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第五話

 穏やかな午後の陽射しが事務所の窓から差し込み、静かな時間が流れていた。蓮司はデスクで書類を整理しながら、ふと煙草に手を伸ばしたが、里沙の鋭い視線を感じてすぐにやめた。


「どうしても吸いたいなら外でお願いしますよ」里沙は書類整理をしながら、軽くため息をついた。


「へいへい」蓮司は苦笑しつつ、煙草をしまい込んだ。


 そんな時、事務所のドアが静かにノックされた。二人は同時に顔を上げる。


「いらっしゃいませ」里沙が立ち上がり、ドアを開けると、そこには一人の男性が立っていた。


 三十代半ばほどのスーツ姿の男。顔色は悪く、疲れ切ったような雰囲気を漂わせている。黒縁のメガネの奥の瞳は落ち着かない様子で揺れ、手にはしっかりと鞄を抱えていた。


「失礼します……鬼塚探偵事務所さんですよね?」男はおずおずと尋ねた。


「ええ、そうですが」里沙は優しく微笑み、事務所の中へと案内した。


「どうぞ、こちらへ」蓮司もソファを指し示し、男を促した。


 男はゆっくりと腰を下ろし、深く息をつくと、改めて名乗った。


「私……藤原誠と申します」


「藤原さん、何かお困りごとですか?」蓮司が本題を促す。


 藤原は落ち着かない様子で手元の鞄を握りしめながら、低く沈んだ声で語り始めた。


「……実は、最近、妙な夢を見るんです」


 蓮司と里沙は一瞬目を合わせた。「夢?」と里沙が聞き返す。


 藤原は頷き、続けた。


「それも、ただの夢じゃないんです。毎晩、同じ場所……見たこともない古い洋館の中にいる夢です。そして、その夢の中で、私は誰かに呼ばれるんです……『お前を待っていた』と」


「それで?」蓮司は興味深そうに身を乗り出す。


「夢の中では、私は必ずその館の大広間に立っています。でも、その後の展開が毎回違うんです。時には誰かの足音が聞こえ、時には鏡に映る自分の姿が歪んでいく……。そして、最後には必ず、背後から冷たい手が肩に触れて、目が覚めるんです」


 藤原はゴクリと唾を飲み込むと、さらに声を潜めた。


「最初はただの悪夢かと思っていたんです。でも……この夢を見始めてから、実際におかしなことが起こり始めた」


「どんなことが?」里沙が慎重に問いかける。


「部屋の中の物が勝手に動いたり、目を覚ますと枕元に見覚えのない古びた紙片が落ちていたり……」


「紙片?」蓮司が眉をひそめる。「何が書かれていました?」


 藤原は震える手で鞄の中から何かを取り出した。小さな古びた紙片……それには、達筆な筆文字でこう書かれていた。


『帰れ、すべての始まりの場所へ』


 蓮司は紙片をじっと見つめ、指でなぞる。筆圧が強く、まるで執念が込められているようだった。


「この字は、最近書かれたものではないな」蓮司は呟いた。「古い時代の筆跡に見える。けど……まるであなたに直接宛てたような文面だ」


「ええ……そして、何より怖いのは……」藤原は顔を上げ、青ざめた表情で続けた。


「この洋館、実在するんです」


「何ですって?」里沙が驚いた。


 藤原は震える声で言った。「先日、たまたまネットで古い不動産の情報を見ていたら……その夢で見たのと全く同じ洋館の写真を見つけました。それも、最近まで誰も手をつけていなかった廃墟のまま……」


