残る霊的な痕跡"が浮かび上がる。


 ズズズズズ……!


 地面に"黒い手形"が無数に浮かび上がった。


「……うわ」


 里沙が息をのむ。


「やっぱりな」


 蓮司は手を組み、低く呟く。「ここには、まだ"霊の気配"が残ってる」


「これ……前に見た壁の手形と同じものじゃないですか?」


 水無月が怯えながら言う。


「ああ。だが、こいつらは"もう力を持ってない"」


 蓮司は地面を指さす。「本当の問題は……"この先"だ」


 蓮司は、屋敷の"地下部分"にあたる場所を見つめた。


「……地下?」


 里沙が眉をひそめる。


「水無月さん、屋敷には地下室がありましたか?」


 蓮司が尋ねる。


「え? いや、そんなものは……」


 水無月は首を振る。


「……じゃあ、"隠し部屋"は?」


 蓮司が続ける。


「……!」


 水無月の表情が凍りついた。


「……そういえば……祖父が"絶対に開けるな"と言っていた床板がありました」


「ビンゴだな」


 蓮司はニヤリと笑う。「……"そこに何かが封じられていた"ってことだ」


「ま、まさか……」


 水無月は震えながらつぶやく。


「だが、あなたがその屋敷を壊したことで、"封印が解けた"」


 蓮司は言い放った。「そして、そいつはあなたを"迎えに来た"わけだ」


「…………」


 水無月は恐怖に顔を引きつらせる。


「ここで"本体"を潰さねぇと、あなたは一生狙われ続けることになる」


 蓮司はポケットから"特製の霊符"を取り出す。


「里沙、準備しろ。地下の封印跡を暴く」


「了解です!」


 里沙はすぐに道具を取り出し、準備を始めた。


 封印の跡──"何か"が出ようとしている


 蓮司と里沙は、地面に残された封印の跡を掘り返し始めた。


 すると──


 ゴゴゴゴ……。


 突然、地面が微かに揺れた。


「……っ!!」


 水無月が飛び退る。


「来るぞ……!!」


 蓮司が低く呟く。


 その瞬間、地面の奥から"黒い気配"が溢れ出した。


 ズズズズ……!!


「迎えに来た……」


 蓮司たちの前に、"影の集合体"のようなものが現れた。


「こいつが……"迎えに来る者"の正体か」


 蓮司は呪符を構える。


「お前も……"こっち側"へ……」


 影は、じわじわと水無月に向かって伸びていく。


「やらせるかよ!!」


 蓮司は即座に呪符を投げつける。


 バチィィィン!!


 だが──影は呪符を弾き、なおも水無月へ向かって進む。


「クソッ……こいつ、強いですね!!」


 里沙が焦りながら霊的な封印陣を展開する。


「蓮司さん、どうします!?」


「決まってる。"こいつの核"を叩く!!」


 蓮司は影の中心を見据える。


 ──そして、"地下の奥"から何かが光を放っていた。


「……あれが核か」


「じゃあ、そこをぶっ潰せば……!!」


 里沙が呪符を構える。


 蓮司は、すかさず"霊滅符"を取り出した。


「里沙、援護しろ!! 俺がトドメを刺す!!」


「了解!!」


 里沙は結界を張り、蓮司は"霊滅符"を影の核に向かって叩きつけた。


「封印・絶!!!」


 ズドォォォォォン!!!!


 ──影は、苦しみの声を上げながら、完全に消滅していった。


 

 翌日、鬼塚探偵事務所に戻った蓮司と里沙は、疲れた表情でコーヒーをすすっていた。


「……本当に終わったんでしょうか?」


 里沙が尋ねる。


「さぁな……」


 蓮司は煙草を咥えながら、じっと机の上の"残った呪符の焦げ跡"を見つめていた。


 "迎えに来た者"──それは、本当にこれで終わったのか?


 "迎えに来る者は、一体どこから来るのか?"