「つまり、夢で見た場所が現実に存在していた?」蓮司は目を細めた。


「はい。そして……僕の名前もそこにあったんです」


「どういうことですか?」里沙が問い返す。


 藤原は鞄からスマホを取り出し、震える手で画面を操作すると、一枚の画像を見せた。そこには、古びた洋館の正面の写真と、錆びついた表札が映っていた。


 表札には、こう書かれていた。


『藤原邸』


 事務所の中に、重い沈黙が落ちた。


「つまり……あなたの家系に関わる場所だってことか」蓮司は紙片を再び見つめた。


「でも、僕はこんな家を知らない。両親に聞いても、『そんな場所は知らない』の一点張りでした。でも……何かが僕をこの場所に呼んでいる気がするんです」


 藤原は震えながら蓮司を見つめた。


「お願いです……この洋館に何があるのか、調査してもらえませんか?」


 蓮司は一度、煙草に手を伸ばしたが、里沙が睨んだので断念し、代わりに深く息をついた。


「おもしろくなってきたな」蓮司は静かに言った。


 里沙は少し緊張した様子で、「蓮司さん、本当に行くんですか?」と尋ねた。


「ここまできたら、行くしかないだろう」蓮司はスマホの写真を見つめたまま言った。「実在するなら、何が隠されているのか確かめるべきだ」


 藤原は蓮司と里沙を見つめ、深く頭を下げた。「ありがとうございます……!」


 蓮司は立ち上がり、里沙に指示を出した。「里沙、準備をしろ。霊的な影響がどれほどのものか分からないが、万全を期す」


「了解しました」里沙はすぐに霊的調査の道具を準備し始めた。


 こうして、鬼塚探偵事務所にまた新たな依頼が持ち込まれた。


 夢に導かれた男、謎の洋館、そして「帰れ」と書かれた紙片──蓮司と里沙は、全ての真相を解き明かすため、藤原邸へと向かう準備を始めた。



 数日後の午後、薄曇りの空の下、蓮司と里沙、そして依頼人の藤原誠は、問題の洋館「藤原邸」の前に立っていた。建物は広大な敷地にひっそりと佇み、長い間放置されていたことを物語るかのように、門には蔦が絡みつき、鉄製の扉は錆びついていた。


「ここが……夢に出てきた洋館……」藤原は震える声で呟いた。


「なるほど、見るからに曰く付きって感じだな」蓮司は低く呟きながら、洋館の全体を観察した。「だが、ただの廃墟にしては、異様な気配がある」


「どういうことですか?」里沙が尋ねる。


「普通の廃墟なら、ただの老朽化した建物にすぎない」蓮司は門の前で足を止め、目を細めた。「だが、ここは違う。見ろ、門の周囲に蔦が絡みついているが、不自然に伸びていないか? まるで何かを守るように」


 里沙はその言葉に従い、門の蔦をよく見た。「……本当だ。普通の植物の成長とは違う方向に絡み合っています」


「何かが、この場所を外部から隠そうとしているのかもしれないな」蓮司はポケットから霊視用の塩を取り出し、門の前に撒いた。すると、風もないのに塩が散らされるように消えていった。


「やっぱりな」蓮司は呟いた。「結界か何かの影響で、ここに足を踏み入れる者を拒んでいる」


「じゃあ、どうやって入るんですか?」藤原が不安げに尋ねる。


「簡単だ」蓮司はポケットから特殊な呪符を取り出し、門に向かってかざした。「これで結界を無効化する」


 彼が呪符に軽く霊力を込めると、門の周りの空気が震え、蔦がゆっくりと後退していった。やがて、錆びた鉄門がギィ……と軋みながら、わずかに開いた。


「これで入れる」蓮司は無言で門を押し開け、ゆっくりと敷地内へと足を踏み入れた。藤原と里沙も後に続く。



 玄関の扉は意外にも開いており、三人は慎重に中へと入った。洋館の内部は、思ったよりも朽ちておらず、むしろ時間が止まったかのように家具がそのまま残されていた。


「……まるで、誰かが今でもここに住んでいるみたいですね」里沙が呟いた。


「いや……これは違う」蓮司は床に目をやる。「埃が積もっている。ここに人がいた形跡はない。だが、それでもこの空間が保存されている理由は……」


「俺を待っていた、ってこと……?」藤原がポツリと呟いた。


 その瞬間、館の奥から、何かが動く音がした。


「……!」三人は同時に息を呑んだ。


「今の……」里沙が警戒しながら辺りを見渡す。


「誰か、いるのか……?」藤原が小さく呟く。


 蓮司は無言で手を上げ、二人に静かにするよう合図を送った。そして、音のした方向──廊下の奥へと慎重に足を進めた。



 蓮司がゆっくりと奥へ進むと、大広間の扉が開いていた。藤原が夢で見たという場所だった。


「……ここだ」藤原は緊張した面持ちで言った。「夢と、全く同じ……」


 蓮司は大広間の中へ入り、周囲を確認した。高い天井、古びたシャンデリア、壁際に並ぶ古いソファ──どれも年月を経たものだが、確かに異様な雰囲気が漂っていた。


「確かに、何かがいるな……」蓮司は霊的な力を研ぎ澄ませ、静かに呟いた。


 その時だった。


「ようこそ──藤原誠」


 突然、部屋の奥から低く響く声が聞こえた。


 三人は息を呑み、声の主を探した。やがて、暗がりの中から一つの影が揺らぎながら浮かび上がる。


 それは人の形をしていたが、完全な実体ではない。黒い霧のように揺らめきながら、大広間の中央に姿を現した。


「まさか……!」藤原は後ずさる。


「お前は……誰だ?」蓮司が声を張る。


 霊体はゆっくりと顔を持ち上げると、微かに歪んだ笑みを浮かべた。


「我は、お前の血族の影……そして、この館の真実を知る者だ」


「俺の……血族?」藤原は困惑しながら問い返す。


「お前はまだ知らぬ。この館の歴史、そして藤原の名に隠された罪を」


 霊体の周囲の空気が揺らぎ、冷たい風が部屋を満たしていく。


「知りたくば──お前自身が、この館の過去を覗くがよい」


 その瞬間、洋館の中の景色が歪み、三人の視界が一気に変わった。


 気がつくと、三人は見知らぬ光景の中に立っていた。


「これは……?」里沙が周囲を見回す。


 蓮司はすぐに悟った。「過去の幻影だ。こいつが見せている」


 目の前に広がるのは、かつてこの洋館がまだ繁栄していた頃の姿だった。暖炉に火が灯り、召使いたちが忙しく動き回る。


 そして、大広間の中央には、一人の男が立っていた。


 藤原誠と瓜二つの顔をした、黒い衣の男が。


「……これは、どういうことだ?」藤原は震えた声で呟いた。


 霊体はゆっくりと答えた。


「お前は、かつてこの館で交わされた"契約"の果てに生まれたのだ」



 広間の光景は、まるで映画のワンシーンのように鮮明だった。蓮司、里沙、藤原の三人は、まるで幽霊のように誰からも認識されず、ただこの過去の世界を観察することしかできなかった。


 広間の中央に立つ男は、藤原誠と瓜二つの顔をしていた。


 だが、彼の着ている衣服は時代がかったもので、黒いローブには金色の刺繍が施されていた。その男の前には、古びた書物と人形──あの呪われた人形と同じものが置かれていた。


「……あれは……?」藤原が息をのむ。


「おそらく、あなたの先祖だろう」蓮司は低く答えた。「見てごらん、あの雰囲気。普通の貴族ではない。何かの儀式を行っている」


「儀式……?」里沙も警戒しながら周囲を見回す。


「では、誓いを交わそう……」


 突然、広間に響く重い声。瓜二つの男が、目の前の書物を指でなぞりながら低く呟く。


「我が血族に繁栄を……この土地に永遠の富を……我が名を、後世まで続くものとするために……」男はゆっくりと人形に手を伸ばし、そこに黒い液体のようなものを滴らせた。


「……そして、我が魂の一部を捧げる……」男は短剣を取り出し、自らの指先を傷つける。血が人形に染み込み、その瞬間──館全体が揺れた。


 ドクン……ドクン……


 心臓の鼓動のような音が館中に響き渡る。広間の暖炉の炎が一瞬で青白く変わり、壁に飾られた肖像画がひとりでに震え始めた。何かが、この儀式によって生まれようとしている。