 次なる事件が、静かに迫っていた──。



 鬼塚探偵事務所──事件解決から数日後


 鬼塚探偵事務所は、いつもと変わらぬ静けさに包まれていた。


 デスクの上には解決したばかりの事件の報告書が広げられ、蓮司はそれに目を通しながら、ゆっくりと煙草をくゆらせていた。


「……ふぅ」


 煙を吐き出し、蓮司は椅子にもたれかかった。


「何とか終わりましたね」


 里沙がコーヒーを持ってきて、隣のソファに腰掛ける。


「終わったって言ってもな……完全に"迎えに来る者"を消せたかどうかは分からねぇ」


 蓮司は指でデスクをトントンと叩きながら呟いた。


「でも、少なくとも水無月さんはもう大丈夫ですよね?」


 里沙が尋ねる。


「ああ。アイツに取り憑いてた"影"は完全に祓った。もう迎えに来ることはねぇだろうよ」


 蓮司は一応の安堵を滲ませながら答えた。


「……それにしても、"迎えに来る者"ってのは気味が悪かったですね」


 里沙は、未だに胸の奥に残る不気味な違和感を振り払うように、ため息をついた。


「確かにな」


 蓮司はタバコの火を消しながら続けた。「普通の"地縛霊"や"怨霊"とは違った。まるで"何か"に操られてたみてぇだったな」


「……迎えに来る者は、まだ"何か"の一部でしかないってことですか?」


 里沙が慎重に尋ねる。


「そうかもしれねぇな」


 蓮司は無言でコーヒーを飲み干し、机の上の報告書を閉じた。


 ──水無月浩一は事件解決後、事務所に訪れ、深く頭を下げた。


「本当に……ありがとうございました」


 彼の表情は以前よりも明るくなっており、憔悴していた様子も幾分か和らいでいた。


「これで夜もぐっすり眠れるってもんだな」


 蓮司は軽く肩をすくめた。


「はい。本当に怖かったですが……もう"迎えに来る者"の気配は感じません」


 水無月は安心したように笑った。


「まぁ、しばらくは何か異変がないか気をつけて下さい」


 蓮司は軽く忠告する。「完全に終わったとは限らないですからね」


「……分かりました」


 水無月は真剣に頷き、改めて感謝の言葉を述べて帰っていった。


 夜──鬼塚探偵事務所


 蓮司は、デスクに肘をつきながら、じっと窓の外を見ていた。


 事務所の窓の外には、いつもの夜の街並みが広がっている。


「何を考えてるんですか?」


 里沙が小さな菓子を口にしながら尋ねる。


「……迎えに来る者は、これで終わったのか……」


 蓮司は低く呟く。


「え?」


「アイツらは"迎えに来た"って言ってたが、"迎えに来る理由"が分かってねぇんだよ」


「理由……?」


「そうだ。普通の霊なら、生前の未練や恨みが原因になることが多い。でも"迎えに来る者"は、それがなかった。まるで"ルール"に従ってるかのように現れてた」


「……確かに」


 里沙は腕を組み、考え込む。


「もし、アイツらが"何かの仕組み"で動いてたとしたら……まだ"本当の元凶"がどこかにいるってことだ」


 蓮司は煙草に火をつけ、深く息を吐いた。


「じゃあ、"迎えに来る者"は、また別の誰かを迎えに行く可能性がある……?」


「……それが一番嫌な展開だな」


 蓮司は皮肉げに笑った。「だが、その時はまた俺たちが片付けるだけだ」


「……ですね」


 里沙は苦笑しながら頷く。


 窓の外の街灯がぼんやりと光る。


 今夜は静かだ。


 ──だが、その静けさが"永遠"に続くとは限らない。


 "迎えに来る者"は、本当に消え去ったのか?


 それとも、また新たな"迎え"が近づいているのか……。


 蓮司と里沙は、静かにコーヒーを飲みながら、次の事件に備えるのだった。



 鬼塚探偵事務所──午後三時


 事務所の窓からは西日が差し込み、室内にはのんびりとした空気が漂っていた。


 蓮司はデスクで煙草をくわえ、里沙はパソコンと向き合い仕事に集中していた。


「……また最近は静かになりましたね」


 里沙が呟く。


「まぁ、たまにはのんびりするのも悪くねぇ」


 蓮司は煙を吐きながら返す。


 事件が一段落してから数日が経ち、探偵事務所には依頼もなく、穏やかな時間が続いていた。


 だが──


 ガチャッ!