「……ヤバいな」蓮司は呟いた。


「これって……悪魔との契約とか、そういう類じゃないですか?」里沙の声がわずかに震えている。


「契約……?」藤原は混乱しながら、広間の中央の男を見つめ続けた。


「お前たちが今見ているのは、藤原家の罪……そして、お前に課せられた宿命だ」


 突如、幻影の世界に語りかける霊体の声が響く。


「宿命……?」藤原は声を絞り出すように問いかける。


「そうだ。お前の血族は、この洋館でかつて"何か"と契約を交わした。そして、その契約は未だに終わっていない」


「未だに終わっていない……?」蓮司が言葉を繰り返した。


 霊体は低く笑った。「あの男は、藤原家の繁栄を願った。だが、代償として"魂"を捧げたのだ」


 藤原の表情が青ざめる。


「……まさか……」


「そう、お前の家系は代々、"捧げる魂"を生み出す役割を負っていた。そして今、お前がその宿命を果たす番だ」


「お前の魂が必要なのだ、藤原誠」


 その瞬間、幻影が急激に歪み、暗闇が三人を包み込んだ。



「っ……!」


 藤原が息を荒げながら目を覚ました。気がつくと、三人は再び洋館の大広間に戻っていた。だが、状況は変わっていた。


 暖炉の火は消え、部屋の空気が異様に冷たくなっていた。そして──


「藤原誠……我が契約を果たせ……」


 部屋の隅に、さっきの霊体が立っていた。だが、今までのぼんやりとした影とは違う。より明確な形を成し、かつての藤原家の主とそっくりな姿になっている。


「お前は……!」藤原は恐怖と怒りが入り混じった声を上げた。


「お前の血が、この契約を完成させる。さあ、魂を寄越せ……!」


 霊体は一歩前へ踏み出すと、異様な黒い霧が部屋に広がり始めた。蓮司と里沙はすぐに防御態勢を取った。


「お前の目的は藤原さんの魂を奪うことか?」蓮司が鋭く問いかける。


「それが契約だ。逃れることはできぬ」霊体は低く笑う。


「ふざけるな……!」藤原は叫ぶ。「俺はそんな契約なんかした覚えはない!」


「だが、お前は藤原の血を引いている。それだけで十分だ」霊体が冷たく言い放つ。


「蓮司さん、どうしますか!?」里沙が叫ぶ。


 蓮司はすぐに呪符を取り出し、霊体に向かって投げつけた。「問答無用だ。こんな契約は、俺たちが断ち切る!」


 呪符が霊体に貼り付いた瞬間、霊体は一瞬苦しそうに身をよじらせたが、すぐに嘲笑を浮かべた。


「無駄だ。その程度の霊的な力では、契約の力には敵わぬ」


「……なら、もっと強い力を使うまでだ」蓮司は低く呟くと、手のひらに霊的なエネルギーを集中させた。


 里沙も準備を整え、結界を張る。「封印するしかありませんね」


「やってみろ。だが、果たしてお前たちが契約の力に抗えるか……?」


 洋館の中で、蓮司と里沙、そして藤原を巡る戦いが始まる。



 洋館の大広間に冷たい霊気が渦巻く中、蓮司と里沙は霊体と対峙していた。藤原は震えながらも、必死にその場に立ち続けている。


「藤原誠……」


 霊体は低い声で呟きながら、ゆっくりと藤原へと手を伸ばす。「お前の魂をもって、この契約を完遂する時が来た……」


「そんなこと……させるか!」蓮司が素早く呪符を霊体に向けて投げつける。


 呪符が命中し、霊体の動きが一瞬止まる。しかし、それでも完全に封じることはできない。霊体は苦しそうに歪みながらも、笑い声を上げた。


「フフ……無駄だ……この契約は、長き時を経て継がれてきたもの……たかが人間の術で、断ち切れるものではない……!」


「なら、もっと強力な封印を使うまで!」里沙が巻物を広げ、経文を唱え始める。


「清め給え、祓い給え……悪しきもの、この場より退け……!」


 巻物から発せられる霊的な波動が部屋全体に広がり、霊体の体が揺らぎ始める。しかし、それでも完全には崩れない。


「……ちっ、やはり契約の力が強いか……」蓮司が舌打ちする。


 その瞬間、霊体の黒い霧が激しく膨張し、一気に広間を覆い尽くした。


「!?」


 突如として視界が暗くなり、蓮司と里沙の周囲に黒い腕が何本も現れる。まるで影そのものが生きているかのように蠢きながら、二人を捕えようとする。


「まずいな……こいつ、本気で来るつもりだ」蓮司は低く呟きながら、瞬時に呪符を両手に構えた。


「蓮司さん、後ろ!」里沙が叫ぶ。


 振り向くと、影の腕が蓮司の背後から伸び、彼の体を締め上げようとしていた。ギリギリのところで、蓮司は霊的な力を解放し、呪符の力で影を弾く。


 同時に、足元から無数の影が這い上がり、霊体の手先のように襲いかかってくる。


「くそっ、こいつは……!」蓮司は素早く後退しながら、霊体に向かって叫んだ。「お前、契約の力でここまでの力を持っていたのか!」


「そうだ……私はこの洋館に封じられていたが、契約の力がある限り、私の存在は揺るがぬ……!」霊体は笑いながら答える。


 その瞬間、霊体が腕を振り上げると、影の触手が一斉に襲いかかってきた。


「っ……!」


 蓮司は紙一重で飛び退きながら、再び呪符を投げつける。しかし、影が呪符を弾き、攻撃が無効化される。


「物理攻撃が効かない……!?」里沙が驚きの声を上げる。


「そういうことだ……」霊体は冷たく言い放ち、藤原に向かって手を伸ばした。「さあ、私の元へ来い……!」


「来るな……!」藤原は叫びながらも、足が動かない。


 影の手が藤原を捕らえようとする、その時──


「させるか!」


 蓮司が一気に飛び込み、霊的な波動を拳に集中させた。拳が光を帯び、そのまま影の手を殴り飛ばす。


 ズドン!!


 霊的な衝撃が炸裂し、影が一瞬にして吹き飛んだ。


「な……!?」霊体が驚愕する。


「言っただろう……俺はこんな契約、認めるつもりはない」蓮司は霊的な力をさらに高め、霊体に向き直る。「契約に縛られる魂なんて、俺が全部ぶち壊してやる!」


「おもしろい……ならば、私の本当の力を見せてやろう……!」


 その瞬間、霊体の黒い霧が凝縮し、異形の怪物へと変化した。


 長い腕、無数の目が体中に浮かび、口からは黒い煙を吐き出す。


「こいつ……!」里沙が巻物を掲げ、結界を張る。


「蓮司さん、時間を稼いでください!完全な封印を施します!」


「了解!」蓮司は影の怪物に向かって突撃し、手に持った霊符を次々と叩き込む。


 影の怪物は咆哮を上げながら、巨大な腕を振り上げる。蓮司は瞬時に回避し、目の前の空間に魔法陣を描く。


「これでどうだ……!」蓮司は魔法陣の中心に呪符を投げ込み、光の柱を生み出した。


 怪物が光の柱に囚われ、苦しげな叫び声を上げる。


「里沙、今だ!」


「はい!」


 里沙は巻物を広げ、霊的な封印の経文を詠唱する。


「悪しき魂よ、この場に留まり、浄化されよ……!」


 巻物から放たれる光が、影の怪物を包み込んだ。怪物は断末魔の叫びを上げながら、次第に崩れ、やがて完全に消滅した。


 静寂が戻る──


 蓮司は肩で息をしながら、影が消えた広間を見渡した。


「終わった……のか……?」藤原が息を切らしながら呟いた。


「……ああ」蓮司は頷いた。「これで、お前の家系を縛っていた契約は消えた」


「これからは……自由に生きられますね」里沙が微笑んだ。


 藤原は震える手で顔を覆いながら、安堵の息を漏らした。


「……ありがとう。本当に……ありがとう……!」



 鬼塚探偵事務所に再び静かな時間が戻ってきた。藤原邸での戦いから数日が経ち、事務所の空気は少し落ち着きを取り戻していた。


 蓮司はデスクに座り、霊的な封印が施された箱をじっと見つめていた。今回の戦いの後、藤原邸に残っていた呪われた遺物を回収し、完全な封印を施したのだ。


「これで、もう悪さをすることはないな……」蓮司は煙草を咥えながら、小さく呟いた。


 その時、事務所のドアがノックされた。里沙が椅子から立ち上がり、ドアを開けると、そこには見覚えのある顔があった。


「藤原さん!」里沙が驚きつつも微笑む。


 そこには、以前よりも明らかに表情が明るくなった藤原誠の姿があった。スーツをしっかりと着こなし、以前の怯えた様子はすっかり影を潜めている。


「お久しぶりです」藤原は穏やかな笑みを浮かべながら、一歩足を踏み入れた。「……改めて、ありがとうございました」


「どうした? 何かまた問題が?」蓮司が軽く眉を上げる。


「いえ、そういうわけではありません」藤原は頭を振り、持ってきた紙袋を蓮司のデスクの上に置いた。「ただ、お礼を言いたくて。それと、ちょっとした差し入れを」


 里沙が紙袋を開けると、中には高級そうな洋菓子の詰め合わせが入っていた。


「おお……!」里沙の目が輝く。「こういうの、大歓迎です!」


「ははは……喜んでもらえて良かったです」藤原は少し照れくさそうに笑った。


 蓮司は煙草を灰皿に押し付け、「で、あなたはどうなった?」と問いかける。


 藤原は少しだけ遠くを見るようにして、言葉を探しながら話し始めた。