 突然、事務所のドアが勢いよく開いた。


 乱暴に開かれた扉から飛び込んできたのは、一人の男だった。


 三十代半ばくらいの男。くたびれたスーツを着ており、顔色は悪く、明らかに何かに怯えている。


「た、助けてください!!」


 彼は息を切らせながら、蓮司と里沙の前で両手を突いた。


 蓮司は煙を吐きながら、男をじっと見つめる。


「とりあえず落ち着いて、座ってください」


 里沙がソファを指し示した。


 男は肩で息をしながら、震える手で額の汗を拭い、恐る恐るソファに腰を下ろした。


「す、すみません……私は岡崎透といいます」


「岡崎さんね。それで、助けてってのは?」


 里沙がメモを取りながら尋ねる。


 岡崎は、怯えた表情で声を震わせながら話し始めた。


「実は……数日前から、"何か"に見られている気がするんです……」


「見られてる?」


 蓮司が眉をひそめる。


「ええ……最初は気のせいかと思ったんですが、日に日にその感覚が強くなって……」


 岡崎はゴクリと唾を飲む。


「部屋のどこかに"誰かがいる"ような気がして仕方ないんです。だけど、振り返っても誰もいない」


「そういうのはよくあるな。幽霊に取り憑かれやすいタイプの人間が陥る"被害妄想"ってやつだ」


 蓮司は煙を吐きながら冷静に答える。


「ち、違うんです!! 本当に"何か"がいるんです!!」


 岡崎は声を荒げる。


「"何か"って具体的に?」


 里沙が慎重に尋ねる。


「……"影"です」


「影?」


 蓮司の目が鋭くなる。


「はい……。気のせいかと思ったんですが、ある時、鏡を見たんです」


 岡崎は震える声で続けた。


「すると……僕の後ろに、"もうひとつの影"が映っていました」


 ──室内の空気が一瞬張り詰める。


「それ……確実に"霊的な何か"ですね」


 里沙が険しい表情を浮かべる。


「その影は、どんな形をしてた?」


 蓮司が尋ねる。


「人間の形をしてました。……でも、"顔がない"んです」


 岡崎の声は震えている。


「顔がない……?」


 蓮司は静かに呟く。


「はい……。僕の後ろに立って、じっとこちらを見ている。"顔がない"のに、"見られている"感覚があるんです……」


 岡崎は両手で顔を覆った。「もう……怖くて部屋にいることもできません」


「それ、いつから見え始めましたか?」


「……三日前です」


「心当たりは?」


「ありません……でも、ひとつだけ気になることが……」


「何だ?」


 岡崎は、意を決したように話し始めた。


「三日前、僕は古いビルの解体作業に関わったんです。 仕事の関係で、そのビルに立ち入る機会がありました」


「……それで?」


「解体が始まる前、そのビルの地下に入ったんです。誰もいないはずなのに、地下の奥の壁に"黒い染み"があって……。なんだか妙に気になって、僕はスマホで写真を撮ったんです」


「その写真は?」


 蓮司が尋ねる。


 岡崎はおそるおそるスマホを取り出し、写真を開いた。


 ──そこには、"黒い染み"が写っていた。


 だが、その写真をよく見ると……。


「……待って下さい」


 里沙が画面を指差す。


「この黒い染み……"手形"じゃありませんか?」


「えっ……?」


 岡崎は震える手でスマホを握り直し、画面をじっと見つめた。


 ──確かに、それはただの染みではなかった。


 壁には、無数の"手形"が浮かび上がっていた。


「……こりゃ、ただの影じゃねぇな」


 蓮司は煙を吐き出しながら呟いた。


「岡崎さん、あなたは……"何かを連れてきた"可能性が高いぞ」


「そ、そんな……!!」


「一つ聞きますが……その影は、"日に日に近づいてきてる"んですね?」


 岡崎は絶望したような表情で頷いた。


「はい……最初は遠くにいたんですが、昨日の夜は……"すぐ後ろ"にいました」


「…………」


「そして、今朝……"耳元"で囁かれました」


「なんて言われました?」


 蓮司が慎重に尋ねる。


 岡崎は、涙目になりながら口を開いた。


「"お前を連れて行く"……」


 ──その瞬間、室内の温度が下がった気がした。


「……クソが」


 蓮司は舌打ちをし、煙草を灰皿に押し付けた。


「里沙、準備しろ。現場に向かうぞ」


「了解です!」


 里沙はバッグを用意しながら頷く。


「お、お願いします!!」


 岡崎はすがるように頭を下げた。


「いいですか、岡崎さん。あなたはすぐに"自分の部屋"には戻らないよう。もし戻ったら……"連れて行かれる"可能性がある」


「わ、わかりました!!」


 蓮司はコートを羽織り、静かに言った。


「さあ、行こうか。"あなたを連れて行こうとしている"モンの正体を暴きに」


 鬼塚探偵事務所の新たな事件が、ここに幕を開ける──。



 鬼塚蓮司、里沙、そして依頼人の岡崎透は、岡崎の住むアパートの前に立っていた。


 外灯の明かりが弱々しく灯り、夜の静寂が周囲を包んでいる。


「ここが岡崎さんの部屋ですね」


 里沙がアパートを見上げながら確認する。


「は、はい……」


 岡崎は不安そうに頷く。「でも、本当に大丈夫なんでしょうか……?」


「心配すんな。俺たちはこういうのを"専門"にしてるんでな」


 蓮司はタバコに火をつけながら、冷静に答えた。


「とりあえず、部屋の中を調べてみよう」


 岡崎が震える手で鍵を開け、ゆっくりとドアを開いた。


 ──その瞬間。


 ゾワッ……!


 蓮司と里沙の全身に悪寒が走った。


「……霊的な気配が強いな」


 蓮司が低く呟く。


「明らかに"います"ね……」


 里沙も眉をひそめながら、慎重に部屋の中へ足を踏み入れた。


 室内は、生活感のあるワンルーム。


 だが、何かがおかしい。


 空気が異様に"重い"のだ。


「岡崎さん、あなたが"影"を見たのはどこだ?」


 蓮司が尋ねる。


「そ、この部屋の中です……。最近はベッドの近くに……」


 岡崎はベッドの端を指差した。


 蓮司は慎重に視線を巡らせる。


 "いる"な。


 それは、確実にこの部屋のどこかに"潜んでいる"。


「……岡崎さん、鏡はどこにある?」


「えっ?」


「あなたが"影"を見たのは、鏡越しだったんでしょう?」


「あ……はい! そ、そこです」


 岡崎は部屋の隅に置かれた姿見の鏡を指差した。


 蓮司は鏡の前に立ち、ゆっくりと目を凝らす。


 ──すると、鏡の表面が波打った。


 ズズズズ……!


「来るぞ……!」


 蓮司がすかさず呪符を取り出す。


 鏡の中から、"黒い影"がゆっくりと姿を現した。


 岡崎は息を飲み、震えながら後ずさる。


「やっぱり、"いた"か」


 里沙が冷静に呟く。


 影は、人間の形をしていたが、顔が"ぼやけて"いる。


 ──いや、"顔がない"。


 それなのに、"じっとこちらを見ている"ような気配を放っている。


「お前を連れて行く……」


 影が、静かに言葉を発した。


「クソが……」


 蓮司は煙草を吐き出しながら、低く舌打ちする。


「里沙、今から"こいつの本体"を探る。援護頼むぞ」


「了解です!」


 里沙はすぐに浄化の呪符を構え、影の動きを封じるために準備を始めた。


 蓮司は影を睨みつけ、冷静に呟く。


「"お前の本体"はどこにいる?」


 影は、答えずにゆっくりと動き出す。


 ──岡崎に向かって。


「……っ!」


 岡崎は恐怖に顔を引きつらせながら、壁際に追い詰められた。


「動くな!!」


 蓮司が叫ぶ。


 影が、岡崎に"覆いかぶさる"ように伸びる。


 バチィィィン!!