「……実は、藤原邸が取り壊されることになりました」


「そうか」蓮司は静かに頷く。


「契約が完全に消えた後、どういうわけか、あの屋敷の登記情報も曖昧になってしまって。結局、誰の所有物でもなくなっていたんです。でも、あの場所にもう未練はないし……残しておく理由もないので、取り壊しが決まりました」


「まるで初めからなかったみたいに、呪いと一緒に消えていったんですね」里沙が感慨深そうに言う。


「そうかもしれません」藤原は頷いた。「でも、これでやっと自由になれた気がします。家族の歴史とか、血筋とか、そういうものに縛られることなく、自分の人生を生きていける」


「それで、これからどうするつもりなんだ?」蓮司が問いかける。


 藤原は少し微笑み、「……新しい仕事を探してみようと思っています」と答えた。「今まで家業を継ぐことしか考えていなかったけど、もうその呪縛もない。だから、自分のやりたいことを見つけたいんです」


「いいですね」里沙が明るく頷いた。「これからは自由に生きられますよ!」


「ええ……本当に、そう思います」藤原の表情は、以前よりもずっと晴れやかだった。


「まあ、あんまり無茶はお勧めしないが」蓮司は腕を組みながら言う。「また何かあったら、ここに来て下さい」


「はい。その時は、また頼らせてもらいます」藤原は深く頭を下げた。


 その後、藤原は「また来ます」と言い残し、探偵事務所を後にした。



 藤原が帰った後、事務所には再び静けさが戻った。里沙は差し入れの洋菓子を開けながら、蓮司に話しかける。


「今回は大変でしたけど、最後はハッピーエンドって感じでしたね」


「まあな」蓮司は煙草を咥え直し、窓の外を眺める。「だが、ああいう呪いは、世の中にいくらでもある。藤原の話は終わったが、似たような話はまた出てくるだろう」


「また大変な事件が来るってことですか?」里沙は苦笑いしながら洋菓子を一口食べる。


「そういうことだ」蓮司はニヤリと笑った。「俺たちの仕事に終わりはない」


 その時、事務所の電話が鳴った。里沙が手早く受話器を取る。


「はい、鬼塚探偵事務所です。……え? ええ、少しお待ちください」里沙は蓮司に目を向けた。「また新しい依頼ですよ」


「ほう……」蓮司は煙草の火を消し、立ち上がった。「どんな話だ?」


「依頼人が直接会って話したいそうです。今から来るみたいですよ」


「上等だ」蓮司は笑いながら言った。「じゃあ、次の仕事に取りかかるとするか」


 里沙は微笑みながら、「ですね」と頷いた。


 鬼塚探偵事務所の物語は、まだまだ続く。



 数日後、藤原誠は新しい街で、新しい生活を始めていた。彼の人生は、かつての呪われた血筋に縛られることなく、自由になった。


 そして──


 夜、ふと気配を感じて振り返ると、街灯の下に黒い影が立っていた。


「……?」藤原は身を強ばらせる。


 だが、その影は、ただ静かに彼を見つめるだけだった。


 藤原がもう一度目を凝らした瞬間──影は消えた。


「……気のせい、か……」


 藤原は小さく呟き、歩みを進める。


 だが、その背後で、誰かの囁き声が聞こえたような気がした。


「呪いは……本当に消えたのか……?」


 その言葉が、藤原の耳に微かに届いた──。



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