 瞬間、蓮司が投げた呪符が影を弾き飛ばした。


「グァァァ……!」


 影は苦しそうに後ずさる。


「……霊そのものを"追い払う"のはできるが、"本体"を潰さねぇと解決にはならない」


 蓮司は呟く。「岡崎さん、あなたが"影"を見る前に関わった場所をもう一度思い出せ」


「そ、それは……!」


 岡崎は震えながら、あの"古いビルの地下"を思い出した。


「地下の……壁……手形……!」


「決まりだな」


 蓮司はすぐに立ち上がる。「こいつの本体は、"あの地下"にある」


「でも……ビルは解体されたんですよ!?」


 岡崎が焦ったように言う。


「解体されても、"霊的な痕跡"は残るんだよ」


 蓮司はコートを羽織る。「今から、その"跡地"に行く」


「ま、まさか……!」


 岡崎は息を飲む。


「あなたを連れて行こうとしてる"影"の正体を、完全に暴く」


 蓮司は鋭い目で言った。


「……行くぞ」


 三人はとにかくもアパートから脱出した。



 深夜、岡崎が関わった"古いビルの跡地"に蓮司たちはやってきた。


 更地になった場所には、街灯の光がぼんやりと照らしている。


「……ここですね」


 里沙が静かに言う。


 岡崎はガタガタと震えながら辺りを見回した。


「もう……何もないはずなのに……」


「甘いな」


 蓮司はポケットから呪符を取り出し、地面に向かって静かに呟く。


「"霊視開放"──"過去の痕跡を視せ"」


 バチッ……!


 地面に呪符が触れた瞬間──


 ズズズズズ……!!


 辺りの景色が"歪み"、"地下の風景"が浮かび上がった。


「こ、これは……!」


 岡崎が息を飲む。


「……やっぱりな」


 蓮司は呟く。「"解体されても、消えていなかった"ってことだ」


 目の前には、"壊されたはずの地下室"が現れた。


 そして、奥の壁には……。


 "無数の手形"が、うごめいていた。


「これが……"影の本体"か」


 里沙が緊張した声で呟く。


「ここで終わらせる」


 蓮司は煙草を吹かし、静かに言った。


「影の本体を"完全に封じる"ぞ」


「はい……!!」


 里沙が呪符を構える。


 ──迎えに来る者の正体が、ついに暴かれる。



 深夜──消えたビルの地下


 蓮司、里沙、そして依頼人の岡崎は、"解体されたはずの地下室"の痕跡を霊視によって浮かび上がらせていた。


 そこには、今もなお残る"黒い手形"が無数に刻まれていた。


 ザワザワ……ザザザ……。


 壁の手形がゆっくりと蠢き始める。


「やっぱり、ここが"影の本体"ってことで間違いなさそうですね……」


 里沙が慎重に呪符を構える。


「だな」


 蓮司は煙草をくわえながら、じっと"手形のうごめく壁"を見つめる。


「岡崎さん、"影"が現れたのは、あの地下に入ったあとからなんですね?」


「はい……間違いありません」


 岡崎は震えながら答える。「この地下に入って、"黒い染み"を見つけた時から……」


「その染み、今でも残ってますか?」


「えっ?」


 蓮司の言葉に、岡崎はスマホを取り出し、霊視した地下室の写真を改めて確認する。


 ──すると。


「……あ……!!」

 岡崎が指を震わせながら画面を示す。


 そこには、"壁の中央"にある"黒い染み"が、はっきりと映っていた。


 だが、それはただの染みではなかった。


 ──"人の顔のような形"をしていたのだ。


「……なるほどな」


 蓮司は静かに言った。「つまり、あれが"影の核"だ」


 ──その瞬間、地下全体が揺れた。


 ゴゴゴゴ……!!


「っ……!! 来ます!!」


 里沙が叫ぶ。


 そして──


「お前を迎えに来た……」


 地下室の壁から、"無数の手"が這い出し、"黒い影の巨体"が姿を現した。


 影は、"顔のない人間の形"をしていた。


 いや……顔がないのではなく──


 "顔の部分には、無数の"別の顔"が渦を巻くように浮かんでいた"。


「……これが"迎えに来る者"の正体か」


 蓮司は煙草をくわえながら、冷静に呟く。


「完全に異常存在ですね……」


 里沙が汗をにじませながら呪符を握りしめる。

 

「"迎えに来る"って言葉……やっぱりコイツは"取り込む"ことを目的にしてるってことですね?」


「ああ。こいつは、"過去にここで取り込まれた人間の魂"を積み重ねて成長した"霊の集合体"……"霊喰いの進化系"ってとこだろうな」


「……やっぱり」


 里沙がゾクリとした表情を浮かべる。「つまり、岡崎さんも"次の一人"になろうとしてたわけですね」


「くっ……」


 岡崎が顔を歪める。


「……お前も"こっち"へ……」


 影は、ゆっくりと岡崎に向かって伸びてくる。


「やらせねぇよ!!」


 蓮司は瞬時に呪符を放った。


 バチィィィン!!


 光が弾け、影の手が一瞬弾かれる。


 だが──影はすぐに再び這い寄る。


「……やっぱり"核"を潰さねぇとダメか」


 蓮司は舌打ちをする。


「影の本体は"壁の顔"……そこを狙えばいいんですね?」


 里沙が確認する。


「ああ。里沙、お前は影の動きを封じろ。俺が"核"を叩く」


「了解!!」


 里沙は結界を展開し、影の動きを制限する。


「封印結界──四方の鎖!」


 バチィィィィン!!!


 四方に張り巡らされた呪符の鎖が影を拘束する。


「今だ!!」


 蓮司はコートの内側から"特製の霊滅符"を取り出し、壁の"顔"に向かって全力で叩きつけた。


「封印・絶!!!」


 ズドォォォォォン!!!!


 爆発的な霊力が炸裂し、"壁の顔"が一気に崩れ始める。


「グァァァァァァァ……!!」


 影の巨体が悲鳴を上げながら揺れ、徐々に消滅していく。


 そして──


「迎えに……来た……」


 最後の声を残し、影は"完全に"霧散した。


 ──戦いは、終わった。



「……終わりましたね」


 里沙が息を整えながら呟く。


「ああ」


 蓮司は、壁の顔が完全に消えたことを確認し、煙草に火をつけた。


「これで"迎えに来る者"はもう現れねぇ」


 岡崎は、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。


「助かった……助かったんですね……」


「ああ」


 蓮司は軽く肩をすくめる。「これでもう、あなたが連れて行かれることはないですよ」


 岡崎は涙を滲ませながら深く頭を下げた。


「本当に……ありがとうございました……!」


「気にすんな。俺たちの仕事だ」


 蓮司は、"影の痕跡"が完全に消えたことを確認し、立ち上がる。


「さて、帰るか」


「はい!」


 里沙も疲れた表情を見せながら頷く。



 鬼塚探偵事務所──翌日


 事務所に戻った蓮司と里沙は、ソファで一息ついていた。


「……いやー、久々に大変な案件でしたね」


 里沙がコーヒーをすすりながら呟く。


「だな」


 蓮司は煙を吐きながら、ふと天井を見上げる。


「……結局、"迎えに来る者"は、"取り込まれた魂の集合体"だったわけだ」


「そうですね。でも、"迎えに来る者"って、もしかして他にも……?」


 里沙の言葉に、蓮司は静かに考え込む。


「……可能性はあるな」


 "迎えに来る者"は、単なる"ひとつの存在"ではなく、"様々な場所に生まれる怪異"なのかもしれない。


「ま、その時はまた俺たちが片付けるだけだ」


 蓮司はそう言って、静かに笑った。


「……ですね」


 里沙も微笑みながら、コーヒーを飲み干した。


 ──そして、鬼塚探偵事務所は、新たな依頼を待ちながら、静かな時間を取り戻すのだった。


 ──そして、次なる怪異へ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